―その2049―
●歌は、「我がやどは甍しだ草生ひたれど恋忘れ草見れどいまだ生ひず」である。
●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(55)である。
●歌をみていこう。
◆我屋戸 甍子太草 雖生 戀忘草 見未生
(柿本人麻呂歌集 巻十一 二四七五)
≪書き下し≫我がやどは甍(いらか)しだ草生(お)ひたれど恋忘(こひわす)れ草見れどいまだ生(お)ひず
(訳)我が家の庭はというと、軒のしだ草はいっぱい生えているけれど、肝心の恋忘れ草はいくら見てもまだ生えていない。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)しだくさ【しだ草】:ノキシノブの別名。(goo辞書)
(注の注)ノキシノブ:日本全国及び朝鮮半島、台湾、中国に広く分布し、木の幹や枝、岩、家の屋根など半日陰の場所に自生する常緑性シダ植物。草丈は10 〜 30cm。
長く横に伸び、根茎から葉が並んで出る。葉は肉厚で細長く、表面は深緑色で、裏面は淡緑色。胞子のう群は裏面の上半部につく。
由来 屋根の軒端によく見られることによる。(福岡市薬剤師会HP)
ノキシノブ 福岡市薬剤師会HPより引用させていただきました。
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1082)」で紹介している。
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「忘れ草」は、万葉集では5首が収録されている。これについては、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その334)」で、「忘れ貝」5首、「恋忘れ貝」5首については、同「同(その740)」で紹介している。いずれも、「(その1082)」にリンクが貼ってあります。
―その2050―
●歌は、「打つ田には稗はしあまたありといへど選られし我れぞ夜をひとり寝る」である。
●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(56)である。
●歌をみていこう。
◆打田 稗數多 雖有 擇為我 夜一人宿
(柿本人麻呂歌集 巻十一 二四七六)
≪書き下し≫打つ田には稗(ひえ)はしあまたありといへど選(え)らえし我(わ)れぞ夜をひとり寝(ぬ)る
(訳)田んぼに、稗はまだたくさん残っているというのに、よりによって抜き捨てられた私は、夜な夜なをただ独り寝ている。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)選らえし我:よりによって選び捨てられた私。あぶれ者のひがみ。(伊藤脚注)
「稗」については、「日本雑穀協会HP」に、「イネ科、ヒエ属に分類される一年生草本。
縄文時代に中国から伝来した説や日本起源説があり、あわと並んで日本最古の穀物と見られている。名前は「冷え」に耐えることに由来しているとも言われるほど寒さに強いため、寒冷地や高地でも栽培でき、救荒作物としても利用されてきた。(後略)」と書かれている。
「稗」 日本雑穀協会HPより引用させていただきました。
稗を詠んだ歌はもう一首収録されているのでこちらもみてみよう。
◆水乎多 上尓種蒔 比要乎多 擇擢之業曽 吾獨宿
(作者未詳 巻十二 二九九九)
≪書き下し≫水を多み上田(あげた)に種蒔(たねま)き稗(ひえ)を多み選(え)らえしわざぞ我(あ)がひとり寝(ぬ)る
(訳)窪田(くぼた)では水が多すぎると、上田に籾(もみ)を蒔いて、稗がいっぱいなので抜き捨てられるように、抜き捨てられている有様なのだ、私だけがあぶれて膝小僧を抱いて寝ている。(同上)
(注)水を多み:今年は低地の田に水が多いので、の意か。上三句は序。(伊藤脚注)
(注)上田:水はけのよすぎる高地の田。(伊藤脚注)
(注)選らえしわざぞ:抜き捨てられたようなものだ。「わざ」は事態。あぶれ者の歌。(伊藤脚注)
―その2051―
●歌は、「道の辺のいちしの花のいちしろく人皆知りぬ我が恋妻は」である。
●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(57)である。
●歌をみていこう。
◆路邊 壹師花 灼然 人皆知 我戀孋 或本日 灼然 人知尓家里 継而之念者
(柿本人麻呂歌集 巻十一 二四八〇)
≪書き下し≫道の辺(へ)のいちしの花のいちしろく人皆知りぬ我(あ)が恋妻(こひづま)は 或る本の歌には「いちしろく人知りにけり継ぎてし思へば」といふ
(訳)道端のいちしの花ではないが、いちじるしく・・・はっきりと、世間の人がみんな知ってしまった。私の恋妻のことは。<いちじるしく世間の人が知ってしまったよ。絶えずあの子のことを思っているので>(同上)
(注)いちしろし【著し】形容詞:「いちしるし」に同じ。※上代語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)いちしるし【著し】形容詞:明白だ。はっきりしている。※参考古くは「いちしろし」。中世以降、シク活用となり、「いちじるし」と濁って用いられる。「いち」は接頭語。(同上)
「壱師の花」については、奈良文化財研究所HP「なぶんけんブログ」に、「平城宮跡では今、ひと際目を引く鮮やかな紅色の花が見頃を迎えています。日本の秋を彩る花の一つ、ヒガンバナ(彼岸花、別名:曼殊沙華)です。その名の由来のとおり、彼岸である秋分の日前後に一斉に花開き群生する様は見事です。とても印象深い花ではありますが、約4,500首の和歌が収録されている『万葉集』では、ただ一首『壱師(いちし)』という名でのみ詠まれています。この『壱師(いちし)』の花が何であるのか、その特定には諸説あるようですが、現在はヒガンバナであるとする説が最有力とされています。」と書かれている。
「植物で見る万葉の世界」(國學院大學「万葉の花の会」発行)によると「古くからダイオウ、ギンギシ、クサイチゴ、エゴノキ、イタドリ、ヒガンバナなど諸説が入り乱れ、万葉植物群のうちでも難解植物とされていた。牧野富太郎氏によりヒガンバナ説が出され・・・山口県にイチシバナ、福岡県にイチジバナという方言があることが確認され、ヒガンバナとする説が定説化された。」と書かれている。
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その469)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 (國學院大學「万葉の花の会」発行)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「goo辞書」
★「日本雑穀協会HP」
★「福岡市薬剤師会HP」