万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その2156)―兵庫県(2)神戸市垂水区・明石市―

<神戸市垂水区

 神戸市垂水区平磯 平磯緑地「萬葉歌碑の道」の歌碑からみてみよう。

「萬葉歌碑の道」碑

 

■神戸市垂水区平磯 平磯緑地(巻十二 三〇二五)■

神戸市垂水区平磯 平磯緑地(作者未詳)   20200603撮影            

●歌をみていこう。

 

◆石走 垂水之水能 早敷八師 君尓戀良 吾情柄

       (作者未詳 巻十二 三〇二五)

 

≪書き下し≫石走(いはばし)る垂水(たるみ)の水のはしきやし君に恋ふらく我(わ)が心から

 

(訳)岩の上に逆巻き落ちる滝の水のように、はしき―いとしいあなたに恋い焦がれるこの苦しさも、他の誰でもない、私の心のせいです。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句は序。水の流れが速い意で「はしきやし」を起す。(伊藤脚注)。

(注)はしきやし【愛しきやし】分類連語:ああ、いとおしい。ああ、なつかしい。ああ、いたわしい。「はしきよし」「はしけやし」とも。 ※上代語。 ⇒参考:愛惜や追慕の気持ちをこめて感動詞的に用い、愛惜や悲哀の情を表す「ああ」「あわれ」の意となる場合もある。「はしきやし」「はしきよし」「はしけやし」のうち、「はしけやし」が最も古くから用いられている。 なりたち形容詞「は(愛)し」の連体形+間投助詞「やし」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 上三句のまさに迸る激情が詠われている。

 

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■神戸市垂水区平磯 平磯緑地(1)万葉歌碑(巻八 一四一八)■

神戸市垂水区平磯 平磯緑地(1)万葉歌碑(志貴皇子) 20200603撮影

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「志貴皇子懽御歌一首」<志貴皇子(しきのみこ)の懽(よろこび)の御歌一首>である。

 

◆石激 垂見之上乃 左和良妣乃 毛要出春尓 成来鴨

       (志貴皇子 巻二 一四一八)

 

≪書き下し≫石走(いはばし)る垂水(たるみ)の上(うへ)のさわらびの萌(も)え出(い)づる春になりにけるかも

 

(訳)岩にぶつかって水しぶきをあげる滝のほとりのさわらびが、むくむくと芽を出す春になった、ああ。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

(注)いはばしる【石走る・岩走る】分類枕詞:動詞「いはばしる」の意から「滝」「垂水(たるみ)」「近江(淡海)(あふみ)」にかかる。(学研)

(注)たるみ【垂水】名詞:滝。(学研)

 

この歌は、万葉集巻八の巻頭歌である。

 

 

■神戸市垂水区平磯 平磯緑地(3)万葉歌碑(巻七 一一四二)■

神戸市垂水区平磯 平磯緑地(3)万葉歌碑(作者未詳) 20200603撮影

●歌をみていこう

 

◆命 幸久吉 石流 垂水ゝ乎 結飲都

       (作者未詳 巻七 一一四二)

 

≪書き下し≫命(いのち)をし幸(さき)くよけむと石走(いはばし)る垂水(たるみ)の水を結びて飲みつ

 

(訳)我が命がすこやかで無事であれかしと、激しく飛び散る滝の水、その水を両手ですくってぐいぐいと飲んだよ、私は。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)垂水:滝(伊藤脚注)。

 

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 三〇二五、一四一八、一一四二歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その557,556,558)で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

■神戸市垂水区平磯 平磯緑地(4)万葉歌碑(巻三 四一三)■

神戸市垂水区平磯 平磯緑地(4)万葉歌碑(大網公人主) 20200603撮影

●歌をみていこう。

 

題詞は、「大網公人主宴吟歌一首」<大網公人主(おほあみのきみひとぬし)が宴吟(えんぎん)の歌一首>である。

(注)大網公人主(おほあみのきみひとぬし):伝未詳

 

◆須麻乃海人之 塩焼衣乃 藤服 間遠之有者 未著穢

          (大網公人主 巻三 四一三)

 

≪書き下し≫須磨(すま)の海女(あま)の塩焼(しほや)き衣(きぬ)の藤衣(ふぢころも)間遠(まどほ)にしあればいまだ着なれず

 

(訳)須磨の海女が塩を焼く時に着る服の藤の衣(ころも)、その衣はごわごわしていて、時々身に着けるだけだから、まだいっこうにしっくりこない。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)須磨:神戸市須磨区一帯。(伊藤脚注)。

(注)しほやきぎぬ【塩焼き衣】名詞:海水を煮て塩を作る人が着る粗末な衣。「しほやきごろも」とも。(学研)

(注)ふぢごろも【藤衣】名詞:①ふじやくずなどの外皮の繊維で織った布の衣類。織り目が粗く、肌触りが硬い。貧しい者の衣服とされた。②喪服。「藤」とも。 ※「藤の衣(ころも)」とも。(学研)ここでは①の意

(注)まどほ【間遠】名詞:①間隔があいていること。②編み目や織り目があらいこと。(学研)ここでは②の意

(注)藤衣の目の粗いことから逢う間隔が遠く馴染みの浅い意を譬える。(伊藤脚注)。

 

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その559)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

■神戸市垂水区平磯 平磯緑地(5)万葉歌碑(巻三 二五五)■

神戸市垂水区平磯 平磯緑地(5)万葉歌碑(柿本人麻呂) 20200603撮影

●歌をみていこう。

 

◆天離 夷之長道従 戀来者 自明門 倭嶋所見  一本云家門當見由

       (柿本人麻呂 巻三 二五五)

 

≪書き下し≫天離(あまざか)る鄙(ひな)の長道(ながち)ゆ恋ひ来れば明石(あかし)の門(と)より大和島(やまとしま)見ゆ  一本には「家のあたり見ゆ」といふ。

 

(訳)天離る鄙の長い道のりを、ひたすら都恋しさに上って来ると、明石の海峡から大和の山々が見える。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)明石の門(読み)あかしのと:明石海峡のこと。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

 

■神戸市垂水区平磯 平磯緑地(6)万葉歌碑(巻三 二五四)■

神戸市垂水区平磯 平磯緑地(6)万葉歌碑(柿本人麻呂) 20200603撮影

●歌をみていこう。

 

◆留火之 明大門尓 入日哉 榜将別 家當不見

        (柿本人麻呂 巻三 二五四)

 

≪書き下し≫燈火(ともしび)の明石大門(あかしおほと)に入らむ日や漕ぎ別れなむ家(いへ)のあたり見ず

 

(訳)燈火明(あか)き明石、その明石の海峡にさしかかる日には、故郷からまったく漕ぎ別れてしまうことになるのであろうか。もはや家族の住む大和の山々を見ることもなく。(同上)

(注)ともしびの【灯し火の】分類枕詞:灯火が明るいことから、地名「明石(あかし)」にかかる。(学研)

(注)「家」は家郷。(伊藤脚注)

 

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感想(1件)

 二五四・二五五歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その560,561)」で紹介している。

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 「萬葉歌碑の道」6基の歌の解説碑もみてみよう。




明石市

明石市人丸町 柿本神社万葉歌碑①(巻三 二五五)■

明石市人丸町 柿本神社万葉歌碑①(柿本人麻呂) 20200702撮影

●この歌は、垂水区平磯緑地(5)の歌碑と同じなので省略させていただきます。

 

明石市人丸町 柿本神社万葉歌碑②(巻三 二三五)■

明石市人丸町 柿本神社万葉歌碑②(柿本人麻呂) 20200702撮影

● 歌をみていこう。

 

題詞は、「天皇御遊雷岳之時柿本朝臣人麻呂作歌一首」<天皇(すめらみこと)、雷(いかづち)の岳(おか)に幸(いでま)す時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首>である。

(注)天皇持統天皇か。天武天皇とも文武天皇ともいう。(伊藤脚注)

(注)雷の岳:奈良県高市郡明日香村。(伊藤脚注)

 

◆皇者 神二四座者 雷之上尓 廬為流鴨 

      (柿本人麻呂 巻三 二三五)

 

≪書き下し≫大王(おほきみ)は神にしませば天雲(あまくも)の雷(いかづち)の上(うへ)に廬(いほ)らせるかも

 

(訳)天皇は神であらせられるので、天雲を支配する雷神、その神の上に廬(いおり)をしていらっしゃる。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)廬(いほ)る:山上の神域の籠ることをいう。(伊藤脚注)

(注の注)いほる【庵る・廬る】自動詞:仮小屋を造って宿る。(学研)

 

 左注は、「右或本云獻忍壁皇子也 其歌日 王 神座者 雲隠 伊加土山尓 宮敷座」<右は、或本には「忍壁皇子(おさかべのみこ)に献(たてまつ)る」という。その歌は「大君は神にしませば雲隠(くもがく)る雷山(いかづちやま)に宮(みや)敷きいます」といふ。>

 

(或本の歌の訳)大君は神であらせられるので、雲に隠れる雷、その雷山に宮殿を造って籠(こも)っておられます。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

 

明石市人丸町 月照寺万葉歌碑(巻三 二五四)■

明石市人丸町 月照寺万葉歌碑(柿本人麻呂) 20200702撮影

●この歌は、垂水区平磯緑地(6)の歌碑と同じなので省略させていただきます。

 

 

 柿本神社月照寺の歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その608~610)」で紹介している。

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明石市魚住町 住吉神社万葉歌碑(巻六 九三七)■

明石市魚住町 住吉神社万葉歌碑(笠金村) 20200702撮影

●歌をみていこう。

 

◆徃廻 雖見将飽八 名寸隅乃 船瀬之濱尓 四寸流思良名美

       (笠金村 巻六 九三七)

 

≪書き下し≫行き廻(めぐ)り見とも飽かめや名寸隅(なきすみ)の舟瀬(ふなせ)の浜にしきる白浪

 

(訳)行きつ戻りつして、いくら見ても見飽きることがあろうか。名寸隅の舟着き場の浜に次々とうち寄せるこの白波は。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)ゆきめぐる【行き廻る・行き巡る】自動詞:あちらこちらと歩いてまわる。巡り歩く。(学研)

(注)名寸隅:明石市西端の魚住町付近という。(伊藤脚注)

(注)舟瀬:舟着き場。(伊藤脚注)

(注)しきる【頻る】自動詞:何度も繰り返す。あとからあとから続く。(学研)

(注)とも 接続助詞《接続》動詞型・形容動詞型活用語の終止形、形容詞型活用語および打消の助動詞「ず」の連用形に付く。①〔逆接の仮定条件〕たとえ…ても。②〔既定の事実を仮定の形で強調〕確かに…ているが。たとえ…でも。

 

⇒語法:(1)上代において、上一段動詞「見る」に付くとき、「見とも」となることがあった。「君が家の池の白波磯(いそ)に寄せしばしば見とも飽かむ君かも」(『万葉集』)〈あなたの家の池の白波が水辺に(しきりに)打ち寄せるように、しばしば会ったとしても飽きるようなあなたであろうか。〉 ※参考 語源については[ア] 格助詞「と」+係助詞「も」、[イ] 接続助詞「と」+係助詞「も」の二説がある。(学研)

 

 長歌(九三五)、反歌(九三六、九三七歌)の題詞は、「三年丙寅秋九月十五日幸於播磨國印南野時笠朝臣金村作歌一首并短歌」<三年丙寅(ひのえとら)の秋の九月十五日に、播磨(はりま)の国の印南野(いなみの)に幸(いでま)す時に、笠朝臣金村が作る歌一首并(あは)せて短歌>である。

(注)三年:神亀三年(726年)

(注)印南野 分類地名:歌枕(うたまくら)。今の兵庫県加古川市から明石市付近。「否(いな)」と掛け詞(ことば)にしたり、「否」を引き出すため、序詞(じよことば)的な使い方をすることもある。稲日野(いなびの)。(学研)

(注)幸:ここでは、聖武天皇の印南野行幸のこと。(伊藤脚注)

 

 

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その611)」で紹介している。長歌ならびに反歌も紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 



 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典