万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その2148)―(1)大津市・草津市・湖南市(その1)―

 滋賀県は、(1)大津市草津市湖南市、(2)東近江市蒲生郡彦根市、(3)米原市長浜市、(4)高島市の4つのエリアに分け、(1)から(3)エリアはそれぞれ2回に分けて紹介してまいります。

 

 

滋賀県大津市 大津市役所 正面横時計台下万葉歌碑(巻一 三一)■

滋賀県大津市 大津市役所 正面横時計台下万葉歌碑(柿本人麻呂) 
20191009撮影

●歌をみていこう。

 

◆左散難弥乃 志我能<一云比良乃> 大和太 與杼六友 昔人二 亦母相目八毛<一云将會跡母戸八>

      (柿本人麻呂 巻一 三一)

 

≪書き下し≫楽浪(ささなみ)の志賀(しが)の<一には「比良の」といふ>大わだ淀むとも昔(むかし)の人にまたも逢はめやも<一には「逢はむと思へや」といふ>

 

(訳)楽浪(ささなみ)の志賀(しが)の<比良の>大わだよ、お前がどんなに淀(よど)んだとしても、ここで昔の人に、再びめぐり逢(あ)うことができようか、できはしない。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

 題詞は、「過近江荒都時柿本朝臣人麻呂作歌」<近江(あふみ)の荒れたる都を過ぐる時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌>である。

 

 二九歌(長歌)と反歌二首(三〇歌、三一歌)の歌群である。

 

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感想(1件)

 この歌および長歌ともう一首の反歌、ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その233)」で紹介している。

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大津市皇子が丘 JR大津京駅前万葉歌碑(巻一 二〇、二一)■

大津市皇子が丘 JR大津京駅前万葉歌碑(額田王大海人皇子) 20191009撮影

額田王の歌をみていこう。

 

題詞は、「天皇遊獦蒲生野時額田王作歌」<天皇(すめらみこと)、蒲生野(かまふの)の遊狩(みかり)したまふ時に、額田王が作る歌>である。

(注)天皇天智天皇

(注)蒲生野:琵琶湖東南、蒲生郡安土町付近の野。(伊藤脚注)

(注)みかり【遊獦】:天皇が狩りをされた、すなわち、薬猟り(くすりがり)をされたこと。薬猟りとは、不老長寿の薬にするために、男は鹿の袋角(出始めの角)を、女は薬草をとる、という行事をいう。

 

◆茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流

      (額田王 巻一 二〇)

 

≪書き下し≫あかねさす紫野行き標野(しめの)行き野守(のもり)は見ずや君が袖振る

 

 

(訳)茜(あかね)色のさし出る紫、その紫草の生い茂る野、かかわりなき人の立ち入りを禁じて標(しめ)を張った野を行き来して、あれそんなことをなさって、野の番人が見るではございませんか。あなたはそんなに袖(そで)をお振りになったりして。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)あかねさす【茜さす】分類枕詞:赤い色がさして、美しく照り輝くことから「日」「昼」「紫」「君」などにかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)むらさき 【紫】①草の名。むらさき草。根から赤紫色の染料をとる。②染め色の一つ。①の根で染めた色。赤紫色。古代紫。古くから尊ばれた色で、律令制では三位以上の衣服の色とされた。(学研)

(注)むらさきの 【紫野】:「むらさき」を栽培している園。(伊藤脚注)

(注)しめ【標】:神や人の領有区域であることを示して、立ち入りを禁ずる標識。また、道しるべの標識。縄を張ったり、木を立てたり、草を結んだりする。(学研)

(注)野守:天智天皇を寓したもの。額田王が天智妻であることを匂わせる。(伊藤脚注)

(注の注)のもり【野守】名詞:立ち入りが禁止されている野の番人。(学研)

 

●続いて、大海人皇子の歌をみてみよう。

 

歌は、「紫草のにほえる妹を憎くあらば人妻故に我れ恋ひめやも」である。

 

◆紫草能 尓保敝類妹乎 尓苦久有者 人嬬故尓 吾戀目八方

       (大海人皇子 巻一 二一)

 

≪書き下し≫紫草(むらさき)のにほへる妹(いも)を憎(にく)くあらば人妻(ひとづま)故(ゆゑ)に我(あ)れ恋(こ)ひめやも

 

(訳)紫草のように色美しくあでやかな妹(いも)よ、そなたが気に入らないのであったら、人妻と知りながら、私としてからがどうしてそなたに恋いこがれたりしようか。(伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)にほふ【匂ふ】自動詞:①美しく咲いている。美しく映える。②美しく染まる。(草木などの色に)染まる。③快く香る。香が漂う。④美しさがあふれている。美しさが輝いている。⑤恩を受ける。おかげをこうむる。(学研)ここでは④の意

(注)めやも 分類連語:…だろうか、いや…ではないなあ。 ⇒なりたち:推量の助動詞「む」の已然形+反語の係助詞「や」+終助詞「も」(学研)

 

  左注は、「紀日 天皇七年丁卯夏五月五日縦獦於蒲生野于時大皇弟諸王内臣及群臣皆悉従焉」<紀には「天皇の七年丁卯(ひのとう)の夏の五月の五日に、蒲生野(かまふの)に縦猟(みかり)す。時に大皇弟(ひつぎのみこ)・諸王(おほきみたち)、内臣(うちのまへつきみ)また群臣(まへつきみたち)、皆悉(ことごと)に従(おほみとも)なり」といふ>である。

(注)七年:天智七年(668年)

(注)大皇弟(ひつぎのみこ):皇太弟で、大海人皇子。(伊藤脚注)

(注)内臣(うちのまへつきみ):ここは藤原鎌足。(伊藤脚注)

 

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その234)」で紹介している。

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大津市神宮町 近江神宮前近江時計眼鏡宝飾専門学校入口万葉歌碑(巻一 三三)■

大津市神宮町 近江神宮前近江時計眼鏡宝飾専門学校入口万葉歌碑(柿本人麻呂) 
20191009撮影

●歌をみていこう。

 

◆淡海乃海 夕浪千鳥 汝鳴者 情毛思努尓 古所念

         (柿本人麻呂    巻三 二六六)

 

≪書き下し≫近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ

 

(訳)近江の海、この海の夕波千鳥よ、お前がそんなに鳴くと、心も撓(たわ)み萎(な)えて、いにしえのことが偲ばれてならぬ。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)ゆふなみちどり【夕波千鳥】名詞:夕方に打ち寄せる波の上を群れ飛ぶちどり。(学研)

(注)しのに 副詞:①しっとりとなびいて。しおれて。②しんみりと。しみじみと。③しげく。しきりに。(学研)ここでは②の意

(注)いにしへ:ここでは、天智天皇の近江京の昔のこと

 

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感想(1件)

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その236)」で紹介している。

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大津市神宮町 近江神宮万葉歌碑(巻一 三三)■

大津市神宮町 近江神宮万葉歌碑(高市古人)

●歌をみていこう。

 

題詞は、「高市古人感傷近江國舊堵作歌 或書云高市連黒人」<高市古人(たけちのふるひと)、近江の旧(ふる)き都(みやこ)を感傷(かな)しびて作る歌 或書には「高市連黒人」といふ>である。

(注)高市古人:「高市黒人」の誤伝。(伊藤脚注)

 

◆樂浪乃 國都美神乃 浦佐備而 荒有京 見者悲毛

       (高市古人 巻一 三三)

 

≪書き下し≫楽浪(ささなみ)の国つ御神(みかみ)のうらさびて荒れたる都見れば悲しも

 

(訳)楽浪の地を支配したまう国つ神の、御魂(みたま)も衰えすさんで、荒れ廃れている都、この都を見ると、悲しくてならぬ。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)ささなみの【細波の・楽浪の】分類枕詞:①琵琶(びわ)湖南西沿岸一帯を楽浪(ささなみ)といったことから、地名「大津」「志賀(しが)」「長等(ながら)」「比良(ひら)」などにかかる。②波は寄るところから「寄る」や同音の「夜」にかかる。「ささなみの寄り来る」 ⇒参考:『万葉集』には、①と同様の「ささなみの大津」「ささなみの志賀」「ささなみの比良」などの形が見えるが、これらは地名の限定に用いたものであって、枕詞(まくらことば)にはまだ固定していなかったともいわれる。「さざなみの」とも。(学研)

(注)国つ神:天孫降臨以前からこの国土を治めていた土着の神。地神。(コトバンク 小学館デジタル大辞泉

 

 

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その235)」で紹介している。

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大津市錦織 大津京シンボル緑地万葉歌碑(巻三 二六六)■

大津市錦織 大津京シンボル緑地万葉歌碑(柿本人麻呂

 歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その238)」で紹介している。

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 大津京シンボル緑地には、藤原鎌足(巻二 九五歌)と額田王(巻四 四八八歌)の歌碑も立てられている。

 

 


滋賀県大津市錦織2丁目 近江大津京錦織遺跡万葉歌碑(巻一 二九)■

滋賀県大津市錦織2丁目 近江大津京錦織遺跡万葉歌碑(柿本人麻呂

●歌をみていこう。

 

題詞は、「過近江荒都時柿本朝臣人麻呂作歌」<近江(あふみ)の荒れたる都(みやこ)を過ぐる時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌>である。

(注)近江の荒れたる都:天智天皇近江大津の宮の廃墟。(伊藤脚注)

(注)都を過ぐる時:立ち寄って通り過ぎる時に宮跡を見て、の意。(伊藤脚注)

 

◆玉手次 畝火之山乃 橿原乃 日知之御世従<或云自宮> 阿礼座師 神之盡樛木乃 弥継嗣尓 天下 所知食之乎<或云食来> 天尓満 倭乎置而 青丹吉 平山乎越<或云虚見倭乎置青丹吉平山越而> 何方 御念食可<或云所念計米可> 天離 夷者雖有 石走 淡海國乃 樂浪乃 大津宮尓 天下 所知食兼 天皇之 神之御言能 大宮者 此間等雖聞 大殿者 此間等雖云 春草之 茂生有 霞立 春日之霧流<或云霞立春日香霧流夏草香繁成奴留> 百磯城之 大宮處 見者悲毛<或云見者左夫思母>

       (柿本人麻呂 巻一 二九)

 

≪書き下し≫玉たすき 畝傍(うねび)の山の 橿原(かしはら)の ひじりの御世(みよ)ゆ<或いは「宮ゆ」といふ> 生(あ)れましし 神のことごと 栂(つが)の木の いや継(つ)ぎ継ぎに 天(あめ)の下(した) 知らしめししを<或いは「めしける」といふ> そらにみつ 大和(やまと)を置きて あをによし 奈良山を越え<或いは「そらみつ 大和を置きて あをによし 奈良山越えて」といふ> いかさまに 思ほしめせか<或いは「思ほしけめか」といふ> 天離(あまざか)る 鄙(ひな)にはあれど 石走(いはばし)る 近江(あふみ)の国の 楽浪(ささなみ)の 大津の宮に 天つ下 知らしめけむ 天皇(すめろき)の 神の命(みこと)の 大宮は ここと聞けども 大殿(おほとの)は ここと言へども 春草の 茂(しげ)く生(お)ひたる 霞立つ 春日(はるひ)の霧(き)れる<或いは「霞立つ 春日か霧れる 夏草か 茂くなりぬる」といふ> ももしきの 大宮(おほみや)ところ 見れば悲しも<或いは「見れば寂しも」といふ>

 

(訳)神々しい畝傍の山、その山のふもとの橿原の日の御子の御代(みよ)以来<日の御子の宮以来>、神としてこの世に姿を現された日の御子の悉(ことごと)が、つがの木のようにつぎつぎに相継いで、大和にて天の下を治められたのに<治められて来た>、その充ち充ちた大和を打ち捨てて、青土香る奈良の山を越え<その充ち充ちた大和を捨て置き、青土香る奈良の山を越えて>、いったいどう思しめされてか<どうお思いになったのか>畿内を遠く離れた田舎ではあるけれど、そんな田舎の 石走(いわばし)る近江の国の 楽浪(ささなみ)の大津の宮で、天の下をお治めになったのであろう、治められたその天皇(すめろき)の神の命(みこと)の大宮はここであったと聞くけれど、大殿はここであったというけれど、春草の茂々と生(お)いはびこっている、霞(かすみ)立つ春の日のかすんでいる<霞立つ春の日がほの曇っているのか、夏の草が生い茂っているのか、何もかも霞んで見える>、ももしきの 大宮のこのあとどころを見ると悲しい<見ると、寂しい>。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)                    

(注)たまだすき【玉襷】分類枕詞:たすきは掛けるものであることから「掛く」に、また、「頸(うな)ぐ(=首に掛ける)」ものであることから、「うなぐ」に似た音を含む地名「畝火(うねび)」にかかる。(学研)

(注の注)たまだすき【玉襷】名詞:たすきの美称。たすきは、神事にも用いた。 ※「たま」は接頭語。(学研)

(注)ひじり:支配者。ここは初代神武天皇。(伊藤脚注)

(注)つがのきの【栂の木の】分類枕詞:「つが」の音との類似から「つぎつぎ」にかかる。

(注)そらにみつ>そらみつ 分類枕詞:国名の「大和」にかかる。語義・かかる理由未詳。「そらにみつ」とも。「そらみつ大和の国」(学研)

(注)いかさまなり【如何様なり】形容動詞ナ:どのようだ。どんな具合だ。(学研)

(注)いかさまに思ほしめせか:痛恨の気持から出た表現。挽歌の常套句。(伊藤脚注)

(注)石走る:「近江」の枕詞。以下六句、山の地大和に対し水の地近江を選んだのか、の意がこもる。(伊藤脚注)

(注)ささなみの【細波の・楽浪の】分類枕詞:①琵琶(びわ)湖南西沿岸一帯を楽浪(ささなみ)といったことから、地名「大津」「志賀(しが)」「長等(ながら)」「比良(ひら)」などにかかる。「ささなみの長等」。②波は寄るところから「寄る」や同音の「夜」にかかる。「ささなみの寄り来る」 ⇒参考:『万葉集』には、①と同様の「ささなみの大津」「ささなみの志賀」「ささなみの比良」などの形が見えるが、これらは地名の限定に用いたものであって、枕詞(まくらことば)にはまだ固定していなかったともいわれる。「さざなみの」とも。(学研)

(注)天皇の神の命:天智天皇への神名的呼称。(伊藤脚注)

(注)かすみたつ【霞立つ】分類枕詞:「かす」という同音の繰り返しから、地名の「春日(かすが)」にかかる。「かすみたつ春日の里」(学研)

(注)きる【霧る】自動詞:①霧や霞(かすみ)が立ちこめる。かすむ。②目が涙でかすんでよく見えない。(学研)ここでは①の意

(注)ももしきの【百敷の・百石城の】分類枕詞:「ももしき」は「ももいしき(百石木)」の変化した語。多くの石や木で造ってあるの意から「大宮」にかかる。(学研)

 

 この二九歌、ならびに反歌二首(三〇歌、三一歌)は、近江荒都歌と呼ばれている。

 

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感想(1件)

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その247)」で紹介している。

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近江大津宮錦織遺跡(おうみおおつのみやにしこおりいせき)」に関しては、「大津市歴史博物館HP」の「大津の歴史データベース」に「近江大津宮は、667年に天智天皇が遷都してから、672年の壬申の乱で滅びるまでの短命の都であった。その位置はながらく論議されてきたが、昭和49年、錦織の地で大規模な掘立柱建物跡が発見され、内裏の南門と判明。長年の論議に一応の終止符をうった。宮跡は部分的に国指定の史跡。」と書かれている。

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 小学館デジタル大辞泉

★「大津市歴史博物館HP」