●歌は、「沫雪のほどろほどろに降りしければ奈良の都し思ほゆるかも」である。
●歌をみていこう。
題詞は、「大宰帥大伴卿冬日見雪憶京歌一首」<大宰帥(ださいのそち)大伴卿、冬の日に雪を見て、京を憶(おも)ふ歌一首>である。
◆沫雪 保杼呂保杼呂尓 零敷者 平城京師 所念可聞
(大伴旅人 巻八 一六三九)
≪書き下し≫沫雪(あわゆき)のほどろほどろに降りしけば奈良の都し思ほゆるかも
(訳)泡雪がうっすらと地面に降り積もると、奈良の都が思われて仕方がない。(伊藤 博 著 「万葉集二」 角川ソフィア文庫より)
(注)あわゆき【沫雪・泡雪】名詞:泡のように消えやすい、やわらかな雪。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)ほどろほどろなり【斑斑なり】形容動詞:まだらだ。 ※「ほどろ(斑)」を重ねて強めた語。(学研)
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この歌については、中西 進氏は、「大伴旅人―人と作品」(祥伝社)のなかで、「いかにも旅人らしい一首だということは、一読して知られるだろう。悠然としたリズムは他の追随を許さない。その理由は単純な文構成にある。『ば』を要(かなめ)として上下が結ばれているだけで、ごく自然な物言いは、ふつうに呼吸しているような表現である。もう一つ『ほどろほどろ』という擬態語が感覚的に読者に訴えられる。『ほとほと』(巻三、三三一)「つばらつばら」(巻三、三三三)などと同じ繰り返しがリズミカルである点もそれを助長する。」と書かれている。
三三一、三三三歌をみてみよう。
■三三一歌■
◆吾盛 復将變八方 殆 寧樂京乎 不見歟将成
(大伴旅人 巻三 三三一)
≪書き下し≫我(わ)が盛りまたをちめやもほとほとに奈良の都を見ずかなりなむ
(訳)私の盛りの時がまた返ってくるだろうか、いやそんなことは考えられない、ひょっとして、奈良の都、あの都を見ないまま終わってしまうのではなかろうか。(伊藤 博 著 「万葉集一」 角川ソフィア文庫より)
(注)をつ【復つ】自動詞タ:元に戻る。若返る。(学研)
(注)めやも 分類連語:…だろうか、いや…ではないなあ。 ※なりたち推量の助動詞「む」の已然形+反語の係助詞「や」+終助詞「も」(学研)
(注)ほとほと(に)【殆と(に)・幾と(に)】副詞:①もう少しで。すんでのところで。危うく。②おおかた。だいたい。 ※「ほとど」とも。 ⇒語の歴史:平安時代末期には、「ほとほど」または「ほとをと」と発音されていたらしい。のちに「ほとんど」となり、現在に至る。(学研)
◆淺茅原 曲曲二 物念者 故郷之 所念可聞
(大伴旅人 巻三 三三三)
≪書き下し≫浅茅(あさぢ)原(はら)つばらつばらにもの思(も)へば古(ふ)りにし里し思ほゆるかも
(訳)浅茅原(あさじはら)のチハラではないが、つらつらと物思いに耽っていると、若き日を過ごしたあのふるさと明日香がしみじみと想い出される。(同上)
(注)あさぢはら【浅茅原】分類枕詞:「ちはら」と音が似ていることから「つばら」にかかる(学研)
(注)つばらつばらに【委曲委曲に】副詞:つくづく。しみじみ。よくよく。(学研)
中西 進氏は前著のなかで、「・・・旅人はこの雪のまだら模様の中で、回想の人となってしまう。ただ、この一首はたんなる望京の歌ではない。やはり雪から奈良を思慕する、その必然性が大事であろう。」とも書かれている。
三三一、三三三歌は、題詞「帥大伴卿(そちおほとものまへつきみ)が歌五首」の二首である。
この歌群は、三三〇歌(大伴四綱)の「平城京乎 御念八君(奈良の都を思ほすや君)」の問いかけに答えたものであり、一六三九歌が、雪から奈良を思慕する単なる望郷歌ではないのは、五首と比較すると明らかである。
五首は、旅人のある意味、本音というか弱弱しさまでも感じさせる「望郷歌」である。本音で語り合える仲間たちとの宴席であればこその歌である。
三三一、三三三歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その506)」で紹介している。
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これに比して、石川足人が旅人に同じように「佐保の山をば思ふや君」との問いかけに対しては、ずばっと建前で和している。この両面を万葉集では収録されているのも奥深いところである。
歌をみてみよう。
◆刺竹之 大宮人乃 家跡住 佐保能山乎者 思哉毛君
(石川足人 巻六 九五五)
≪書き下し≫さす竹の大宮人(おほみやひと)の住む佐保(さほ)の山をば思(おも)ふやも君
(訳)奈良の都の大宮人たちが、自分の家として住んでいる佐保の山、その山のあたりを懐かしんでおられますか、あなたは。(伊藤 博 著 「万葉集二」 角川ソフィア文庫より)
(注)さすたけの【刺す竹の】分類枕詞:「君」「大宮人」「皇子(みこ)」「舎人男(とねりをとこ)」など宮廷関係の語にかかる。「さすだけの」とも。竹の旺盛(おうせい)な生命力にかけて繁栄を祝ったものか。(学研)
(注)佐保の山:山麓に大伴氏はじめ貴族の邸宅があった。(伊藤脚注)
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旅人の答えは次のとおりである。
◆八隅知之 吾大王乃 御食國者 日本毛此間毛 同登曽念
(大伴旅人 巻六 九五六)
≪書き下し≫やすみしし我(わ)が大君(おほきみ)の食(を)す国は大和(やまと)もここも同(おな)じとぞ思ふ
(訳)あまねく天下を支配されるわれらの大君がお治めになる国、その国は、大和もここ筑紫(つくし)も変わりはないと思っています。(同上)
(注)やすみしし【八隅知し・安見知し】分類枕詞:国の隅々までお治めになっている意で、「わが大君」「わご大君」にかかる。
(注)をす【食す】他動詞:①お召しになる。召し上がる。▽「飲む」「食ふ」「着る」「(身に)着く」の尊敬語。②統治なさる。お治めになる。▽「統(す)ぶ」「治む」の尊敬語。 ※上代語。(学研)
これについては、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その921)」で紹介している。
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■■唐招提寺東四条池南小公園■■
2023年2月3日、久々に近くの万葉歌碑巡り<唐招提寺→八坂神社(田原本町坂手)→村屋坐弥冨都比売神社>を行った。
インスタなどで紹介されている万葉歌碑で今までノーチェックだったものがあったので、メモに残しておいたのである。
泊りがけで歌碑巡りに遠出する時のような午前3時出発といったような緊張感は全くない。9時前に家を出て近所のスーパーで買い物をしてからのんびりと唐招提寺に向かった。
唐招提寺の駐車場に車を止める。1台も止まっていない。
グーグルマップで検索したとおり、駐車場から秋篠川にそって四条池に向かう。四条池の南側に小公園が整備されている。その北側の隅に万葉歌碑は立てられている。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「グーグルマップ」