万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その2116)―遣新羅使人等の歌碑(1)東広島市安芸津町 祝詞山八幡神社「万葉陶壁説明案内板」―万葉集 巻十五 三五八〇

 これまでに訪れた遣新羅使人等の歌碑(プレートを含みます)を旧国歌大観番号順に追っていこう。

 

東広島市安芸津町 祝詞八幡神社「万葉陶壁説明案内板」:三五八〇歌■

東広島市安芸津町 祝詞八幡神社「万葉陶壁説明案内板」万葉歌碑(プレート)

●歌をみていこう。

 

◆君之由久 海邊乃夜杼尓 奇里多々婆 安我多知奈氣久 伊伎等之理麻勢

       (遣新羅使の妻 巻十五 三五八〇)

 

≪書き下し≫君が行く海辺(うみへ)の宿(やど)に霧(きり)立たば我(あ)が立ち嘆く息(いき)と知りませ

 

(訳)あなたが旅行く、海辺の宿に霧が立ちこめたなら、私が門に立ち出てはお慕いして嘆く息だと思って下さいね。(妻)(伊藤 博著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)息:嘆きは霧となるとされた。(伊藤脚注)

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感想(1件)

 三五八〇歌に対する夫の歌は三五八一歌である。こちらもみてみよう。

 

◆秋佐良婆 安比見牟毛能乎 奈尓之可母 奇里尓多都倍久 奈氣伎之麻佐牟

      (遣新羅使人等 巻十五 三五八一)

 

≪書き下し≫秋さらば相見(あひみ)むものを何しかも霧(きり)に立つべく嘆きしまさむ

 

(訳)秋になったら、かならず逢えるのだ、なのに、どうして霧となって立ちこめるほどになげかれるのか。(夫)(同上)

(注)秋さらば:遣新羅使歌群は「秋」は帰朝を前提、つまり「愛しい人」に逢えることを軸に詠われている。当時の遣新羅使は数か月で戻れるのが習いであった。この時の使者は夏四月早々奈良を発った。(伊藤脚注)

(注)す 他動詞:①行う。する。②する。▽ある状態におく。③みなす。扱う。する。 ⇒語法 「愛す」「対面す」「恋す」などのように、体言や体言に準ずる語の下に付いて、複合動詞を作る。(学研)

(注)ます:尊敬の助動詞

 

 万葉の時代の新羅への船旅、想像するだけでも厳しいハードルである。贈答歌の端々にその大変さを前にした心情がうかがえる。

 劇的な幕開けというべきであろう。

 

 

 

高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(69):三五八八歌■

高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園(69)万葉歌碑(遣新羅使人等)

●歌をみていこう。

 

◆多久夫須麻 新羅邊伊麻須 伎美我目乎 家布可安須可登 伊波比弖麻多牟

       (遣新羅使人等 巻十五 三五八七)

 

≪書き下し≫栲衾(たくぶすま)新羅(しらき)へいます君が目を今日(けふ)か明日(あす)かと斎(いは)ひて待たむ

 

(訳)栲衾(たくぶすま)の白というではないが、その新羅へはるばるおいでになるあなた、あなたにお目にかかれる日を、今日か明日かと忌み慎んでずっとお待ちしています。(同上)

(注)たくぶすま【栲衾】名詞:栲(こうぞ)の繊維で作った夜具。色は白い。

(注)たくぶすま【栲衾】分類枕詞:たくぶすまの色が白いところから、「しろ」「しら」の音を含む地名にかかる。(学研)

 

 

 新羅に遣わされた使人たちの歌一四五首の総題は、「遣新羅使人等悲別贈答及海路慟情陳思并當所誦之古歌」<遣新羅使人等(けんしらきしじんら)、別れを悲しびて贈答(ぞうたふ)し、また海路(かいろ)にして情(こころ)を慟(いた)みして思ひを陳(の)べ、幷(あは)せて所に当りて誦(うた)ふ古歌>である。

 

三五七八から三五八八歌は、左注にあるように贈答歌である。この歌群については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1307)」で紹介している。

➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

生駒市小瀬町 大瀬中学校正門近くの万葉歌碑:三五八九歌■

生駒市小瀬町 大瀬中学校正門近くの万葉歌碑(秦間満)<背後に生駒山が見える>

●歌をみていこう。

 

由布佐礼婆 比具良之伎奈久 伊故麻山 古延弖曽安我久流 伊毛我目乎保里

      (秦間満 巻十五 三五八九)

 

≪書き下し≫夕(ゆふ)さればひぐらし来(き)鳴(な)く生駒山(いこまやま)越えてぞ我(あ)が来る妹(いも)が目を欲(ほ)り

 

(訳)夕方になると、ひぐらしが来て鳴くものさびしい生駒山、生駒の山を越えて私は大和へと急いでいる。もう一目あの子に逢いたくて。(同上)

(注)めをほる【目を欲る】:連語 見たい、会いたい。(学研)

 

 

 左注は、「右一首秦間満」<右の一首は秦間満(はだのはしまろ)>である。

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その448)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 三五八九歌の歌碑は、奈良県生駒市俵口町生駒山山麓公園、東大阪市東豊浦町枚岡公園にもある。



 

生駒市高山町 高山竹林園万葉歌碑:三五九〇■

生駒市高山町 高山竹林園万葉歌碑(遣新羅使人等)

●歌をみていこう。

 

◆伊毛尓安波受 安良婆須敝奈美 伊波祢布牟 伊故麻乃山乎 故延弖曽安我久流

        (遣新羅使人等 巻十五 三五九〇)

 

≪書き下し≫妹(いも)に逢(あ)はずあらばすべなみ岩根(いわね)踏む生駒の山を越えてぞ我(あ)が來(く)る

 

(訳)あの子に逢わないでいるとどうにもやるせなくて、岩を踏みしめる生駒の山なのだが、その山をうち越えて私は大和へと急いでいる。(同上)

(注)すべ(を)なみ【術をなみ】:どうしようもなく

 

 左注は「右一首蹔還私家陳思」<右の一首は、しましく私家(しけ)に還(かへ)りて思ひを陳(の)ぶ。」

(注)しましく【暫しく】副詞:少しの間。 ※上代語。(学研)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その449)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 同歌の歌碑は、生駒市俵口町生駒山麓公園にもある。

生駒市俵口町生駒山麓公園万葉歌碑

 三五八九、三五九〇歌は、ともに難波出港待ちの余暇を盗んで生駒山を越えて奈良に帰り妻に逢っておこうとする実に切ない歌である。

 馬を使えたかどうかはわからないが、まして徒歩であればなおさら気がせく思いと妻に逢いたい、逢いたいという強い心が伝わってくる。

 

万葉集をどう読むか 歌の「発見」と漢字世界 (Liberal arts) [ 神野志隆光 ]

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 遣新羅使人等の歌群について、神野志隆光氏は、その著「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」(東京大学出版会)のなかで、「出発の際の非別の歌からはじまり、新羅への旅の途次の歌を並べ、最後には帰路の歌を載せるという構成です。目録には、『天平八年丙子夏六月』に遣わされた使いといいますが、本文には年次を記しません。特定の年次のものとして読むことはもとめないのです。この使いが新羅との緊張的な関係のなかで派遣され、新羅側が使いの旨を受けなかったというようなことを『続日本紀』から持ち込んで読むのでなく、現実の遣新羅使にかかわるものであることを受け取れば十分なのです。その現実を、構成された歌において読むということです・・・きわめて構成的であり、一四五首の歌の組み立ては、その所々、その時々における使人たちの思いを交錯させながら旅程を追う紀行というべきものになっています。・・・『実録風』というように、いまあるものを、実録のかたちにつくられたものとしてみるべきだと考えます。どういう資料があったか、だれがそれにかかわったかはわからないことです。・・・大事なのは、歌を構成することによって、紀行をあらしめているということです。」と書かれている。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」