万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その2145)―京都府(2)宇治市―

宇治市伊勢田町 砂田第一公園万葉歌碑(巻九 一六九六)■

宇治市伊勢田町 砂田第一公園万葉歌碑(作者未詳 新碑) 20200527撮影

 この歌碑の隣には旧碑が立てられている。

砂田第一公園万葉歌碑(作者未詳 旧碑) 20200527撮影

●歌をみていこう。

 

◆衣手乃 名木之川邊乎 春雨 吾立沾等 家念良武可

       (作者未詳 巻九 一六九六)

 

≪書き下し≫衣手(ころもで)の名木(なき)の川辺(かはへ)を春雨(はるさめ)に我(わ)れ立ち濡(ぬ)ると家思ふらむか

 

(訳)肌着が泣きの涙で濡れるという名木の川の辺、この川の辺で私が春雨に濡れてしょんぼり立っていると、家の人は思っていてくれるだろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫

(注)ころもでの【衣手の】枕:① 「別る」にかかる。たもとを分かって離れる意からか。一説に、袖が左右に分かれているところからとも。② 袖が風にひるがえる意から、「返(かえ)る」と同音の「帰る」にかかる。③ 「手(た)」の縁で、「手(た)」と同音を語頭に持つ地名「田上(たなかみ)山」および「高屋(たかや)」にかかる。「田上山」にかかる例は、「手上(たがみ)」の縁によるとする説もある。④ 地名「名木(なき)の川」「真若(まわか)の浦」にかかる。かかり方未詳。⑤ 地名「飛騨(ひだ)」にかかる。上代の「常陸(ひたち)」にかかる枕詞「ころもで」を転用したもの。[補注]①は、枕詞としない説もある。④の「真若の浦」にかかる例は、「別る」から「若(わか)」にかかるとする説もある。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)ここでは➃

 伊藤 博氏は、脚注で「衣が泣きの涙で濡れる意か。」と記されている。

(注)名木川:宇治市南部を流れていた川

 

 題詞は、「名木川作歌三首」<名木川(なきがは)にして作る歌三首>である。

 

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 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その554)」で紹介している。

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京都府宇治市上権現町 下居神社万葉歌碑(巻一 七)■

京都府宇治市上権現町 下居神社万葉歌碑(額田王) 20190905撮影

●歌をみてみよう。

 

◆金野乃 美草苅葺 屋杼礼里之 兎道乃宮子能 借五百磯所念

         (額田王 巻一 七)

 

≪書き下し≫秋の野のみ草(くさ)刈り葺(ふ)き宿れりし宇治(うぢ)の宮処(みやこ)の仮廬(かりいほ)し思(おも)ほゆ

 

(訳)秋の野のみ草を刈り取って屋根を葺き、旅宿りをした宇治の宮、あの宮どころの、仮の廬(いおり)が思われる。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

 標題は、「明日香川原宮御宇天皇代 天豊財重日足姫天皇」<明日香(あすか)の川原(かはら)の宮(みや)に天の下(あめのした)知らしめす天皇(すめらみこと)の代 天豊財重日足姫天皇(あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと)>である。

 

 題詞は、「額田王歌 未詳」<額田王(ぬかたのおほきみ)が歌 いまだ詳らかにあらず>である。

 

 左注は、「右撿山上憶良大夫類聚歌林曰 一書戊申年幸比良宮大御歌 但紀曰 五年春正月己卯朔辛巳天皇至自紀温湯 三月戊寅朔天皇幸吉野宮而肆宴焉 庚辰日天皇幸近江之平浦」<右は、山上憶良大夫(やまのうへのおくらのまへつきみ)が類聚歌林(るいじうかりん)に検(ただ)すに、曰(い)はく、「一書には、戊申(つちのえさる)の年に比良(ひら)の宮(みや)に幸(いでま)すときの大御歌(おほみうた)」といふ。ただし、紀には「五年の春正月の己卯(つちのとう)の朔(つきたち)の辛巳(かのとみ)に、天皇紀伊の温湯(きのゆ)より至ります。三月の戊寅(つちのえとら)の朔(つきたち)に、天皇吉野の宮に幸(いでま)して肆宴(とよのあかり)したまう。庚辰(かのえたつ)の日に、天皇近江(あふみ)の比良(ひら)の浦に幸(いでま)す>である。

(注)戊申の年:孝徳朝大化四年(648年)。(伊藤脚注)

(注)比良の宮:滋賀県比良山の東麓にあった離宮。(伊藤脚注)

(注)大御歌:皇極上皇の御歌。額田王が代作したのでこの伝えがある。(伊藤脚注)

(注)五年:斉明五年(659年)正月三日。(伊藤脚注)

(注)紀伊の温湯:和歌山県白浜の湯崎温泉。(伊藤脚注)

(注)吉野の宮:奈良県吉野の宮滝にあった離宮。(伊藤脚注)

(注)庚辰の日:三月三日。(伊藤脚注)

 

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 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その227改)」で紹介している。

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京都府宇治市宇治 宇治川朝霧橋東詰万葉歌碑(巻七 一一三五)■

京都府宇治市宇治 宇治川朝霧橋東詰万葉歌碑(作者未詳) 20190905撮影

●歌をみていこう。

 

◆氏河齒 与杼湍無之 阿自呂人 舟召音 越乞所聞

       (作者未詳 巻七 一一三五)

 

≪書き下し≫宇治川(うぢがは)は淀瀬(よどせ)なからし網代人(あじろひと)舟呼ばふ声をちこち聞こゆ

 

(訳)ここ宇治川には歩いて渡れるような緩やかな川瀬などないらしい。網代人が岸に向かって舟を呼び合う声があちこちから聞こえる。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)あじろひと 【網代人】名詞:夜、「あじろ」で漁をする人。

 

 題詞は、「山背作」<山背作(やましろさく)>である。一一三五~一一三九歌まで五首が収録されている。 

 

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 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その228)」で紹介している。

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京都府宇治市宇治 宇治公園(橘島)万葉歌碑(巻三 二六四)■

京都府宇治市宇治 宇治公園(橘島)万葉歌碑(柿本人麻呂) 20190905撮影

●歌をみていこう。

 

◆物乃部能 八十氏河乃 阿白木尓 不知代経浪乃 去邊白不母

      (柿本人麻呂 巻三 二六四)

 

≪書き下し≫もののふの八十(やそ)宇治川(うぢがわ)の網代木(あじろき)にいさよふ波のゆくへ知らずも             

 

(訳)もののふの八十氏(うじ)というではないが、宇治川網代木に、しばしとどこおりいさよう波、この波のゆくえのいずかたとも知られぬことよ。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 (角川ソフィア文庫より)

(注)もののふの【武士の】分類枕詞:「もののふ」の「氏(うぢ)」の数が多いところから「八十(やそ)」「五十(い)」にかかり、それと同音を含む「矢」「岩(石)瀬」などにかかる。また、「氏(うぢ)」「宇治(うぢ)」にもかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)あじろ【網代】名詞:①漁具の一つ。川の流れの中に杭(くい)を立て並べ、竹・木などを細かく編んで魚を通れなくし、その端に、水面に簀(す)を置いて魚がかかるようにしたもの。宇治川などで、冬期、氷魚(ひお)(=鮎(あゆ)の稚魚)を取るのに用いたのが有名。[季語] 冬。◇和歌で「宇治」「寄る」の縁語として用いることが多い。

②檜皮(ひわだ)・竹・葦(あし)などを薄く削って斜めに編んだもの。垣根・屛風(びようぶ)・天井・車の屋形・笠(かさ)などに用いる。

③「あじろぐるま」に同じ。(学研)ここでは①の意

(注)いさよふ【猶予ふ】ためらう。たゆたう。停滞する。(学研)

 

 題詞は、「柿本朝臣人麻呂従近江國上来時至宇治河邊作歌一首」<柿本朝臣人麻呂、近江の国より上り来る時に、宇治の川辺に至りて作る歌一首>である。

 

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 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その229)」で紹介している。

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 近江荒都の廃墟を見た驚きと深い物思いで、波の行方を見つめている歌である。(中西 進 著 「万葉の心」 毎日新聞社

 人麻呂が近江(おうみ)の国(滋賀県)から上京する際の歌。世の中の無常を詠んだ歌とする説もある(学研)

 一般的にはこのような解釈であるが、梅原 猛氏は、その著「水底の歌 柿本人麿論 下」(新潮文庫)の中で、「万葉集の歌を一首ずつ切り離して観賞するくせがついているが、私は、こういう観賞法は根本的にまちがっていると思う。」として、巻三 二六三から二六七歌を挙げられ、「私は、この一連の歌は、けっして単独に理解されるべきものではなく、全体として理解されることによって、一連の歴史的事件と、その事件の中なる人間のあり方を歌ったものである―その意味で、万葉集はすでに一種の歌物語である―と思う・・・」と書かれている。そして、人麿が、近江以後、「彼は四国の狭岑島(さみねのしま)、そして最後には石見の鴨島(かもしま)へ流される。流罪は、中流から遠流へ、そして最後には死へと、だんだん重くなり、高津(たかつ)の沖合で、彼は海の藻くずと消える。」と書かれている。人麻呂は、最初、近江に流されたのであり、その途上の歌という考えをとっておられる。

 万葉集のある意味の特異性が垣間見られるのである。

 

 梅原 猛氏の考えについては、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1981)」で触れている。

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京都府宇治市宇治 さわらびの道、仏徳山への登坂路分岐点万葉歌碑(巻十三 三二三六)■

京都府宇治市宇治 さわらびの道、仏徳山への登坂路分岐点万葉歌碑(作者未詳)
 20191004撮影

 

●歌をみていこう。

 

◆空見津 倭國 青丹吉 常山越而 山代之 管木之原 血速舊 于遅乃渡 瀧屋之 阿後尼之原尾 千歳尓 闕事無 万歳尓 有通将得 山科之 石田之社之 須馬神尓 奴左取向而 吾者越徃 相坂山遠

       (作者未詳 巻十三 三二三六)

 

≪書き下し≫そらみつ 大和(やまと)の国 あをによし 奈良山(ならやま)越えて 山背(やましろ)の 管木(つつき)の原 ちはやぶる 宇治の渡り 滝(たき)つ屋の 阿後尼(あごね)の原を 千年(ちとせ)に 欠くることなく 万代(よろづよ)に あり通(かよ)はむと 山科(やましな)の 石田(いはた)の杜(もり)の すめ神(かみ)に 幣(ぬさ)取り向けて 我(わ)れは越え行く 逢坂山(あふさかやま)を

 

(訳)そらみつ大和の国、その大和の奈良山を越えて、山背の管木(つつき)の原、宇治の渡し場、岡屋(おかのや)の阿後尼(あごね)の原と続く道を、千年ののちまでも一日とて欠けることなく、万年にわたって通い続けたいと、山科の石田の杜の神に幣帛(ぬさ)を手向けては、私は越えて行く。逢坂山を。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)そらみつ:[枕]「大和(やまと)」にかかる。語義・かかり方未詳。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)奈良山:奈良県北部、奈良盆地の北方、奈良市京都府木津川(きづがわ)市との境界を東西に走る低山性丘陵。平城山、那羅山などとも書き、『万葉集』など古歌によく詠まれている。古墳も多い。現在、東半の奈良市街地北側の丘陵を佐保丘陵、西半の平城(へいじょう)京跡北側の丘陵を佐紀丘陵とよぶ。古代、京都との間に東の奈良坂越え、西の歌姫越えがあり、いまは国道24号、関西本線近畿日本鉄道京都線などが通じる。奈良ドリームランド(1961年開園、2006年閉園)建設後は宅地開発が進み、都市基盤整備公団(現、都市再生機構)によって平城・相楽ニュータウンが造成された。(コトバンク 小学館 日本大百科全書<ニッポニカ>)

(注)管木之原(つつきのはら):今の京都府綴喜郡(伊藤脚注)

(注)岡谷:宇治市宇治川東岸の地名(伊藤脚注)

(注)石田の杜:「京都市伏見区石田森西町に鎮座する天穂日命神社(あめのほひのみことじんじゃ・旧田中神社・石田神社)の森で,和歌の名所として『万葉集』などにその名がみられます。(中略)現在は“いしだ”と言われるこの地域ですが,古代は“いわた”と呼ばれ,大和と近江を結ぶ街道が通り,道中旅の無事を祈って神前にお供え物を奉納する場所でした。」(レファレンス協同データベース)

 

(注)あふさかやま【逢坂山】:大津市京都市との境にある山。標高325メートル。古来、交通の要地。下を東海道本線のトンネルが通る。関山。(コトバンク 小学館デジタル大辞泉

(注)すめ神:その土地を支配する神(伊藤脚注)

 

 

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京都府宇治市宇治 仏徳山山頂展望台万葉歌碑(巻九 一七九五)■

京都府宇治市宇治 仏徳山山頂展望台万葉歌碑(作者未詳) 20191004撮影

●歌をみていこう。

 

◆妹等許 今木乃嶺 茂立 嬬待木者 古人見▼牟

         (柿本人麻呂歌集 巻九 一七九五)

           (注)▼「示+(おおざと)」=「け」

 

≪書き下し≫妹らがり今木(いまき)の嶺(みね)に茂り立つ夫松(つままつ)の木は古人(ふるひと)見けむ

 

(訳)いとしい子の家に今来た、という今木の峰に枝葉を茂らせてそそり立つ松、夫の訪れを待つように今も立っている松の木は、いにしえの人もきっと見たことであろう。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)いもがり 【妹許】名詞:愛する妻や女性のいる所。※「がり」は居所および居る方向を表す接尾語。

 

  題詞は、「宇治若郎子宮所歌一首」<宇治若郎子(うぢのわきいらつこ)の宮所(みやところ)の歌一首>である。

(注)うじのわきいらつこ:4世紀頃の皇子。父は応神天皇仁徳天皇の弟にあたる。幼少の頃から書物に親しみ,百済阿直岐王仁などを師に迎え,典籍に通じた。応神天皇に非常に愛され,その 40年に兄大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)が,天皇の問いに答えて「いまだ成人せぬ少子は最もかなし」と薦めたことにより,兄をおいて皇太子となった。翌年父天皇崩御により即位することとなったが,彼はひたすらに兄の大鷦鷯尊(仁徳天皇)を推し,このため空位 3年に及んだ。皇子は苦悩の末に自殺して,仁徳天皇の即位を促したとされる。その墓所は菟道宮,宇治墓といい,京都府宇治市丸山にある(→宇治上神社)。(コトバンク ブリタニカ国際大百科事典)

 

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「水底の歌 柿本人麿論 下」 梅原 猛 著 (新潮文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「コトバンク 小学館 日本大百科全書<ニッポニカ>」

★「コトバンク 小学館デジタル大辞泉

★「コトバンク ブリタニカ国際大百科事典」

★「レファレンス協同データベース」