●歌は、「真木の葉のしなふ背の山しのはずて我が越え行けば木の葉知りけむ」である。
●歌をみていこう。
(小田事 巻二 二九一)
≪書き下し≫真木(まき)の葉(は)のしなふ背(せ)の山しのはずて我(わ)が越え行けば木(こ)の葉知りけむ
(訳)杉や檜(ひのき)の枝ぶりよく茂りたわむ背の山であるのに、ゆっくり賞(め)でるゆとりもなく私は越えて行く、しかし、木の葉はこの気持ちがわかってくれたであろう。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)まき【真木・槙】名詞:杉や檜(ひのき)などの常緑の針葉樹の総称。多く、檜にいう。 ※「ま」は接頭語。(学研)
(注)しなふ【撓ふ】自動詞:しなやかにたわむ。美しい曲線を描く。(学研)
(注)しのぶ【偲ぶ】他動詞:①めでる。賞美する。②思い出す。思い起こす。思い慕う。しのふ(学研) ここでは①の意
(注の注)「しなふ」と「しのふ」は語呂合わせになっている。(伊藤脚注)
(注)木の葉知りけむ:樹木は人の心を知る能力があるとされた。「背」の山を故郷の「妹」を思いながら越えたことへの気遣いか。(伊藤脚注)
この歌については、「背の山」「妹の山」に関する十五首とともに拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1412)」で紹介している。
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「樹木は人の心を知る能力があるとされた」と脚注にあったが、関連する歌をみてみよう。
◆天雲 棚引山 隠在 吾下心 木葉知
(柿本人麻呂歌集 巻七 一三〇四)
≪書き下し≫天雲(あまくも)のたなびく山に隠(こも)りたる我(あ)が下心(したごころ)木(こ)の葉知るらむ
(訳)天雲のたなびく山に物すべてが籠(こも)っている、そんな私の心の奥底、この思いを木の葉だけは知ってくれているでしょう。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)上三句は「我が下心」の譬喩。(伊藤脚注)
万葉時代の「植物の信仰」を調べてみよう。
稲岡耕二 編「別冊國文學 万葉集必携」(學燈社)には、次のように書かれている。
「古代人は成長する植物に威大な生命力を感じ、呪力がこもっていると信じた。厳白檮(いつかし)・斎つ真椿(雄略記)・斎小竹(ゆささ)(10二三三六)・斎種(7一一一〇・15三六〇三)斎槻(11二三五三)・斎(いは)ふ杉(4七一二・7一四〇三・13三二二八)などの表現がそれをみせている。また、『玉葛実ならぬ木にはちはやぶる神ぞ着くとふ成らぬ木ごとに』(2一〇一)と実のならない木に神が降臨するとうたうが、『神名備に神籬(ひもとき)立てて斎へども』(11二六五七)、「斎串立て神酒据ゑ」(13三二二九)とあるごとく、祭りは神の依代である樹木を立てて行われた。『天飛ぶや軽の社の斎槻』(11二六五六)『味酒を三輪の祝が斎ふ杉』(4七一二)などと神社にご神木が必ずあるのも、社殿のない時代にはこの神木を中心に祭りが営まれたからである。」と書かれている。
それぞれの歌を見ていくことにより、「植物の信仰」の思いに迫ってみよう。
■二三三六歌■
◆甚毛 夜深勿行 道邊之 湯小竹之於尓 霜降夜焉
(作者未詳 巻十 二三三六)
≪書き下し≫はなはだも夜更(おふ)けてな行き道の辺(へ)のゆ笹(ささ)の上(うへ)に霜(しも)の降る夜を
(訳)こんなにひどく夜が更けてから帰らないで下さい。道のほとりの笹の上に、霜がしとどに置く寒い夜なのに。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)はなはだ【甚だ】副詞:①たいそう。非常に。ひどく。②〔打消の語を伴って〕全く。⇒参考:中古には主に漢文訓読語であって、和文では例が少ない。和文では、「いと」を用いる。従って、会話文で「はなはだ」を用いるのは、いささか気取った言い方となる。(学研)
(注)ゆざさ【斎笹】〘名〙: 神事に用いる、きよめられた笹。また、清らかな感じの笹。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)
■一一一〇歌■
◆湯種蒔 荒木之小田矣 求跡 足結出所沾 此水之湍尓
(作者未詳 巻七 一一一〇)
≪書き下し≫ゆ種蒔くあらきの小田を求めむと足結ひ出で濡れぬこの川の瀬に
(訳)斎(い)み清めた籾(もみ)を蒔(ま)く新墾(あらき)の田んぼを探しに、足結(あゆい)をして出かけてその足結を濡らしてしまった。この川の瀬で。(同上)
(注)ゆ種:斎(い)み清めた籾。(伊藤脚注)
(注)あらき【新墾】名詞:新しく土地を切り開くこと。開墾。また、その土地。(学研)
(注)あゆふ【足結ふ】自動詞:袴(はかま)の膝(ひざ)下あたりをひもで結ぶ。▽動きやすくするため。(学研)
■三六〇三歌■
「ゆ種」と「青柳の枝を伐って苗代にさして、苗の発育を祈る神事」について詠われている。
◆安乎楊疑能 延太伎里於呂之 湯種蒔 忌忌伎美尓 故非和多流香母
(作者未詳 巻十五 三六〇三)
≪書き下し≫青柳(あをやぎ)の枝(えだ)伐(き)り下(お)ろしゆ種(だね)蒔(ま)きゆゆしき君に恋ひわたるかも
(訳)青柳の枝を伐り取り挿し木にして、斎(い)み浄めたゆ種を蒔くそのゆゆしさのように、馴れ馴れしくできない君、そんなあなたさまに、焦がれつづけています。(同上)
(注)青柳の枝伐り下ろし:青柳の枝を伐って苗代にさして。苗の発育を祈る神事。(伊藤脚注)
(注)ゆ種:斎み浄めた籾種。
(注)上三句は序。「ゆゆしき」を起こす。(伊藤脚注)
三六〇三歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その225)」で紹介している。
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■二三五三歌■
◆長谷 弓槻下 吾隠在妻 赤根刺 所光月夜迩 人見點鴨 <一云人見豆良牟可>
(柿本人麻呂歌集 巻十一 二三五三)
≪書き下し≫泊瀬(はつせ)の斎槻(ゆつき)が下(した)に我(わ)が隠(かく)せる妻(つま)あかねさし照れる月夜(つくよ)に人見てむかも」である。<一には「人みつらむか」といふ>
(訳)泊瀬(はつせ)のこんもり茂る槻の木の下に、私がひっそりと隠してある、大切な妻なのだ。その妻を、あかあかと隈(くま)なく照らすこの月の夜に、人が見つけてしまうのではなかろうか。<人がみつけているのではなかろうか>(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)泊瀬の斎槻:人の立ち入りを禁じる聖域であることを匂わす。「泊瀬」は隠処(こもりく)の聖地とされた。「斎槻」は神聖な槻の木。
(注)いつき【斎槻】名詞:神が宿るという槻(つき)の木。神聖な槻の木。一説に、「五十槻(いつき)」で、枝葉の多く茂った槻の木の意とも。※「い」は神聖・清浄の意の接頭語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)あかねさし【茜さし】 枕詞:茜色に美しく映えての意で、「照る」にかかる。 (weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2047)」で紹介している。
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■七一二歌■
◆味酒呼 三輪之祝我 忌杉 手觸之罪歟 君二遇難寸
(丹波大女娘子 巻四 七一二)
≪書き下し≫味酒(うまさけ)を三輪の祝(はふり)が斎(いは)ふ杉手(て)触(ふ)れし罪か君に逢ひかたき
(訳)三輪の神主(かんぬし)があがめ祭る杉、その神木の杉に手を触れた祟(たた)りでしょうか。あなたになかなか逢えないのは(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)うまさけ【味酒・旨酒】分類枕詞:味のよい上等な酒を「神酒(みわ)(=神にささげる酒)」にすることから、「神酒(みわ)」と同音の地名「三輪(みわ)」に、また、「三輪山」のある地名「三室(みむろ)」「三諸(みもろ)」などにかかる。 ※ 参考枕詞としては「うまさけの」「うまさけを」の形でも用いる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)はふり【祝】名詞:神に奉仕することを職とする者。特に、神主(かんぬし)や禰宜(ねぎ)と区別する場合は、それらの下位にあって神事の実務に当たる職をさすことが多い。祝(はふ)り子。「はうり」「はぶり」とも。(学研)
(注)か 係助詞《接続》種々の語に付く。「か」が文末に用いられる場合、活用語には連体形(上代には已然形にも)に付く。(一)文中にある場合。(受ける文末の活用語は連体形で結ぶ。)①〔疑問〕…か。②〔反語〕…か、いや…ではない。(二)文末にある場合。①〔疑問〕…か。②〔反語〕…か、いや…ではない。▽多く「かは」「かも」「ものか」の形で。(学研)
(注)手触れし罪か:手を触れたはずはないのにの気持ちがこもる。
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その950)」で紹介している。
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■一四〇三歌■
◆三幣帛取 神之祝我 鎮齋杉原 燎木伐 殆之國 手斧所取奴
(作者未詳 巻七 一四〇三)
≪書き下し≫御幣(みぬさ)取り三輪(みわ)の祝(はふり)が斎(いは)ふ杉原 薪伐(たきぎこ)りほとほとしくに手斧(てをの)取らえぬ
(訳)幣帛(へいへく)を手に取って三輪の神官(はふり)が斎(い)み清めて祭っている杉林よ。その杉林で薪を伐(き)って、すんでのところで大切な手斧(ておの)を取り上げられるところだったよ。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)三輪の祝(はふり):三輪の社の神職。女の夫の譬え。(伊藤脚注)
(注)ほとほとし【殆とし・幾とし】形容詞:もう少しで(…しそうである)。すんでのところで(…しそうである)。極めて危うい。(学研)
(注)斎(いは)ふ杉原:人妻の譬え。上三句は親が大切にする深窓の女性の譬えとも解せる。(伊藤脚注)
(注)「薪伐(たきぎこ)りほとほとしくに手斧(てをの)取らえぬ」:手を出してひどい目にあいかけたの意を喩える。(伊藤脚注)
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■三二二八歌■
◆神名備能 三諸之山丹 隠蔵杉 思将過哉 蘿生左右
(作者未詳 巻十三 三二二八)
≪書き下し≫神なびの三諸の山に斎ふ杉思ひ過ぎめや苔生すまでに
(訳)神なびのみもろの山で、身を慎んではあがめ祭る杉、その杉ではないが、私の思いが消えて過ぎることなどありはしない。杉に苔が生(む)すほどに年を経ようとも。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
■一〇一歌■
◆玉葛 實不成樹尓波 千磐破 神曽著常云 不成樹別尓
(大伴安麻呂 巻二 一〇一)
≪書き下し≫玉(たま)葛(かづら)実(み)ならぬ木にはちはやぶる神(かみ)ぞつくといふならぬ木ごとに
(訳)玉葛の雄木(おぎ)ではないが、実のならぬ木には恐ろしい神が依(よ)り憑(つ)いていると言いますよ。実のならぬ木にはどの木も。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)たまかづら【玉葛・玉蔓】>さなかづらのこと
(注の注)さねかづら【真葛/実葛】[名]:モクレン科の蔓性(つるせい)の常緑低木。暖地の山野に自生。葉は楕円形で先がとがり、つやがある。雌雄異株で、夏、黄白色の花をつけ、実は熟すと赤くなる。樹液で髪を整えたので、美男葛(びなんかずら)ともいう。さなかずら。《季 秋》(コトバンク デジタル大辞泉)
■二六五七歌■
◆神名火尓 紐呂寸立而 雖忌 人心者 間守不敢物
(作者未詳 巻十一 二六五七)
≪書き下し>神(かむ)なびにひもろき立てて斎(いは)へども人の心はまもりあへぬもの
(訳)神域にひもろきを立てて、どんなに慎んでお祭りしてみたところで、人の心というものは守りきれないものだ。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)かむなび【神奈備】名詞:神が天から降りて来てよりつく場所。山や森など。「かみなび」「かんなび」とも。(学研)
(注)ひもろき【神籬】名詞:祭りのとき、神の宿る所として立てる、神聖な木。上代には、神霊が宿るとされた老木・森などの周囲に常磐木(ときわぎ)を植え、玉垣をめぐらし、その地を神座とした。のちには、庭上・室内には四方に小柱を立て、しめ縄をめぐらし、中央に榊(さかき)を立てるようにした。 ※古くは「ひぼろぎ」。後世は「ひもろぎ」とも。(学研)
■三二二九歌■
◆五十串立 神酒座奉 神主部之 雲聚玉陰 見者乏文
(作者未詳 巻十三 三二二九)
≪書き下し≫斎串(いぐし)立て御瓶(みわ)据(す)ゑ奉(まつ)る祝部(はふりべ)がうずの玉(たま)かげ見ればともしも
(訳)玉串を立て、神酒(みき)の甕(かめ)を据えてお供えしている神主(かんぬし)たちの髪飾りのひかげのかずら、そのかずらを見ると、まことにゆかしく思われる。(同上)
(注)いくし【斎串】名詞:榊(さかき)や小竹に麻や木綿などをかけて神前に供えたもの。玉串(たまぐし)。「いぐし」とも。 ※「い」は神聖の意を表す接頭語。(学研)
(注)みわ(御瓶):神酒を入れる甕
(注)うず 【髻華】名詞:奈良時代、草木の枝葉・花などを髪や冠に挿して飾りとしたもの。挿頭(かざし)。
(注)ともし【羨し】形容詞:①慕わしい。心引かれる。②うらやましい。慕わしい。心引かれる。(学研)
三二二八、三二二九歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その145)」で紹介している。
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■二六五六歌■
◆天飛也 軽乃社之 斎槻 幾世及将有 隠嬬其毛
(作者未詳 十一 二六五六)
≪書き下し≫天(あま)飛(と)ぶや 軽(かる)の社(やしろ)の斎(いは)ひ槻(つき)幾代(いくよ)まであらむ隠(こも)り妻(づま)ぞも
(訳)天飛ぶ雁というわけではないが、軽の社の槻の木、その神木がいつの世までもあるように、あなたはいつまでも忍び妻のままでいるのであろうか。(同上)
(注)あまとぶや【天飛ぶや】分類枕詞:①空を飛ぶ意から、「鳥」「雁(かり)」にかかる。。②「雁(かり)」と似た音の地名「軽(かる)」にかかる。③空を軽く飛ぶといわれる「領巾(ひれ)」にかかる。(学研)
(注)上三句は序。下二句の譬喩。
(注)いつき【斎槻】名詞:神が宿るという槻(つき)の木。神聖な槻の木。一説に、「五十槻(いつき)」で、枝葉の多く茂った槻の木の意とも。 ※「い」は神聖・清浄の意の接頭語。(学研)
(注)ぞも 分類連語:〔疑問表現を伴って〕…であるのかな。▽詠嘆を込めて疑問の気持ちを強調する意を表す。 ※上代は「そも」とも。 ⇒なりたち 係助詞「ぞ」+終助詞「も」(学研)
二六五六、二六五七歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1134)」で紹介している。
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■■広島県廿日市市大野高畑 高庭駅家跡・濃唹駅跡→広島市安芸区上瀬野町上大山万葉歌碑■■
小一時間のドライブである。グーグルで検索すると「万葉歌碑」と表示される。これには驚きである。
難所と言われた大山峠に上る麓にある。原文にある「勢野山」は瀬野にあった山との解釈によりここに万葉歌碑が立てられたようである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」