―その2064―
●歌は、「食薦敷き青菜煮て来む梁に行縢懸けて休めこの君」である。
●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(70)である。
●歌をみていこう。
題詞は、「詠行騰蔓菁食薦屋梁歌」<行騰(むかばき)、蔓菁(あをな)、食薦(すごも)、屋梁(うつはり)を詠む歌>である。
◆食薦敷 蔓菁▼将来 樑尓 行騰懸而 息此公
(長忌寸意吉麻呂 巻十六 三八二五)
▼は「者」に下に「火」=「煮」
≪書き下し≫食薦(すごも)敷き青菜煮(に)て来(こ)む梁(うつはり)に行縢(むかばき)懸(か)けて休めこの君
(訳)食薦(すごも)を敷いて用意し、おっつけ青菜を煮て持ってきましょう。行縢(むかばき)を解いてそこの梁(はり)に引っ懸(か)けて、休んでいて下さいな。お越しの旦那さん。(伊藤 博 著「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)すごも 【簀薦・食薦】名詞:食事のときに食膳(しよくぜん)の下に敷く敷物。竹や、こも・いぐさの類を「簾(す)」のように編んだもの。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)樑(うつはり):家の柱に懸け渡す梁
(注)むかばき【行縢】名詞:旅行・狩猟・流鏑馬(やぶさめ)などで馬に乗る際に、腰から前面に垂らして、脚や袴(はかま)を覆うもの。多く、しか・くまなどの毛皮で作る。(学研)
(注)休めこの君:それまで休んでいてください。猟の途中で休むさま。(伊藤脚注)
廣野 卓氏は、その著「食の万葉集 古代の食生活を科学する」(中公新書)のなかで、「・・・この歌が蔓菁をアオナと詠んでいるように、万葉時代にはカブラやダイコンの菜葉を阿乎奈(あおな)とよんだ。カブラは代表的な園菜で、河夫毘(かぶら)や菁(あおな)、菁菜(あおな)と書かれた木簡が出土している。・・・」と書かれている。
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1127)」で紹介している。
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―その2065―
●歌は、「蓮葉はかくこそあるもの意吉麻呂が家にあるものは芋の葉にあらし」である。
●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(71)にある。
●歌をみていこう。
題詞は、「詠荷葉歌」<荷葉(はちすは)を詠む歌>である。
◆蓮葉者 如是許曽有物 意吉麻呂之 家在物者 宇毛乃葉尓有之
(長忌寸意吉麻呂 巻十六 三八二六)
≪書き下し≫蓮葉(はちすば)はかくこそあるもの意吉麻呂(おきまろ)が家にあるものは芋(うも)の葉にあらし
(訳)蓮(はす)の葉というものは、まあ何とこういう姿のものであったのか。してみると、意吉麻呂の家にあるものなんかは、どうやら里芋(いも)の葉っぱだな。(同上)
(注)蓮葉:宴席の美女の譬え。(伊藤脚注)
(注)宇毛乃葉:妻をおとしめて言った。芋(うも)に妹(いも)を懸けるか。(伊藤脚注)
蓮の葉を、宴席に侍る美女に喩え、これと比べて家に居る妻は芋の葉のようだとおとしめて笑いを誘っている宴会歌である。芋(うも)に妹(いも)を懸けたところまでなかなか洒落た歌である。
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1136)」で紹介している。
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この歌に関して、廣野 卓氏は、その著「食の万葉集 古代の食生活を科学する」(中公新書)のなかで、「この時代、宴席ではハスの葉に食を盛った。ハスの葉は高価だから、一般の官人の家庭ではハス葉の代わりにイモの葉を使用していたのであろう。だが、イモの葉に盛ったのでは見栄(みば)えがしない。いまも粋(いき)でないものをイモとよぶのは、万葉時代からのことらしい。」と書いておられる。
宴席でハスに葉に盛ったのは、三八三七歌の左注に「・・・府家(ふか)に酒食(しゆし)を備へ設(ま)けて、府の官人らに饗宴(あへ)す。ここに、饌食(せんし)は盛(も)るに、皆蓮葉(はちすば)をもちてす。・・・」とあることからも当時の宴席の様子が垣間見ることができるのである。
さらに同氏は前著のなかで、「サトイモは稲作よりも古く伝来したといわれ、この時代にサツマイモやジャガイモは、まだ伝来していないので、イモといえばサトイモをさすことになる。サトイモは薯蕷(ヤマツイモ)に対して家芋(イエツイモ)ともよばれている。名のように住居近くの菜園で栽培したイモであり、古代の重要な主食作物であった。」とも書かれている。
(注)饌食(せんし)>しょくせん【食饌】:〘名〙 食卓や膳などの上にととのえられた食物。膳部。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)
―その2066―
●歌は、「醤酢に蒜搗き合てて鯛願ふ我にな見えそ水葱の羹は」である。
●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(72)である。
●歌をみていこう。
題詞は、「詠酢醤蒜鯛水▼歌」<酢(す)、醤(ひしほ)、蒜(ひる)、鯛(たひ)、水葱(なぎ)を詠む歌>である。
※▼は、草冠に「公」の下に「心」である。→「=葱」、「水▼=水葱(なぎ)」
◆醤酢尓 蒜都伎合而 鯛願 吾尓勿所見 水葱乃▼物
(長忌寸意吉麻呂 巻十六 三八二九)
※▼は、「者」の下が「灬」でなく「火」である。「▼+物」で「あつもの」
≪書き下し≫醤酢(ひしほす)に蒜(ひる)搗(つ)き合(か)てて鯛願ふ我(われ)にな見えそ水葱(なぎ)の羹(あつもの)は
(訳)醤(ひしお)に酢を加え蒜(ひる)をつき混ぜたたれを作って、鯛(たい)がほしいと思っているこの私の目に、見えてくれるなよ。水葱(なぎ)の吸物なんかは。(同上)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その353)」で紹介している。
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この歌には、「蒜」と「水葱」の二つの植物名が出ている。万葉集では、いずれもこの一首でのみ詠われている。
この歌に関して、廣野 卓氏に再度登場いただこう。前述著のなかで、「万葉時代の食の姿をものがたる例としてよく引用される歌である。カツオの叩きのように、タイの膾(なます)に蒜を和えたのだろう。蒜は、ニンニクやノビルなどネギ類の総称といわれている。ニンニクは大蒜と書く例があるので、この蒜はノビルとしておきたい。・・・ヒルは万葉時代の貴重な香辛野菜で、若葉をゆでて醤酢を和えたり、魚の膾に和えたり吸ものの具にもした。根はそのまま生食しただろう。・・・」と書かれている。
ノビルについては、「コトバンク 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)」に「縄文時代すでに食用にされ、東京都八王子市宮下遺跡の勝坂(かっさか)式深鉢形土器の中から、炭化したノビルの鱗茎(りんけい)が出土した。古代にも春先の重要な野草菜であったとみえ、『古事記』に応神(おうじん)天皇の歌として、『いざ子ども野びる摘みに、ひる摘みに……』が載る。『万葉集』には調味料の一つとして『醤酢(ひしほす)に蒜搗(ひるつ)き合(か)てて鯛願ふ我にな見えそ水葱(なぎ)の羹(あつもの)』(長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)、巻16)と詠まれる。」と書かれている。
この三首を含め、長忌寸意吉麻呂の全歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その(987))で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「食の万葉集 古代の食生活を科学する」 廣野 卓 著 (中公新書)
★「植物で見る万葉の世界」(國學院大學「万葉の花の会」発行)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「JA西日本春日井HP」
★「草花図鑑」 (野田市HP)