万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その2052~2054)―高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(58~60)―万葉集 巻十一 二七五〇、巻十一 二七五九、巻十二 二九八七

―その2052―

●歌は、「我妹子に逢はず久しもうましもの阿倍橘の苔生すまでに」である。

高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(58)万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(58)である。

 

●歌をみていこう。

 

◆吾妹子 不相久 馬下乃 阿倍橘乃 蘿生左右

       (作者未詳 巻十一 二七五〇)

 

≪書き下し≫我妹子(わぎもこ)に逢はず久しもうましもの阿倍橘(あへたちばな)の苔生(こけむ)すまでに

 

(訳)あの子に逢わないで随分ひさしいな。めでたきものの限りである阿倍橘が老いさらばえて苔が生えるまでも。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)うまし【甘し・旨し・美し】形容詞:おいしい。味がよい。(学研)

(注)阿倍橘:「集中に詠まれた『阿倍橘』は、『和名抄』・『本草和名』に「橙(だいだい)・阿倍多知波奈(あべたちばな)」と記されているところから、現在ダイダイに比定されている。しかし、クネンボとする異説もる。」(「植物で見る万葉の世界」 國學院大學万葉の花の会発行)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1494)」で紹介している。ダイダイとクネンボンの写真も紹介している。

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 廣野 卓氏は、その著「食の万葉集」(中公新書)の中で、「アベタチバナについては、さまざまな説がある。橘の一種とする説、クネンボ説、ダイダイ説などである。『本草和名(ほんぞうわみょう)』は、橙(だいだい)の和名を阿倍多知波奈(あへたちばな)としている。『増訂万葉植物新考』も橙説をとる。『うましもの阿倍橘』とあり、食用になるダイダイは香橙(こうとう)である。香橙をクネンボと呼ぶので、阿倍橘はクネンボのことになる」と書かれている。

 

 詠われている「うましもの」の「うまし」について、万葉神事語事典(國學院大學デジタルミュージアム)によると、「①うまい、味がよい。②よい、美しい、結構である。形容詞ウマシにはク活用とシク活用の二種類があり、基本的にク活用では①の意、シク活用では②の意であるといわれている。万葉集で形容詞の例は《飯(いい)食(は)めど うまくもあらず》(16-3857)のみで、他例では形容詞語幹(ク活用ではウマ、シク活用ではウマシ)に名詞が接続した形で現れる。具体的には『味酒(うまさけ)』『甘睡(うまい)』『味飯(うまいい)』『うまこり』『うまひと』『うま人さび』『うまし国』『うましもの』がある。『味酒』(1-17、7-1094、8-1517)『味酒を』(4-712、13-3266)『味酒の』(11-2512)は、三輪(みわ)(三諸(みもろ)・三室(みむろ)・神奈備山(かむなびやま))の枕詞である。崇神紀8年12月条の歌謡にも『味酒 三輪の殿の』とある。味酒と神酒が同義であることから、神酒の古語ミワと同音の三輪にかけ、転じてその別名の三諸などにもかけた。また『甘睡(うまい)』(11-2369、12-2963等)は共寝を意味する。また『うまし国』(1-2)は素晴らしい国の意で、舒明天皇の国見(古代天皇儀礼)の歌で、大和の地を讃える言葉として登場している。」と書かれている。

 

 「うましもの」を詠った歌はもう一首あるので、こちらもみてみよう。(左注には「うまひと」がある)

 

題詞は、「兒部女王嗤歌一首」<児部女王(こべのおほきみ)が嗤(わら)ふ歌一首>である。

(注)嗤ふ歌:軽蔑して笑う歌。(伊藤脚注)

 

◆美麗物 何所不飽矣 坂門等之 角乃布久礼尓 四具比相尓計六

      (児部女王 巻十六 三八二一)

 

≪書き下し≫うましものいづくか飽(あ)かじを尺度(さかと)らし角(つの)のふくれにしぐひ合ひにけむ

 

(訳)すてきなもの、そう思いこんだら、どこを取っても気に召すのかなあ。だからあの尺度(さかと)なんかは、角の太っちょなんかとくっついちゃったんだろう。(同上)

(注)うましものいづくか飽かじ:いいものと思い込んだら、何だってかまわないんだな。カは詠嘆的疑問。下のジで結ぶ。(伊藤脚注)

(注)角のふくれ:角の太っちょ。「角」は尺度の相手の男の氏名か。(伊藤脚注)

(注)しぐひ合ふ:同衾を卑猥に呼んだ語で、くっつきあう意か。(伊藤脚注)

 

 左注は、「右時有娘子 姓尺度氏也 此娘子不聴高姓美人之所誂應許下姓媿士之所誂也 於是兒部女王裁作此歌嗤咲彼愚也」<右は、あるとき、娘子(をとめ)あり。 姓(うぢ)は尺度氏(さかとうぢ)なり。この娘子、高き姓(かばね)の美人(うまひと)が誂(とぶら)ふところを聴(ゆる)さず、下(ひく)き姓(かばね)の醜士(しこを)が誂ふところを応許(ゆる)す。ここに、児部女王、この歌を裁作(つく)りて、その愚を嗤咲(わら)ふ>である。

(注)うまひと【貴人・味人】名詞:高貴な人。貴人(きじん)。身分が高く、家柄のよい人。(学研)

 「蓼食う虫も好き好き」、しかし万葉集に結婚観、人生観をあらためて考えさせるような、それでいて思わず笑ってしまう歌まで収録されているこの奥の深さ。ますます万葉集に引きずり込まれていく思いである。

 

 

 

―その2053―

●歌は、「我がやどの穂蓼古幹摘み生し実になるまでに君をし待たむ」である。

高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(59)万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(59)である。

 

●歌をみていこう。

◆吾屋戸之 穂蓼古幹 棌生之 實成左右二 君乎志将待

      (作者未詳 巻十一 二七五九)

 

≪書き下し≫我(わ)がやどの穂蓼(ほたで)古幹(ふるから)摘(つ)み生(おほ)し実(み)になるまでに君をし待たむ

 

(訳)我が家の庭の穂蓼の古い茎、その実を摘んで蒔(ま)いて育て、やがてまた実を結ぶようになるまでも、私はずっとあなたを待ち続けています。(同上)

(注)ほたで【穂蓼】:蓼の穂が出たもの。蓼の花穂(かすい)。蓼の花。(weblio辞書 三省堂大辞林第三版)

(注)ふるから【古幹】名詞:古い茎。(学研)

 

 「君をし待たむ」と詠っているので、女性の歌と思われる。蓼の古い茎から実を摘んで育て、実を結ぶまでじっと待ち続けるというつつましやかな、ある意味何といういじらしい女性の気持ちであろうか。

 

 この歌については、「蓼」を詠んだ三首とともに、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その330)」で紹介している。

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―その2054―

●歌は、「梓弓引きて緩へぬますらをや恋といふものを忍びかねてむ」である。

高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(60)万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(60)である。

 

●歌をみていこう。

 

◆梓弓 引而不緩大夫哉 戀云物乎 忍不得牟

      (作者未詳 巻十二 二九八七)

 

≪書き下し≫梓弓(あづさゆみ)引きて緩(ゆる)へぬますらをや恋(こひ)といふものを忍(しの)びかねてむ

 

(訳)梓弓を引き絞って緩めることのない、張りつめた心の堂々たる男子でも、恋という奴にかかってはこんなにこらえきれないものなのか。(同上)

 

 この歌においても「ますらを=張りつめた心の堂々たる男子」でも「恋には弱いものである」というニュアンスである。同様に、自戒も含め「ますらを」のイメージとのギャップを「ますらをと思へる=ますらをたるものが・・・」という、すなわち例えば「立派なお役人ともあろうお方が・・・」と期待されるイメージとのギャップを詠った歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1213)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)い

★「食の万葉集」 廣野 卓 著 (中公新書

★「植物で見る万葉の世界」(國學院大學「万葉の花の会」発行)

★「万葉神事語事典」 (國學院大學デジタルミュージアム

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂大辞林第三版」