万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その2070~2072)―高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(76~78)―万葉集 巻十六 三八三六、三八三七、三八五五

―その2070―

●歌は、「奈良山の児手柏の両面にかにもかくにも佞人が伴」である。

高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(76)万葉歌碑(消奈行文大夫)

●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(76)である。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「謗佞人歌一首」<佞人(ねいじん)を謗(そし)る歌一首>である。

 

◆奈良山乃 兒手柏之 兩面尓 左毛右毛 ▼人之友

       (消奈行文大夫 巻十六 三八三六)

 ※ ▼は、「イ+妾」となっているが、「佞」が正しい表記である。➡以下、「佞人」と書く。読みは、「こびひと」あるいは「ねぢけびと」➡以下、「こびひと」と書く。

 

≪書き下し≫奈良山(ならやま)の児手柏(このてかしは)の両面(ふたおも)にかにもかくにも佞人(こびひと)が伴(とも)

 

(訳)まるで奈良山にある児手柏(このてかしわ)のように、表の顔と裏の顔とで、あっちにもこっちにもいい顔をして、いずれにしても始末の悪いおべっか使いの輩よ。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句「奈良山乃 兒手柏之」は、「兩面尓」を起こす序。

(注)このてかしは【側柏・児の手柏】名詞:木の名。葉は表裏の区別がなく、小枝は手のひらを広げたような形状をしている。「このてがしは」とも。 ※かしわとも栃(とち)の木ともいわれ、正確には特定できない。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)かにもかくにも 副詞:とにもかくにも。どうであれ。(学研)

(注)ねいじん【佞人】:心がよこしまで人にへつらう人。(weblio辞書 三省堂大辞林 第三版)

 

 左注は、「右歌一首博士消奈行文大夫之」<右の歌一首は、博士(はかせ)、消奈行文大夫(せなのかうぶんのまへつきみ)作る>である。

(注)消奈行文:奈良時代の官吏。高倉福信(たかくらのふくしん)の伯父。幼少より学をこのみ明経第二博士となり、養老5年(721)学業優秀として賞された。神亀(じんき)4年従五位下。「万葉集」に1首とられている。また「懐風藻」に従五位下大学助、年62とあり、五言詩2首がのる。武蔵(むさし)高麗郡(埼玉県)出身。(コトバンク デジタル版 日本人名大辞典+Plus)

 

 三八三六歌は、ヒノキ科のコナノテカシワを喩えに用いて、「表の顔と裏の顔とで、あっちにもこっちにもいい顔をして、いずれにしても始末の悪いおべっか使いの輩よ。」と批判しているのである。

「コノテガシワ」 (コトバンク 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ))より引用させていただきました。

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その540)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

―その2071―

●歌は、「ひさかたの雨も降らぬか蓮葉に溜まれる水の玉に似たる見む」である。

高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(77)万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(77)である。

 

●歌をみていこう。

 

◆久堅之 雨毛落奴可 蓮荷尓 渟在水乃 玉似有将見

          (作者未詳 巻十六 三八三七)

 

≪書き下し≫ひさかたの雨も降らぬか蓮葉(はちすは)に溜(た)まれる水の玉に似たる見む

 

(訳)空から雨でも降って来ないものかな。蓮の葉に留まった水の、玉のようにきらきら光るのが見たい。(同上)

(注)ひさかたの【久方の】分類枕詞:天空に関係のある「天(あま)・(あめ)」「雨」「空」「月」「日」「昼」「雲」「光」などに、また、「都」にかかる。語義・かかる理由未詳。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)ぬか 分類連語:①〔多く、「…も…ぬか」の形で〕…てほしい。…ないかなあ。▽他に対する願望を表す。◇上代語。②…ではないか。▽打消の疑問を表す。 ⇒なりたち 打消の助動詞「ず」の連体形+係助詞「か」(学研)

(注)蓮荷尓 渟在水乃:美女の目に溜まる涙の譬えか。(伊藤脚注)

 

 左注は、「右歌一首傳云 有右兵衛<姓名未詳> 多能歌作之藝也 于時府家備設酒食饗宴府官人等 於是饌食盛之皆用荷葉 諸人酒酣歌舞駱驛 乃誘兵衛云関其荷葉而作歌者 登時應聲作斯歌也<右の歌一首は、伝へて云はく、「右兵衛(うひやうゑ)のものあり。<姓名は未詳> 歌作の芸(わざ)に多能なり。時に、府家(ふか)に酒食(しゅし)を備へ設けて、府(つかさ)の官人らに饗宴(あへ)す。ここに、饌食(せんし)は盛(も)るに、皆蓮葉(はちすば)をもちてす。諸人(もろひと)酒(さけ)酣(たけなは)にして、歌舞(かぶ)駱驛(らくえき)す。すなはち、兵衛を誘(いざな)ひて云はく、『その蓮葉に関(か)けて歌を作れ』といへれば、たちまちに声に応へて、この歌を作る」といふ。

(注)うひゃうゑ【右兵衛】名詞:「右兵衛府」の略。また、「右兵衛府」の武官。[反対語] 左兵衛。(学研)

(注)うひゃうゑふ【右兵衛府】名詞:「六衛府(ろくゑふ)」の一つ。「左兵衛府(さひやうゑふ)」とともに、内裏(だいり)外側の諸門の警備、行幸のときの警護、左右京内の巡検などを担当した役所。右の兵衛府。[反対語] 左兵衛府。(学研)

(注)らくえき【絡繹・駱駅】人馬などが次々に続いて絶えないさま。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

 

左注の「・・・府家に酒食を備へ設けて、府の官人らに饗宴す。ここに、饌食は盛るに、皆蓮葉をもちてす。・・・」の文言により、当時の宴席の料理がハスの葉に盛られていたことがうかがわれる。

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1175)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

ハスが詠まれた四首については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その973)」で

紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

―その2072―

●歌は、「ざう莢に延ひおほとれる屎葛絶ゆることなく宮仕へせむ」である。

高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(78)万葉歌碑(高宮王)

●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(78)である。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「高宮王詠數首物歌二首」<高宮王(たかみやのおほきみ)、数種の物を詠む歌二首>である。

 

◆     ▼莢尓 延於保登礼流 屎葛 絶事無 宮将為

      (高宮王 巻十六 三八五五)

   ▼は「草かんむりに『皂』である。「▼+莢」で「ざうけふ」と読む。

 

≪書き下し≫ざう莢(けふ)に延(は)ひおほとれる屎葛(くそかづら)絶ゆることなく宮仕(みやつか)へせむ

 

(訳)さいかちの木にいたずらに延いまつわるへくそかずら、そのかずらさながらの、こんなつまらぬ身ながらも、絶えることなくいついつまでも宮仕えしたいもの。(同上)

(注)おほとる 自動詞:乱れ広がる。(学研)

(注)屎葛(クソカズラ):屁屎葛の古名。>ヘクソカズラ:(屁糞葛、学名: Paederia scandens)は、アカネ科ヘクソカズラ属の蔓(つる)性多年草で、やぶや道端など至る所に生える雑草。夏に中心部が赤紅色の白い小花を咲かせる。葉や茎など全草を傷つけると、悪臭を放つことから屁屎葛(ヘクソカズラ)の名がある。別名で、ヤイトバナ、サオトメバナともよばれる。(weblio辞書 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』)

(注)上三句は序。「絶ゆることなく」を起こす。自らを「へくそかずら」に喩えている。(伊藤脚注)

(注)ざう莢(けふ)>さいかち【皂莢】:マメ科の落葉高木。山野や河原に自生。幹や枝に小枝の変形したとげがある。葉は長楕円形の小葉からなる羽状複葉。夏に淡黄緑色の小花を穂状につけ、ややねじれた豆果を結ぶ。栽培され、豆果を石鹸(せっけん)の代用に、若葉を食用に、とげ・さやは漢方薬にする。名は古名の西海子(さいかいし)からという。(weblio辞書 デジタル大辞泉



 この歌については、三八五六歌とともに、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1100)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「weblio辞書 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』」

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」

★「コトバンク デジタル版 日本人名大辞典+Plus」

★「コトバンク 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)」