万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その2170)―福岡県(3)北九州市<2>・宗像市・福岡市―

北九州市(2)>

北九州市戸畑区夜宮 夜宮公園万葉歌碑(巻十二 三一六五)■

北九州市戸畑区夜宮 夜宮公園万葉歌碑(作者未詳)

●歌をみていこう。

 

◆霍公鳥 飛幡之浦尓 敷浪乃 屡君乎 将見因毛鴨

       (作者未詳 巻十二 三一六五)

 

≪書き下し>ほととぎす飛幡(とばた)の浦(うら)にしく波のしくしく君を見むよしもがも

 

(訳)時鳥(ほととぎす)が飛ぶというではないが、その飛幡の浦に繰り返し寄せる波のように、しばしば重ねてあの方にお逢いできるきっかけがあったらなあ。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)ほととぎす:飛幡(とばた 北九州市)の枕詞。(伊藤脚注)

(注)しきなみ【頻波・重波】名詞:次から次へと、しきりに寄せて来る波。(学研)

(注)上三句は序。「しくしく」を起こす。

(注)しくしく(と・に)【頻く頻く(と・に)】副詞:うち続いて。しきりに。(学研)

(注の注)「屡君乎」は、鶴 久・森山 隆 編「萬葉集」(桜楓社)では、「しくしく君を」と、伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫では、「しばしば君を」と読んでいる。

(注)もがも 終助詞《接続》体言、形容詞・断定の助動詞の連用形などに付く。:〔願望〕…があったらなあ。…があればいいなあ。 ※上代語。終助詞「もが」に終助詞「も」が付いて一語化したもの。(学研)

 

 「飛幡の浦」については、「犬養 孝著『万葉の旅 下』山陽・四国・九州・山陰・北陸」(平凡社ライブラリー)に「北九州市戸畑区の海。埋立てで地形の変動ははなはだしい。」と書かれている。

 

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 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その887)」で紹介している。

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北九州市八幡西区 岡田宮万葉歌碑(向かって右から、巻三 三〇四、巻十二 三一六五、巻七 一二三一)■

北九州市八幡西区 岡田宮万葉歌碑(万葉の歌 三首)

<向かって右 三〇四歌>

●歌をみていこう。

 

◆大王之 遠乃朝庭跡 蟻通 嶋門乎見者 神代之所念

        (柿本人麻呂 巻三 三〇四)

 

≪書き下し≫大君(おほきみ)の遠(とほ)の朝廷(みかど)とあり通(がよ)ふ島門(しまと)を見れば神代(かみよ)し思ほゆ

 

(訳)我が大君の遠いお役所として、人びとが常に往き来する島門を見ると、この島々が生み成された神代が偲ばれる。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)とほのみかど【遠の朝廷】分類連語:朝廷の命を受け、都から遠く離れた所で政務をとる役所。諸国の国府大宰府(だざいふ)をさす。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典

(注)ありがよふ【有り通ふ】自動詞:いつも通う。通い続ける。 ※「あり」は継続の意の接頭語。(学研)

(注)しまと【島門】名詞:島と島との間や島と陸地との間の狭い海峡。(学研) ここでは、明石海峡を「遠の朝廷」への門口と見立てたもの。

 

題詞は、「柿本朝臣人麻呂下筑紫國時海路作歌二首」<柿本朝臣人麻呂、筑紫(つくし)の国に下(くだ)る時に、海道(うみつぢ)にして作る歌二首>である。

 

 

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<中央 三一六五歌>

●この歌は、上述夜宮公園と同じなので省略させていただきます。

 

 

<向かって左 一二三一歌>

●歌をみていこう。

 

◆天霧相 日方吹羅之 水巠之 岡水門尓 波立渡

       (作者未詳 巻七 一二三一)

 

≪書き下し≫天霧(あまぎ)らひひかた吹くらし水茎(みずくき)の岡(おか)の港に波立ちわたる

 

(訳)今にも空がかき曇って日方風(ひかたかぜ)が吹いてくるらしい。岡の港に波が一面立っている。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)あまぎらふ【天霧らふ】分類連語:空が一面に曇っている。 ⇒なりたち 動詞「あまぎる」の未然形+反復継続の助動詞「ふ」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典

(注)ひかた【日方】名詞:東南の風。西南の風。 ※日のある方角から吹く風の意。(学研)

(注)みづくきの【水茎の】分類枕詞:①同音の繰り返しから「水城(みづき)」にかかる。

②「岡(をか)」にかかる。かかる理由は未詳。 参考 中古以後、「みづくき」を筆の意にとり、「水茎の跡」で筆跡の意としたところから、「跡」「流れ」「行方も知らず」などにかかる枕詞(まくらことば)のようにも用いられた。(学研)

(注)岡の港:「芦屋町観光協会HP(福岡県遠賀郡芦屋町)」の岡湊神社の説明に「『岡湊』は『おかのみなと』と読み、『日本書紀』には『崗之水門』として登場する芦屋の大変古い呼称です。実に1800年の歴史を誇り、『古事記』にもその記載があります。」とある。

(注の注)犬養 孝著「『万葉の旅 下』山陽・四国・九州・山陰・北陸」に、「崗水門(をかのみなと) 遠賀郡芦屋町遠賀川河口付近にあった古代の要津。今は水浅く地形も変動している。(巻七 一二三一)」と書かれている。

 

 三〇四歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その888-1)」で、三一六五歌は、同「同(その888-2)」で、一二三一歌は、同「同(その888-3)」で紹介している。

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遠賀郡芦屋町

■福岡県遠賀郡芦屋町魚見公園万葉歌碑(巻七 一二三一)■

福岡県遠賀郡芦屋町魚見公園万葉歌碑(作者未詳)

●この歌は、上述の岡田宮の歌と同じなので省略させていただきます。

 

この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その889)」で紹介している。

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宗像市

■福岡県宗像市玄海町 宗像大社第二駐車場万葉歌碑(巻七 一二三〇、巻六 九六三)■

福岡県宗像市玄海町 宗像大社第二駐車場万葉歌碑(作者未詳、大伴坂上郎女

●巻七 一二三〇からみていこう。

 

◆千磐破 金之三埼乎 過鞆 吾者不忘 壮鹿之須賣神

        (作者未詳 巻七 一二三〇)

 

≪書き下し≫ちはやぶる鐘(かね)の岬(みさき)を過ぎぬとも我(わ)れは忘れじ志賀(しか)の統(す)め神

 

(訳)恐ろしい神の荒れ狂う鐘の岬を漕ぎ過ぎてしまったとしても、われらは忘れまいよ。志賀にいます海の守り神の御加護を。(同上)

(注)ちはやぶる【千早振る】分類枕詞:①荒々しい「氏(うぢ)」ということから、地名「宇治(うぢ)」にかかる。「ちはやぶる宇治の」。②荒々しい神ということから、「神」および「神」を含む語、「神」の名、「神社」の名などにかかる。(学研)

(注)鐘の岬:福岡県宗像市鐘﨑。海の難所。(伊藤脚注)

(注)志賀の統(す)め神:志賀島志賀神社の神。海神。(伊藤脚注)。

 

 

●続いて大伴坂上郎女の歌をみていこう。

 

題詞は、「冬十一月大伴坂上郎女發帥家上道超筑前國宗形郡名兒山之時作歌一首<冬の十一月に、大伴坂上郎女、帥の家を発(た)ちて上(のぼ)り、筑前(つくしのみちのくち)の国の宗像(ぬなかた)の郡(こほり)の名児(なご)の山を越ゆる時に作る歌一首>である。

 

◆大汝 小彦名能 神社者 名著始鷄目 名耳乎 名兒山跡負而 吾戀之 干重之一重裳 奈具佐米七國

          (大伴坂上郎女 巻六 九六三)

 

≪書き下し≫大汝(おほなむち) 少彦名(すくなびこな)の 神こそば 名付(なづ)けそめけめ 名のみを 名児山と負(お)ひて 我(あ)が恋の 千重(ちへ)の一重(ひとへ)も 慰(なぐさ)めなくに

 

(訳)この名児山の名は、神代の昔、大国主命(おおくにぬしのみこと)と少彦名命がはじめて名付けられた由緒深い名だということであるけれども、心がなごむという、名児山という名を背負ってうるばかりで、私の苦しい恋心の、千のうちの一つさえも慰めてはくれないのではないか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)名児山:今のナチゴ山。福岡県福津市宗像市の間の山。歌は、この山の名に興味を感じて詠みなしたもの。(伊藤脚注)

(注)なづけそむ【名付け初む】他動詞:初めて名前を付ける。言いはじめる。(学研)

(注)千重の一重(読み)ちえのひとえ:数多くあるうちのほんの一部分。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典精選版)

 

 

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 この二首と歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その929)」で紹介している

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<福岡市>

■福岡市中央区 大濠公園万葉歌碑(巻十二 三二一五)■

福岡市中央区 大濠公園万葉歌碑(作者未詳)

●歌をみていこう。

 

◆白妙乃 袖之別乎 難見為而 荒津之濱 屋取為鴨

         (作者未詳 巻十二 三二一五)

 

≪書き下し≫白栲(しろたへ)の袖(そで)の別れを難(かた)みして荒津(あらつ)の浜に宿りするかも

 

(訳)このまま着物の袂(たもと)を分かって離れ離れになること、そんな気にはついになれず、船出を延ばし、荒津の浜で一夜の宿を取ることになってしまった。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)しろたへの【白栲の・白妙の】分類枕詞:①白栲(しろたえ)で衣服を作ることから、衣服に関する語「衣(ころも)」「袖(そで)」「袂(たもと)」「帯」「紐(ひも)」「たすき」などにかかる。②白栲は白いことから、「月」「雲」「雪」「波」など、白いものを表す語にかかる。(学研)

(注)そでのわかれ【袖の別れ】分類連語:袖を重ねて共寝した男女が袖を解いて別れること。(学研)

(注)かたみす【難みす】[動]:困難に思う。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)荒津の浜:福岡市中央区西公園付近にあった港。大宰府の外港で官船が発着した。(伊藤脚注)。

 

 



■福岡市中央区 西公園入口万葉歌碑(巻十二 三二一六)■

福岡市中央区 西公園入口万葉歌碑(作者未詳)

●歌をみていこう。

 

草枕 羈行君乎 荒津左右 送来飽 不足社

         (作者未詳 巻十二 三二一六)

 

≪書き下し≫草枕(くさまくら)旅行く君を荒津まで送りぞ来(い)ぬる飽(あ)き足(だ)らねこそ

 

(訳)遠く旅立って行かれるあなた、そのあなたを見送って、荒津まで、とうとう来てしまいました。いつまでも心残りでございますので。(同上)

(注)飽き足らねこそ:とても満足ができないので。(伊藤脚注)。

 

 

分類的題詞は、「問答歌」となっている。巻十二の、三二一一から三二二〇歌までの一対は、左注がすべて、「右二首」となっている。

(注)問答歌:和歌の一種。問いかけの歌と、それに答える歌、すなわち問歌と答歌によって構成される唱和形式の和歌。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 三二一五歌は、大宰府官人、三二一六歌は、遊行婦女が詠った悲別の問答歌である。

 この二人は、別れる時が来たが、別れづらく、とうとう荒津まで一緒に来てしまい最後の一夜を共にしたのであろう。

 

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 三二一五歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その927)」、三二一六歌ならびに歌碑については、同「同(その928)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「『万葉の旅 下』山陽・四国・九州・山陰・北陸」 犬養 孝著 (平凡社ライブラリー

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典精選版」

★「芦屋町観光協会HP(福岡県遠賀郡芦屋町)」