万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その2162)―広島県(2)三原市・呉市・広島市他―

三原市

広島県三原市糸崎糸碕神社前国道185線沿い万葉歌碑(巻十五 三六一四)■

広島県三原市糸崎糸碕神社前国道185線沿い万葉歌碑(遣新羅使人等)

●歌をみていこう。

 

 三六一二~三六一四歌の題詞は、「備後國水調郡長井浦舶泊之夜作歌三首」<備後(きびのみちのしり)の国の水調(みつき)の郡(こほり)の長井(ながゐ)の浦に舶泊(ふなどま)りする夜(よ)に作る歌三首>である。

(注)備後國:広島県東部。

(注)長井の浦:三原市の糸崎港であろう。安芸との国境。使人たちの実際の紀行歌録はここから始まったらしい。(伊藤脚注)

 

◆可敝流散尓 伊母尓見勢武尓 和多都美乃 於伎都白玉 比利比弖由賀奈

       (遣新羅使人等 巻十五 三六一四)

 

≪書き下し≫帰るさに妹(いも)に見せむにわたつみの沖つ白玉(しらたま)拾(ひり)ひて行かな

 

(訳)帰った時にいとしいあの子にみせように。そうだ、海の神様が海の底に秘めている清らかな白玉、その真珠を拾って行こう。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)かへるさ【帰るさ】:帰る時。帰りがけ。かえさ。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注の注)帰った時に、家苞(いえづと)を思うことでせめて気を慰め、船を進める。(伊藤脚注)

(注) わたつみ【海神】名詞:①海の神。②海。海原。 ⇒参考:「海(わた)つ霊(み)」の意。「つ」は「の」の意の上代の格助詞。後に「わだつみ」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

三六一四歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1622)」で三六一二、三六一三歌とともに紹介している。

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東広島市

東広島市安芸津町 祝詞八幡神社万葉歌碑(巻十五 三六一五、三六一六)■

東広島市安芸津町 祝詞八幡神社万葉歌碑(遣新羅使人等)

●歌をみていこう。

 

 三六一五、三六一六歌の題詞は、「風速浦舶泊之夜作歌二首」<風早(かざはや)の浦に舶泊(ふなどまり)する夜に作る歌二首>である。

 

◆和我由恵仁 妹奈氣久良之 風早能 宇良能於伎敝尓 奇里多奈妣家利

       (遣新羅使人等 巻十五 三六一五)

 

≪書き下し≫我(わ)がゆゑに妹(いも)嘆くらし風早の浦の沖辺(おきへ)に霧たなびけり

 

(訳)私が元であの子が溜息(ためいき)をついているらしい。ここ風早の沖辺には霧が一面に立ちこめている。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 

◆於伎都加是 伊多久布伎勢波 和伎毛故我 奈氣伎能奇里尓 安可麻之母能乎

       (遣新羅使人等 巻十五 三六一六)

 

≪書き下し≫沖つ風いたく吹きせば我妹子(わぎもこ)が嘆きの霧に飽(あ)かましものを

 

(訳)沖から吹く風、その激しい風が吹きでもしてくれたら、いとしいあの子の嘆きの霧に、心ゆくまで包まれていることができように。(同上)

(注)飽(あ)かましものを:思う存分包まれように。(伊藤脚注)

 

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感想(1件)

 歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1621)」で紹介している。

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 「万葉陶壁説明案内板」には、巻十五 三五八〇歌が載っている。

東広島市安芸津町 祝詞八幡神社「万葉陶壁説明案内板」巻十五 三五八〇歌

 三五八〇歌もみてみよう。

 

◆君之由久 海邊乃夜杼尓 奇里多々婆 安我多知奈氣久 伊伎等之理麻勢

       (遣新羅使の妻 巻十五 三五八〇)

 

≪書き下し≫君が行く海辺(うみへ)の宿(やど)に霧(きり)立たば我(あ)が立ち嘆く息(いき)と知りませ

 

(訳)あなたが旅行く、海辺の宿に霧が立ちこめたなら、私が門に立ち出てはお慕いして嘆く息だと思って下さいね。(妻)(同上)

(注)息:嘆きは霧となるとされた。(伊藤脚注)

 

 

呉市

広島県呉市倉橋町宮浦 桂浜 <萬葉集史蹟長門之島碑>万葉歌碑(巻十五 三六一七~三六二四)■

広島県呉市倉橋町宮浦 桂浜 <萬葉集史蹟長門之島碑>万葉歌碑(遣新羅使人等)

●歌をみていこう。                           

 

 三六一七から三六二一歌の歌群の題詞は、「安芸(あき)の国の長門(ながと)の島にして磯辺(いそへ)に船泊まりして作る歌五首」、三六二二から三六二四歌のそれは「長門の浦より船出(ふなで)する夜に、月の光を仰ぎ観て作る歌三首」である。

 

◆伊波婆之流 多伎毛登杼呂尓 鳴蝉乃 許恵乎之伎氣婆 京師之於毛保由

       (大石蓑麻呂 巻十五 三六一七)

 

≪書き下し≫石走(いはばし)る滝(たき)もとどろに鳴く蝉(せみ)の声をし聞けば都し思ほゆ

 

(訳)岩に激する滝の轟(とどろ)くばかりに鳴きしきる蝉、その蝉の声を聞くと、都が思い出されてならぬ。(同上)

 

 左注は、「右一首大石蓑麻呂」<右の一首は大石蓑麻呂(おほいしのみのまろ)>である。

 (注)大石簑麻呂 :?-? 奈良時代の官吏。天平(てんぴょう)8年(736)遣新羅(しらぎ)使として新羅(朝鮮)にむかう途中、安芸(あき)(広島県)長門島でよんだ歌1首が「万葉集」巻15におさめられている。のち東大寺写経生として名がみえる。」(コトバンク 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus)

 

◆夜麻河泊能 伎欲吉可波世尓 安蘇倍杼母 奈良能美夜故波 和須礼可祢都母

       (遣新羅使人等 巻十五 三六一八)

 

≪書き下し≫山川(やまがは)の清き川瀬に遊べども奈良の都は忘れかねつも

 

(訳)山あいの清らかな川瀬で遊んでみても、あの奈良の都は忘れようにも忘れられない。(同上)

(注)奈良の都は忘れかねつも:前歌の結句を承ける。(伊藤脚注)

 

◆伊蘇乃麻由 多藝都山河 多延受安良婆 麻多母安比見牟 秋加多麻氣弖

       (遣新羅使人等 巻十五 三六一九)

 

≪書き下し≫礒(いそ)の間(ま)ゆたぎつ山川(やまがは)絶えずあらばまたも相見(あひみ)む秋かたまけて

 

(訳)岸辺の岩のあいだから激しく流れ落ちる山川よ、お前が絶え間なく流れるようにずっと無事でいられたらなら、また重ねて相見(あいまみ)えよう。秋ともなって。(同上)

(注)たぎつ【滾つ・激つ】自動詞:水がわき立ち、激しく流れる。心が激することをたとえていうことも多い。 ※上代には「たきつ」とも。(学研)

(注)前歌の「山川」を承け、都への思いを秋待つ心に絞る。(伊藤脚注)

(注)かたまく【片設く】自動詞:(その時節を)待ち受ける。(その時節に)なる。▽時を表す語とともに用いる。 ※上代語。(学研)

 

◆故悲思氣美 奈具左米可祢弖 比具良之能 奈久之麻可氣尓 伊保利須流可母

       (遣新羅使人等 巻十五 三六二〇)

 

≪書き下し≫恋繁(こひしげ)み慰(なぐさ)めかねてひぐらしの鳴く島蔭(しまかげ)に廬(いほ)りするかも

 

(訳)妻恋しさに気を晴らしようもないままに、ひぐらしの鳴くこの島蔭で仮の宿りをしている、われらは。(同上)

(注)前歌の妻恋しさを承け、三六一七歌の「蝉」にも応じている。(伊藤脚注)

 

◆和我伊能知乎 奈我刀能之麻能 小松原 伊久与乎倍弖加 可武佐備和多流

       (遣新羅使人等 巻十五 三六二一)

 

≪書き下し≫我(わ)が命(いのち)を長門(ながと)の島の小松原(こまつばら)幾代(いくよ)を経(へ)てか神(かむ)さびわたる

 

(訳)我が命よ、長かれと願う、長門の島の小松原よ、いったいどれだけの年月を過ごして、このように神々(こうごう)しい姿をし続けているのか。(同上)

(注)わがいのちを【我が命を】[枕]:わが命長かれの意から、「長し」と同音を含む地名「長門(ながと)」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)かみさぶ【神さぶ】自動詞:①神々(こうごう)しくなる。荘厳に見える。②古めかしくなる。古びる。③年を取る。 ※「さぶ」は接尾語。古くは「かむさぶ」。(学研)ここでは①の意

 

◆月余美乃 比可里乎伎欲美 由布奈藝尓 加古能己恵欲妣 宇良未許具可聞

       (遣新羅使人等 巻十五 三六二二)

 

≪書き下し≫月読(つくよみ)みの光りを清(きよ)み夕(ゆふ)なぎに水手(かこ)の声こゑ)呼び浦(うら)み漕(こ)ぐかも

 

(訳)月読の光が清らかなので、夕凪(ゆうなぎ)の中、水手(かこ)たちが声呼び掛けあって、浦伝いを漕ぎ進めている。(同上)

(注)つくよみ【月夜見・月読み】名詞:月。「つきよみ」とも。(学研)

(注)かこ【水手・水夫】名詞:船乗り。水夫。 ※「か」は「かぢ(楫)」の古形、「こ」は人の意。(学研)

(注)水手(かこ)の声こゑ)呼び:水夫たちが掛け声を発しながら。(伊藤脚注)

 

◆山乃波尓 月可多夫氣婆 伊射里須流 安麻能等毛之備 於伎尓奈都佐布

       (遣新羅使人等 巻十五 三六二三)

 

≪書き下し≫山の端(は)に月傾(かたぶ)けば漁(いざ)りする海人(あま)の燈火(ともしび)沖になづさふ

 

(訳)山の端に月が傾いてゆくと、魚を捕る海人(あま)の漁火(いさりび)、その火が沖の波間にちらちらと漂うている。(同上)

(注)なづさふ 自動詞:①水にもまれている。水に浮かび漂っている。②なれ親しむ。慕いなつく。(学研)ここでは①の意

(注)沖になづさふ:前歌の月が傾き、漁火が沖の波間にわびしく揺れ動く。旅愁に暮れている。(伊藤脚注)

 

◆和礼乃未夜 欲布祢波許具登 於毛敝礼婆 於伎敝能可多尓 可治能於等須奈里

       (遣新羅使人等 巻十五 三六二四)

 

≪書き下し≫我(わ)れのみや夜船(よふね)は漕ぐと思へれば沖辺(おきへ)の方(かた)に楫(かぢ)の音(おと)すなり

 

(訳)われらだけが、この夜船というものは漕いでいるのかと思っていると、沖辺の方でも櫓を漕ぐ音がしている。(同上)

(注)楫(かぢ)の音(おと)すなり:闇に包まれた海路の心細さを、楫の音でわずかに慰めている。(伊藤脚注)

 

 

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 この歌群の歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1618)」で紹介している。

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 桂浜神社説明案内板にも、巻十五 三六二一歌が掲載されている。

広島県呉市倉橋町宮浦 桂濱神社 万葉歌碑<神社説明案内板>(巻十五 三六二一)

 

歌は、前述の「<萬葉集史蹟長門之島碑>万葉歌碑」のなかで紹介しているので省略させていただきます。

 

 

広島県呉市倉橋町松原 白華寺 万葉歌碑(巻十五 三六一七)■

呉市倉橋町松原 白華寺 万葉歌碑(大石蓑麻呂)

●歌は、前述の「<萬葉集史蹟長門之島碑>万葉歌碑」のなかで紹介しているので省略させていただきます。

 

この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1619)」で紹介している。

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広島県呉市倉橋町 万葉植物公園万葉歌碑(巻十五 三六二一)■

広島県呉市倉橋町 万葉植物公園万葉歌碑(遣新羅使人等)

●歌は、前述の「<萬葉集史蹟長門之島碑>万葉歌碑」のなかで紹介しているので省略させていただきます。

 

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1593)」で紹介している。

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広島市

広島市安芸区上瀬野町上大山万葉歌碑(巻三 二九一)■

広島市安芸区上瀬野町上大山万葉歌碑(小田事) 20221130撮影

●歌をみていこう。

 

◆真木葉乃 之奈布勢能山 之努波受而 吾超去者 木葉知家武

      (小田事 巻二 二九一)

 

≪書き下し≫真木(まき)の葉(は)のしなふ背(せ)の山しのはずて我(わ)が越え行けば木(こ)の葉知りけむ

 

(訳)杉や檜(ひのき)の枝ぶりよく茂りたわむ背の山であるのに、ゆっくり賞(め)でるゆとりもなく私は越えて行く、しかし、木の葉はこの気持ちがわかってくれたであろう。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)まき【真木・槙】名詞:杉や檜(ひのき)などの常緑の針葉樹の総称。多く、檜にいう。 ※「ま」は接頭語。(学研)

(注)しなふ【撓ふ】自動詞:しなやかにたわむ。美しい曲線を描く。(学研)

(注)しのぶ【偲ぶ】他動詞:①めでる。賞美する。②思い出す。思い起こす。思い慕う。しのふ(学研) ここでは①の意

(注の注)「しなふ」と「しのふ」は語呂合わせになっている。(伊藤脚注)

(注)木の葉知りけむ:樹木は人の心を知る能力があるとされた。「背」の山を故郷の「妹」を思いながら越えたことへの気遣いか。(伊藤脚注)

 

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 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2103)」で紹介している。

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 <廿日市市

広島県廿日市市大野高畑 高庭駅家跡・濃唹駅跡万葉歌碑(巻五 八九〇)■ 

広島県廿日市市大野高畑 高庭駅家跡・濃唹駅跡万葉歌碑(山上憶良
 20221130撮影

●歌をみていこう。

 

題詞は、「敬和為熊凝述其志歌六首 幷序   筑前國守山上憶良」<熊凝(くまごり)のためにその志を述ぶる歌に敬和する六首 幷せて序   筑前國守山上憶良>である。

(注)志:男子の思い。(伊藤脚注)

(注)敬和する:陽春の歌に和する。(伊藤脚注)

 

◆出弖由伎斯 日乎可俗閇都ゝ 家布々々等 阿袁麻多周良武 知々波々良波母 <一云 波々我迦奈斯佐>

       (山上憶良 巻五 八九〇)

 

≪書き下し≫出(い)でて行きし日(ひ)を数(かぞ)へつつ今日(けふ)今日(けふ)と我(あ)を待たすらむ父母(ちちはは)らはも <一には「母が悲しさ」といふ>

 

(訳)旅立った日を指折り数えながら、今日こそは今日こそはと私の帰りを待っておられるであろう父上母上は、ああ。<母上のいたわしさよ>(伊藤 博 著 「万葉集一」 角川ソフィア文庫より)

 

 ここの歌群は、題詞、序、長歌(八八六歌)、短歌(八八七から八九一歌)という構成になっている。

 

 この歌群ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2102)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉