万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その2037~2039)―高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(43~45)―万葉集 巻十 一八七九、万葉集 巻十 一九五三、万葉集巻

―その2037―

●歌は、「春日野に煙立つ見ゆ娘子らし春野うはぎ摘みて煮らしも」である。

高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(43)万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は―高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(43)である。

 

●歌をみていこう。

 

◆春日野尓 煙立所見 ▼嬬等四 春野之菟芽子 採而▽良思文

      (作者未詳 巻十 一八七九)

       ※▼は、「女」+「感」、「『女』+『感』+嬬」=「をとめ」

      ※※▽は、「者」の下に「火」である。「煮る」である。

 

≪書き下し≫春日野(かすがの)に煙立つ見(み)ゆ娘子(をとめ)らし春野(はるの)のうはぎ摘(つ)みて煮(に)らしも

 

(訳)春日野に今しも煙が立ち上っている、おとめたちが春の野のよめなを摘んで煮ているらしい。(同上)

(注)うはぎ:よめなの古名。

(注)らし [助動]活用語の終止形、ラ変型活用語の連体形に付く。:①客観的な根拠・理由に基づいて、ある事態を推量する意を表す。…らしい。…に違いない。② 根拠や理由は示されていないが、確信をもってある事態の原因・理由を推量する意を表す。…に違いない。[補説] 語源については「あ(有)るらし」「あ(有)らし」の音変化説などがある。奈良時代には盛んに用いられ、平安時代には①の用法が和歌にみられるが、それ以後はしだいに衰えて、鎌倉時代には用いられなくなった。連体形・已然形は係り結びの用法のみで、また奈良時代には「こそ」の結びとして「らしき」が用いられた。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1029)」で春日野での「野遊」とともに紹介している。

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 この歌に関して、廣野 卓氏は、その著「食の万葉集 古代の食生活を科学する」(中公新書)のなかで、「春日野は若菜摘みの名所である。・・・現在の春日野は、西を奈良市街、北を佐保川、南を能登川でかぎられた東西二キロメートル、南北は東が二キロメートル、西が一キロメートルの範囲をいうが(『奈良県の地名』日本歴史地名大系30)、万葉時代の春日野は、さらに南の白毫寺(びゃくごうじ)町から古市(ふるいち)町一帯にまで及んでいた。こうした歴史的に有名な地域だけでなく、諸国には国びとに親しまれた広野があり、春には、人びとが若菜つみに興じる風景が見られた。人びとが早春の若菜をつむのも、冬に不足していたビタミンやミネラルを摂取するためである。万葉びとにビタミン、ミネラルの知識はなかったにしても、若菜を食べれば活力が生まれることを経験的に知っていたにちがいない。ひろびろとした春の野に遊ぶと、精神的解放感が消化吸収を助長することをも、万葉びとは感じていただろうか。万葉乙女がつんだウハギはキク科のヨメナのことで、薺蒿(うはぎ)とも書く代表的な春の若菜である。」と書かれている。

 若菜つみは、春の一大行事で、春の生命の象徴である若菜を食べ新しい命の復活を祈るのである。今も正月の七日に「春の七草」を食べるのは、この名残である。

 

 万葉集では「うはぎ」を詠んだ歌はもう一首ある。柿本人麻呂の二二一歌である。この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1711)」で紹介している。

 春の「うはぎ」は生命の復活の象徴であるが、二二一歌では、人麻呂は「うはぎ過ぎにけらずや」と逆に死の世界を象徴するかのように詠っているのである。

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―その2038―

●歌は、「五月山卯の花月夜ほととぎす聞けども飽かずまた鳴かぬかも」である。

高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(44)万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(44)である。

 

●歌をみていこう。

 

五月山 宇能花月夜 霍公鳥 雖聞不飽 又鳴鴨

       (作者未詳 巻十 一九五三)

 

≪書き下し≫五月山(さつきやま)卯(う)の花月夜(づくよ)ほととぎす聞けども飽かずまた鳴くぬかも

 

(訳)五月の山に卯の花が咲いている月の美しい夜、こんな夜の時鳥は、いくら聞いても聞き飽きることがない。もう一度鳴いてくれないものか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)うのはなづくよ【卯の花月夜】:卯の花の白く咲いている月夜。うのはなづきよ。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

卯の花」について、万葉神事語事典(國學院大學デジタルミュージアムHP)に、「ユキノシタ科の落葉低木。初夏に白色の花をつける。ウツギ。ウツギという名は上代の文献にはみられず、卯の花として見える。卯月(旧暦4月)に咲くから『卯の花』という説も根強いが、万葉集に『卯の花月夜』(10-1953)『卯の花の咲く月立ちぬ』(10-4066)『卯の花の咲く月立てば』(18-4089)とあるように、卯の花が咲く月だから卯月だと考えていた。卯の花の語源は未詳。ウツギの名は木幹が中空であるところから『空木』と呼ばれていた。日本の山野に自生し、高さ1.5メ-トル位、樹皮は次々とはげ、若い枝には小さな星のような毛がある。皮針形でざらざらしている。5、6月ごろ五弁の白い花を多く咲かせる。卯の花は万葉の古い時代には見えず、殆どの作品が奈良朝に入って季節鳥のホトトギスと取り合わせて詠まれている。『ホトトギス卯の花辺から鳴きて超え来ぬ』(10-1945)と、ホトトギス卯の花の辺りから鳴いて超えて来たと詠み、卯の花が咲けばホトトギスが鳴き始める卯の花の季節だという。『ホトトギス』と『卯の花』は初夏という季節に結びついて24首中、18首がホトトギスと取り合わせている。卯の花が咲くときに長雨が降り、卯の花が早く腐ると困るところから『卯の花腐(くた)し』、(10-1899)『卯の花を腐(くた)す霖雨(ながあめ)の』(19-4217)のようにも詠まれている。卯の花は農事の開始を告げる花であり、その花の咲き具合に大きな関心を抱き、秋の稔りを占う気持ちがあったのであろう。卯月に入ると田植え祭りの前に物忌みが始まる。住吉大社には『卯の葉の神事』が伝えられる、大社の創立が、神功皇后摂政11年辛卯(かのとう)年の卯月上の卯の日であるという伝承により行われているものである。現在では、5月初めの卯の日に卯の花の玉串を神前に捧げ、石舞台で卯の花のかんざしをさして舞楽が奉納されているが、江戸時代は、『四月卯之日神事』として、盛大に行われていたという。」と書かれている。

内容の理解を深めるために例歌をみてみよう。

 

■巻十 四〇六六■

題詞は、「四月一日掾久米朝臣廣縄之舘宴歌四首」<四月の一日に、掾(じよう)久米朝臣広縄が館(たち)にして宴(うたげ)する歌四首>である。

 

◆宇能花能 佐久都奇多知奴 保等登藝須 伎奈吉等与米余 敷布美多里登母

      (大伴家持 巻十八 四〇六六)

 

≪書き下し≫卯(う)の花の咲く月立ちぬほととぎす来鳴き響(とよ)めよふふみたりとも

 

(訳)卯の花の咲く四月がついに来た。時鳥よ、来て鳴き立てておくれ。花はまだつぼんでいようとも。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

 

(注)うのはな【卯の花】 ウツギの白い花。また、ウツギの別名。うつぎのはな。《季 夏》(コトバンク 小学館デジタル大辞泉

(注)つきたつ【月立つ】分類連語:①月が現れる。月がのぼる。②月が改まる。月が変わる(学研)ここでは②の意

(注)ふふむ【含む】自動詞:花や葉がふくらんで、まだ開ききらないでいる。つぼみのままである。(学研)

 

左注は、「右一首守大伴宿祢家持作之」<右の一首は守(かみ)大伴宿禰家持作る>である。

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1349表④)」で紹介している。

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■巻十八 四〇八九■

題詞は、「獨居幄裏遥聞霍公鳥喧作歌一首 幷短歌」<独(ひと)り幄(とばり)の裏(うら)に居(を)り、遥(はる)かに霍公鳥(ほととぎす)の喧(な)くを聞きて作る歌一首 幷(あは)せて短歌>である。

(注)幄の裏:ここは、部屋の中の意(伊藤脚注)

(注の注)とばり【帷・帳】名詞:室内の仕切りや外との遮断のために鴨居(かもい)などから垂らす大きな布。たれぎぬ。「とはり」とも。(学研)

 

◆高御座 安麻乃日継登 須賣呂伎能 可未能美許登能 伎己之乎須 久尓能麻保良尓 山乎之毛 佐波尓於保美等 百鳥能 来居弖奈久許恵 春佐礼婆 伎吉乃可奈之母 伊豆礼乎可 和枳弖之努波无宇能花乃 佐久月多弖婆 米都良之久 鳴保等登藝須 安夜女具佐 珠奴久麻泥尓 比流久良之 欲和多之伎氣騰 伎久其等尓 許己呂都呉枳弖 宇知奈氣伎 安波礼能登里等 伊波奴登枳奈思

      (大伴家持 巻巻十八 四〇八九)

 

≪書き下し≫高御座(たかみくら) 天(あま)の日継(ひつぎ)と すめろきの 神(かみ)の命(にこと)の きこしをす 国のまほらに 山をしも さはに多みと 百鳥(ももとり)の 来(き)居(ゐ)て鳴く声 春されば 聞きのかなしも いづれをか 別(わ)きて偲(しの)はむ 卯(う)の花の 咲く月立てば めづらしく 鳴くほととぎす あやめぐさ 玉貫(ぬ)くまでに 昼暮らし 夜わたし聞けど 聞くごとに 心つごきて うち嘆き あはれの鳥と 言はぬ時なし

 

(訳)高い御位にいます、日の神の後継ぎとして、代々の天皇が治めたまう国、この国のまっ只中(ただなか)に、山が至る所にあるからとて、さまざまな鳥がやって来て鳴く声、その声は、春ともなると聞いてひとしお身にしみる。ただとりわけどの鳥の声を賞(め)でるというわけにはゆかない。が、やがて卯の花の咲く夏の四月ともなると、懐かしいも鳴く時鳥、その時鳥の声は、菖蒲(あやめ)を薬玉に通す五月まで、昼はひねもす、夜は夜通し聞くけれど、聞くたびに心がわくわくして、溜息(ためいき)ついて、ああ何と趣深き鳥よと、言わぬ時とてない。(同上)

(注)たかみくら【高御座】名詞:即位や朝賀などの重大な儀式のとき、大極殿(だいごくでん)または紫宸殿(ししんでん)の中央の一段高い所に設ける天皇の座所。玉座。(学研)

(注)あまつひつぎ【天つ日嗣ぎ】名詞:「天つ神」、特に天照大神(あまてらすおおみかみ)の系統を受け継ぐこと。皇位の継承。皇位。(学研)

(注)きこしおす【聞こし食す】[動]《動詞「聞く」の尊敬語「きこす」と、動詞「食う」の尊敬語「おす」の複合したもの》:「治める」の尊敬語。お治めになる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)まほら 名詞:まことにすぐれたところ。まほろば。まほらま。 ※「ま」は接頭語、「ほ」はすぐれたものの意、「ら」は場所を表す接尾語。上代語(学研)

(注)つきたつ【月立つ】分類連語:①月が現れる。月がのぼる。②月が改まる。月が変わる。(学研) ここでは②の意

(注)あやめぐさ 玉貫(ぬ)くまでに:菖蒲を薬玉に通す五月まで。

(注)くらす【暮らす】他動詞:①日が暮れるまで時を過ごす。昼間を過ごす。②(年月・季節などを)過ごす。月日をおくる。生活する。(学研)

(注)よわたし【夜渡し】[副]一晩中。夜どおし。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)心つごきて:心が激しく動いて。(伊藤脚注)

 

 この歌については、短歌とともに、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その855)」で紹介している。

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■巻十 一九四五■

◆旦霧 八重山越而 霍公鳥 宇能花邊柄 鳴越来

      (作者未詳 巻十 一九四五)

 

≪書き下し≫朝霧(あさぎり)の八重山(やへやま)越えてほととぎす卯(う)の花辺(はなへ)から鳴きて越え来(き)ぬ

 

(訳)立ちこめる朝霧のように幾重にも重なる山を越え、時鳥が、卯の花の咲いているあたりを越えて、鳴き立てながらこの里にやってきた。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

 

■巻十 一八九九■

◆春去者 宇乃花具多思 吾越之 妹我垣間者 荒来鴨

      (作者未詳 巻十 一八九九)

 

≪書き下し≫春されば卯(う)の花(はな)ぐたし我(わ)が越えし妹(いも)が垣間(かきま)は荒れにけるかも

 

(訳)春ともなると、卯の花を傷めては私がよく潜り抜けた、あの子の家の垣間は、今見ると茂りに茂って人気(ひとけ)がなくなってしまっている。(同上)

(注)くたす【腐す】他動詞:①腐らせる。②無にする。やる気をなくさせる。気勢をそぐ。③非難する。けなす。けがす。(学研)

(注)かきま【垣間】:垣のすきま。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その963)」で紹介している。

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■巻十九 四二一七■

題詞は、「霖雨▼日作歌一首」<霖雨(りんう)の晴れぬる日に作る歌一首>である。

    ▼は「日へんに齊」→「はれる」 「▼日」=晴れぬる日

(注)りんう【霖雨】:何日も降りつづく雨。ながあめ。(goo辞書)

 

◆宇能花乎 令腐霖雨之 始水<邇> 縁木積成 将因兒毛我母

      (大伴家持 巻十九 四二一七)

 

≪書き下し≫卯(う)の花を腐(くた)す長雨(ながめ)の始水(はなみづ)に寄る木屑(こつみ)なす寄らむ子(こ)もがも

 

(訳)卯の花を腐らせるほどに痛めつける長雨、この雨のせいで流れ出す大水の鼻先に寄り付く木っ端(こっぱ)のように、私に寄り添ってくれる娘(こ)でもいたらなあ。「万葉集 四」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より

(注)卯の花を腐す:卯の花を腐らせる。五月雨の異名を「卯の花腐し」という。(伊藤脚注)

(注)始水:いっせいに水量の増した流れの先。(伊藤脚注)

(注)-なす 接尾語〔体言、ときに動詞の連体形に付いて〕:…のように。…のような。▽比況・例示の意を示し、副詞のように用いる。「水母(くらげ)なす」「玉藻なす」「真珠(またま)なす」。 ※「なす」の東国方言に「のす」がある。上代語。(学研)

 

 

 

 

―その2039―

●歌は、「朝顔は朝露負ひて咲くといへど夕影にこそ咲きまさりけれ」である。

高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(45)万葉歌碑(作者未詳)


●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(45)である。

 

●歌をみていこう。

 

◆朝杲 朝露負 咲雖云 暮陰社 咲益家礼

       (作者未詳 巻十 二一〇四)

 

≪書き下し≫朝顔(あさがほ)は朝露(あさつゆ)負(お)ひて咲くといへど夕影(ゆふかげ)にこそ咲きまさりけれ

 

(訳)朝顔は朝露を浴びて咲くというけれど、夕方のかすかな光の中でこそひときわ咲きにおうものであった。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)ゆふかげ【夕影】名詞:①夕暮れどきの光。夕日の光。[反対語] 朝影(あさかげ)。②夕暮れどきの光を受けた姿・形。(学研)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1437)」で紹介している。

現在のアサガオは、この当時渡来していないので、「朝顔(あさがほ)」は桔梗であると考えるのが妥当とする考え方と花の写真とともに拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1437)で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「食の万葉集 古代の食生活を科学する」 廣野 卓 著 (中公新書

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「goo辞書」

★「コトバンク 小学館デジタル大辞泉

★「万葉神事語事典」 (國學院大學デジタルミュージアムHP)