万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その2171)―福岡県(4)太宰府市<1>―

太宰府市(1)>

太宰府市吉松 太宰府歴史スポーツ公園万葉歌碑(巻五 八二三)■

太宰府市吉松 太宰府歴史スポーツ公園万葉歌碑(伴氏百代)

 ●歌をみていこう。

 

◆烏梅能波奈 知良久波伊豆久 志可須我尓 許能紀能夜麻尓 由企波布理都ゝ  大監伴氏百代

        (伴氏百代 巻五 八二三)

 

≪書き下し≫梅の花散らくはいづくしかすがにこの城(き)の山に雪は降りつつ

 

(訳)梅の花が雪のように散るというのはどこなのでしょう。そうは申しますものの、この城の山にはまだ雪が降っています。その散る花はあの雪なのですね。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)しかすがに【然すがに】副詞:そうはいうものの。そうではあるが、しかしながら。※上代語。 ⇒参考 副詞「しか」、動詞「す」の終止形、接続助詞「がに」が連なって一語化したもの。中古以降はもっぱら歌語となり、三河の国(愛知県東部)の歌枕(うたまくら)「志賀須賀(しかすが)の渡り」と掛けて用いることも多い。一般には「しか」が「さ」に代わった「さすがに」が多く用いられるようになる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)-く 接尾語 〔四段・ラ変動詞の未然形、形容詞の古い未然形「け」「しけ」、助動詞「けり」「り」「む」「ず」の未然形「けら」「ら」「ま」「な」、「き」の連体形「し」に付い

て〕①…こと。…すること。▽上に接する活用語を名詞化する。②…ことに。…ことには。▽「思ふ」「言ふ」「語る」などの語に付いて、その後に引用文があることを示す。③…ことよ。…ことだなあ。▽文末に用い、体言止めと同じように詠嘆の意を表す。

⇒ 参考(1)一説に、接尾語「らく」とともに、「こと」の意の名詞「あく」が活用語の連体形に付いて変化したものの語尾という。(2)多く上代に用いられ、中古では「いはく」「思はく」など特定の語に残存するようになる。(3)この「く」を準体助詞とする説もある。(学研)

(注)城(き)の山:大野山と同じ。

 

 大野山(おおのやま)については、犬養 孝著「万葉の旅 下 山陽・四国・九州・山陰・北陸」(平凡社ライブラリー)に「大野城市の東で、都府楼址の北方にある四天王寺山脈の山。天智四年(665年)大宰府防備のため大野城が置かれた。「大城山」も同所。(後略)」と書かれている。

 

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 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その890)」で紹介している。

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太宰府市吉松 太宰府歴史スポーツ公園万葉歌碑(巻十 二一九七)■

太宰府市吉松 太宰府歴史スポーツ公園万葉歌碑(作者未詳)

●歌をみてみよう。

 

◆灼然 四具礼乃雨者 零勿國 大城山者 色付尓家里  <謂大城山者 在筑前國御笠郡之大野山頂 号曰大城者也>

        (作者未詳 巻十 二一九七)

 

≪書き下し≫いちしろくしぐれの雨は降らなくに大城(おほき)の山は色づきにけり  <「大城」といふは筑前の国の御笠の郡の大野山の頂にあり、号(なづ)けて「大城」といふ>

 

(訳)それほど激しく時雨(しぐれ)の雨が降ったわけでもないのに、大城の山は早くも色づいてきた。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)いちしろし【著し】形容詞:「いちしるし」に同じ。 ※上代語(学研)

(注)いちしるし【著し】形容詞:明白だ。はっきりしている。 ⇒参考 古くは「いちしろし」。中世以降、シク活用となり、「いちじるし」と濁って用いられる。「いち」は接頭語。(学研)

(注)大城の山:大宰府背後の大野山。

(注)御笠:大宰府周辺の旧郡名。(伊藤脚注)

 

 

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 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その892)」で紹介している。

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■福岡県太宰府市吉松 太宰府歴史スポーツ公園万葉歌碑(巻五 七九八)■ 

福岡県太宰府市吉松 太宰府歴史スポーツ公園万葉歌碑(作者未詳)
 20201117撮影

●歌をみていこう。

 

◆伊毛何美斯 阿布知乃波那波 知利奴倍斯 和何那久那美多 伊摩陁飛那久尓

          (山上憶良 巻五 七九八)                             

 

≪書き下し≫妹(いも)が見し楝(あふち)の花は散りぬべし我(わ)が泣く涙(なみた)いまだ干(ひ)なくに

 

(訳)妻が好んで見た楝(おうち)の花は、いくら奈良でももう散ってしまうにちがいない。。妻を悲しんで泣く私の涙はまだ乾きもしないのに。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その893)」で紹介している。

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■福岡県太宰府市吉松 太宰府歴史スポーツ公園万葉歌碑(巻六 九六一)■

福岡県太宰府市吉松 太宰府歴史スポーツ公園万葉歌碑(大伴旅人

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「帥大伴卿宿次田温泉聞鶴喧作歌一首」<帥大伴卿、次田(すきた)の温泉(ゆ)に宿(やど)り、鶴の声を聞きて作る歌一首>である。

(注)次田温泉:大宰府の南、二日市温泉

 

◆湯原尓 鳴蘆多頭者 如吾 妹尓戀哉 時不定

         (大伴旅人 巻六 九六一)

 

≪書き下し≫湯の原に鳴く葦鶴(あしたづ)は我(あ)がごとく妹(いも)に恋ふれや時わかず鳴く

 

(訳)湯の原に鳴く葦鶴(あしたづ)は、私のように妻に恋い焦がれているのであろうか、私ほどではなかろうに、時も定めず鳴き立てている。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)あしたづ【葦鶴】名詞:鶴(つる)。▽葦の生えている水辺によくいるところから。「たづ」は歌語。(学研)

(注)こふ【恋ふ】他動詞:心が引かれる。慕い思う。なつかしく思う。(異性を)恋い慕う。恋する。 ⇒注意 「恋ふ」対象は人だけでなく、物や場所・時の場合もある。(学研)

(注)ときわかず【時分かず】分類連語:四季の別がない。いつと決まっていない。時を選ばない。⇒なりたち 名詞「とき」+四段動詞「わく」の未然形+打消の助動詞「ず」(学研)

(注)や 係助詞:《接続》文末に用いられる場合は活用語の終止形・已然形に付く。文末にある場合:①〔疑問〕…か。②〔問いかけ〕…か。③〔反語〕…(だろう)か、いや、…ない。(学研)

 

 

この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その895)」で紹介している。

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■福岡県太宰府市吉松 太宰府歴史スポーツ公園万葉歌碑(大伴旅人)■

福岡県太宰府市吉松 太宰府歴史スポーツ公園万葉歌碑(巻三 三四〇)

●歌をみてみよう。

 

◆古之 七賢 人等毛 欲為物者 酒西有良師

       (大伴旅人 巻三 三四〇)

 

≪書き下し≫いにしえの七(なな)の賢(さか)しき人たちも欲(ほ)りせしものは酒にしあるらし

 

(訳)いにしえの竹林の七賢人たちさえも、欲しくて欲しくてならなかったものはこの酒であったらしい。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)七賢>竹林の七賢:中国の後漢(ごかん)末から魏(ぎ)を経て西晋(せいしん)に至る間(2世紀末から4世紀初め)に、文学を愛し、酒や囲碁や琴(こと)を好み、世を白眼視して竹林の下に集まり、清談(せいだん)を楽しんだ、阮籍(げんせき)、山濤(さんとう)、向秀(しょうしゅう)、阮咸(げんかん)(以上河南省)、嵆康(けいこう)(安徽(あんき)省)、劉伶(りゅうれい)(江蘇(こうそ)省)、王戎(おうじゅう)(山東省)の7人の知識人たちに与えられた総称。彼らは、魏晋の政権交替期の権謀術数の政治や社会と、形式に堕した儒教の礼教を批判して、偽善的な世間の方則(きまり)の外に身を置いて、老荘の思想を好んだ方外の士である。彼らの常軌を逸したような発言や奇抜な行動は、劉義慶(ぎけい)の『世説新語』に記されている。そこには、たとえば、阮籍は、母の葬式の日に豚を蒸して酒を飲んでいたが、別れに臨んでは号泣一声、血を吐いた、とある。彼らの態度は、人間の純粋な心情をたいせつにすべきことを訴える一つの抵抗の姿勢であり、まったくの世捨て人ではなかった。すなわち、嵆康は素志を貫いて為政者に殺され、山濤は出仕して能吏の評判が高かった。[宮澤正順](コトバンク 小学館 日本大百科全書<ニッポニカ>)

 

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三三八から三五〇歌の歌群の題詞は、「大宰帥大伴卿讃酒歌十三首」<大宰帥(だざいのそち)大伴卿、酒を讃(ほ)むる歌十三首>である。

 

 「讃酒歌」には、漢語を歌ことばに砕いた表現が多々取り入れられている。また、このような連作方式もこれまでの単調な類型化した中央の歌と大きく異なっている。斬新で大陸文学の洗礼を受けた旅人や憶良によって、筑紫歌壇が形成されていったのである。

 大伴家持が年少の頃、大宰府でかかる流れを目の当たりにしていたのである。このことが後に彼の作風に大きな影響を与えたのは否定できない。

讃酒歌十三首を2回に分け、この歌を含む三三八歌から三四四歌までは、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その898-1)で、三四五歌から三五〇歌は、同「同(その898-2)」で紹介している。

 

<三三八歌から三四四歌>」

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<三四五歌から三五〇歌>

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■福岡県太宰府市吉松 太宰府歴史スポーツ公園万葉歌碑(巻八 一五三一)■

福岡県太宰府市吉松 太宰府歴史スポーツ公園万葉歌碑(作者未詳)

歌をみていこう。

 

一五三〇、一五三一歌の題詞は「大宰諸卿大夫幷官人等宴筑前國蘆城驛家歌二首」<大宰(だざい)の諸卿大夫(めへつきみたち)幷(あは)せて官人等(たち)、筑前(つくしのみちのくち)の国の蘆城(あしき)の駅家(うまや)にして宴(うやげ)する歌二首>である。

なお左注は、「右二首作者未詳」<右の二首は、作者いまだ詳(つばひ)らかにあらず>である。

 

◆珠匣 葦木乃河乎 今日見者 迄萬代 将忘八方

         (作者未詳 巻八 一五三一)

 

≪書き下し≫玉櫛笥(たまくしげ)蘆城の川を今日(けふ)見ては万代(よろずよ)までに忘らえめやも

 

(訳)蘆城の川、この川を今日見たからには、いついつまでも忘れられようか。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

(注)たまくしげ【玉櫛笥・玉匣】分類枕詞:くしげを開けることから「あく」に、くしげにはふたがあることから「二(ふた)」「二上山」「二見」に、ふたをして覆うことから「覆ふ」に、身があることから、「三諸(みもろ)・(みむろ)」「三室戸(みむろと)」に、箱であることから「箱」などにかかる。(学研)

(注の注)「蘆城」の枕詞であるが、かかり方は未詳。

(注)めやも 分類連語:…だろうか、いや…ではないなあ。 ⇒なりたち 推量の助動詞「む」の已然形+反語の係助詞「や」+終助詞「も」(学研)

 

蘆城(あしき):筑紫野市阿志岐(あしき)の地。太宰府の東南約四キロ。官道にあたっていた。(犬養 孝著「万葉の旅 下 山陰・四国・九州・山陰・北陸」平凡社ライブラリー

 

 

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その899)」で紹介している。

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 太宰府歴史スポーツ公園には、「万葉の散歩道」に沿って、万葉歌碑が10基立てられている。残り4基については、下記に歌碑と副碑の写真を掲載しておきます。

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の旅 下 山陰・四国・九州・山陰・北陸」 犬養 孝著 (平凡社ライブラリー

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 小学館 日本大百科全書<ニッポニカ>」