―その2016―
●歌は、「紅に衣染めまく欲しけどもも着てにほはば人の知るべき」である。
●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(22)である。
●歌をみていこう。
◆紅 衣染 雖欲 著丹穗哉 人可知
(作者未詳 巻七 一二九七)
≪書き下し≫紅に衣染めまく欲しけども着てにほはばか人の知るべき
(訳)紅色に衣を染めたいと思うけれども、その着物を着て色が目立ったら、人に気づかれてしまうだろうか。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)紅に衣染めまく欲しけども:求婚を受け入れたいと思うが、の譬喩(伊藤脚注)
(注)にほふ【匂ふ】自動詞:①美しく咲いている。美しく映える。②美しく染まる。(草木などの色に)染まる。③快く香る。香が漂う。④美しさがあふれている。美しさが輝いている。⑤恩を受ける。おかげをこうむる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注の注)赤系統の色には「にほふ」がよくつかわれている。
(注)着てにほはば:契りを結んで喜びが顔に出たら、の意。(伊藤脚注)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1155)」で紹介している。
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上の注の注で「赤系統の色には『にほふ』がよくつかわれている」とあったが、赤系統の色としては、「くれない色」、「あかね色」、「はねず色」などがある。
赤系統の色と「にほふ」が詠まれた歌をみてみよう。
■一二九七歌■
歌碑の歌である。
■二八二八歌■
◆紅之 深染乃衣乎 下著者 人之見久尓 仁寳比将出鴨
(作者未詳 巻十一 二八二八)
≪書き下し≫紅(くれなゐ)の深染(ふかそ)めの衣(きぬ)を下(した)に着ば人の見らくににほひ出でむかも
(訳)紅の花で色濃く染め上げた衣、そんな着物を内側に重ね着したならば、人の目にかかった時に、色が外に透けて見えるのではなかろうか。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)「下に着る」は美しい女とひそかに契りを結ぶことの譬え。(伊藤脚注)
(注)にほひ出でむかも:その色が外に透けて見えはしないか。(伊藤脚注)
■三九六九歌■
◆・・・乎登賣良我 春菜都麻須等 久礼奈為能 赤裳乃須蘇能 波流佐米尓 ゝ保比ゝ豆知弖加欲敷良牟・・・
(大伴家持 巻十七 三九六九)
≪書き下し≫・・・娘女(をとめ)らが 春菜(はるな)摘(つ)ますと 紅(くれなゐ)の 赤裳(あかも)の裾(すそ)の 春雨(はるさめ)に にほひひづちて通(かよ)ふらむ・・・
(訳)・・・娘子たちが春菜を摘まれるとて、紅の赤裳の裾が春雨に濡(ぬ)れてひときわ照り映(は)えながら往き来している・・・(「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)ひづつ【漬つ】自動詞:ぬれる。泥でよごれる。(学研)
(注の注)にほひひづちて:濡れて色が一層映えるさま。(伊藤脚注)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その854)」で、紹介している。
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■四一五七歌■
◆紅乃 衣尓保波之 辟田河 絶己等奈久 吾等眷牟
(大伴家持 巻十九 四一五七)
≪書き下し≫紅の衣にほはし辟田川(さきたがは)絶ゆることなく我れかへり見む
(訳)紅の着物を色鮮やかに照り映えさせながら、辟田川、この川を、川の流れの絶えることのないように、われらはまたいくたびもやって来て見よう。(同上)
■四一九二歌■
題詞は、「詠霍公鳥并藤花一首幷短歌」<霍公鳥(ほととぎす)幷(あは)せて藤の花を詠(よ)む一首并せて短歌>である。
◆桃花 紅色尓 ゝ保比多流 面輪乃宇知尓 青柳乃 細眉根乎・・・
≪書き下し≫桃の花 紅(くれなゐ)色(いろ)に にほひたる 面輪(おもわ)のうちに青柳(あをやぎ)の 細き眉根(まよね)を・・・
(訳)桃の花、その紅色(くれないいろ)に輝いている面(おもて)の中で、ひときは目立つ青柳の葉のような細い眉・・・(同上)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その856)」で、紹介している。
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■二七八六歌■
◆山振之 尓保敝流妹之 翼酢色乃 赤裳之為形 夢所見管
(作者未詳 巻十一 二七八六)
≪書き下し≫山吹(やまぶき)のにほへる妹(いも)がはねず色の赤裳(あかも)の姿夢(いめ)に見えつつ
(訳)咲きにおう山吹の花のようにあでやかな子の、はねず色の赤裳を着けた姿、その姿が夢に見え見えして・・・。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)やまぶきの【山吹の】(枕詞):①「やま」の類音から「やむ」にかかる。②山吹の花の美しさから、「にほふ」にかかる。(広辞苑無料検索 大辞林)ここでは②の意
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1168)」で「はねず」を詠った四首とともに紹介している。
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―その2017―
●歌は、「橡の衣は人皆事なしと言ひし時より着欲しく思ほゆ」である。
●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(23)である。
●歌をみていこう。
◆橡 衣人皆 事無跡 日師時従 欲服所念
(作者未詳 巻七 一三一一)
≪書き下し≫橡(つるはみ)の衣(きぬ)は人(ひと)皆(みな)事なしと言ひし時より着欲(きほ)しく思ほゆ
(訳)橡染(つるばみぞ)めの着物は、世間の人の誰にも無難に着こなせるというのを聞いてからというもの、ぜひ着てみたいと思っている。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)つるばみ【橡】名詞:①くぬぎの実。「どんぐり」の古名。②染め色の一つ。①のかさを煮た汁で染めた、濃いねずみ色。上代には身分の低い者の衣服の色として、中古には四位以上の「袍(はう)」の色や喪服の色として用いた。 ※古くは「つるはみ」。(学研)
(注)ことなし【事無し】形容詞:①平穏無事である。何事もない。②心配なことがない。③取り立ててすることがない。たいした用事もない。④たやすい。容易だ。⑤非難すべき点がない。欠点がない。(学研) ここでは④の意
(注の注)ことなしと:男女間のわずらわしさがないと。(伊藤脚注)
「橡の衣」を身分の低い女性に喩え、身分違いのそのような気安い(着やすい)女性を妻にしたいと考えている男の歌である。日頃は格式の高い妻の尻に敷かれているのでこのような思いに逃避した心境であろうか。
この歌ならびに「橡」を詠んだ歌六首については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1811)」で紹介している。
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―その2018
●歌は、「南淵の細川山に立つ檀弓束巻くまで人に知らえじ」である。
●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(24)である。
●歌をみていこう。
◆南淵之 細川山 立檀 弓束纒及 人二不所知
(作者未詳 巻七 一三三〇)
≪書き下し≫南淵(みなぶち)の細川山(ほそかはやま)に立つ檀(まゆみ)弓束(ゆづか)巻くまで人に知らえじ
(訳)南淵の細川山に立っている檀(まゆみ)の木よ、お前を弓に仕上げて弓束を巻くまで、人に知られたくないものだ。(同上)
(注)細川山:奈良県明日香村稲渕の細川に臨む山。(伊藤脚注)
(注)ゆつか【弓柄・弓束】名詞:矢を射るとき、左手で握る弓の中ほどより少し下の部分。また、そこに巻く皮や布など。「ゆづか」とも。(学研)
この歌については、「細川山」近辺の万葉歌碑とともに、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1018)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」