万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その2175)―江津市―

江津市

島根県江津市波子町 辛の崎万葉歌碑(巻二 一三五)■

島根県江津市波子町 辛の崎万葉歌碑(柿本人麻呂

●歌をみていこう。

 

◆角障經 石見之海乃 言佐敝久 辛乃埼有 伊久里尓曽 深海松生流 荒礒尓曽 玉藻者生流 玉藻成 靡寐之兒乎 深海松乃 深目手思騰 左宿夜者 幾毛不有 延都多乃 別之来者 肝向 心乎痛 念乍 顧為騰 大舟之 渡乃山之 黄葉乃 散之乱尓 妹袖 清尓毛不見 嬬隠有 屋上乃 <一云 室上山> 山乃 自雲間 渡相月乃 雖惜 隠比来者 天傳 入日刺奴礼 大夫跡 念有吾毛 敷妙乃 衣袖者 通而沾奴

         (柿本人麻呂 巻二 一三五)

 

≪書き下し≫つのさはふ 石見の海の 言(こと)さへく 唐(から)の崎なる 海石(いくり)にぞ 深海松(ふかみる)生(お)ふる 荒礒(ありそ)にぞ 玉藻は生ふる 玉藻なす 靡(なび)き寝し子を 深海松の 深めて思へど さ寝(ね)し夜(よ)は 幾時(いくだ)もあらず 延(は)ふ蔦(つた)の 別れし来れば 肝(きも)向(むか)ふ 心を痛み 思ひつつ かへり見すれど 大船(おほぶね)の 渡(わたり)の山の 黄葉(もみちば)の 散りの乱(まが)ひに 妹が袖 さやにも見えず 妻ごもる 屋上(やかみ)の<一には「室上山」といふ> 山の 雲間(くもま)より 渡らふ月の 惜しけども 隠(かく)らひ来れば 天伝(あまづた)ふ 入日(いりひ)さしぬれ ますらをと 思へる我(わ)れも 敷栲(しきたへ)の 衣の袖は 通りて濡(ぬ)れぬ

 

(訳)石見の海の唐の崎にある暗礁にも深海松(ふかみる)は生い茂っている、荒磯にも玉藻は生い茂っている。その玉藻のように私に寄り添い寝たいとしい子を、その深海松のように深く深く思うけれど、共寝した夜はいくらもなく、這(は)う蔦の別るように別れて来たので、心痛さに堪えられず、ますます悲しい思いにふけりながら振り返って見るけど、渡(わたり)の山のもみじ葉が散り乱れて妻の振る袖もはっきりとは見えず、そして屋上(やかみ)の山<室上山>の雲間を渡る月が名残惜しくも姿を隠して行くように、ついにあの子の姿が見えなくなったその折しも、寂しく入日が射して来たので、ひとかどの男子だと思っている私も、衣の袖、あの子との思い出のこもるこの袖は涙ですっかり濡れ通ってしまった。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)つのさはふ 分類枕詞:「いは(岩・石)」「石見(いはみ)」「磐余(いはれ)」などにかかる。語義・かかる理由未詳。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)ことさへく【言さへく】分類枕詞:外国人の言葉が通じにくく、ただやかましいだけであることから、「韓(から)」「百済(くだら)」にかかる。 ※「さへく」は騒がしくしゃべる意。(学研)

(注)唐の崎:江津市大鼻崎あたりかという。(伊藤脚注)

(注)いくり【海石】名詞:海中の岩石。暗礁。(学研)

(注)ふかみる【深海松】名詞:海底深く生えている海松(みる)(=海藻の一種)(学研)

(注)ふかみるの【深海松の】分類枕詞:同音の繰り返しで、「深む」「見る」にかかる。(学研)

(注)たまもなす【玉藻なす】分類枕詞:美しい海藻のようにの意から、「浮かぶ」「なびく」「寄る」などにかかる。(学研)

(注)さね【さ寝】名詞:寝ること。特に、男女が共寝をすること。 ※「さ」は接頭語。(学研)

(注)はふつたの【這ふ蔦の】分類枕詞:蔦のつるが、いくつもの筋に分かれてはいのびていくことから「別る」「おのが向き向き」などにかかる。(学研)

(注)きもむかふ【肝向かふ】分類枕詞:肝臓は心臓と向き合っていると考えられたことから「心」にかかる。(学研)

(注)おほぶねの【大船の】分類枕詞:①大船が海上で揺れるようすから「たゆたふ」「ゆくらゆくら」「たゆ」にかかる。②大船を頼りにするところから「たのむ」「思ひたのむ」にかかる。③大船がとまるところから「津」「渡り」に、また、船の「かぢとり」に音が似るところから地名「香取(かとり)」にかかる。(学研)

(注)渡の山:所在未詳。(伊藤脚注)。

(注)つまごもる【夫隠る/妻隠る】[枕]:① 地名「小佐保(をさほ)」にかかる。かかり方未詳。② つまが物忌みのときにこもる屋の意から、「屋(や)」と同音をもつ地名「屋上の山」「矢野の神山」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)屋上の山:別名 浅利富士、室神山、高仙。標高246m(江津の萬葉ゆかりの地MAP)

(注)わたらふ【渡らふ】分類連語:渡って行く。移って行く。 ⇒なりたち 動詞「わたる」の未然形+反復継続の助動詞「ふ」(学研)

(注)かくらふ【隠らふ】分類連語:繰り返し隠れる。 ※上代語。 ⇒なりたち 動詞「かくる」の未然形+反復継続の助動詞「ふ」(学研)

(注)あまづたふ【天伝ふ】分類枕詞:空を伝い行く太陽の意から、「日」「入り日」などにかかる。(学研)

 

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1332)」で紹介している。

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 枕詞「つのさはふ」について、朴 炳植氏はその著「『万葉集』は韓国語で歌われた 万葉集の発見」(学習研究社)のなかで、「・・・『冠辞考』には『ツタハフ(蔦はう)』の意・・・昔は『ツヌ・ツナ・ツタ』は相通ずるものであったとあるのは、『ヌ→ナ→タ変化』の法則にかなった正解である。・・・「サ」は『サカン(盛ん)』という言葉に使われた『サ』と同じ意味のもので、『盛・繁・茂』などを表すものである。そうすると『ツノサハフ』は「蔦の茂生した」ということになり、『磐・石』の枕詞として使われる理由がはっきりしてくるのである。ちなみに『サカン(盛ん)』の語源は『スア=より一層大いに→サ』『ハン=・・・のように、・・・である→(ハ行→カ行変化)』が原形で、『より大いに・盛んに』が原意である。」と書かれている。

 

 

 

島根県江津市都野津町 都野津柿本神社万葉歌碑(巻二 一三二)■

島根県江津市都野津町 都野津柿本神社万葉歌碑(柿本人麻呂

●歌をみてみよう。

 

◆石見乃也 高角山之 木際従 我振袖乎 妹見都良武香

      (柿本人麻呂 巻二 一三二)

 

≪書き下し≫石見(いはみ)のや高角山(たかつのやま)の木の間より我(わ)が振る袖を 妹見つらむか

 

(訳)石見の、高角山の木の間から名残を惜しんで私が振る袖、ああこの袖をあの子は見てくれているであろうか。(同上)

(注)高角山:角の地の最も高い山。妻の里一帯を見納める山をこう言った。(伊藤脚注)

(注)我が振る袖を妹見つらむか:最後の別れを惜しむ所作。(伊藤脚注)

(注)つらむ 分類連語:①〔「らむ」が現在の推量の意の場合〕…ているだろう。…たであろう。▽目の前にない事柄について、確かに起こっているであろうと推量する。②〔「らむ」が現在の原因・理由の推量の意の場合〕…たのだろう。▽目の前に見えている事実について、理由・根拠などを推量する。 ⇒なりたち:完了(確述)の助動詞「つ」の終止形+推量の助動詞「らむ」(学研)ここでは①の意

(注の注)「妹見つらむか」に作者の興奮した気持ちが表れている。(学研)

 

この歌は、題詞、「柿本朝臣人麻呂従石見國別妻上来時歌二首并短歌」<柿本朝臣人麻呂、石見(いはみ)の国より妻に別れて上(のぼ)り来(く)る時の歌二首并(あは)せて短歌>の前群の反歌二首の一首である。

 

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1333)」で紹介している。

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島根県江津市二宮町神主 君寺万葉歌碑(巻二 一四〇)■

島根県江津市二宮町神主 君寺万葉歌碑(依羅娘子)

 

●  歌をみていこう。

 

◆勿念跡 君者雖言 相時 何時跡知而加 吾不戀有牟

       (依羅娘子 巻二 一四〇)

 

≪書き下し≫な思ひと君は言へども逢はむ時いつと知りてか我(あ)が恋ひずあらむ

 

(訳)そんなに思い悩まないでくれとあなたはおっしゃるけれど、この私は、今度お逢いできる日をいつと知って、恋い焦がれないでいたらよいのでしょうか。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)な 副詞:①…(する)な。…(してくれる)な。▽すぐ下の動詞の表す動作を禁止する意を表す。◇上代語。②〔終助詞「そ」と呼応した「な…そ」の形で〕…(し)てくれるな。▽終助詞「な」に比してもの柔らかで、あつらえに近い禁止の意を表す。 ⇒語法 下に動詞の連用形(カ変・サ変は未然形)を伴う。 ⇒注意 禁止の終助詞「な」(動詞型活用語の終止形に接続)と混同しないこと。 ⇒参考 ①②とも、上代から用いられているが、②は中古末期以降、「な」が省略され、「そ」のみで禁止を表す用法も見られる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

依羅娘子(よさみのをとめ)については、伊藤氏は、この歌の題詞の脚注で、「人麻呂の妻の一人。摂津・河内にまたがって「依羅」の郷がありその地出身の女性らしいが、万葉では石見の妻とされている。」と書かれており、また、題詞の「人麻呂と相別るる歌一首」に関しては、「見納めの山での抒情から逆に妻が見えなくなる時の景へと戻っていく人麻呂の構えに対応して、別れぎわの心情を示す妻の作として、のちに人麻呂が組み合わせた歌らしい。」と書かれている。

 

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 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1334)」で紹介している。

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◆◆◆江津市内の万葉歌碑巡りには、江津市商工観光課・江津市観光協会発行のパンフレット「ぐるっと人麻呂!江津物語 萬葉の歌碑巡り 人麻呂と依羅娘子(よさみのおとめ)」を事前に入手されれば便利であるうえ、後で資料等の整理にあたっても重宝です。おすすめです。◆◆◆ 

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 人麻呂と依羅娘子(よさみのおとめ)」

 

 

島根県江津市二宮町神主 二宮交流館万葉歌碑(巻二 二二四・二二五)■

島根県江津市二宮町神主 二宮交流館万葉歌碑(依羅娘子)

●歌をみていこう。

 

題詞は、「柿本朝臣人麻呂死時妻依羅娘子作歌二首」<柿本朝臣人麻呂が死にし時に、妻依羅娘子(よさみのをとめ)が作る歌二首>である。

 

◆且今日ゝゝゝ 吾待君者 石水之 貝尓 <一云 谷尓> 交而 有登不言八方

       (依羅娘子 巻二 二二四)

 

≪書き下し≫今日今日(けふけふ)と我(あ)が待つ君は石川(いしかは)の峽(かひ)に <一には「谷に」といふ> 交(まじ)りてありといはずやも

 

(訳)今日か今日かと私が待ち焦がれているお方は、石川の山峡に<谷間(たにあい)に>迷いこんでしまっているというではないか。(同上)

(注)石川:石見の川の名。所在未詳。諸国に分布し、「鴨」の地名と組みになっていることが多い。(伊藤脚注)。

(注)まじる【交じる・雑じる・混じる】自動詞:①入りまじる。まざる。②(山野などに)分け入る。入り込む。③仲間に入る。つきあう。交わる。宮仕えする。④〔多く否定の表現を伴って〕じゃまをされる。(学研)ここでは②の意

(注)やも [係助]《係助詞「や」+係助詞「も」から。上代語》:(文中用法)名詞、活用語の已然形に付く。①詠嘆を込めた反語の意を表す。②詠嘆を込めた疑問の意を表す。 (文末用法) ①已然形に付いて、詠嘆を込めた反語の意を表す。…だろうか(いや、そうではない)。②已然形・終止形に付いて、詠嘆を込めた疑問の意を表す。…かまあ。→めやも [補説] 「も」は、一説に間投助詞ともいわれる。中古以降には「やは」がこれに代わった。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 

◆直相者 相不勝 石川尓 雲立渡礼 見乍将偲

       (依羅娘子 巻二 二二五)

 

≪書き下し≫直(ただ)に逢はば逢ひかつましじ石川に雲立ち渡れ見つつ偲はむ

 

(訳)じかにお逢いすることは、とても無理であろう。石川一帯に、雲よ立渡っておくれ。せめてお前を見ながらあの方をお偲びしよう。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)ただなり【直なり・徒なり】形容動詞:①直接だ。じかだ。まっすぐだ。②生地のままだ。ありのままだ。③普通だ。あたりまえだ。④何もせずにそのままである。何事もない。⑤むなしい。何の効果もない。(学研)ここでは①の意

(注)かつましじ 分類連語:…えないだろう。…できそうにない。 ※上代語。 ⇒

なりたち 可能の補助動詞「かつ」の終止形+打消推量の助動詞「ましじ」(学研)

(注)雲:雲は霊魂の象徴とされ、人を偲ぶよすがとされた。(伊藤脚注)

 

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1335)」で紹介している。

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島根県江津市島の星町萬葉銅像建立記念碑(巻二 一四〇、一三一)■

島根県江津市島の星町萬葉銅像建立記念碑(依羅娘子・柿本人麻呂

●歌をみてみよう。

 

 依羅娘子の一四〇歌については、上述の「君寺万葉歌碑」と同じなので省略させていただきます。

 

柿本人麻呂の一三一歌をみてみよう。

 

◆石見乃海 角乃浦廻乎 浦無等 人社見良目 滷無等<一云 礒無登> 人社見良目 能咲八師 浦者無友 縦畫屋師 滷者 <一云 礒者> 無鞆 鯨魚取 海邊乎指而 和多豆乃 荒礒乃上尓 香青生 玉藻息津藻 朝羽振 風社依米 夕羽振流 浪社来縁 浪之共 彼縁此依 玉藻成 依宿之妹乎<一云 波之伎余思妹之手本乎> 露霜乃 置而之来者 此道乃 八十隈毎 萬段 顧為騰 弥遠尓 里者放奴 益高尓 山毛越来奴 夏草之 念思奈要而 志怒布良武 妹之門将見 靡此山

     (柿本人麻呂 巻二 一三一)

 

≪書き下し≫石見(いはみ)の海 角(つの)の浦(うら)みを 浦なしと 人こそ見(み)らめ潟(かた)なしと<一には「礒なしと」といふ> 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟は<一に「礒は」といふ>なくとも 鯨魚(いさな)取(と)り 海辺(うみへ)を指して 和多津(にきたづ)の 荒礒(ありそ)の上(うへ)に か青(あを)く生(お)ふる 玉藻沖つ藻 朝羽(あさは)振(ふ)る 風こそ寄らめ 夕 (ゆふ)羽振る 波こそ来(き)寄れ 浪の共(むた) か寄りかく寄る 玉藻なす 寄り寝し妹を<一には「はしきよし妹が手本(たもと)を> 露霜(つゆしも)の 置きてし来(く)れば この道の 八十隈(やそくま)ごとに 万(よろづ)たび かへり見すれど いや遠(とほ)の 里は離(さか)りぬ いや高(たか)に 山も越え来ぬ 夏草(なつくさ)の 思ひ萎(しな)へて 偲(しの)ふらむ 妹(いも)が門(かど)見む 靡(なび)けこの山

 

(訳)石見の海、その角(つの)の浦辺(うらべ)を、よい浦がないと人は見もしよう。よい干潟がないと<よい磯がないと>人は見もしよう。が、たとえよい浦はないにしても、たとえよい干潟は<よい磯は>はないにしても、この角の海辺を目指しては、和田津(にきたづ)の荒磯のあたりに青々と生い茂る美しい沖の藻、その藻に、朝(あした)に立つ風が寄ろう、夕(ゆうべ)に揺れ立つ波が寄って来る。その寄せる風浪(かざなみ)のままに寄り伏し寄り伏しする美しい藻のように私に寄り添い寝たいとしい子であるのに、その大切な子を<そのいとしいあの子の手を>、冷え冷えとした露の置くようにはかなくも置き去りにして来たので、この行く道の曲がり角ごとに、いくたびもいくたびも振り返って見るけど、あの子の里はいよいよ遠ざかってしまった。いよいよ高く山も越えて来てしまった。強い日差しで萎(しぼ)んでしまう夏草のようにしょんぼりして私を偲(しの)んでいるであろう。そのいとしい子の門(かど)を見たい。邪魔だ、靡いてしまえ、この山よ。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)角の浦:島根県江津市都野津町あたりか

(注)うらみ【浦廻・浦回】名詞:入り江。海岸の曲がりくねって入り組んだ所。(学研)

(注)よしゑやし【縦しゑやし】分類連語:①ままよ。ええ、どうともなれ。②たとえ。よしんば。 ※上代語。 ⇒なりたち 副詞「よしゑ」+間投助詞「やし」(学研)ここでは②の意

(注)いさなとり【鯨魚取り・勇魚取り】( 枕詞 ):クジラを捕る所の意で「海」「浜」「灘(なだ)」にかかる。 (weblio辞書 三省堂大辞林第三版)

(注)和田津(にきたづ):所在未詳

(注)ありそ【荒磯】名詞:岩石が多く、荒波の打ち寄せる海岸。 ※「あらいそ」の変化した語。(学研)

(注)はぶる【羽振る】自動詞:飛びかける。はばたく。飛び上がる。「はふる」とも。(学研)

(注)朝羽振る 風こそ寄らめ 夕羽振る 波こそ来寄れ:風波が鳥の翼のはばたくように玉藻に寄せるさま。(伊藤脚注)

(注)むた【共・与】名詞:…と一緒に。…とともに。▽名詞または代名詞に格助詞「の」「が」の付いた語に接続し、全体を副詞的に用いる。(学研)

(注)かよりかくよる【か寄りかく寄る】[連語]あっちへ寄り、こっちへ寄る。(コトバンク デジタル大辞泉

(注の注)か寄りかく寄る 玉藻なす 寄り寝し妹を:前奏を承け、「玉藻」を妻の映像に転換していく。(伊藤脚注)

(注)つゆしもの【露霜の】分類枕詞:①露や霜が消えやすいところから、「消(け)」「過ぐ」にかかる。②露や霜が置く意から、「置く」や、それと同音を含む語にかかる。③露や霜が秋の代表的な景物であるところから、「秋」にかかる。(学研)

(注)なつくさの【夏草の】分類枕詞:①夏草が日に照らされてしなえる意で「思ひしなゆ」②夏草が生えている野の意で「野」を含む地名「野島」や「野沢」にかかる。③夏草が深く茂るところから「繁(しげ)し」「深し」にかかる。④夏草を刈るの意で「刈る」と同音を含む「仮(かり)」「仮初(かりそめ)」にかかる。(学研)

(注)夏草の思ひ萎へて偲ふらむ妹が門見む靡けこの山:結びは短歌形式をなす。(伊藤脚注)

 

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 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1336)」で紹介している。

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島根県江津市島の星町 高角山公園<人丸神社横>万葉歌碑(巻二 一三二)■

島根県江津市島の星町 高角山公園<人丸神社横>万葉歌碑(柿本人麻呂

●この歌は、前述の「都野津柿本神社万葉歌碑」と同じなので省略させていただきます。

 

 


島根県江津市島の星町 高角山公園展望台万葉歌碑(巻二 一三三)■

島根県江津市島の星町 高角山公園展望台万葉歌碑(柿本人麻呂

●歌をみていこう。

 

◆小竹之葉者 三山毛清尓 乱友 吾者妹思 別来礼婆

        (柿本人麻呂 巻二 一三三)

 

≪書き下し≫笹(ささ)の葉はみ山もさやにさやげども我(わ)れは妹思ふ別れ来(き)ぬれば

 

(訳)笹の葉はみ山全体にさやさやとそよいでいるけれども、私はただ一筋にあの子のことを思う。別れて来てしまったので。(同上)

(注)「笹(ささ)の葉はみ山もさやにさやげども」は、高角山の裏側を都に向かう折りの、神秘的な山のそよめき(伊藤脚注)

(注の注)ささのはは…分類和歌:「笹(ささ)の葉はみ山もさやに乱るとも我は妹(いも)思ふ別れ来(き)ぬれば」[訳] 笹の葉は山全体をざわざわさせて風に乱れているけれども、私はひたすら妻のことを思っている。別れて来てしまったので。 ⇒鑑賞長歌に添えた反歌の一つ。妻を残して上京する旅の途中、いちずに妻を思う気持ちを詠んだもの。「乱るとも」を「さやげども(=さやさやと音を立てているけれども)」と読む説もある。(学研)

(注)さやに 副詞:さやさやと。さらさらと。(学研)

 

 

 一三二歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1337)」で、一三三歌ならびに歌碑については、同「同(その1338)」で紹介している。

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島根県江津市 パレットごうつ(江津駅前)万葉歌碑(巻二 一三一)■

島根県江津市 パレットごうつ(江津駅前)万葉歌碑(柿本人麻呂

●この歌は、上述の「萬葉銅像建立記念碑」の歌と同じなので省略させていただきます。

 

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1339)」で紹介している。

 この稿では、高角山公園の柿本人麻呂像・依羅娘子像ならびにこのパレットごうつの依羅娘子像を製作された田中俊睎氏に偶然お逢いしいろいろお話を伺ったり、パレットごうつまで案内していただいたことにふれている。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「『万葉集』は韓国語で歌われた 万葉集の発見」 朴 炳植 著(学習研究社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂大辞林第三版」

★「コトバンク デジタル大辞泉

★「ぐるっと人麻呂!江津物語 萬葉の歌碑巡り 人麻呂と依羅娘子(よさみのおとめ)」 (江津市商工観光課・江津市観光協会