万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その2164)―徳島県・高知県―

 四国に渡ろう。

 四国は、1⃣徳島県高知県、2⃣香川県(1)高松市坂出市、(2)宇多津町・丸亀市三豊市他、3⃣愛媛県に分けて紹介したします。

徳島県

徳島県鳴門市 人丸神社万葉歌碑(巻七 一三〇一)■

徳島県鳴門市 人丸神社万葉歌碑(柿本人麻呂歌集) 

 ●歌をみていこう。

 

◆海神 手纒持在 玉故 石浦廻 潜為鴨

       (柿本人麻呂歌集 巻七 一三〇一)

 

≪書き下し≫海神(わたつみ)の手に巻き持てる玉ゆゑに礒の浦(うら)みに潜(かづ)きするかも

 

(訳)海の神が手に巻きつけている真珠であるのに、そんな真珠を採ろうと、私は岩の多い海辺で水に潜(もぐ)っている。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)わたつみ【海神】名詞:①海の神。②海。海原。 ⇒参考:「海(わた)つ霊(み)」の意。「つ」は「の」の意の上代の格助詞。後に「わだつみ」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)玉:親の秘蔵する娘の譬え。(伊藤脚注)

(注)潜(かづ)きするかも:真珠を採ろうと潜る。女を手に入れようと苦労することの譬え。(伊藤脚注)

 

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1952)」で紹介している。

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 人丸神社(ひとまるじんじゃ)については、「フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』」に「徳島県鳴門市里浦町里浦に鎮座する神社」でその歴史は、「この地は元々、柿本人麻呂が船を寄せたと伝わる場所で、島根県益田市の高津柿本神社兵庫県明石市柿本神社とともに柿本人麻呂を祀る日本三社の一つに挙げられている。」と書かれている。

 

 

徳島市眉山町 眉山ロープウェイ山頂駅近くの万葉歌碑(巻六 九九八)■

徳島市眉山町 眉山ロープウェイ山頂駅近くの万葉歌碑(船王)

●歌をみていこう。

 

九九七から一〇〇二歌の題詞は、「春の三月に、難波の宮に幸(いでま)す時の歌六首」である。

(注)聖武天皇行幸。:天平六年(734年)三月十日出発、十九日帰京。(伊藤脚注)

 

 

◆如眉 雲居尓所見 阿波乃山 懸而榜舟 泊不知毛

       (船王 巻六 九九八)

 

≪書き下し≫眉(まよ)のごと雲居(くもゐ)に見ゆる阿波(あは)の山懸(か)けて漕(こ)ぐ舟泊(とま)り知らずも

 

(訳)眉のように雲居はるかに横たわる阿波(あわ)の山、その山を目指して漕いで行く舟は、さて今夜、どこに泊まることやら。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)眉のごと:眉のように横に長く。三五三一。(伊藤脚注)

(注)ごと【如】:①…のように。…のよう。▽連用形「ごとく」と同じ用法。②…のようだ。▽終止形「ごとし」と同じ用法。 ※参考 (1)活用語の連体形や、助詞「の」「が」に付く。(2)上代から中古末ごろまで和文系の文章に用いられた。⇒ごとし(学研)

(注)まゆ【眉】名詞:①まゆげ。細い三日月形のものをたとえていうこともある。②牛車(ぎつしや)の屋形の前後にある軒。▽張り出しているさまが「眉」に似るところから。 ⇒参考:「まよ」の変化した語。平安時代の女性は、成人後は眉を抜いたり剃(そ)ったりして、その跡に眉墨で細い三日月形の眉をかいた。(学研)

(注)阿波の山:四国徳島の山。西方遥かに見える山を阿波の山と見たもの。(伊藤脚注)

(注)かく【懸く・掛く】他動詞:目標にする。目ざす。(学研)

 

左注は、「右一首船王作」<右の一首は船王(ふなのおほきみ)が作>である。

(注)船王(ふなのおほきみ):舎人皇子の子。淳仁天皇の兄。(伊藤脚注)

 

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 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1951)」で紹介している。

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徳島県阿南市 那賀川社会福祉会館前万葉歌碑(巻八 一四一八)■

徳島県阿南市 那賀川社会福祉会館前万葉歌碑(志貴皇子

●歌をみていこう。

 

題詞は、「志貴皇子懽御歌一首」<志貴皇子(しきのみこ)の懽(よろこび)の御歌一首>である。

 

◆石激 垂見之上野 左和良妣乃 毛要出春尓 成来鴨

         (志貴皇子 巻八 一四一八)

 

≪書き下し≫石走(いはばし)る垂水(たるみ)の上(うえ)のさわらびの萌(も)え出(い)づる春になりにけるかも

 

(訳)岩にぶつかって水しぶきをあげる滝のほとりのさわらびが、むくむくと芽を出す春になった、ああ(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)いはばしる【石走る・岩走る】自動詞:水がしぶきを上げながら岩の上を激しく流れる。(学研)

(注の注)いはばしる【石走る・岩走る】分類枕詞:動詞「いはばしる」の意から「滝」「垂水(たるみ)」「近江(淡海)(あふみ)」にかかる。(学研)

 

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1950)」で紹介している。

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高知県

高知県安芸郡東洋町 伏越ノ鼻万葉歌碑(巻七 一三八七)■

高知県安芸郡東洋町 伏越ノ鼻万葉歌碑(作者未詳)

●歌をみていこう。

 

◆伏超従 去益物乎 間守尓 所打沾 浪不數為而

       (作者未詳 巻七 一三八七)

 

≪書き下し≫伏越(ふしこえ)ゆ行かましものをまもらふにうち濡(ぬ)らさえぬ波数(よ)まずして

 

(訳)いっそ伏越を通ってさっさと行ってしまえばよかったのに。波の様子をうかがっているうちに着物を濡らされてしまった。波の間合いを見はからなかったので。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)伏越:這って越えるような難所の意か。険しい通い路の譬え。(伊藤脚注)

(注に注)ふしこえ【伏越】〘名〙: 立って歩いては越せず、はって越すようなけわしい所。[補注]高知県安芸郡東洋町野根の「伏越の鼻」など、地名としても残っている。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)まもらふ【守らふ】分類連語:見守り続ける。 ※上代語。 ⇒なりたち:動詞「まもる」の未然形+反復継続の助動詞「ふ」(学研)

(注の注)まもらふに:ぐずぐずしているうちに人に知られたの意。(伊藤脚注)

(注)濡らさえぬ:濡らされてしまった。←しらえぬ 【知らえぬ】分類連語:知られた。わかった。 ⇒なりたち:動詞「しる」の未然形+上代の可能・自発の助動詞「ゆ」の連用形+完了の助動詞「ぬ」の終止形(学研)

(注)波数まずして:波の間合いをはからなかったので、訪れる頃合いを誤ったことをいう。(伊藤脚注)

 

 

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1993)」で紹介している。

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高知県奈半利町 活性化センター隣万葉歌碑(巻三 三五四)■

高知県奈半利町 活性化センター隣万葉歌碑(日置少老)

●歌をみていこう。

 

◆縄乃浦尓 塩焼火氣 夕去者 行過不得而 山尓棚引

       (日置少老 巻三 三五四)

 

≪書き下し≫縄(なは)の浦に塩(しお)焼く煙(けぶり)夕されば行き過ぎかねて山になびく

 

(訳)縄の浦で塩を焼いている煙、その煙は、夕なぎの頃になると、流れもあえず山にまつわりついてたなびいている。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)縄の浦:兵庫県相生市那波の海岸。(伊藤脚注)

(注)火氣:「ほのけ」とも読む。

(注)ゆふさる【夕さる】自動詞:夕方になる。日暮れになる。 ⇒参考:名詞「ゆふ」に移動して来るという意味の動詞「さる」が付いて一語化したもの。已然形「ゆふされ」に接続助詞「ば」が付いた「ゆふされば」の形で用いられることが多い。(学研)

 

題詞は、「日置少老歌一首」<日置少老(へきのをおゆ)が歌一首>である。

(注)日置少老(へきのをおゆ):伝未詳。万葉集にはこの一首だけが収録されている。                           

 

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 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1994)」で紹介している。

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 徳島県高知県に関しては、犬養 孝著「『万葉の旅 下』山陽・四国・九州・山陰・北陸」(平凡社ライブラリー)によると、「万葉全地名の解説」には、次のように記されているのみである。

 

 徳島県―阿波

  阿波(あは) 徳島県の地。(巻六 九九八)

  阿波の山 特定の山でなく、阿波の国の山の意。(巻六 九九八)

 

 高知県―土佐

  土左(とさ)(土佐) 高知県の地。

  土左国(とさのくに) 「土佐」に同じ。(巻六 一〇一九題)

  土左道(とさぢ) 土佐へ行く道。(巻六 一〇二二)

 

 

 巻六 九九八については、上述「徳島市眉山町 眉山ロープウェイ山頂駅近くの万葉歌碑」のところで紹介している。

 

 巻六 一〇一九題ならびに一〇二二歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その761)」で紹介している。

 ➡ こちら761

 

 

 高知県には、定福寺(高知県長岡郡大豊町粟生)の境内に広がる「土佐豊永万葉植物園」があり、100基を超える万葉植物に関連した歌碑がたてられている。1975年4月20日に全国で6番目の万葉植物園として開園したという。

高知県長岡郡大豊町粟生「土佐豊永万葉植物園」万葉歌碑(一部) 20221130撮影

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1995~1997)」から「同(その2094~2096)」で撮影できた102基を紹介している。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「『万葉の旅 下』山陽・四国・九州・山陰・北陸」 犬養 孝著 (平凡社ライブラリー

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』」

★「定福寺HP」