万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その2177)―島根県(4)益田市県立万葉公園 石見の広場<その1>―

 

島根県益田市 県立万葉公園<石見の広場>万葉歌碑(巻二 一三五)■

島根県益田市 県立万葉公園<石見の広場>万葉歌碑(柿本人麻呂

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「柿本朝臣人麻呂従石見國別妻上来時歌二首 幷短歌」<柿本朝臣人麻呂、石見(いはみ)の国より妻に別れて上り来(く)る時の歌二首 幷(あは)せて短歌>の二首目である。

 

◆角障經 石見之海乃 言佐敝久 辛乃埼有 伊久里尓曽 深海松生流 荒礒尓曽 玉藻者生流 玉藻成 靡寐之兒乎 深海松乃 深目手思騰 左宿夜者 幾毛不有 延都多乃 別之来者 肝向 心乎痛 念乍 顧為騰 大舟之 渡乃山之 黄葉乃 散之乱尓 妹袖 清尓毛不見 嬬隠有 屋上乃 <一云 室上山> 山乃 自雲間 渡相月乃 雖惜 隠比来者 天傳 入日刺奴礼 大夫跡 念有吾毛 敷妙乃 衣袖者 通而沾奴

      (柿本人麻呂 巻二 一三五)

 

≪書き下し≫つのさはふ 石見の海の 言(こと)さへく 唐(から)の崎なる 海石(いくり)にぞ 深海松(ふかみる)生(お)ふる 荒礒(ありそ)にぞ 玉藻は生ふる 玉藻なす 靡(なび)き寝し子を 深海松の 深めて思へど さ寝(ね)し夜(よ)は 幾時(いくだ)もあらず 延(は)ふ蔦(つた)の 別れし来れば 肝(きも)向(むか)ふ 心を痛み 思ひつつ かへり見すれど 大船(おほぶね)の 渡(わたり)の山の 黄葉(もみちば)の 散りの乱(まが)ひに 妹が袖 さやにも見えず 妻ごもる 屋上(やかみ)の<一には「室上山」といふ> 山の 雲間(くもま)より 渡らふ月の 惜しけども 隠(かく)らひ来れば 天伝(あまづた)ふ 入日(いりひ)さしぬれ ますらをと 思へる我(わ)れも 敷栲(しきたへ)の 衣の袖は 通りて濡(ぬ)れぬ

 

(訳)石見の海の唐の崎にある暗礁にも深海松(ふかみる)は生い茂っている、荒磯にも玉藻は生い茂っている。その玉藻のように私に寄り添い寝たいとしい子を、その深海松のように深く深く思うけれど、共寝した夜はいくらもなく、這(は)う蔦の別るように別れて来たので、心痛さに堪えられず、ますます悲しい思いにふけりながら振り返って見るけど、渡(わたり)の山のもみじ葉が散り乱れて妻の振る袖もはっきりとは見えず、そして屋上(やかみ)の山<室上山>の雲間を渡る月が名残惜しくも姿を隠して行くように、ついにあの子の姿が見えなくなったその折しも、寂しく入日が射して来たので、ひとかどの男子だと思っている私も、衣の袖、あの子との思い出のこもるこの袖は涙ですっかり濡れ通ってしまった。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)つのさはふ 分類枕詞:「いは(岩・石)」「石見(いはみ)」「磐余(いはれ)」などにかかる。語義・かかる理由未詳。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)ことさへく【言さへく】分類枕詞:外国人の言葉が通じにくく、ただやかましいだけであることから、「韓(から)」「百済(くだら)」にかかる。 ※「さへく」は騒がしくしゃべる意。(学研)

(注)唐の崎:江津市大鼻崎あたりか。

(注)いくり【海石】名詞:海中の岩石。暗礁。(学研)

(注)ふかみる【深海松】名詞:海底深く生えている海松(みる)(=海藻の一種)(学研)

(注)ふかみるの【深海松の】分類枕詞:同音の繰り返しで、「深む」「見る」にかかる。(学研)

(注)たまもなす【玉藻なす】分類枕詞:美しい海藻のようにの意から、「浮かぶ」「なびく」「寄る」などにかかる。(学研)

(注)さね【さ寝】名詞:寝ること。特に、男女が共寝をすること。 ※「さ」は接頭語。(学研)

(注)はふつたの【這ふ蔦の】分類枕詞:蔦のつるが、いくつもの筋に分かれてはいのびていくことから「別る」「おのが向き向き」などにかかる。(学研)

(注)きもむかふ【肝向かふ】分類枕詞:肝臓は心臓と向き合っていると考えられたことから「心」にかかる。(学研)

(注)おほぶねの【大船の】分類枕詞:①大船が海上で揺れるようすから「たゆたふ」「ゆくらゆくら」「たゆ」にかかる。②大船を頼りにするところから「たのむ」「思ひたのむ」にかかる。③大船がとまるところから「津」「渡り」に、また、船の「かぢとり」に音が似るところから地名「香取(かとり)」にかかる。(学研)

(注)渡の山:所在未詳

(注)つまごもる【夫隠る/妻隠る】[枕]:① 地名「小佐保(をさほ)」にかかる。かかり方未詳。② つまが物忌みのときにこもる屋の意から、「屋(や)」と同音をもつ地名「屋上の山」「矢野の神山」にかかる。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)屋上の山:別名 浅利富士、室神山、高仙。標高246m(江津の萬葉ゆかりの地MAP)

(注)わたらふ【渡らふ】分類連語:渡って行く。移って行く。 ⇒なりたち 動詞「わたる」の未然形+反復継続の助動詞「ふ」(学研)

(注)かくらふ【隠らふ】分類連語:繰り返し隠れる。 ※上代語。 ⇒なりたち 動詞「かくる」の未然形+反復継続の助動詞「ふ」(学研)

(注)あまづたふ【天伝ふ】分類枕詞:空を伝い行く太陽の意から、「日」「入り日」などにかかる。(学研)

 

 一三一から一三九歌の歌群は「石見相聞歌」と言われている。一三一から一三四歌の歌群と一三五から一三七歌が、題詞、「柿本朝臣人麻呂従石見國別妻上来時歌二首 幷短歌」<柿本朝臣人麻呂、石見(いはみ)の国より妻に別れて上り来(く)る時の歌二首 幷(あは)せて短歌>の歌群であり、題詞、「或本歌一首 幷短歌」<或本の歌一首 幷(あは)せて短歌>の一三八、一三九歌の歌群からなっている。

 

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感想(1件)

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1258)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 



島根県益田市 県立万葉公園<石見の広場>万葉歌碑(巻二 一三六)■

島根県益田市 県立万葉公園<石見の広場>万葉歌碑(柿本人麻呂

●歌をみていこう。

 

◆青駒之 足掻乎速 雲居曽 妹之當乎 過而来計類 <一云 當者隠来計留>

         (柿本人麻呂 巻二 一三六)

 

≪書き下し≫青駒(あをごま)が足掻(あが)きを速(はや)み雲居(くもゐ)にぞ妹(いも)があたりを過ぎて来にける<一には「あたりは隠り来にける」といふ>

 

(訳)この青駒の奴(やつ)の歩みが速いので、雲居はるかにあの子のあたりを通り過ぎて来てしまった。<あの子のあたりは次第に見えなくなってきた>(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)あがき【足掻き】:① 苦しまぎれにじたばたすること。② 手足を動かすこと。手足の動き。③ 馬などが前足で地をかくこと。また、馬の歩み④。 子供がいたずらをして暴れること。(weblio辞書 デジタル大辞泉)ここでは③の意

(注)くもゐ【雲居・雲井】名詞:①大空。天上。▽雲のある所。②雲。③はるかに離れた所。④宮中。皇居。(学研)ここでは③の意

 

 

 

島根県益田市 県立万葉公園<石見の広場>万葉歌碑(巻二 一三七)■

島根県益田市 県立万葉公園<石見の広場>万葉歌碑(柿本人麻呂

●歌をみていこう。

 

◆秋山尓 落黄葉 須臾者 勿散乱曽 妹之當将見<一云 知里勿乱曽>

        (柿本人麻呂 巻二 一三七)

 

≪書き下し≫秋山に落つる黄葉しましくはな散り乱ひそ妹があたり見む <一云 散りな乱ひそ>

 

(訳)秋山に散り落ちるもみじ葉よ、ほんのしばらくでもよいから散り乱れてくれるな。あの子のあたりを見ようものを。<散って乱れてはくれるな>(同上)

(注)しましく【暫しく】副詞:少しの間。 ※上代語。(学研)

 

 

 一三五歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1259)」で、一三六歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1260)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 



島根県益田市 県立万葉公園<石見の広場>万葉歌碑(巻二 一三二)■

島根県益田市 県立万葉公園<石見の広場>万葉歌碑(柿本人麻呂

●歌をみていこう。

 

◆石見乃也 高角山之 木際従 我振袖乎 妹見都良武香

      (柿本人麻呂 巻二 一三二)

 

≪書き下し≫石見(いはみ)のや高角山(たかつのやま)の木の間より我(わ)が振る袖を 妹見つらむか

 

(訳)石見の、高角山の木の間から名残を惜しんで私が振る袖、ああこの袖をあの子は見てくれているであろうか。(同上)

(注)高角山:角の地の最も高い山。妻の里一帯を見納める山をこう言った。(伊藤脚注)

(注)我が振る袖を妹見つらむか:最後の別れを惜しむ所作。(伊藤脚注)

(注)つらむ 分類連語:①〔「らむ」が現在の推量の意の場合〕…ているだろう。…たであろう。▽目の前にない事柄について、確かに起こっているであろうと推量する。②〔「らむ」が現在の原因・理由の推量の意の場合〕…たのだろう。▽目の前に見えている事実について、理由・根拠などを推量する。 ⇒なりたち:完了(確述)の助動詞「つ」の終止形+推量の助動詞「らむ」(学研)ここでは①の意

(注の注)「妹見つらむか」に作者の興奮した気持ちが表れている。(学研)

 

 

この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1271)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

島根県益田市 県立万葉公園<石見の広場>万葉歌碑(巻二 一三九)■

島根県益田市 県立万葉公園<石見の広場>万葉歌碑(柿本人麻呂

●歌をみていこう。

 

◆石見之海 打歌山乃 木際従 吾振袖乎 妹将見香

       (柿本人麻呂 巻二 一三九)

 

<書き下し>石見の海打歌(うつた)の山の木(こ)の間(ま)より我(わ)が振る袖を妹(いも)見つらむか

 

(訳)石見の海、海の辺の打歌の山の木の間から私が振る袖、この袖を、あの子は見てくれているのであろうか。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)打歌の山:所在未詳。「高角山」の実名らしいが、これだと見納めの山の意が伝わらない。

 

左注は、「右歌躰雖同句々相替 因此重載」<右は、歌の躰(すがた)同じといへども、句々(くく)相替(あひかは)れり。これに因(よ)りて重ねて載(の)す。>である。

 

 

 

島根県益田市 県立万葉公園<石見の広場>万葉歌碑(巻二 一四〇)■

島根県益田市 県立万葉公園<石見の広場>万葉歌碑(依羅娘子)

●歌をみていこう。

 

題詞は、「柿本朝臣人麻呂妻依羅娘子与人麻呂相別歌一首」<柿本朝臣人麻呂が妻依羅娘子(よさみのをとめ)、人麻呂と相別るる歌一首>である。

(注)依羅娘子:人麻呂の妻の一人。摂津・河内にまたがって「依羅」の郷がありその地出身の女性らしいが、万葉では石見の妻とされている。(伊藤脚注)

(注)相別るる歌一首:見納めの山での抒情から逆に妻が見えなくなる時の景へと戻っていく人麻呂の構えに対応して、別れぎわの心情を示す妻の作として、のちに人麻呂が組み合わせた歌らしい。(伊藤脚注)

 

◆勿念跡 君者雖言 相時 何時跡知而加 吾不戀有牟

       (依羅娘子 巻二 一四〇)

 

≪書き下し≫な思ひと君は言へども逢はむ時いつと知りてか我(あ)が恋ひずあらむ

 

(訳)そんなに思い悩まないでくれとあなたはおっしゃるけれど、この私は、今度お逢いできる日をいつと知って、恋い焦がれないでいたらよいのでしょうか。(同上)

 

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感想(1件)

 一三九歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1273)で、一四〇歌ならびに歌碑については、同「同(その1274)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

島根県益田市 県立万葉公園<石見の広場>万葉歌碑(巻二 一三三)■

島根県益田市 県立万葉公園<石見の広場>万葉歌碑(柿本人麻呂

●歌をみていこう。

 

◆小竹之葉者 三山毛清尓 乱友 吾者妹思 別来礼婆

        (柿本人麻呂 巻二 一三三)

 

≪書き下し≫笹(ささ)の葉はみ山もさやにさやげども我(わ)れは妹思ふ別れ来(き)ぬれば

 

(訳)笹の葉はみ山全体にさやさやとそよいでいるけれども、私はただ一筋にあの子のことを思う。別れて来てしまったので。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)「笹(ささ)の葉はみ山もさやにさやげども」は、高角山の裏側を都に向かう折りの、神秘的な山のそよめき(伊藤脚注)

(注の注)ささのはは…分類和歌:「笹(ささ)の葉はみ山もさやに乱るとも我は妹(いも)思ふ別れ来(き)ぬれば」[訳] 笹の葉は山全体をざわざわさせて風に乱れているけれども、私はひたすら妻のことを思っている。別れて来てしまったので。 ⇒鑑賞長歌に添えた反歌の一つ。妻を残して上京する旅の途中、いちずに妻を思う気持ちを詠んだもの。「乱るとも」を「さやげども(=さやさやと音を立てているけれども)」と読む説もある。(学研)

(注)さやに 副詞:さやさやと。さらさらと。(学研)

 

 

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1272)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

石見の広場の小高い「展望四阿」の傍らに立つ一三三歌の歌碑

 題詞は、「柿本朝臣人麻呂、石見の国より妻に別れて上り来る時の歌二首幷せて短歌」であるが、のとおり「妻に別れて上(のぼ)り来(く)る」のであれば、都に呼び戻されることになるので多少は華やいだ雰囲気もあろうかと思われるが、逆にピーンと張りつめた緊張感さえ漂っているのである。地方の現地妻との別れでこれほどまでの歌を詠うのだろうか、と思ってしまう。

「別れ」が悲壮感漂う「別れ」を感じさせるのである。

 

 パンフレット「島根県立万葉公園 人麻呂展望広場 『柿本人麻呂の歌の世界にふれる庭』」には、この歌碑について、「稲岡耕二氏自筆の歌碑 東京大学名誉教授。柿本人麻呂研究の第一人者であり、多くの著書も出版している。平成十一年万葉公園「まほろばの園」の竣工を記念して設置した稲岡氏自筆(万葉仮名)の歌碑を移設したもの。」と書かれている。

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「島根県立万葉公園 人麻呂展望広場 『柿本人麻呂の歌の世界にふれる庭』」 (パンフレット)