橿原市の万葉歌碑については、(1)大和三山と万葉の森、(2)橿原市北部、(3)同南部の構成でみていこう。
橿原市の万葉歌碑巡りにあたっては、橿原市観光政策課・橿原市観光協会発行のパンフレット「橿原の万葉歌碑めぐり」が役に立ちます。
<大和三山:香久山>
●歌をみてみよう。
標題は、「高市岡本宮御宇天皇代 息長足日廣額天皇」<高市(たけち)の岡本(をかもと)の宮に天の下知らしめす天皇の代 息長足日広額(おきながたらしひひろぬか)の天皇(すめらみこと)>である。
題詞は、「天皇登香具山望國之時御製歌」<天皇(すめらみこと)、登香具山(かぐやま)に登りて国を望(み)たまふ時の御製歌>である。
◆山常庭 村山有等 取與呂布 天乃香具山 騰立 國見乎為者 國原波 煙立龍 海原波 加萬目立多都 怜A國曽 蜻嶋 八間跡能國者
(舒明天皇 巻一 二)
≪書き下し≫大和(やまと)には 群山(むらやま)あれど とりよろふ 天(あめ)の香具山 登り立ち 国見(くにみ)をすれば 国原くにはら)は 煙(けぶり)立ち立つ 海原(うなはら)は 鷗(かまめ)立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島(あきづしま) 大和の国は
(訳)大和には群がる山々があるけれども、中でも精霊のとりわけ神々しくよりつく天の香具山、この山の頂きに出で立って国見をすると。国原にはけむりが盛んに立ち上っている。海原にはかもめが盛んに飛び立っている。ああよい国だ。蜻蛉(あきず)島大和の国は。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)とりよろふ 自動詞:天(あま)の香具山(かぐやま)をほめていう語。 ※用例が引用した歌の一例しかなく、語義未詳の語。上代語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注の注)とりよろふ:精霊の神々しくよりつく意か。(伊藤脚注)
(注)海原は 鷗立ち立つ海原:池を海に、池辺の水鳥を鷗に見立てたもの。(伊藤脚注)
(注)うまし【甘し・旨し・美し】(シク活用):すばらしい。立派だ。よい。 ⇒参考:中古以降ク活用が一般的になった。上代には、シク活用は、用例(うまし国)のように、語幹(終止形と同形)が体言を修飾した。(学研)
(注)あきづしま【秋津島・蜻蛉島】分類枕詞:「やまと(大和・日本)」にかかる。「あきづしま大和」(学研)
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この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1784)」で紹介している。
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■橿原市大谷町 畝火山口神社万葉歌碑(巻七 一三三五)■
●歌をみていこう。
◆思賸 痛文為便無 玉手次 雲飛山仁 吾印結
(作者未詳 巻七 一三三五)
≪書き下し≫思ひあまりいたもすべなみ玉たすき畝傍(うねび)の山に我(わ)れ標結(しめゆ)ひつ
(訳)思い余ったあげく、何とも致し方がなくて、私は、神聖な畝傍の山に占有の標縄(しめなわ)を張ってしまった。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)おもひあまる【思ひ余る】:思案に余る。恋しさに堪え切れなくなる。(学研)
(注)たまだすき【玉襷】:分類枕詞 たすきは掛けるものであることから「掛く」に、また、「頸(うな)ぐ(=首に掛ける)」ものであることから、「うなぐ」に似た音を含む地名「畝火(うねび)」にかかる。(学研)
(注)畝傍の山:女山の神山。人妻の譬えか。(伊藤脚注)
(注)標結う:我が物としたことの譬え。(伊藤脚注)
(注の注)標結う:占有を示す標識として、縄などをむすんで巡らす。また、草などをむすんで目印をつける。(コトバンク デジタル大辞泉)
この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その133改)」で紹介している。
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●歌をみていこう。
◆無耳之 池羊蹄恨之 吾妹兒之 来乍潜者 水波将涸 一
(作者未詳 巻十六 三七八八)
≪書き下し≫耳成(みみなし)の池し恨めし我妹子(わぎもこ)が来つつ潜(かづ)かば水は涸れなむ
(訳)耳成の池はほんとうに恨めしい。いとしいあの子がここを行きつ戻りつして身を沈めるというのなら、水なんてすぐ干上がってしまうべきなのに。(伊藤 博 著 「万葉集 三」角川ソフィア文庫より)
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この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その116改)」で紹介している。
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<万葉の森>
万葉の森には、9基の歌碑がある。9基すべてみてみよう。
■奈良県橿原市南浦町橿原万葉の森(1)万葉歌碑(巻二 一八五)■
この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その121改)」で紹介している。
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■奈良県橿原市南浦町橿原万葉の森(2)万葉歌碑(巻二 二三一)■
この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その122改)」で紹介している。
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■奈良県橿原市南浦町橿原万葉の森(3)万葉歌碑(巻十八 四一〇九)■
この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その123改)」で紹介している。
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■奈良県橿原市南浦町橿原万葉の森(4)万葉歌碑(巻五 八二二)■
この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その124-1改)」で紹介している。
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■奈良県橿原市南浦町橿原万葉の森(5)万葉歌碑(巻六 九二五)■
この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その125改)」で紹介している。
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■奈良県橿原市南浦町橿原万葉の森(6)万葉歌碑(巻十 一九四二)■
この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その126改)」で紹介している。
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■奈良県橿原市南浦町橿原万葉の森(7)万葉歌碑(巻五 七九八)■
この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その127の1改)」で紹介している。
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■奈良県橿原市南浦町橿原万葉の森(8)万葉歌碑(巻七 一一一八)■
この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その128改)」で紹介している。
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■奈良県橿原市南浦町橿原万葉の森(9)万葉歌碑(巻十九 四一四〇)■
この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その129改)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「橿原の万葉歌碑めぐり」 (橿原市観光政策課・橿原市観光協会発行)