万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その2130)―①-5 奈良県桜井市万葉歌碑(3)―多武峰街道・忍坂街道エリア

多武峰街道エリア

奈良県桜井市桜井 等彌神社万葉歌碑(巻八 一五六〇)■

奈良県桜井市桜井 等彌神社万葉歌碑(大伴坂上郎女

●歌をみてみよう。

 

◆妹目乎 始見之埼弐乃 秋芽子者 此月其呂波 落許須莫湯目

      (大伴坂上郎女 巻八 一五六〇)

 

≪書き下し≫妹が目を始見(はつみ)の崎の秋萩はこの月ごろは散りこすなゆめ

 

(訳)始見の崎に咲いている萩の花は、この月中ぐらいは散らないでおくれ、けっして。(伊藤 博 著「万葉集 二」角川ソフィア文庫より)

(注)妹が目を:「始目」の枕詞。(伊藤脚注)

(注)始見の崎:所在未詳(伊藤脚注)

(注)散りこすなゆめ:散らないでおくれ、けっして。コスは下手に出て希望する意の下二段活用補助動詞。ナは禁止の助詞。(伊藤脚注)

 

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 題詞は、「大伴坂上郎女跡見田庄作歌二首」≪大伴坂上郎女、跡見(とみ)の田庄(たどころ)にして作る歌二首>である。

 

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その102改)」で紹介している。

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■等彌神社境内鳥見山登山口西側万葉歌碑(巻八 一五四九)■

等彌神社境内鳥見山登山口西側万葉歌碑(紀鹿人)

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その101改)」で紹介している。

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桜井市立図書館万葉歌碑(巻六 九九〇)■

桜井市立図書館万葉歌碑(紀鹿人) 20190517撮影

 桜井市立図書館は等彌神社の道を隔てた正面にある。

 

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その104改)」で紹介している。

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 図書館の屋根と三輪山二上山のようにみえる。

 

図書館の屋根と三輪山 20190517撮影

 

 

奈良県桜井市上之宮春日神社境内万葉歌碑(巻三 四一五)■

奈良県桜井市上之宮春日神社境内万葉歌碑(聖徳太子

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「上宮聖徳皇子出遊竹原井之時見龍田山死人悲傷御作歌一首  小墾田宮御宇天皇代墾田宮御宇者 豊御食炊屋姫天皇也諱額田謚推古」<上宮聖徳皇子(かみつみやのしやうとこのみこ)、竹原の井(たかはらのゐ)に出遊(いでま)す時に、竜田山(たつたやま)の死人を見て悲傷(かな)しびて作らす歌一首  小墾田の宮に天の下知らしめすは豊御食炊屋姫天皇なり。諱は額田、謚は推古>である。

(注)竹原の井:大阪府柏原市高井田。(伊藤脚注)

(注)小墾田(をはりだ):奈良県高市郡飛鳥(あすか)地方のこと。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)豊御食炊屋姫尊(とよみけかしきやひめのみこと):推古天皇(コトバンク 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus)

(注)推古天皇(554~628) 記紀で第三三代天皇(在位592~628)の漢風諡号しごう。名は額田部(ぬかたべ)。豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)とも。欽明天皇第三皇女。敏達天皇の皇后。崇峻天皇蘇我馬子に殺されると、推されて即位。聖徳太子を皇太子・摂政として政治を行い、飛鳥文化を現出。(コトバンク 大辞林第三版)

 

◆家有者 妹之手将纏 草枕 客尓臥有 此旅人 ▼怜

        (聖徳太子 巻三 四一五)

   ▼は、「忄+可」。→「▼怜」=「あはれ」

 

≪書き下し≫家ならば妹(いも)が手まかむ草枕旅に臥(こ)やせるこの旅人(たびと)あはれ   

 

(訳)家にいたなら、いとしい妻の腕(かいな)を枕にしているであろうに、草を枕に旅先で一人倒れ臥しておられるこの旅のお方は、ああいたわしい。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句は下三句に対する。(伊藤脚注)

(注)「臥やす」は「臥ゆ」の敬語。死者への敬意を示す。(伊藤脚注)



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 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その114改)」で紹介している。

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奈良県桜井市聖林寺山門にのぼる入口万葉歌碑(巻三 二八九)■

聖林寺山門にのぼる石段入口足許の万葉歌碑(間人大浦) 20190528撮影

奈良県桜井市聖林寺山門にのぼる入口万葉歌碑(間人大浦)20190528撮影

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その108改)」で紹介している。

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多武峰談山神社神廟拝所前万葉歌碑(巻二 九五)■

多武峰談山神社神廟拝所前万葉歌碑(藤原鎌足) 20190531撮影

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「内大臣藤原卿娶采女安見兒時作歌一首」<内大臣藤原卿、采女安見児を娶る時に作る歌一首>

(注)うねめ【采女】名詞:古代以来、天皇のそば近く仕えて食事の世話などの雑事に携わった、後宮(こうきゆう)の女官。諸国の郡(こおり)の次官以上の娘のうちから、容姿の美しい者が選ばれた。(学研)

 

◆吾者毛也 安見兒得有 皆人乃 得難尓為云 安見兒衣多利

         (藤原鎌足 巻二 九五)

 

≪書き下し≫我れはもや安見児得たり皆人(みなひと)の得かてにすといふ安見児得たり

 

(訳)おれはまあ安見児を得たぞ。お前さんたちがとうてい手に入れがたいと言っている、この安見児をおれは我がものとしたぞ。(伊藤 博 著 「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)

(注)かてに 分類連語:…できなくて。…しかねて。 ⇒なりたち:可能等の意の補助動詞「かつ」の未然形+打消の助動詞「ず」の上代の連用形(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

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十三重の塔

 

この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その112改)」で紹介している。

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忍坂街道エリア

舒明天皇陵近くのせせらぎの側万葉歌碑(巻二 九二)■

舒明天皇陵近くのせせらぎの側万葉歌碑(鏡王女) 20190531撮影

 

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その109改)」で紹介している。

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 「鏡王女」の出自に関しては、奈良県HP「はじめての万葉集 vol.83」に、次のように書かれている。(鏡王女の四八九歌についての解説である。< >は、補足追記させていただきました>

鏡王女は額田王と同じく天智天皇後宮に仕え、後に藤原鎌足(ふじわらのかまたり)の正妻となった人物で、『万葉集』巻二の「相聞」の部には彼女が天智天皇(九二番歌)、藤原鎌足(九三番歌)ととり交わした歌が収められています。額田王の歌<四八八歌>とこの歌<四八九歌>は共に秋の風を詠んだ名歌として知られたようで、巻八の「秋の相聞」の部にもこの両歌が重出します(一六〇六・一六〇七番歌)。

 鏡王女の出自については、この歌などを根拠に額田王の姉妹とみる説が古くからありますが、確実とは言えません。鏡王女は他の史料では「鏡姫王」「鏡女王」とも記され、天皇の血を引く女性です。天皇や皇族の陵墓を列挙する『延喜式(えんぎしき)』(諸陵寮式(しょりょうりょうしき))には、舒明(じょめい)天皇の山陵である押坂(おしさか)陵の域内に鏡女王の押坂墓が所在すると書かれており、鏡女王は舒明天皇の近縁者と考えられます。最近、奈良大学の吉川敏子教授は「鏡女王考」という論文を発表され(『続日本紀研究』四一八号、二〇一九年)、鏡女王は天智・天武両天皇の異母兄にあたる古人大兄皇子(ふるひとのおおえのみこ)の子であるとする説を唱えられました。古人大兄皇子は舒明天皇蘇我氏の女性との間の子で、中大兄皇子(なかのおおえのみこ)(後の天智天皇)とは皇位継承をめぐって競合関係にあり、六四五年に謀反の疑いにより中大兄によって誅殺(ちゅうさつ)されました。中大兄は同じく古人大兄の子である倭姫王(やまとのおおきみ)もキサキとしており、古人大兄の女子が中大兄への恨みを抱いたまま他の王族と結婚するのを避けるため、中大兄とこの姉妹の婚姻が成立したと吉川教授は述べられています。六八三年に鏡女王が病に臥(ふ)した際、天武天皇は彼女の家まで自ら見舞いのために出向いており、舒明天皇の孫として最期まで丁重に遇されていたことがわかります。

(注)四八八、四八九歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その239改)」で紹介している。

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奈良県桜井市粟原寺(おおばらでら)跡万葉歌碑(巻二 一一一、一一二)

奈良県桜井市粟原寺(おおばらでら)跡万葉歌碑(弓削皇子額田王)20190531撮影

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その110改)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「コトバンク 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus」

★「コトバンク 大辞林第三版」

★「はじめての万葉集 vol.83」 (奈良県HP)