―その2082―
●歌は、「我が背子が捧げて持てるほほがしはあたかも似るか青き蓋」である。
●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(88)である。
●歌をみていこう。
◆吾勢故我 捧而持流 保寶我之婆 安多可毛似加 青盖
(講師僧恵行 巻十九 四二〇四)
≪書き下し≫我が背子(せこ)が捧(ささ)げて持てるほほがしはあたかも似るか青き蓋(きぬがさ)
(訳)あなたさまが、捧げて持っておいでのほおがしわ、このほおがしわは、まことにもってそっくりですね、青い蓋(きぬがさ)に。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)我が背子:ここでは大伴家持をさす。(伊藤脚注)。
(注)あたかも似るか:漢文訓読的表現。万葉集ではこの一例のみ。(伊藤脚注)。
(注)きぬがさ【衣笠・蓋】名詞:①絹で張った長い柄(え)の傘。貴人が外出の際、従者が背後からさしかざした。②仏像などの頭上につるす絹張りの傘。天蓋(てんがい)。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
題詞は、「見攀折保寳葉歌二首」<攀(よ)ぢ折(を)れる保宝葉(ほほがしは)を見る歌二首>とあり、歌碑の僧恵行の歌と大伴家持の歌が収録されている。
左注は、「講師僧恵行」である。
(注)かうじ【講師】名詞:①奈良・平安時代のころ、諸国の国分寺に置かれた、上座の僧官。僧尼の監督をつかさどり、仏教を講説した。◇古くは「国師(こくし)」といっていた。仏教語。②詩の会や歌合わせなどの席で、詩歌をよみ、披露する人。③法会(ほうえ)で、仏典などを講説する高僧。◇仏教語。(学研)ここでは①の意
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その486)」で紹介している。
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「蓋」はもう一首収録されている。こちらもみてみよう。
◆久堅乃 天歸月乎 網尓刺 我大王者 盖尓為有
(柿本朝臣人麻呂 巻二 二四〇)
≪書き下し≫ひさかたの天行く月を網(あみ)に刺し我(わ)が大君は盍(きぬがさ)にせり
(訳)天空高く渡る月、この月を網を張って捕えて、われらの大君は、今しも盍(きぬがさ)にしていらっしゃる。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)天行く月:月を背に夕狩りに出で立つ皇子の姿をこう言った。(伊藤脚注)。
(注)網に刺し:網を張って捕えて。(伊藤脚注)。
(注)盍(きぬがさ):貴人のうしろからさしかける織物製の傘。月を盍に見立てたもの。(伊藤脚注)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その111改)」で長歌(二三九歌)と「或る本の反歌一首(二四一歌)」とともに紹介している。
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―その2083―
●歌は、「この里は継ぎて霜や置く夏の野に 我が見し草はもみちたりけり」である。
●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(89)である。
●歌をみていこう。
◆此里者 継而霜哉置 夏野尓 吾見之草波 毛美知多里家利
(孝謙天皇 巻十九 四二六八)
≪書き下し≫この里は継(つ)ぎて霜や置く夏の野に 我が見し草はもみちたりけり
(訳)この里は年中ひっきりなしに霜が置くのであろうか。夏の野で私がさっき見た草は、もうこのように色づいている。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)つぐ【継ぐ・続ぐ】他動詞:①絶えないようにする。続ける。保ち続ける。②受け伝える。伝承する。継承する。③跡を受ける。相続する。◇「嗣ぐ」とも書く。④つなぎ合わせる。繕う。 (学研)ここでは①の意
題詞は、「天皇太后共幸於大納言藤原家之日黄葉澤蘭一株抜取令持内侍佐ゝ貴山君遣賜大納言藤原卿幷陪従大夫等御歌一首 命婦誦日」<天皇(すめらみこと)、太后(おほきさき)、共に大納言藤原家に幸(いでま)す日に、黄葉(もみち)せる澤蘭一株(さはあららぎひともと)を抜き取りて、内侍(ないし)佐々貴山君(ささきのやまのきみ)に持たしめ、大納言藤原卿(ふぢはらのまえつきみ)と陪従(べいじゅ)の大夫(だいぶ)等(ら)とに遣(つかは)し賜ふ御歌一首 命婦(みやうぶ)誦(よ)みて日(い)はく>である。
(注)大納言:藤原仲麻呂
(注)内侍:内侍の司(つかさ)の女官。天皇の身辺に仕え、祭祀を司る。
(注)陪従大夫:供奉する廷臣たち
(注)さはあららぎ【沢蘭】:サワヒヨドリの古名。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
(注の注)日本全国及び東アジアに分布し、日当たりの良い湿地に自生する多年草。草丈40 〜 70cm。茎は直立し、上部に毛が生える。葉は対生で、葉柄はない。8〜10月、茎先に白〜淡紅色の花を咲かせる。(福岡市薬剤師会HP)
題詞にあるように、「孝謙天皇、光明皇后が共に大納言藤原仲麻呂の家に幸(いでま)しているのである。光明皇后は藤原不比等の娘であるから、孝謙天皇は孫にあたる。仲麻呂も不比等の孫であるので、ここに藤原一族の確固たる政治基盤が出来上がったのである。
この歌については、称徳天皇(孝謙上皇が重祚)創建による西大寺の歌碑とともに拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その35改)」で紹介している。
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―その2084―
●歌は、「あしひきの山下ひかげかづらける上にやさらに梅をしのはむ」である。
●歌碑は、高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(90)である。
●歌をみていこう。
◆足日木之 夜麻之多日影 可豆良家流 宇倍尓左良尓 梅乎之努波
(大伴家持 巻十九 四二七八)
≪書き下し≫あしひきの山下(やました)ひかげかづらける上(うへ)にやさらに梅をしのはむ
(訳)山の下蔭の日蔭の縵、その日陰の縵を髪に飾って賀をつくした上に、さらに、梅を賞でようというのですか。その必要もないと思われるほどめでたいことですが、しかしそれもまた結構ですね。(同上)
(注)ひかげ【日陰・日蔭】名詞:①日光の当たらない場所。世間から顧みられない境遇にたとえることもある。②「日陰の蔓(かづら)」の略。(学研)ここでは②の意
(注の注)ひかげは蔓性の常緑草木。これを縵にするのは新嘗会の礼装。(伊藤脚注)。
題詞は、「廿五日新甞會肆宴應詔歌六首」<二五日に、新嘗会(にひなへのまつり)の肆宴(とよのあかり)にして詔(みことのり)に応(こた)ふる歌六首>である。
(注)新嘗会>新嘗祭りに同じ。
(注の注)にひなめまつり【新嘗祭り】名詞:宮中の年中行事の一つ。陰暦十一月の中の卯(う)の日、天皇が新穀を皇祖はじめ諸神に供え、自らもそれを食べる儀式。即位後初めてのものは、大嘗祭(だいじようさい)または大嘗会(だいじようえ)と呼ぶ。新嘗祭(しんじようさい)。(学研)
この歌については、新嘗祭についての解説とともに、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1235)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「福岡市薬剤師会HP」