万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その2076~2078)―高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(82~84)―万葉集 巻十六 四一〇六、巻十八 四一一〇、四一一四4

―その2076―

●歌は、「大汝・・・ちさの花咲ける盛りに・・・すべもすべなさ」である。

高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(82)万葉歌碑(大伴家持

●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(82)である。

 

●歌をみていこう。

 

 序ならびに四一〇六から四一一〇歌の歌群の題詞は、「教喩史生尾張少咋歌一首并短歌」<史生尾張少咋(ししやうをはりのをくひ)を教へ喩(さと)す歌一首幷(あは)せて短歌>

 

◆於保奈牟知 須久奈比古奈野 神代欲里 伊比都藝家良久 父母乎 見波多布刀久 妻子見波 可奈之久米具之 宇都世美能 余乃許等和利止 可久佐末尓 伊比家流物能乎 世人能 多都流許等太弖 知左能花 佐家流沙加利尓 波之吉余之 曽能都末能古等 安沙余比尓 恵美ゝ恵末須毛 宇知奈氣支 可多里家末久波 等己之へ尓 可久之母安良米也 天地能 可未許等余勢天 春花能 佐可里裳安良牟等 末多之家牟 等吉能沙加利曽 波奈礼居弖 奈介可須移母我 何時可毛 都可比能許牟等 末多須良无 心左夫之苦 南吹 雪消益而 射水河 流水沫能 余留弊奈美 左夫流其兒尓 比毛能緒能 移都我利安比弖 尓保騰里能 布多理雙坐 那呉能宇美能 於支乎布可米天 左度波世流 支美我許己呂能 須敝母須敝奈佐   言佐夫流者遊行女婦之字也

              (大伴家持 巻十六 四一〇六)

 

≪書き下し≫大汝(おほなむち) 少彦名(すくなひこな)の 神代(かみよ)より 言い継(つ)ぎけらく 父母を 見れば尊(たふと)く 妻子(めこ)見れば 愛(かな)しくめぐし うつせみの 世のことわりと かくさまに 言ひけるものを 世の人の 立つる言立(ことだ)て ちさの花 咲ける盛りに はしきよし その妻の子(こ)と 朝夕(あさよひ)に 笑(ゑ)みみ笑まずも うち嘆き 語りけまくは とこしへに かくしもあらめや 天地(あめつち)の 神(かみ)言寄(ことよ)せて 春花の 盛もあらむと 待たしけむ 時の 盛りぞ 離れ居て 嘆かす妹(いも)が いつしかも 使(つかひ)の来(こ)むと 待たすらむ 心寂(さぶ)しく 南風(みなみ)吹き 雪消(ゆきげ) 溢(はふ)りて 射水川(いみづかは) 流る水沫(みなわ)の 寄るへなみ 佐夫流(さぶる)その子に 紐(ひも)の緒(を)の いつがり合ひて にほ鳥の ふたり並び居(ゐ) 奈呉(なご)の海の 奥(おき)を深めて さどはせる 君が心の すべもすべなさ   左夫流と言ふは遊行女婦が字なり

 

(訳)大汝命と少彦名命(みこと)が国土を造り成したもうた遠い神代の時から言い継いできたことは、「父母は見ると尊いし、妻子は見るといとしくいじらしい。これがこの世の道理なのだ」と、こんな風(ふう)に言ってきたものだが、それが世の常の人の立てる誓いの言葉なのだが、言葉どおりに、ちさの花の真っ盛りの頃に、いとしい奥さんと朝に夕に、時にほほ笑み時に真顔で、溜息まじりに言い交した、「いつまでもこんな貧しい状態が続くということがあろうか、天地の神々がうまく取り持って下さって、春の花の盛りのように栄える時もあろう」という言葉をたよりに奥さんが待っておられた、その盛りの時が今なのだ。離れていて溜息ついておられるお方が、いつになったら夫の使いが来るのだろうとお待ちになっているその心はさぞさびしいことだろうに、ああ、南風が吹き雪解け水が溢れて、射水川の流れに浮かぶ水泡(みなわ)のように寄る辺もなくてうらさびれるという、左夫流と名告るそんな娘(こ)なんぞに、紐の緒のようにぴったりくっつきあって、かいつぶりのように二人肩を並べて、奈呉の海の底に深さのように、深々と迷いの底にのめりこんでおられるあなたの心、その心の何とまあ処置のしようのないこと。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)ちさ【萵苣】名詞:木の名。えごのき。初夏に白色の花をつける。一説に「ちしゃのき」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)はしきやし【愛しきやし】分類連語:ああ、いとおしい。ああ、なつかしい。ああ、いたわしい。「はしきよし」「はしけやし」とも。※上代語。(学研) ⇒参考:愛惜や追慕の気持ちをこめて感動詞的に用い、愛惜や悲哀の情を表す「ああ」「あわれ」の意となる場合もある。「はしきやし」「はしきよし」「はしけやし」のうち、「はしけやし」が最も古くから用いられている。 ⇒なりたち:形容詞「は(愛)し」の連体形+間投助詞「やし」(学研)

(注)ゑむ 【笑む】①ほほえむ。にっこりとする。微笑する。②(花が)咲く。(学研)

(注)ことよす【言寄す・事寄す】①言葉や行為によって働きかける。言葉を添えて助力する。②あるものに託す。かこつける。③うわさをたてる。➡ここでは①の意(学研)

(注)はるはなの【春花の】分類枕詞:①春の花が美しく咲きにおう意から「盛り」「にほえさかゆ」にかかる。②春の花をめでる意から「貴(たふと)し」や「めづらし」にかかる。③春の花が散っていく意から「うつろふ」にかかる。(学研)

(注)ひものおの【紐の緒の】 枕詞 :① 紐を結ぶのに、一方を輪にして他方をその中にいれるところから、「心に入る」にかかる。 ② 紐の緒をつなぐことから、比喩的に「いつがる」にかかる。(コトバンク 三省堂大辞林

(注)いつがる【い繫る】つながる。自然につながり合う。「い」は接頭語。(学研)

(注)にほどりの【鳰鳥の】枕詞:かいつぶりが、よく水にもぐることから「潜(かづ)く」および同音を含む地名「葛飾(かづしか)」に、長くもぐることから「息長(おきなが)」に、水に浮いていることから「なづさふ(=水に浮かび漂う)」に、また、繁殖期に雄雌が並んでいることから「二人並び居(ゐ)」にかかる。(学研)

 

左注は、「右五月十五日守大伴宿祢家持作之」<右は、五月の十五日に、守(かみ)大伴宿禰家持作る>である。

 

 序ならびに反歌三首については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その123改)」で紹介している。

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 四一一〇歌もみてみよう。

 

題詞は、「先妻不待夫君之喚使自来時作歌一首」<先妻、夫君(せのきみ)の喚(よ)ぐ使(つかひ)を待たずして自(みづか)ら来(きた)る時に、作る歌一首>である。

(注)先妻:ここは、都の本妻。(伊藤脚注)。

 

◆左夫流兒我 伊都伎之等乃尓 須受可氣奴波由麻久太礼利 佐刀毛等騰呂尓

       (大伴家持 巻十八 四一一〇)

 

≪書き下し≫左夫流子(さぶるこ)が斎(いつ)きし殿(との)に鈴懸(すずか)けぬ駅馬(はゆま)下(くだ)れり里もとどろに

 

(訳)左夫流子がたいせつにお仕えしていた御殿に、駅鈴(すず)も付けない早馬が下って来た。里中鳴り響くばかりに息せききって。(同上)

(注)斎きし殿に:大切にかしづいていた御殿に。左夫流子が少咋の邸で家刀自よろしく振舞う姿へのからかい。(伊藤脚注)。

(注)はゆま【駅・駅馬】名詞:奈良時代、旅行者のために街道の駅に備えてあった馬。公用の場合は駅鈴をつけた。伝馬(てんま)。 ※「はやうま(早馬)」の変化した語。(学研)

(注)とどろ(に・と)【轟(に・と)】副詞:どうどう。ごうごう。▽大きな音が鳴り響くさま。(学研)

 

左注は、「同月十七日大伴宿祢家持作之」<同じき月の十七日に、大伴宿禰家持作る>である。

 

 万葉の時代も、不倫は大きな代償を払わないといけないのは今も同じである。

 

 

 

―その2077―

●歌は、「なでしこが花見るごとに娘子らが笑まひのにほい思ほゆるかも」である。

高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(83)万葉歌碑(大伴家持

●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(83)である。

 

●歌をみていこう。

 

 四一一三から四一一五歌の題詞は、「庭中の花を見て作る歌一首 幷せて短歌」である。

 

◆奈泥之故我 花見流其等尓 乎登女良我 恵末比能尓保比 於母保由流可母

        (大伴家持 巻十八 四一一四)

 

≪書き下し≫なでしこが花見るごとに娘子(をとめ)らが笑(ゑ)まひのにほひ思ほゆるかも

 

(訳)なでしこの花を見るたびに、いとしい娘子の笑顔のあでやかさ、そのあでやかさが思われてならない。(同上)

(注)娘子:都の妻大嬢を、憧れをこめて呼んだ語。(伊藤脚注)。

(注)ゑまひ【笑まひ】名詞:①ほほえみ。微笑。②花のつぼみがほころぶこと。(学研)このでは①の意

(注)にほひ【匂ひ】名詞:①(美しい)色あい。色つや。②(輝くような)美しさ。つややかな美しさ。③魅力。気品。④(よい)香り。におい。⑤栄華。威光。⑥(句に漂う)気分。余情。(学研)ここでは②の意

 

 四一一三から四一一五歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その357)」で紹介している。

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―その2078―

●歌は、「大君の・・・蓬かづらぎ酒みづき遊びなぐれど・・・面変りせず」である。

高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(84)万葉歌碑(大伴家持

●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(84)である。

 

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「國掾久米朝臣廣縄以天平廿年附朝集使入京 其事畢而天平感寶元年閏五月廿七日還到本任 仍長官之舘設詩酒宴樂飲 於時主人守大伴宿祢家持作歌一首幷短歌」<国の掾久米朝臣廣縄(じようくめのあそみひろつな)、天平(てんびやう)二十年をもちて朝集使(てふしふし)に付きて京に入る。その事畢(をは)りて、天平感宝(てんびやうかんぽう)元年の閏の五月の二十七日に、本任(ほんにん)に還(かへ)り至る。よりて長官(かみ)が館(たち)にして、詩酒の宴(うたげ)を設(ま)けて楽飲す。時に、主人(あろじ)の守(かみ)大伴宿禰家持が作る歌一首幷(あは)せて短歌>である。

(注)天平二十年:748年

(注)朝集使:日本古代の律令制のもとで,諸国から毎年上京して政務を報告した使者。当時,諸国に派遣されていた国司が使者として毎年定期に上京するものに,四度使(よどのつかい)として朝集使,計帳使(大帳使とも),貢調使,正税帳使の4種があったが,朝集使はそのうち最も重要なもので,他の3使は史生(ししよう)などの雑任(ぞうにん)でもよかったが,朝集使には守(かみ),介(すけ),掾(じよう),目(さかん)の四等官が任じた。(コトバンク 平凡社世界大百科事典 第2版)

(注)天平感宝元年:749年

 

◆於保支見能 末支能末尓ゝゝ 等里毛知氐 都可布流久尓能 年内能 許登可多祢母知多末保許能 美知尓伊天多知 伊波祢布美 也末古衣野由支 弥夜故敝尓 末為之和我世乎 安良多末乃 等之由吉我弊理 月可佐祢 美奴日佐末祢美 故敷流曽良 夜須久之安良祢波 保止ゝ支須 支奈久五月能 安夜女具佐 余母疑可豆良伎 左加美都伎 安蘇比奈具礼止 射水河 雪消溢而 逝水能 伊夜末思尓乃未 多豆我奈久 奈呉江能須氣能 根毛己呂尓 於母比牟須保礼 奈介伎都ゝ 安我末川君 我許登乎波里 可敝利末可利天 夏野能 佐由利能波奈能 花咲尓 ゝ布夫尓恵美天 阿波之多流 今日乎波自米氐 鏡奈須 可久之都祢見牟 於毛我波利世須

       (大伴家持 巻十八 四一一六)

 

≪書き下し≫大君の 任(ま)きのまにまに 取り持ちて 仕(つか)ふる国の 年の内の 事かたね持ち 玉桙(たまほこ)の 道に出で立ち 岩根(いはね)踏み 山越え野(の)行き 都辺(みやこへ)に 参(ま)ゐし我が背を あらたまの 年行き返(がへ)り 月重ね 見ぬ日さまねみ 恋ふるそら 安くしあらねば ほととぎす 来鳴く五月(さつき)の あやめぐさ 蓬(よもぎ)かづらき 酒(さか)みづき 遊びなぐれど 射水川(いみづがは) 雪消(ゆきげ)溢(はふ)りて 行く水の いや増しにのみ 鶴(たづ)が鳴く 奈呉江(なごえ)の菅(すげ)の ねもころに 思ひ結ぼれ 嘆きつつ 我(あ)が待つ君が 事終(をは)り 帰り罷(まか)りて 夏の野(の)の さ百合(ゆり)の花の 花笑(ゑ)みに にふぶに笑みて 逢(あ)はしたる 今日(けふ)を始めて 鏡なす かくし常(つね)見む 面変(おもがは)りせず

 

(訳)大君の御任命のままに、政務を背負ってお仕えしている国、この国の一年(ひととせ)の出来事をとりまとめて、長い旅路に出立し、岩を踏み山を越え野を通って、都目指して上って行ったあなた、そのあなたに、年が改まり、月を重ねるまで逢わぬ日が続いて、恋しさに心が落ち着かないので、時鳥の来て鳴く五月の菖蒲(しょうぶ)や蓬(よもぎ)を蘰(かづら)にし、酒盛りなどして遊んでは心を慰めたけれど、射水川に雪解け水が溢(あふ)れるばかりに流れて行くその水かさのように、恋しさはいよいよつのるばかりで、鶴の頼りなく鳴く奈呉江の菅の根ではないが、心のねっこから塞(ふさ)ぎこんで、溜息(ためいき)つきながら私の待っていたそのあなたが、勤めを無事終えて都から帰って来られ、夏の野の百合の花の花笑みそのままに、にっこりほほ笑んで逢って下さったこの今日の日からというものは、鏡を見るようにこうしていつもいつもお逢いしましょう。今日のままもそのお顔で。(同上)

(注)まく【任く】他動詞:任命する。任命して派遣する。遣わす。(学研)

(注)まにまに【随に】分類連語:…に任せて。…のままに。▽他の人の意志や、物事の成り行きに従っての意。(学研)

(注)とりもつ【取り持つ・執り持つ】他動詞①手に持つ。持つ。②執り行う。取りしきる③世話する。④仲立ちをする。とりもつ。(学研) ここでは②の意

(注)かたぬ【結ぬ】( 動ナ下二 ):①まとめる。たばねる。②結政(かたなし)で、文書を広げて読み上げる。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版) ここでは①の意

(注)さまねし 形容詞:数が多い。たび重なる。 ※「さ」は接頭語。(学研)

(注)そら【空】名詞:①大空。空。天空。②空模様。天気。③途上。方向。場所。④気持ち。心地。▽多く打消の語を伴い、不安・空虚な心の状態を表す。 ※参考 地上の広々とした空間を表すのが原義。(学研) ここでは④の意

(注)かづらく【鬘く】他動詞:草や花や木の枝を髪飾りにする。(学研)

(注)さかみづく【酒水漬く】自動詞:酒にひたる。酒宴をする。(学研)

(注)なぐ【和ぐ】自動詞:心が穏やかになる。なごむ。(学研)

(注)射水川:現在の小矢部川(おやべがわ)

(注)ゆきげ【雪消・雪解】名詞:①雪が消えること。雪どけ。また、その時。②雪どけ水。 ※「ゆき(雪)ぎ(消)え」の変化した語。(学研)

(注)奈呉の江(読み)なごのえ:富山湾岸のほぼ中央部,射水(いみず)平野の北部に広がる。古くは越湖(こしのうみ),奈呉ノ江,奈呉ノ浦とよばれた。(コトバンク 平凡社世界大百科事典)

(注)ねもころなり【懇なり】形容動詞:手厚い。丁重だ。丁寧だ。入念だ。「ねもごろなり」とも。 ※「ねんごろなり」の古い形。(学研)

(注)おもひむすぼる【思ひ結ぼる】自動詞:気がめいる。ふさぎ込む。「おもひむすぼほる」とも。(学研)

(注)にふぶに 副詞:にこにこ。(学研)

(注)かがみなす【鏡なす】分類枕詞:①貴重な鏡のように大切に思うことから、「思ふ妻」にかかる。②鏡は見るものであることから、「見る」および、同音の「み」にかかる。(学研)

 

 この歌ならびに反歌二首については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その658)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「高岡市万葉歴史館HP」

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」

★「コトバンク 平凡社世界大百科事典 第2版」