万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その2185)―富山県(1)氷見市<1>―

 今日から富山県の万葉歌碑を紹介させていただきます。家持ゆかりの地であるだけに万葉歌碑も一味違う感じがします。

 氷見市高岡市射水市小矢部市を巡ってまいります。

 

氷見市1⃣>

氷見市阿尾 榊葉乎布神社万葉歌碑(巻十八 四〇九三)■

氷見市阿尾 榊葉乎布神社万葉歌碑(大伴家持) 

 ※榊葉乎布神社:さかきばおふじんじゃ

 

  ●歌をみていこう。

 

題詞は、「行英遠浦之日作歌一首」<英遠(あを)の浦に行く日に作る歌一首>である。

 

◆安乎能宇良尓 餘須流之良奈美 伊夜末之尓 多知之伎与世久 安由乎伊多美可聞

       (大伴家持 巻十八 四〇九三)

 

≪書き下し≫英遠(あを)の浦に寄する白波いや増しに立ちしき寄せ来(く)東風(あゆ)をいたみかも

 

(訳)英遠の浦にうち寄せる白波、この白波は、いよいよ立ち増さって、あとからあとから寄せてくる。東風(あゆのかぜ)が激しいからであろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)英遠の浦:氷見市の北端、阿尾の海岸。(伊藤脚注)

(注)あゆ【東風】名詞:東風(ひがしかぜ)。「あゆのかぜ」とも。 ※上代の北陸方言。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

左注は、「右一首大伴宿祢家持作之」<右の一首は、大伴宿禰家持作る>である。

 

 

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その808)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 この地を訪れたのは2020年11月4日である。事前に入手した「高岡地区広域圏事務組合」発行の「高岡地区広域圏 高岡・氷見・小矢部 万葉歌碑めぐりマップ」を参考にグーグルマップのストリートビューを駆使、歌碑の特定を行っていた。

 榊葉乎布神社の駐車場に着いた時、家持が5年過ごした越中国についにやってきたという感激にしばし車から降りられない気持ちに襲われたことを今でも覚えている。

 

 



氷見市加納 八幡神社万葉歌碑(巻十九 四二五一)■

氷見市加納 八幡神社万葉歌碑(大伴家持) 20201104撮影

●歌をみてみよう。

 

 題詞は、「五日平旦上道 仍國司次官已下諸僚皆共視送 於時射水郡大領安努君廣嶋門前之林中預設餞饌之宴 于此大帳使大伴宿祢家持和内蔵伊美吉縄麻呂捧盞之歌一首」<五日の平旦(へいたん)に道に上(のぼ)る。よりて、国司の次官(すけ)已下の諸僚皆共に視送(みおく)る。時に射水(いみず)の郡(こほり)の大領(だいりやう)安努君広島(あののきみひろしま)が門前の林中に預(あらかじ)め餞饌(せんさん)の宴(うたげ)を設(ま)く。 ここに、大帳使(だいちやうし)大伴宿禰家持、内蔵伊美吉縄麻呂が盞(さかづき)を捧(ささ)ぐる歌に和(こた)ふる一首>である。

(注)へいたん【平旦】:夜明けのころ。特に、寅(とら)の刻。現在の午前4時ごろ。(weblio辞書 デジタル大辞泉) 旅立ちは朝早く行うのが習い。

(注)射水の郡:富山県西部、高岡市氷見市とその周辺。(伊藤脚注)

(注)大領:郡の長官(伊藤脚注)

(注)餞饌(せんさん)の宴:送別の宴

 

◆玉桙之 道尓出立 徃吾者 公之事跡乎 負而之将去

       (大伴家持 巻十九 四二五一)

 

≪書き下し≫玉桙(たまぼこ)の道に出で立ち行く我れは君が事跡(ことと)を負(お)ひてし行かむ

 

(訳)たまほこの道に出で立って、いよいよ旅行く私は、あなた方の数々の功績を、しっかと背負って行きましょう。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)たまほこの【玉桙の・玉鉾の】分類枕詞:「道」「里」にかかる。かかる理由未詳。「たまぼこの」とも(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)。

(注)へいたん【平旦】:夜明けのころ。特に、寅(とら)の刻。現在の午前4時ごろ。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)ことと【事跡】:成し遂げた成果。業績。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 

新版 万葉集 四 現代語訳付き (角川ソフィア文庫) [ 伊藤 博 ]

価格:1,068円
(2023/6/6 14:19時点)
感想(1件)

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その809)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

氷見市日名田 臼が峰往来入口万葉歌碑(大伴家持)■

氷見市日名田 臼が峰往来入口万葉歌碑(大伴家持) 20201104撮影

●歌をみていこう。

 

この歌の題詞は、「庭中花作歌一首并短歌」<庭中の花を見て作る歌一首并せて短歌>である。長歌(四一一三)と反歌二首(四一一四、四一一五歌)からなっている。

 

◆於保支見能 等保能美可等ゝ 末支太末不 官乃末尓末 美由支布流 古之尓久多利来安良多末能 等之能五年 之吉多倍乃 手枕末可受 比毛等可須 末呂宿乎須礼波 移夫勢美等 情奈具左尓 奈泥之故乎 屋戸尓末枳於保之 夏能ゝ 佐由利比伎宇恵天 開花乎 移弖見流其等尓 那泥之古我 曽乃波奈豆末尓 左由理花 由利母安波無等 奈具佐無流 許己呂之奈久波 安末射可流 比奈尓一日毛 安流へ久母安礼也

        (大伴家持 巻十八 四一一三)

 

≪書き下し≫大王(おほきみ)の 遠(とほ)の朝廷(みかど)と 任(ま)きたまふ 官(つかさ)のまにま み雪降る 越(こし)に下(くだ)り来(き) あらたまの 年の五年(いつとせ) 敷栲の 手枕(たまくら)まかず 紐(ひも)解(と)かず 丸寝(まろね)をすれば いぶせみと 心なぐさに なでしこを やどに蒔(ま)き生(お)ほし 夏の野の さ百合(ゆり)引き植(う)ゑて 咲く花を 出で見るごとに なでしこが その花妻(はなづま)に さ百合花(ゆりばな) ゆりも逢(あ)はむと 慰むる 心しなくは 天離(あまざか)る 鄙(ひな)に一日(ひとひ)も あるべくもあれや

 

(訳)我が大君の治めたまう遠く遥かなるお役所だからと、私に任命された役目のままに、雪の深々と降る越の国まで下って来て、五年もの長い年月、敷栲の手枕もまかず、着物の紐も解かずにごろ寝をしていると、気が滅入(めい)ってならないので気晴らしにもと、なでしこを庭先に蒔(ま)き育て、夏の野の百合を移し植えて、咲いた花々を庭に出て見るたびに、なでしこのその花妻に、百合の花のゆり―のちにでもきっと逢おうと思うのだが、そのように思って心の安まることでもなければ、都離れたこんな鄙の国で、一日たりとも暮らしていられようか。とても暮らしていられるものではない。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)手枕:妻の手枕。(伊藤脚注)

(注)まろね【丸寝】名詞:衣服を着たまま寝ること。独り寝や旅寝の場合にいうこともある。「丸臥(まろぶ)し」「まるね」とも。(学研)

(注)いぶせむ( 動マ四 )〔形容詞「いぶせし」の動詞化〕心がはればれとせず、気がふさぐ。ゆううつになる。(weblio辞書 三省堂大辞林第三版)

(注)心しない :サ行変格活用の動詞「心する」の未然形である「心し」に、打消の助動詞「ない」が付いた形。(weblio辞書 日本語活用形辞書)⇔こころ-・す 【心す】自動詞:気を配る。注意する。用心する。(学研)

 

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その810)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 小生も単身赴任の経験が2度ある。東京勤務であったが、場所はともあれ「一日(ひとひ)も あるべくもあれや」の心境は十二分に理解できるのである。

 



氷見市諏訪野 上庄川排水機場万葉歌碑(巻十八 四一二四)■

氷見市諏訪野 上庄川排水機場万葉歌碑(大伴家持) 20201104撮影

●歌をみていこう。

 

題詞は、「賀雨落歌一首」<雨落(ふ)るを賀(ほ)く歌一首>である。

 

◆和我保里之 安米波布里伎奴 可久之安良婆 許登安氣世受杼母 登思波佐可延牟

      (大伴家持 巻十八 四一二四)

 

≪書き下し≫我が欲(ほ)りし雨は降り来(き)ぬかくしあらば言挙(ことあ)げせずとも年は栄えむ

 

(訳)我らが願いに願った雨はとうとう降って来た。こうなったからには、事々しく言い立てなくても、秋の実りは栄えまさるにちがいない。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)ことあげ【言挙げ】名詞 ※「す」が付いて他動詞(サ行変格活用)になる:言葉に出して特に言い立てること。 ※上代語。 ※※参考 上代、不必要な「言挙げ」は不吉なものとしてタブーとされ、あえてそのタブーを犯すのは重大な時に限られた。(学研)

 

 左注は、「右一首同月四日大伴宿祢家持作」<右の一首は、同じき月の四日に、大伴宿禰家持作る>である。

 

 

 

 この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その811)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 



氷見市本町 湊川中の橋南詰万葉歌碑(巻十九 四一九九)■

氷見市本町 湊川中の橋南詰万葉歌碑(大伴家持) 20201104撮影

●歌をみていこう。

 

◆藤奈美乃 影成海之 底清美 之都久石乎毛 珠等曽吾見流

       (大伴家持 巻十九 四一九九)

 

≪書き下し≫藤波(ふぢなみ)の影なす海の底清(きよ)み沈(しづ)く石をも玉とぞ我が見る   

 

(訳)藤の花房が影を映している海、その水底までが清く澄んでいるので、沈んでいる石も、真珠だと私はみてしまう。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)ふぢなみ【藤波・藤浪】名詞:藤の花房の風に揺れるさまを波に見立てていう語。転じて、藤および藤の花。(学研)

 

 題詞は、「十二日遊覧布勢水海船泊於多祜灣望見藤花各述懐作歌四首」<十二日に、布勢水海(ふせのみづうみ)に遊覧するに、多祜(たこ)の湾(うら)に舟泊(ふなどま)りす。藤の花を望み見て、おのもおのも懐(おもひ)を述べて作る歌四首>である。

(注)布勢の海:富山県氷見市にあった湖

(注)多祜(たこ)の湾(うら):布勢の海の東南部。(伊藤脚注)

 

新版 万葉集 四 現代語訳付き【電子書籍】[ 伊藤 博 ]

価格:847円
(2023/6/6 14:20時点)
感想(0件)

この歌ならびに歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その812)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂大辞林第三版」

★「weblio辞書 日本語活用形辞書」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「高岡地区広域圏 高岡・氷見・小矢部 万葉歌碑めぐりマップ」 (高岡地区広域圏事務組合)