■滋賀県米原市朝妻筑摩 朝妻公園万葉歌碑(巻二十 四四五八)■
●歌をみていこう。
四四五七~四四五九歌の歌群の題詞は、「天平勝寶八歳丙申二月朔乙酉廿四日戊申 太上天皇太皇大后幸行於河内離宮 経信以壬子傳幸於難波宮也 三月七日於河内國伎人郷馬國人之家宴歌三首」<天平(てんびやう)勝宝(しようほう)八歳丙申(ひのえさる)の二月の朔(つきたち)乙酉(きのととり)の二十四日戊申(つちのえさる)に、太上天皇、天皇、大后、河内(かふち)の離宮(とつみや)に幸行(いでま)し、経信壬子(ふたよあまりみづのえね)をもちて難波(なには)の宮(みや)に伝幸(いでま)す。三月の七日に、河内の国伎(くれ)人の郷(さと)の馬国人(うまのくにひと)の家にして宴(うたげ)する歌三首>である。
(注)天平勝宝八歳:756年
(注)経信壬子:戊申(二十四日)から壬子(二十八日)まで四泊五日。「信」は再宿。(伊藤脚注)
(注)伎(くれ)人の郷(さと):喜連村(きれむら)は、大阪府東成郡にあった村。現在の大阪市平野区喜連各町にあたる。村名は「伎人」「久礼」「呉」(くれ)の転訛とされ、古代の伎人郷(くれのごう)に比定されている。※出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
◆尓保杼里乃 於吉奈我河波半 多延奴等母 伎美尓可多良武 己等都奇米也母 古新未詳
(馬史国人 巻二十 四四五八)
≪書き下し≫にほ鳥(どり)の息長川(おきながかは)は絶えぬとも君に語らむ言(こと)尽(つ)きめやも 古新は未だ詳(つばび)らかならず
(訳)にお鳥の息長(いきなが)、息長(おきなが)の川の流れは絶えてしまおうとも、私があなたに語りかけたいと思う、その言葉の尽きることなどあるものですか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)にほ【鳰】名詞:水鳥のかいつぶりの別名。湖沼にすみ、水中にもぐって魚を取る。「にほどり」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)にほどりの【鳰鳥の】分類枕詞:かいつぶりが、よく水にもぐることから「潜(かづ)く」および同音を含む地名「葛飾(かづしか)」に、長くもぐることから「息長(おきなが)」に、水に浮いていることから「なづさふ(=水に浮かび漂う)」に、また、繁殖期に雄雌が並んでいることから「二人並び居(ゐ)」にかかる。(学研)
(注)息長川:読み方 オキナガカワ 所在 滋賀県 水系 淀川水系の天野川(weblio辞書 河川・湖沼名辞典)
左注は、「右一首主人散位寮散位馬史國人」<右の一首は主人(あろじ)散位寮(さんゐれう)の散位馬史國人(うまのふひとくにひと)>である。
(注)さんい 【散位】:律令制で、位階のみあって、それに相当する官職に就いていないもの。散官。 ⇔ 職事(しきじ) (weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)
新版 万葉集 四 現代語訳付き (角川ソフィア文庫) [ 伊藤 博 ] 価格:1,068円 |
この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その405)で紹介している。
➡
●歌は、上述の朝妻公園万葉歌碑と同じであるので省略させていただきます。
■米原市磯南町 磯崎神社横湖畔万葉歌碑(巻三 二七三)■
●歌をみていこう。
◆礒前 榜手廻行者 近江海 八十之湊尓 鵠佐波二鳴 未詳
(高市黒人 巻三 二七三)
≪書き下し≫磯(いそ)の崎(さき)漕(こ)ぎ廻(た)み行けば近江(あふみ)海(うみ)八十(やそ)の港(みなと)に鶴(たづ)さはに鳴く 未詳
(注)未詳とあるが、二七四、二七五歌の近江の歌と同じ折か不明、の意らしい。(伊藤脚注)
(訳)磯の崎を漕ぎめぐって行くと、近江の海、この海にそそぐ川の河口ごとに、鶴がたくさんうち群れて鳴き騒いでいる。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)磯の崎(さき):岩石の多い岬。北陸への途中か。(伊藤脚注)
(注)八十(やそ)の港(みなと):たくさんの河口。(伊藤脚注)
題詞は、「高市連黒人羇旅歌八首」<高市連黒人(たけちのむらじくろひと)が羇旅(きりょ)の歌八首>である。
新版 万葉集 一 現代語訳付き (角川ソフィア文庫) [ 伊藤 博 ] 価格:1,056円 |
この歌および上述の蛭子神社の歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その409,410)」で紹介している。
➡
■滋賀県米原市能登瀬 能登瀬会館万葉歌碑(巻十二 三〇一八)■
※歌碑には、「波多朝臣小足」とあるが、「萬葉集」(鶴 久・森山 隆 編 桜楓社)ならびに「万葉集 三」(伊藤 博 著 角川ソフィア文庫)を参考に、「作者未詳」とした。
●歌をみていこう。
◆高湍尓有 能登瀬乃川之 後将合 妹者吾者 今尓不有十万
(作者未詳 巻十二 三〇一八)
≪書き下し≫高湍(たかせ)にある能登瀬(のとせ)の川の後(のち)も逢はむ妹(いも)には我(わ)れは今にあらずとも
(訳)高湍(たかせ)の能登瀬川の名のように、のちでもよいから逢おう。あの子には、私はきっと・・・。今ではなくても。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)上二句は序で類音で「後(のち)」を起こす。
(注)高湍、能登瀬:所在未詳
注釈にもあるように、「高湍」、「能登瀬」は所在未詳とされている。
息長川は今の天野川と言われている。能登瀬付近も流れていることを考えると、地域的に能登瀬川と呼ばれていたとしても不思議ではない。
新版 万葉集 三 現代語訳付き (角川ソフィア文庫) [ 伊藤 博 ] 価格:1,068円 |
この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その407)」で紹介している。
➡
歌碑に刻されていた「波多朝臣小足」は、巻三 三一四歌の作者である。三一四歌については次に紹介する。「能登瀬」が三〇一八歌の作者としたよりどころか。
■滋賀県米原市能登瀬 県道246沿い万葉歌碑(巻三 三一四)■
●歌をみていこう。
◆小浪 磯越道有 能登湍河 音之清左 多藝通瀬毎尓
(波多小足 巻三 三一四)
≪書き下し≫さざれ波磯(いそ)越道(こしぢ)なる能登瀬川(のとせがは)音(おと)のさやけさたぎつ瀬ごとに
(訳)小波(さざれ波)が川岸の岩を越すというではないが、越(こし)の国へ行く道の能登瀬川、この川の音のなんとさやかなことよ。激(たぎ)ち流れる川瀬ごとに。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)「磯」までが序。「越」を起す。(伊藤脚注)
(注)越国(読み)こしのくに:「高志」とも書く。奈良時代の越前,加賀,能登,越中,越後,佐渡および出羽の南部の総称。大和朝廷と蝦夷との接触地であったため,蝦夷との抗争が続き,大化3 (647) 年には渟足柵 (ぬたりのき) が設けられた。(コトバンク ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)
題詞は、「波多朝臣小足歌一首」<波多朝臣小足(はたのあそみをたり)が歌一首>である。
万葉集には、波多朝臣小足(伝未詳)の歌はこの一首だけである。
新版 万葉集 一 現代語訳付き (角川ソフィア文庫) [ 伊藤 博 ] 価格:1,056円 |
この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その408)」で紹介している。
➡
■滋賀県米原市上丹生 いぼとり公園万葉歌碑(巻十四 三五六〇)■
●歌をみていこう。
◆麻可祢布久 尓布能麻曽保乃 伊呂尓▼弖 伊波奈久能未曽 安我古布良く波
(作者未詳 巻十四 三五六〇)
▼は、「亻(にんべん)」+「弖」=「で」
≪書き下し≫ま金(かね)吹(ふ)く丹生(にふ)のま朱(そほ)の色に出(で)て言はなくのみぞ我(あ)が恋ふらくは
(訳)金(くがね)を吹き分ける丹生(にう)、その地で採れる真っ赤な土のように、おもて、そう、あらわに口に出して言わないだけのこと。私が恋い焦がれているこの思いは。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)上二句は序。「色に出」を起す。(伊藤脚注)
(注)まかねふく【真金吹く】分類枕詞:ふいごで吹いて鉄を製することから、鉄の産地「吉備(きび)」、鉄をふくむ赤土の意味から地名「丹生(にふ)」にかかる。(学研)
(注)まかね【真金】名詞:鉄。「まがね」とも。 ※「ま」は接頭語。(学研)
(注)まそほ【真赭・真朱】名詞:①(顔料や水銀などの原料の)赤い土。②赤い色。特に、すすきの穂の赤みを帯びた色にいう。「ますほ」とも。 ※「ま」は接頭語。①は上代語。(学研)
(注)丹生(にゆう)(=地名)
新版 万葉集 三 現代語訳付き (角川ソフィア文庫) [ 伊藤 博 ] 価格:1,068円 |
この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その406)」で紹介している。
➡
406稿では、「丹生」という地名では整合性があるが、なぜ、巻十四の歌の歌碑が滋賀県にあるのかが疑問に思い近江の製鉄の歴史にもふれてみた。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「コトバンク ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」
★「weblio辞書 河川・湖沼名辞典」