万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その2173)―福岡県(6)太宰府市<3>―

太宰府市(3)>

■福岡県太宰府市大佐野 太宰府メモリアルパーク万葉歌碑(巻五 八二二)■

福岡県太宰府市大佐野 太宰府メモリアルパーク万葉歌碑(大伴旅人

●歌をみていこう。

 

◆和何則能尓 宇米能波奈知流 比佐可多能 阿米欲里由吉能 那何列久流加母 [主人]           (大伴旅人 巻八 八二二)

 

≪書き下し≫我(わ)が園(その)に梅の花散るひさかたの天(あめ)より雪の流れ来(く)るかも  主人

 

(訳)この我らの園に梅の花がしきりに散る。遥かな天空から雪が流れて来るのであろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)

(注)天(あめ)より雪の流れ来(く)るかも:梅花を雪に見立てている。六朝以来の漢詩に多い。(伊藤脚注)

(注)主人:宴のあるじ。大伴旅人。(伊藤脚注)

 

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 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その900)」で紹介している。こちらでは、旅人の父大伴安麻呂についてもふれている。

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■福岡県太宰府市大佐野 太宰府メモリアルパーク万葉歌碑(巻十一 二四八〇)■

福岡県太宰府市大佐野 太宰府メモリアルパーク万葉歌碑(柿本人麻呂歌集)
20221117撮影

●歌をみていこう。

 

◆路邊 壹師花 灼然 人皆知 我戀孋  或本日 灼然 人知尓家里 継而之念者

         (柿本人麻呂歌集 巻十一 二四八〇)

 

≪書き下し≫道の辺(へ)のいちしの花のいちしろく人皆知りぬ我(あ)が恋妻(こひづま)は   或る本の歌には「いちしろく人知りにけり継ぎてし思へば」といふ

 

(訳)道端のいちしの花ではないが、いちじるしく・・・はっきりと、世間の人がみんな知ってしまった。私の恋妻のことは。<いちじるしく世間の人が知ってしまったよ。絶えずあの子のことを思っているので>(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句は序。同音で「いちしろく」を起す。(伊藤脚注)

(注)いちしろし【著し】形容詞:「いちしるし」に同じ。※上代語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)いちしるし【著し】形容詞:明白だ。はっきりしている。※参考古くは「いちしろし」。中世以降、シク活用となり、「いちじるし」と濁って用いられる。「いち」は接頭語。(同上)

 

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感想(1件)

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その904)」で紹介している。

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「いちし」が詠まれているのは、万葉集ではこの一首だけである。「いちし」については、古くからダイオウ、ギンギシ、クサイチゴ、エゴノキ、イタドリ、ヒガンバナなど諸説があったという。万葉植物のなかでも難解といわれていたが、牧野富太郎氏により、ヒガンバナ説がとなえられた。山口県では、イチシバナ、福岡県では、イチヂバナという方言があることが確認されヒガンバナ説が定説化されたという。(「植物で見る万葉の世界」國學院大學「万葉の花の会」発行)

 

 

 

太宰府市大佐野 太宰府メモリアルパーク万葉歌碑(巻五 七九三)■ 

太宰府市大佐野 太宰府メモリアルパーク万葉歌碑(大伴旅人) 20201117撮影

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「大宰帥大伴卿報凶問歌一首」<大宰帥(だざいのそち)大伴卿(おほとものまへつきみ)、凶問(きょうもん)に報(こた)ふる歌一首>である。

(注)凶問(きょうもん)〘名〙: 凶事の知らせ。死去の知らせ。凶音。一説に、凶事を慰問すること。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

前文は、「禍故重疊 凶問累集 永懐崩心之悲 獨流断腸之泣 但依兩君大助傾命纔継耳<  筆不盡言 古今所歎>」である。

 

≪前文の書き下し≫禍故重疊(くわこちようでふ)し、凶問累集(るいじふ)す。永(ひたふる)に崩心(ほうしん)の悲しびを懐(むだ)き、獨(もは)ら断腸(だんちやう)の泣(なみた)を流す。ただ、両君の大助(たいじよ)によりて、傾命(けいめい)をわづかに継げらくのみ。    <筆の言を盡さぬは、古今歎くところ>

 

≪前文訳≫不幸が重なり、悪い報(しら)せが続きます。ひたすら崩心の悲しみに沈み、ひとり断腸の涙を流しています。ただただ、両君のこの上ないお力添えによって、いくばくもない余命をようやく繋ぎ留めているばかりです。<筆では言いたいことも尽くせないのは、昔も今も一様に嘆くところです。>(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)禍故重疊し、凶問累集す:不幸が重なり、凶報が続く。旅人は神亀五年(728年)の四月初旬、筑紫で妻大伴女郎を失った。(伊藤脚注)

(注)ひたぶるなり【頓なり・一向なり】形容動詞:①ひたすらだ。いちずだ。②〔連用形の形で、下に打消の語を伴って〕いっこうに。まったく。(学研)

(注)両君:庶弟稲公と甥胡麻呂か。(伊藤脚注)

(注)傾命:余命(伊藤脚注)

 

◆余能奈可波 牟奈之伎母乃等 志流等伎子 伊与余麻須万須 加奈之可利家理

         (大伴旅人 巻五 七九三)

 

≪書き下し≫世の中は空(むな)しきものと知る時しいよよますます悲しかりけり

 

(訳)世の中とは空しいものだと思い知るにつけ、さらにいっそう深い悲しみがこみあげてきてしまうのです。(同上)

(注)上二句は「世間空」の翻案。(伊藤脚注)

(注)いよよ【愈】副詞:なおその上に。いよいよ。いっそう。(学研)

 

 

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その909)」で紹介している。

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■福岡県太宰府市大佐野 太宰府メモリアルパーク万葉歌碑(巻五 七九四)■

福岡県太宰府市大佐野 太宰府メモリアルパーク万葉歌碑(山上憶良

●歌をみていこう。

 

七九四から七九九歌の歌群は、「 漢文の前文、漢詩、七九四歌(長歌)、反歌五首(七九五から七九九歌)」から成り立っている。

 

 漢文の前文ならびに漢詩からみてみよう。

 

◆(前文ならびに漢詩)「盖聞 四生起滅方夢皆空 三界漂流喩環不息 所以維摩大士在于方丈 有懐染疾之患 釋迦能仁坐於雙林 無免泥洹之苦 故知 二聖至極不能拂力負之尋至 三千世界誰能逃黒闇之捜来二鼠競走而度目之鳥旦飛 四蛇争侵而過隙之駒夕走 嗟乎痛哉 紅顏共三従長逝 素質与四徳永滅 何圖 偕老違於要期獨飛生於半路 蘭室屏風徒張 断腸之哀弥痛 枕頭明鏡空懸 染筠之涙逾落 泉門一掩、無由再見 嗚呼哀哉

 

愛河波浪已先滅

苦海煩悩亦無結

従来厭離此穢土

本願託生彼浄刹」

 

 ≪漢文の前文の書き下し≫けだし聞く、四生(ししやう)の起滅(きめつ)は夢(いめ)のみな空(むな)しきがごとく、三界(さんがい)の漂流(へうる)は環(わ)の息(とど)まらぬがごとし。このゆゑに、維摩大士(ゆいまだいじ)も方丈(はうじやう)に在(あ)りて染疾(ぜんしつ)の患(うれへ)を懐(むだ)くことあり、釈迦(しゃか)能仁(のうにん)は、双林(さうりん)に坐(ざ)して泥洹(ないをん)の苦しびを免(まぬか)れたまふことなし、と。故(そゑ)に知りぬ、二聖(にしやう)の至極(しごく)すらに力負(りきふ)の尋(たづ)ね至ることを払(はら)ふことあたはず、三千世界に誰(た)れかよく黒闇(こくあん)の捜(たづ)ね来(きた)ることを逃(のが)れむ、といふことを。二鼠(にそ)競(きほ)ひ走りて、度目(ともく)の鳥旦(あした)に飛ぶ、四蛇(しだ)争(いそ)ひ侵(をか)して、過隙(くわげき)の駒夕(ゆふへ)に走る。ああ痛きかも。紅顏(こうがん)は三従(さんじう)とともに長逝(ちやうせい)す、素質(そしつ)は四徳(しとく)とともに永滅(えいめつ)す。何ぞ図(はか)りきや、偕老(かいらう)は要期(えうご)に違(たが)ひ、独飛(どくひ)して半路(はんろ)に生(い)かむとは。蘭室(らんしつ)には屏風(へいふう)いたづらに張り、断腸(だんちゆう)の哀(かな)しびいよよ痛し、枕頭(しんとう)には明鏡(めいきゃう)空(むな)しく懸(か)かり、染筠 (ぜんゐん)の涙(なみた)いよよ落つ。泉門(せんもん)ひとたび掩(と)ざされて、また見るに由(よし)なし。ああ哀(かな)しきかも。

 

漢詩の書き下し≫

愛河(あいが)の波浪はすでにして滅ぶ、

苦海(くがい)の煩悩(ぼんなう)もまた結ぼほることなし。

従来(もとより)この穢土(ゑど)を厭離(えんり)す、

本願(ほんぐわん)生(しやう)をその浄刹(じやうせつ)に託(よ)せむ。

 

(注)四生(ししょう)〘仏〙: 迷いの世界の生物をその生まれ方によって分けたもの。胎生・卵生・湿生・化生(けしよう)の四種。(コトバンク 三省堂大辞林 第三版)

(注)三界(さんがい)〘仏〙: 心をもつものの存在する欲界・色界・無色界の三つの世界。仏以外の全世界。(コトバンク 三省堂大辞林 第三版)

(注)維摩(読み)ゆいま:大乗仏教経典の一つである『維摩経』の主人公の名。維摩詰 (きつ) ともいう。大乗仏教の空思想の立場に立って部派仏教の修行者を批判する在家仏教者の理想像として描かれている。(コトバンク ブリタニカ国際大百科事典)

(注)方丈(読み)ほうじょう:1丈 (約 3m) 四方の部屋の意で,禅宗寺院の住持や長老の居室をさす。『維摩経』に,維摩居士の室が1丈四方の広さであったという故事に由来する。転じて住職をも意味する。さらに一般的に師の尊称として用いられた。(コトバンク ブリタニカ国際大百科事典)

(注)能仁(読み)のうにん:能忍とも書かれ釈尊を意味する。能仁寂黙 (じゃくもく) とは,サンスクリット語 Śākyamuniの訳語で,聖者を意味する muniを mauna (沈黙の意) と結びつけた,いわば通俗語源解釈に立つ訳語で同じく釈尊をさす。(コトバンク ブリタニカ国際大百科事典)

(注)双林(読み)そうりん : 沙羅双樹(さらそうじゅ)の林。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)泥洹(読み)ないおん:⇒ 涅槃ねはん(コトバンク 大辞林 第三版)

(注)力負(りきふ):力ありて負い行く者。死の魔手。

(注)黒闇(読み)コクアン: くらやみ。暗黒。また、仏教で、迷いの闇。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)二鼠(読み)ニソ:仏語。白・黒の2匹のネズミ。昼夜・日月などにたとえる(コトバンク デジタル大辞泉

(注)四蛇(読み)シダ:天地や肉体を形成している地・水・火・風の4要素を、4匹の毒蛇にたとえた語。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)紅顔:麗しい顔色。「素質」(白い肌)とともに老妻への哀切を深める文飾。

(注)三従(読み)サンジウ《「儀礼」喪服から》昔、婦人の守るべきものとされた三つの事柄。結婚前には父に、結婚後は夫に、夫の死後は子に従うということ(コトバンク デジタル大辞泉

(注)四徳(読み)シトク: 《「礼記」昏義から》婦人のもつべき四つの徳。婦徳・婦言・婦功・婦容。四行。四教。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)偕老(読み)カイロウ:《老いを偕(とも)にする意》夫婦が、年をとるまで仲よく一緒に暮らすこと(コトバンク デジタル大辞泉

(注)独飛:連れを失った鳥が独り飛ぶこと。

(注)染筠 (ぜんゐん)の涙:青竹の肌をも染める涙

 

(注)愛河:愛欲を川に喩えた仏教語

(注)苦海:俗世の苦悩を海に喩えた仏教語

(注)穢土(ゑど):穢れた地上。人間世界

(注)厭離(読み)エンリ:仏語。けがれた現世を嫌い離れること。おんり(コトバンク デジタル大辞泉

(注)浄刹(読み)ジョウセツ:① 清浄な国土。浄土。② 清浄な寺院。また、その境内。(コトバンク デジタル大辞泉

 

(漢文の序の訳)聞くところによれば、万物の生死は夢がすべてはかないのと似ており、全世界の流転は輪が繋がって終わることがないのに似ている。こういうわけで、維摩大士も方丈の室(しつ)で病気の憂いを抱くことがあったし、釈迦能仁も沙羅(さら)双樹の林で死滅の苦しみから逃れることができなかった、とのことである。かくして知ることができる。この無上の二聖人でさえも、死の魔手の訪れを払いのけることはできず、この全世界の間、死神が尋ねてくるのをかわすことは誰にもできないということが。この世では、昼と夜とが先を争って進み、時は、朝に飛ぶ鳥が飛ぶ鳥が眼前を横切るように一瞬にして過ぎてしまうし、人体を構成する地水火風が互いにせめぎあって、身は、夕べに走る駒が隙間を通り過ぎるように瞬間にして消えてしまうのである。ああ、せつない。

こうして世の中の理(ことわり)のままに、妻の麗(うるわ)しい顔色は三従の婦徳とともに永遠に消え行き、その白い肌は四徳の婦道とともに永遠に飛び去ってしまった。誰が思い設けたことか、夫婦共白髪の契りは空しむも果たされず、まるではぐれ鳥のように人生半ばにして独りわびしく取り残されようとは。かぐわしい閨(ねや)には屏風(びょうぶ)が空しく張られたままで、腸もちぎれるばかりの悲しみはいよいよ深まるばかり、枕元には明鏡が空しく懸ったままで、青竹の皮をも染める涙がいよいよ流れ落ちる。しかし、黄泉(よみ)の門がいったん閉ざされたからには、もう二度と見る手立てはない。ああ、悲しい。

 

いとしい妻はすでに死んでしまって、身を襲う煩悩も結ばれることなくただ揺れ動くばかり。私は前々からこの穢(けが)れた地上から逃れたいと思っていた。乞い願わくは、仏の本願にすがって、妻のいるかの極楽浄土に命を寄せたいものだ。(同上)

 

 歌碑の七九四歌をみていこう。

 

題詞は、「日本挽歌一首」<日本挽歌(にほんばんか)一首>である。

 

◆大王能 等保乃朝廷等 斯良農比 筑紫國尓 泣子那須 斯多比枳摩斯提 伊企陁尓母伊摩陁夜周米受 年月母 伊摩他阿良祢婆 許ゝ呂由母 於母波奴阿比陁尓 宇知那毗枳 許夜斯努礼 伊波牟須弊 世武須弊斯良尓 石木乎母 刀比佐氣斯良受 伊弊那良婆 迦多知波阿良牟乎 宇良賣斯企 伊毛乃美許等能 阿礼乎婆母 伊可尓世与等可 尓保鳥能 布多利那良毗為 加多良比斯 許ゝ呂曽牟企弖 伊弊社可利伊摩須

        (山上憶良 巻五 七九四)

 

≪書き下し≫大君(おほきみ)の 遠(とほ)の朝廷(みかど)と しらぬひ 筑紫(つくし)の国に 泣く子なす 慕(した)ひ来(き)まして 息(いき)だにも いまだ休めず 年月(としつき)も いまだあらねば 心ゆも 思はぬ間(あひだ)に うち靡(なび)き 臥(こ)やしぬれ 言はむすべ 為(せ)むすべ知らに 石木(いはき)をも 問(と)ひ放(さ)け知らず 家(いへ)ならば かたちはあらむを 恨(うら)めしき 妹(いも)の命(みこと)の 我(あ)れをばも いかにせよとか にほ鳥(どり)の ふたり並び居(ゐ) 語らひし 心背(そむ)きて 家離(ざか)りいます

 

(訳)都遠く離れた大君の政庁だからと、この筑紫の国に、泣く子のようにむりやり付いて来て、息すら休める間もなく年月もいくらも経たないのに、思いもかけぬ間(ま)にぐったりと臥(ふ)してしまわれたので、どう言手だてもわからず、せめて庭の岩や木に問いかけて心を晴らそうとするがそれもかなわず、途方にくれるばかりだ。ああ、あのまま奈良の家にいたなら、しゃんとしていられたろうに、恨めしい妻だが、この私にどうせよという気なのか、かいつぶりのように二人並んで夫婦の語らいを交わしたその心に背いて、家を離れて行ってしまわれた。(同上)

(注)しらぬひ 分類枕詞:語義・かかる理由未詳。地名「筑紫(つくし)」にかかる。「しらぬひ筑紫」。 ※中古以降「しらぬひの」とも。(学研)

 (注)したふ【慕ふ】他動詞:①(心引かれて)あとを追う。ついて行く。②恋しく思う。愛惜する。慕う。(学研) ここでは①の意

 

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 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その910)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

 七九四歌の反歌、七九五から七九九歌の歌ならびに歌碑については、下記に歌碑と歌の解説案内文の写真を掲載いたします。



 

 太宰府メモリアルパーク管理事務所前の広場に「令和元号記念碑」と新元号「令和」誕生の舞台となった、天平の「梅花の宴」の説明案内図絵が設置されていた。

「令和元号記念碑」と「梅花の宴の説明案内図絵」 20201117撮影

 

 梅花の宴の三十二首については、次の通り紹介している。

序ならびに822歌は、「太宰府番外編その1」

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

815から821歌は、「太宰府番外編その2」

 ➡ 

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823から829歌は、「太宰府番外編その3」

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

830から837歌は、「太宰府番外編その4」

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

838から845歌は、「太宰府番外編その5」

 ➡ 

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」國學院大學「万葉の花の会」発行

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「コトバンク デジタル大辞泉

★「コトバンク 三省堂大辞林 第三版」

★「コトバンク ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」