万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その2178)―島根県(5)益田市県立万葉公園 石見の広場<その2>―

 二二三から二二七歌は「鴨山五首」と呼ばれる歌群である。

 「鴨山五首」については、「鴨山」・「石川」が具体的な地名か否か、両者のつながりは、具体的な地名とすれば何処なのか、人麻呂の身分は、時の政権との関わりはとか等々、の諸説がある。

 万葉集の歌群では、巻二の磐姫皇后の八五から八八歌のように、磐姫皇后の歌ではないが、磐姫皇后の人となりの伝承を踏まえて民謡的な歌を連作歌群とし、磐姫皇后の歌として収録され、いわば「歌物語」を形成している側面がある。

 坂本 勝氏が、「鴨山と石川の詩心:柿本人麻呂臨死自傷歌群について」(日本文学誌要巻77 法政大学国文学会)に、「・・・歌群は右の五首。中に『一云』『或本歌』を含み、五首がはじめから一つのまとまりをもっていたとは考えにくい。万葉集編纂の時点ですでに人麻呂の死をめぐって、少なくとも二つの系列の伝承、あるいは物語が存在したらしい。人麻呂の死を、ひとつは海や川のイメージで、もう一つは山や野のイメージで思い描くような違いをそれは持っていたと考えられる。・・・」と書かれている。

 さらに「臨死自傷歌群は、神の来訪とその退去を語る『鴨山』と『石川』の神話的創造を枠組みに、追悼と悲しみの歌群を形成していった。・・・自傷歌群の地名や人名が『石見』と関わらず『河内』地方と関連することは・・・多くの人が指摘する。それが『石見国』になったのは伝承の過程、万葉集編纂の過程で、人麻呂の石見相聞歌にひかれた結果であろう・・・」とも書かれている。

 

 

島根県益田市 県立万葉公園石見の広場万葉歌碑(巻二 二二三)■

島根県益田市 県立万葉公園石見の広場万葉歌碑(柿本人麻呂

●歌をみていこう。

 

 題詞は、「柿本朝臣人麻呂在石見國臨死時自傷作歌一首」<柿本朝臣人麻呂、石見(いはみ)の国に在りて死に臨む時に、自(みづか)ら傷(いた)みて作る歌一首>である。

 

◆鴨山之 磐根之巻有 吾乎鴨 不知等妹之 待乍将有

       (柿本人麻呂 巻二 二二三)

 

≪書き下し≫鴨山(かもやま)の岩根(いはね)しまける我(わ)れをかも知らにと妹(いも)が待ちつつあるらむ

 

(訳)鴨山の山峡(やまかい)の岩にして行き倒れている私なのに、何も知らずに妻は私の帰りを今日か今日かと待ち焦がれていることであろうか。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)鴨山:石見の山の名。所在未詳。

(注)いはね【岩根】名詞:大きな岩。「いはがね」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)まく【枕く】他動詞:①枕(まくら)とする。枕にして寝る。②共寝する。結婚する。※②は「婚く」とも書く。のちに「まぐ」とも。上代語。(学研)ここでは①の意

(注)しらに【知らに】分類連語:知らないで。知らないので。 ※「に」は打消の助動詞「ず」の古い連用形。上代語。(学研)

 

 

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 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1266)」で紹介している。

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島根県益田市 県立万葉公園石見の広場万葉歌碑(巻二 二二四)■

島根県益田市 県立万葉公園石見の広場万葉歌碑(依羅娘子)

●歌を見てみよう。

 

 題詞は、「柿本朝臣人麻呂死時妻依羅娘子作歌二首」<柿本朝臣人麻呂が死にし時に、妻依羅娘子(よさみのをとめ)が作る歌二首>である。

 

◆且今日ゝゝゝ 吾待君者 石水之 貝尓 <一云 谷尓> 交而 有登不言八方

       (依羅娘子 巻二 二二四)

 

≪書き下し≫今日今日(けふけふ)と我(あ)が待つ君は石川(いしかは)の峽(かひ)に <一には「谷に」といふ> 交(まじ)りてありといはずやも

 

(訳)今日か今日かと私が待ち焦がれているお方は、石川の山峡に<谷間(たにあい)に>迷いこんでしまっているというではないか。(同上)

(注)石川:石見の川の名。所在未詳。諸国に分布し、「鴨」の地名と組みになっていることが多い。(伊藤脚注)。

(注)まじる【交じる・雑じる・混じる】自動詞:①入りまじる。まざる。②(山野などに)分け入る。入り込む。③仲間に入る。つきあう。交わる。宮仕えする。④〔多く否定の表現を伴って〕じゃまをされる。(学研)ここでは②の意

(注)やも [係助]《係助詞「や」+係助詞「も」から。上代語》:(文中用法)名詞、活用語の已然形に付く。①詠嘆を込めた反語の意を表す。②詠嘆を込めた疑問の意を表す。 (文末用法) ①已然形に付いて、詠嘆を込めた反語の意を表す。…だろうか(いや、そうではない)。②已然形・終止形に付いて、詠嘆を込めた疑問の意を表す。…かまあ。→めやも [補説] 「も」は、一説に間投助詞ともいわれる。中古以降には「やは」がこれに代わった。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1267)」で紹介している。

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島根県益田市 県立万葉公園石見の広場万葉歌碑(巻二 二二五)■

島根県益田市 県立万葉公園石見の広場万葉歌碑(依羅娘子)

●歌をみてみよう。

 

◆直相者 相不勝 石川尓 雲立渡礼 見乍将偲

       (依羅娘子 巻二 二二五)

 

≪書き下し≫直(ただ)に逢はば逢ひかつましじ石川に雲立ち渡れ見つつ偲はむ

 

(訳)じかにお逢いすることは、とても無理であろう。石川一帯に、雲よ立渡っておくれ。せめてお前を見ながらあの方をお偲びしよう。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)ただなり【直なり・徒なり】形容動詞:①直接だ。じかだ。まっすぐだ。②生地のままだ。ありのままだ。③普通だ。あたりまえだ。④何もせずにそのままである。何事もない。⑤むなしい。何の効果もない。(学研)ここでは①の意

(注)かつましじ 分類連語:…えないだろう。…できそうにない。 ※上代語。 ⇒なりたち:可能の補助動詞「かつ」の終止形+打消推量の助動詞「ましじ」(学研)

 

(注)雲:雲は霊魂の象徴とされ、人を偲ぶよすがとされた。

 

 

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1268)」で紹介している。

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島根県益田市 県立万葉公園石見の広場万葉歌碑(巻二 二二六)■

島根県益田市 県立万葉公園石見の広場万葉歌碑(丹比真人)

●歌をみてみよう。

 

題詞は、「丹比真人〔名闕〕擬柿本朝臣人麻呂之意報歌一首」<丹比真人(たぢひのまひと)〔名は欠けたり〕、柿本朝臣人麻呂が意に擬(なずら)へて報(こた)ふる歌一首>である。

(注)まひと【真人】名詞:奈良時代天武天皇のときに定められた「八色(やくさ)の姓(かばね)」の最高位。皇族に賜った。(学研)

(注の注)やくさのかばね【八色の姓・八種の姓】名詞:家柄の尊卑を八段階に分けた姓。天武天皇の十三年(六八四)に定められた、真人(まひと)・朝臣(あそみ)・宿禰(すくね)・忌寸(いみき)・道師(みちのし)・臣(おみ)・連(むらじ)・稲置(いなき)の八つ。「八姓(はつしやう)」とも。

(注)なずらふ【準ふ・擬ふ】他動詞:①同程度・同格のものと見なす。比べる。②同じようなものに似せる。まねる。 ※「なぞらふ」とも。(学研)

 

 

◆荒浪尓 縁来玉乎 枕尓置 吾此間有跡 誰将告

       (丹比真人 巻二 二二六)

 

≪書き下し≫荒波に寄り来る玉を枕に置き我れここにありと誰れか告げなむ

 

(訳)荒波に寄せられて来る玉、その玉を枕辺に置いて、私がこの浜辺にいると、誰が妻に告げてくれたのであろうか。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1269)」で紹介している。

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島根県益田市 県立万葉公園石見の広場万葉歌碑(巻二 二二七)■

島根県益田市 県立万葉公園石見の広場万葉歌碑(作者未詳)

●歌をみてみよう。

 

 題詞は、「或本歌曰」<或本の歌に曰はく>である。

 

◆天離 夷之荒野尓 君乎置而 念乍有者 生刀毛無

       (作者未詳 巻二 二二七)

 

≪書き下し≫天離(あまざか)る鄙(ひな)の荒野(あらの)に君を置きて思ひつつあれば生けるともなし

 

(訳)都を遠く離れた片田舎の荒野にあの方を置いたままで思いつづけていると、生きた心地もしない。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)あまざかる【天離る】分類枕詞:天遠く離れている地の意から、「鄙(ひな)」にかかる。「あまさかる」とも。(学研)

(注)いけ【生】るともなし:(「いけ」は四段動詞「いく(生)」の命令形、「と」は、しっかりした気持の意の名詞) 生きているというしっかりした気持がない。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

左注は、「右一首歌作者未詳 但古本以此歌載於此次也」<右の一首の歌は、作者未詳、ただし、古本この歌をもちてこの次に載す>である。

(注)古本:いかなる本とも知られていない。一五・一九歌の左注にある「旧本」とは別の本と思われる。(伊藤脚注)。

 

 

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 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1270)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「鴨山と石川の詩心:柿本人麻呂臨死自傷歌群について」 坂本 勝 稿(日本文学誌要巻77 法政大学国文学会

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「weblio辞書 デジタル大辞泉