万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう(その2580)―書籍掲載歌を中軸に―

●歌は、「近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ(柿本人麻呂 3-266)」、「もののふの八十宇治川網代木にいさよふ波のゆくへ知らずも(柿本人麻呂 3-264)」、「八雲さす出雲の子らが黒髪は吉野の川の沖になづさふ(柿本人麻呂 3-430)」、「燈火の明石大門に入らむ日や漕ぎ別れなむ家のあたり見ず(柿本人麻呂 3-254)」、「天離る鄙の長道ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ(柿本人麻呂 3-255)」、嗚呼見の浦に舟乗りすらむをとめらが玉裳の裾に潮満つらむか(柿本人麻呂 1-40)」、「鴨山の岩根しまける我れをかも知らにと妹が待ちつつあるらむ(柿本人麻呂 2-223)、「今日今日と我が待つ君は石川の峡に交りてありとはいはずやも(依羅娘子 2-224)」、「直に逢はば逢ひかつましじ石川に雲立ち渡れ見つつ偲はむ(依羅娘子 2-225)」、「荒波に寄り来る玉を枕に置き我れここにありと誰れか告げけむ(丹比真人 2-226)」、「天離る鄙の荒野に君を置きて思ひつつあれば生けるともなし(作者未詳 2-227)」である。

 

それぞれ歌をみていこう。

 

柿本人麻呂 3-266■

◆淡海乃海 夕浪千鳥 汝鳴者 情毛思努尓 古所念

        (柿本人麻呂    巻三 二六六)

 

≪書き下し≫近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ

 

(訳)近江の海、この海の夕波千鳥よ、お前がそんなに鳴くと、心も撓(たわ)み萎(な)えて、いにしえのことが偲ばれてならぬ。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)ゆふなみちどり【夕波千鳥】名詞:夕方に打ち寄せる波の上を群れ飛ぶちどり。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)しのに 副詞:①しっとりとなびいて。しおれて。②しんみりと。しみじみと。

③しげく。しきりに。(学研)ここでは②の意

(注)いにしへ:ここでは、天智天皇の近江京の昔のこと

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その236)」で紹介している。 

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津市神宮町 近江神宮前近江時計眼鏡宝飾専門学校入口万葉歌碑(柿本人麻呂 3-266) 20191009撮影

 

大津市柳が崎 びわ湖大津館の湖畔万葉歌碑(柿本人麻呂 3-266) 20191009撮影

 

 

 

柿本人麻呂 3-264■

題詞は、「柿本朝臣人麻呂従近江國上来時至宇治河邊作歌一首」<柿本朝臣人麻呂、近江の国より上り来る時に、宇治の川辺に至りて作る歌一首>である。

 

◆物乃部能 八十氏河乃 阿白木尓 不知代経浪乃 去邊白不母

             (柿本人麻呂 巻三 二六四)

 

≪書き下し≫もののふの八十(やそ)宇治川(うぢがわ)の網代木(あじろき)にいさよふ波のゆくへ知らずも             

 

(訳)もののふの八十氏(うじ)というではないが、宇治川網代木に、しばしとどこおりいさよう波、この波のゆくえのいずかたとも知られぬことよ。(同上)

(注)もののふの【武士の】分類枕詞:「もののふ」の「氏(うぢ)」の数が多いところから「八十(やそ)」「五十(い)」にかかり、それと同音を含む「矢」「岩(石)瀬」などにかかる。また、「氏(うぢ)」「宇治(うぢ)」にもかかる。(学研)

(注)あじろ【網代】名詞:①漁具の一つ。川の流れの中に杭(くい)を立て並べ、竹・木などを細かく編んで魚を通れなくし、その端に、水面に簀(す)を置いて魚がかかるようにしたもの。宇治川などで、冬期、氷魚(ひお)(=鮎(あゆ)の稚魚)を取るのに用いたのが有名。[季語] 冬。◇和歌で「宇治」「寄る」の縁語として用いることが多い。②檜皮(ひわだ)・竹・葦(あし)などを薄く削って斜めに編んだもの。垣根・屛風(びようぶ)・天井・車の屋形・笠(かさ)などに用いる。③「あじろぐるま」に同じ。(学研)ここでは①の意

(注の注)あじろき【網代木】名詞:「網代①」の網を掛けるための杭(くい)。「あじろぎ」とも。[季語] 冬。(学研)

(注)いさよふ【猶予ふ】自動詞:ためらう。たゆたう。 ※鎌倉時代ごろから「いざよふ」。(学研)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その229)」で紹介している。

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京都府宇治市宇治 宇治公園(橘島)万葉歌碑(柿本人麻呂 3-264) 20191022撮影

 

 

 

柿本人麻呂 3-430■

題詞は、「溺死出雲娘子火葬吉野時柿本朝臣人麻呂作歌二首」<溺(おぼ)れ死にし出雲娘子(いづものをとめ)を吉野に火葬(やきはぶ)る時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌二首>である。

(注)溺死:吉野行幸中の出来事か。実際には入水だったらしい。(伊藤脚注)

(注)出雲娘子:伝未詳。出雲出身の采女か。(伊藤脚注)

 

◆八雲刺 出雲子等 黒髪者 吉野川 奥名豆颯

       (柿本人麻呂 巻三 四三〇)

 

≪書き下し≫八雲(やくも)さす出雲の子らが黒髪は吉野の川の沖になづさふ

 

(訳)盛んにさしのぼる雲、その雲のようであった出雲娘子の美しい黒髪は、まるで玉藻のように吉野の川の沖の波のまにまに揺らめき漂うている。

(注)八雲さす:「出雲」の枕詞。群がる雲がさし出るの意。「八雲立つ」とも。(伊藤脚注)

(注)なづさふ 自動詞:①水にもまれている。水に浮かび漂っている。②なれ親しむ。慕いなつく。(学研)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1275)」で紹介している。

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柿本人麻呂 3-254■

◆留火之 明大門尓 入日哉 榜将別 家當不見

      (柿本人麻呂 巻三 二五四)

 

≪書き下し≫燈火(ともしび)の明石大門(あかしおほと)に入らむ日や漕ぎ別れなむ家(いへ)のあたり見ず

 

(訳)燈火明(あか)き明石、その明石の海峡にさしかかる日には、故郷からまったく漕ぎ別れてしまうことになるのであろうか。もはや家族の住む大和の山々を見ることもなく。(同上)

(注)ともしびの【灯し火の】分類枕詞:灯火が明るいことから、地名「明石(あかし)」にかかる。(学研)

(注)家:家郷(伊藤脚注)

 

 

神戸市垂水区平磯 平磯緑地万葉歌碑(柿本人麻呂 3-254) 20200630撮影

 

 

 

柿本人麻呂 3-255■

◆天離 夷之長道従 戀来者 自明門 倭嶋所見  一本云家門當見由

       (柿本人麻呂 巻三 二五五)

 

≪書き下し≫天離(あまざか)る鄙(ひな)の長道(ながち)ゆ恋ひ来れば明石(あかし)の門(と)より大和島(やまとしま)見ゆ  一本には「家のあたり見ゆ」といふ。

 

(訳)天離る鄙の長い道のりを、ひたすら都恋しさに上って来ると、明石の海峡から大和の山々が見える。(同上)

(注)明石の門(読み)あかしのと:明石海峡のこと。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

 二五四歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その561)」で二五五歌については、同「同(その560)」で紹介している。

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神戸市垂水区平磯 平磯緑地万葉歌碑(柿本人麻呂 3-255) 20200630撮影

 

 

 

柿本人麻呂 1-40■

 四〇~四二歌の題詞は、「幸于伊勢國時留京柿本朝臣人麻呂作歌」<伊勢の国に幸す時に、京に留(とど)まれる柿本朝臣人麻呂が作る歌>である。

 

◆鳴呼見乃浦尓 船乗為良武 ▼嬬等之 珠裳乃須十二 四寳三都良武香

       (柿本人麻呂 巻一 四〇)

  ▼は、「女偏に感」である。 「▼嬬」=「をとめ」

 

≪書き下し≫嗚呼見の浦(あみのうら)に舟乗(ふなの)りすらむをとめらが玉裳(たまも)の裾(すそ)に潮(しほ)満つらむか

 

(訳)嗚呼見の浦(あみのうら)で船遊びをしているおとめたちの美しい裳の裾に、今頃は潮が満ち寄せていることであろうか。(同上)

(注)嗚呼見の浦:鳥羽湾の西、小浜の浦。(伊藤脚注)

(注)玉裳の裾:娘子の裳裾の濡れるさまは男性にとって心引かれる景とされた。(伊藤脚注)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1419)」で四〇から四四歌とともに紹介している。

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柿本人麻呂 2-223■

題詞は、「柿本朝臣人麻呂在石見國臨死時自傷作歌一首」<柿本朝臣人麻呂、石見(いはみ)の国に在りて死に臨む時に、自(みづか)ら傷(いた)みて作る歌一首>である。

 

◆鴨山之 磐根之巻有 吾乎鴨 不知等妹之 待乍将有

       (柿本人麻呂 巻二 二二三)

 

≪書き下し≫鴨山(かもやま)の岩根(いはね)しまける我(わ)れをかも知らにと妹(いも)が待ちつつあるらむ

 

(訳)鴨山の山峡(やまかい)の岩にして行き倒れている私なのに、何も知らずに妻は私の帰りを今日か今日かと待ち焦がれていることであろうか。(同上)

(注)鴨山:石見の山の名。所在未詳。(伊藤脚注)

(注)岩根しまける:以下二句、行き倒れになったことを示す。(伊藤脚注)

(注の注)いはね【岩根】名詞:大きな岩。「いはがね」とも。(学研)

(注の注)まく【枕く】他動詞:①枕(まくら)とする。枕にして寝る。②共寝する。結婚する。※②は「婚く」とも書く。のちに「まぐ」とも。上代語。(学研)ここでは①の意

(注)しらに【知らに】分類連語:知らないで。知らないので。 ※「に」は打消の助動詞「ず」の古い連用形。上代語。(学研)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1266)」で紹介している。

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島根県益田市 県立万葉公園万葉歌碑(柿本人麻呂 2-223) 20211012撮影

 

■依羅娘子 2-224■

 題詞は、「柿本朝臣人麻呂死時妻依羅娘子作歌二首」<柿本朝臣人麻呂が死にし時に、妻依羅娘子(よさみのをとめ)が作る歌二首>である。

 

◆且今日ゝゝゝ 吾待君者 石水之 貝尓 <一云 谷尓> 交而 有登不言八方

       (依羅娘子 巻二 二二四)

 

≪書き下し≫今日今日(けふけふ)と我(あ)が待つ君は石川(いしかは)の峽(かひ)に <一には「谷に」といふ> 交(まじ)りてありといはずやも

 

(訳)今日か今日かと私が待ち焦がれているお方は、石川の山峡に<谷間(たにあい)に>迷いこんでしまっているというではないか。(同上)

(注)石川:石見の川の名。所在未詳。諸国に分布し、「鴨」の地名と組みになっていることが多い。(伊藤脚注)

(注)まじる【交じる・雑じる・混じる】自動詞:①入りまじる。まざる。②(山野などに)分け入る。入り込む。③仲間に入る。つきあう。交わる。宮仕えする。④〔多く否定の表現を伴って〕じゃまをされる。(学研)ここでは②の意

(注)やも [係助]《係助詞「や」+係助詞「も」から。上代語》:(文中用法)名詞、活用語の已然形に付く。①詠嘆を込めた反語の意を表す。②詠嘆を込めた疑問の意を表す。 (文末用法) ①已然形に付いて、詠嘆を込めた反語の意を表す。…だろうか(いや、そうではない)。②已然形・終止形に付いて、詠嘆を込めた疑問の意を表す。…かまあ。→めやも [補説] 「も」は、一説に間投助詞ともいわれる。中古以降には「やは」がこれに代わった。(weblio辞書 デジタル大辞泉

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1267)」で紹介している。

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島根県益田市 県立万葉公園万葉歌碑(依羅娘子 2-224) 20211012撮影

 

 

■依羅娘子 2-225■

◆直相者 相不勝 石川尓 雲立渡礼 見乍将偲

       (依羅娘子 巻二 二二五)

 

≪書き下し≫直(ただ)に逢はば逢ひかつましじ石川に雲立ち渡れ見つつ偲はむ

 

(訳)じかにお逢いすることは、とても無理であろう。石川一帯に、雲よ立渡っておくれ。せめてお前を見ながらあの方をお偲びしよう。(同上)

(注)ただなり【直なり・徒なり】形容動詞:①直接だ。じかだ。まっすぐだ。②生地のままだ。ありのままだ。③普通だ。あたりまえだ。④何もせずにそのままである。何事もない。⑤むなしい。何の効果もない。(学研)ここでは①の意

(注)かつましじ 分類連語:…えないだろう。…できそうにない。 ※上代語。 ⇒

なりたち 可能の補助動詞「かつ」の終止形+打消推量の助動詞「ましじ」(学研)

(注)雲:雲は霊魂の象徴とされ、人を偲ぶよすがとされた。(伊藤脚注)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1268)」で紹介している。

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島根県益田市 県立万葉公園万葉歌碑(依羅娘子 2-225) 20211012撮影

 

 

■丹比真人 2-226

題詞は、「丹比真人〔名闕〕擬柿本朝臣人麻呂之意報歌一首」<丹比真人(たぢひのまひと)〔名は欠けたり〕、柿本朝臣人麻呂が意に擬(なずら)へて報(こた)ふる歌一首>である。

(注)まひと【真人】名詞:奈良時代天武天皇のときに定められた「八色(やくさ)の姓(かばね)」の最高位。皇族に賜った。(学研)

(注の注)やくさのかばね【八色の姓・八種の姓】名詞:家柄の尊卑を八段階に分けた姓。天武天皇の十三年(六八四)に定められた、真人(まひと)・朝臣(あそみ)・宿禰(すくね)・忌寸(いみき)・道師(みちのし)・臣(おみ)・連(むらじ)・稲置(いなき)の八つ。「八姓(はつしやう)」とも。

(注)なずらふ【準ふ・擬ふ】他動詞:①同程度・同格のものと見なす。比べる。②同じようなものに似せる。まねる。 ※「なぞらふ」とも。(学研)

 

◆荒浪尓 縁来玉乎 枕尓置 吾此間有跡 誰将告

       (丹比真人 巻二 二二六)

 

≪書き下し≫荒波に寄り来る玉を枕に置き我れここにありと誰れか告げなむ

 

(訳)荒波に寄せられて来る玉、その玉を枕辺に置いて、私がこの浜辺にいると、誰が妻に告げてくれたのであろうか。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1269)」で紹介している。

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島根県益田市 県立万葉公園万葉歌碑(丹比真人 2-226) 20211012撮影

 

 

■作者未詳 2-227■

題詞は、「或本歌曰」<或本の歌に曰はく>である。

 

◆天離 夷之荒野尓 君乎置而 念乍有者 生刀毛無

       (作者未詳 巻二 二二七)

 

≪書き下し≫天離(あまざか)る鄙(ひな)の荒野(あらの)に君を置きて思ひつつあれば生けるともなし

 

(訳)都を遠く離れた片田舎の荒野にあの方を置いたままで思いつづけていると、生きた心地もしない。(同上)

(注)あまざかる【天離る】分類枕詞:天遠く離れている地の意から、「鄙(ひな)」にかかる。「あまさかる」とも。(学研)

(注)いけ【生】るともなし:(「いけ」は四段動詞「いく(生)」の命令形、「と」は、しっかりした気持の意の名詞) 生きているというしっかりした気持がない。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

左注は、「右一首歌作者未詳 但古本以此歌載於此次也」<右の一首の歌は、作者未詳、ただし、古本この歌をもちてこの次に載す>である。

(注)古本:いかなる本とも知られていないが、一五・一九の左注の「旧本」とは別本らしい。(伊藤脚注)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1270)」で紹介している。

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島根県益田市 県立万葉公園万葉歌碑(作者未詳 2-227) 20211012撮影

 

 

 「古代史で楽しむ 万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫)の「羇旅の短歌」の項を勉強していこう。

 「・・・元来長歌と短歌が併存しているのは、それぞれが別の生命をもっているからで、その短歌の生命とは、より個人的な詠嘆を担う点にあった。・・・こうして短歌からは、より多くの人麻呂の感懐を知ることができる。・・・近江荒都の長歌に対しても、(巻三、二六六)(歌は省略)の『淡海の海の千鳥から懐旧の念がかき立てられる』という短歌、また近江から上京して来る途次に宇治川でよんだという短歌(巻三、二六四)(歌は省略)の『宇治川網代として立てた木にただよう波のように、行く末が知れない』という短歌からは、よりしみ入るような回顧の情を知り得るだろう。吉備津采女(きびつのうねめ)同様宮廷出仕の女性であったと思われる娘子(おとめ)が火葬されたときにも人麻呂は歌を作っているが、そのひとり、溺死(できし)した出雲(いずも)娘子は、(巻三、四三〇)(歌は省略)と詠まれる。『水死した出雲娘子の黒髪が吉野川の川底にたゆたっている』というのだ。」(同著)

 「短歌の中でもっとも人口に膾炙(かいしゃ)しているものは、つぎの旅の歌だろう。(巻三、二五四・二五五)(歌は省略) 前者は往路、後者は帰路の作である。いずれも明石海峡を境として家郷と異郷とがへだてられるのだが、前者はその一瞥(いちべつ)を最後として茫洋(ぼうよう)とした海路に就く。後者によれば、そこから家郷が発見できる。『家のあたり』『大和島』と呼ばれるものは、生駒(いこま)山の姿であろうと思われる・・・後者の『ゆ』(『を通ってずっと』の意味)には長い舟旅の経過がよく語られているが、浮動するとりとめのなさと、その中でひしと抱きつづけてきた家郷への思慕が、生駒を遠見した瞬間の感動となって伝えられるようである。」(同著)

 「また、持統六年三月の伊勢行幸には、人麻呂は京にとどまって、旅先の一行を思いやっている。(巻一、四〇)(歌は省略)人麻呂は空想の中に一行の船乗りの姿を描く。・・・その姿は・・・玉のように美しい襷(たすき)もした采女らは・・・赤裳をまとっている。波に濡れて、その紅はいっそう鮮やかであろう。紺青(こんじょう)の海、白い波頭、そしてさわやかな潮風、その中でひときわ鮮やかな紅の色を人麻呂は一点描き込むのである。人麻呂はこうして短歌の世界において、詩的創造が真に自由であった。」(同著)

 「彼はその生を終えるときにも一首の短歌をよんでいる。(巻二、二二三)(歌は省略)石見の国にいたとき、死に臨んでみずから傷(いた)んで作った歌だと伝えられている。」自分の死を想像した「人麻呂は、ここでも家郷に待つ妻を想わずにはいられなかった。先にあげた旅の歌が家郷への思慕に満ちていたのは、じつは旅がこうして愛を欠いていたからであり、死は愛の欠落を永遠にするからであった。愛への思慕の中に口を閉じたことは、人麻呂の生涯の歌業にとって、象徴的なことだったのである。しかも万葉集はこの後に、これに応ずる形の、妻依羅娘子(よさみのおとめ)の歌(巻二、二二四・二二五)を載せ、人麻呂の心になって報(こた)えた丹比真人(たじひのまひと)の歌(巻二、二二六)を添えている。これはあまりにも物語的であって、人麻呂が万葉時代にはやくも物語化しつつあったことを示している。それが今日のわれわれに事の真相をわかりにくくしているのだが、このように物語化するほどに人麻呂は偉大だったのである。」(同著)

 

 

 

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「古代史で楽しむ 万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典