万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その2034~2036)―高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(40~42)―万葉集 巻九 一七四五、巻九 一七七七、巻十 一八一四

―その2034―

●歌は、「三栗の那賀に向へる曝井の絶えず通はむそこに妻もが」である。

高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(40)万葉歌碑(高橋虫麻呂

●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(40)である。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「那賀郡曝井歌一首」<那賀(なか)の郡(こほり)の曝井(さらしゐ)の歌一首>である。

(注)那賀郡:茨城県水戸市の北方

 

◆三栗乃 中尓向有 曝井之 不絶将通 従所尓妻毛我

       (高橋虫麻呂 巻九 一七四五)

 

≪書き下し≫三栗(みつぐり)の那賀(なか)に向へる曝井(さらしゐ)の絶えず通(かよ)はむそこに妻もが

 

(訳)那賀の村のすぐ向かいにある曝井の水、その水が絶え間なく湧くように、ひっきりなしに通いたい。そこに妻がいてくれたらよいのに。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)みつぐりの【三栗の】分類枕詞:栗のいがの中の三つの実のまん中の意から「中(なか)」や、地名「那賀(なか)」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)上三句は序。「絶えず」を起こす。

 

 高橋虫麻呂は、常陸国に下り、地方官として勤務していたと考えられており、その間、藤原宇合の下僚として『常陸国風土記』の編纂に関係していたとする説もある。

虫麻呂の歌は、万葉集には、三十六首収録されているが、常陸国での歌は十一首にのぼる。

一七四五歌については、常陸国での歌十一首とともに拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1172)」で紹介している。

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―その2035―

●歌は、「君なくはなぞ身装はむ櫛笥なる黄楊の小櫛も取らむとも思はず」である。

高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(41)万葉歌碑(播磨娘子)

●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(41)である。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「石川大夫遷任上京時播磨娘子贈歌二首」<石川大夫(いしかはのまへつきみ)、遷任して京に上(のぼ)る時に、播磨娘子(はりまのをとめ)が贈る歌二首>である。

 

◆君無者 奈何身将装餝 匣有 黄楊之小梳毛 将取跡毛不念

      (播磨娘子 巻九 一七七七)

 

≪書き下し≫君なくはなぞ身(み)装(よそ)はむ櫛笥(くしげ)なる黄楊(つげ)の小櫛(をぐし)も取らむとも思はず

 

(訳)あなた様がいらっしゃらなくては、何でこの身を飾りましょうか。櫛笥(くしげ)の中の黄楊(つげ)の小櫛(をぐし)さえ手に取ろうとは思いません。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)なぞ【何ぞ】副詞:①どうして(…か)。なぜ(…か)。▽疑問の意を表す。②どうして…か、いや、…ではない。▽反語の意を表す。 ⇒ 語法:「なぞ」は疑問語であるため、文中に係助詞がなくても、文末の活用語は連体形で結ぶ。(学研)ここでは②の意

(注)くしげ【櫛笥】名詞:櫛箱。櫛などの化粧用具や髪飾りなどを入れておく箱。(学研)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その691)」で紹介している。

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 「黄楊」を詠んだ歌六首については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1054)」で紹介している。

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 播磨娘子のような「遊行女婦」の歌に関しては、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1721)」で紹介している。

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 黄楊の櫛にしろ枕にしろ、逢瀬を楽しんだタイムトリガーがそこにはある。一七七七の播磨娘子の思いが黄楊の櫛に込められている。なんとも切ない歌である。この歌はこれまでも幾たびとなく紹介してきたが、読む度にその思いの深さに引き込まれていく。

 

 

―その2036―

●歌は、「いにしへの人の植ゑけむ杉が枝に霞たなびく春は来ぬらし」である。

高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(42)万葉歌碑(柿本人麻呂歌集)

●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(42)である。

 

●歌をみていこう。

 

◆古 人之殖兼 杉枝 霞霏▼ 春者来良之

     (柿本人麻呂歌集 巻十 一八一四)

   ※ ▼は、「雨かんむり+微」である。「霏▼」で「たなびく」と読む。

 

≪書き下し≫いにしへの人の植ゑけむ杉が枝に霞(かすみ)たなびく春は来(き)ぬらし

 

(訳)遠く古い世の人が植えて育てたという、この杉木立の枝に霞がたなびいている。たしかにもう春はやってきたらしい。(同上)

(注)いにしへのひと【古への人】分類連語:①古人。昔の人。②古風な人。昔風な家柄の人。(学研)ここでは①の意

 

幻冬舎plusHPの「令和」の心がわかる万葉集のことば」上野誠氏は、「いにしへ ――『昔』よりあらたまった言い方」の稿において、「『いにしへ』とは、過去のことがらについていう言葉です。ですから、『昔』と同じ意味となります。ただし、現代においては、昔のほうが一般的で、『いにしへ』という言い方は特別な時にしか使いません。『昔ながらのお餅』と『いにしへのお餅』は違います。『いにしへ』のほうがあらたまった言い方となり、歴史的存在であり、伝統的なものだということになるでしょう。『むかし』は『いま』と対応していますから『今昔』ということになりますが、『いにしへ』は、『いにしへ』より以前の『神代』、『いにしへ』より後の『うつせみ』と対応します。(後略)」と書かれている。

 

 この歌については、巻十の冒頭歌群(一八一二~一八一八歌 柿本人麻呂歌集)とともに拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1785)」で紹介している。

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 柿本人麻呂歌集について、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その990)」で触れている。

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 「いにしへ」と詠んだ歌を少しみてみよう。

 

 まず浮かぶのは、弓削皇子額田王の贈答歌である。

題詞は、「幸于吉野宮時弓削皇子贈与額田王歌一首」<吉野の宮に幸(いでま)す時に、弓削皇子(ゆげのみこ)の額田王(ぬかたのおほきみ)に贈与(おく)る歌一首>である。

 

尓 戀流鳥鴨 弓絃葉乃 三井能上従 鳴嚌遊久

弓削皇子 巻二 一一一)

 

≪書き下し≫いにしへに恋ふらむ鳥かも弓絃葉(ゆずるは)の御井(みゐ)の上(うへ)より鳴き渡り行く

 

(訳)古(いにしえ)に恋の焦がれる鳥なのでありましょうか、鳥が弓絃葉の御井(みい)の上を鳴きながら大和の方へ飛び渡って行きます。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)弓絃葉の御井:吉野離宮の清泉の通称か。

 

 

題詞は、「額田王奉和歌一首 従倭京進入」額田王、和(こた)へ奉る歌一首 倭の京より進(たてまつ)り入る>である。

尓 戀流鳥者 霍公鳥 蓋哉鳴之 吾念流碁騰

額田王 巻二 一一二)

 

≪書き下し≫いにしへに恋ふらむ鳥はほととぎすけだしや鳴きし我(あ)が思(も)へるごと

 

(訳)古に恋い焦がれて飛び渡るというその鳥はほととぎすなのですね。その鳥はひょっとしたら鳴いていたかもしれませんね。私が去(い)にし方(かた)を一途に思いつづけているように。(同上)

 

 一一一、一一二歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その110改)」で紹介している。

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 人尓和礼有哉 樂浪乃 故 京乎 見者悲寸

高市黒人 巻一 三二)

 

≪書き下し≫古(いにしえ)の人に我(わ)れあれや楽浪(ささなみ)の古き都を見れば悲しき

 

(訳)遥(はる)かなる古(いにしえ)の人で私はあるのであろうか、まるで古の人であるかのように、楽浪の荒れ果てた都、ああ、この都を見ると、悲しくてならぬ。(同上)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その235)」で紹介している。

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 題詞は、「山部宿祢赤人詠故太政大臣藤原家之山池歌一首」<山部宿禰赤人、故太政大臣藤原家の山池(しま)を詠(よ)む歌一首>である。

 

昔者之 奮堤者 年深 池之瀲尓 水草生家里

山部赤人 巻三 三七八)

 

≪書き下し≫いにしへの古き堤(つつみ)は年(とし)深(ふか)み池の渚(なぎさ)に水草(みずくさ)生(い)ひけり

 

(訳)ずっとずっと以前からのこの古い堤は、年の深みに加えて、池の渚に水草がびっしり生い茂っている。(同上)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その3改)」で紹介している。

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去家之 倭文旗帶乎 結垂 孰云人毛 君者不益

       (作者未詳 巻十一 二六二八)

 

≪書き下し≫いにしへの倭文機帯(しつはたおび)を結び垂(た)れ誰(た)れといふ人も君にはまさじ

 

(訳)古風な倭文機の帯を結んで垂らしているというではないが、そのをもってこようと、我が君にはとてもかなうまい。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)上三句は序。「誰れ」を起す。(伊藤脚注)

(注)しづはた【倭文機】名詞:「倭文(しづ)」を織る織機。またそれで織った「倭文」。※上代は「しつはた」。(学研)

(注の注)しづ【倭文】名詞:日本固有の織物の一種。梶(かじ)や麻などから作った横糸を青・赤などに染めて、乱れ模様に織ったもの。倭文織。 ※唐から伝来した綾(あや)に対して、日本(=倭)固有の織物の意。上代は「しつ」。(学研)

 

 

 

題詞は、「為壽左大臣橘卿預作歌一首」<左大臣橘卿(たちばなのまへつきみ)を寿(ほ)くために預(あらかじ)め作る歌一首>である。

 

古昔尓 君之三代經 仕家利 吾大主波 七世申祢

       (大伴家持 巻十九 四二五六)

 

≪書き下し≫いにしへに君が三代(みよ)経(へ)て仕(つか)へけり我(あ)が大主(おほぬし)は七代(ななよ)申(まを)さね

 

(訳)遠く遥かなるいにしえは、三代の大君の御代御代にお仕えした大臣(おおおみ)もおりました。われらが大主(おおぬし)の君は、七代にまでわたって政治(まつりごと)を奏上してください。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)仕へけり:仕えた人がいたそうです。三代の天皇に仕えたと伝える武内宿禰のことなどを踏まえていう。(伊藤脚注)

(注)ね 終助詞:《接続》活用語の未然形、および「な…そ」に付く。①〔他に対する願望〕…てほしい。…てくれ。②〔「な…そね」の形で〕…てほしくない。…ないでほしい。 ※上代語。(学研)ここでは①の意

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「幻冬舎plusHP」