万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう(その2586の2)―書籍掲載歌を中軸に―

●歌は、「み吉野の 吉野の宮は 山からし 貴とくあらし 水からし さやけくあらし 天地と 長く久しく 万代に 改らずあらむ 幸しの宮(大伴旅人 3-315)」、「    隼人の瀬戸の巌も鮎走る吉野の瀧になほしかずけり(大伴旅人 6-960            )」、「いざ子ども香椎の潟に白栲の袖さへ濡れて朝菜摘みてむ(大伴旅人 6-957)」、「あさりする海人の子どもと人は言へど見るに知らえぬ貴人の子と(大伴旅人 5-853)」、「いかにあらむ日の時にかも声知らむ人の膝の上我が枕かむ(大伴旅人 5-810)」である。

 

 中西 進氏は、「大伴旅人―人と作品」(祥伝社新書)の冒頭に「私事で恐縮だが、万葉歌人の中で好きな男性歌人を挙げよと言われれば、わたしは躊躇(ためら)いなく、大伴旅人を挙げたい。」と書いておられるだけに、いま読み進んでいる「古代史で楽しむ 万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫)の「大伴旅人」の項は、行間にすざましいエネルギーを感じさせられるのである。

 

 「万葉集には、この大宰府時代以前と思われる旅人の歌が、たった一種類しかない。中納言旅人の吉野従駕の長歌とその反歌(巻三、三一五・三一六)だが、しかもそれは何かの都合で奏上するにいたらなかったものである。」(同著)

 

巻三、三一五・三一六歌をみていこう。

題詞は、「暮春之月幸芳野離宮中納言大伴卿奉勅作歌一首幷短歌 未逕奏上歌」<暮春の月に、吉野(よしの)の離宮(とつみや)に幸(いでま)す時に、中納言大伴卿、勅(みことのり)を奉(うけたまは)りて作る歌一首幷(あは)せて短歌 いまだ奏上を経ぬ歌>である。

(注)幸(いでま)す時:聖武天皇即位の神亀元年(七二四)三月行幸。(伊藤脚注)

(注)いまだ奏上を経ぬ歌:上奏するに至らなかった歌。(伊藤脚注)

 

 

■巻三 三一五歌■

◆見吉野之 芳野乃宮者 山可良志 貴有師 水可良思 清有師 天地与 長久 萬代尓 不改将有 行幸之宮

                             (大伴旅人 巻三 三一五)

 

≪書き下し≫み吉野の 吉野の宮は 山からし 貴(たふと)くあらし 水(かは)からし さやけくあらし 天地(あめつち)と 長く久しく 万代(よろづよ)に 改(かは)らずあらむ 幸(いでま)しの宮

 

(訳)み吉野、この吉野の宮は山の品格ゆえに尊いのである。川の品格ゆえに清らかなのである。天地とともに長く久しく、万代にかけて改(あら)たまることはないであろう。我が大君の行幸(いでまし)の宮は。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)吉野では、「山」と「水」をほめるのが人麻呂以来の伝統。(伊藤脚注)

(注)-から【柄】接尾語:名詞に付いて、そのものの本来持っている性質の意を表す。「国から」「山から」 ⇒参考 後に「がら」とも。現在でも「家柄」「続柄(つづきがら)」「身柄」「時節柄」「場所柄」などと用いる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)し 副助詞 《接続》体言、活用語の連用形・連体形、副詞、助詞などに付く。:〔強意〕 ⇒参考 「係助詞」「間投助詞」とする説もある。中古以降は、「しも」「しぞ」「しか」「しこそ」など係助詞を伴った形で用いられることが多くなり、現代では「ただし」「必ずしも」「果てしない」など、慣用化した語の中で用いられる。(学研)

(注)天地と 長く久しく:「天地長久」の翻読語。(伊藤脚注)

 

 

 

 

■巻三 三一六歌■

◆昔見之 象乃小河乎 今見者 弥清 成尓来鴨

    (大伴旅人 巻三 三一六)

 

≪書き下し≫昔見し象(さき)の小川(をがは)を今見ればいよよさやけくなりにけるかも

 

(訳)昔見た象(さき)の小川を今再び見ると、流れはいよいよますますさわやかになっている。(同上)

(注)昔見し:天武・持統朝の昔。(伊藤脚注)

(注)象(さき)の小川:喜佐谷を流れて宮滝で吉野川にそそぐ川。(伊藤脚注)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その974)」で紹介している。

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 「大宰帥から大納言に栄転した後の歌にしても、二首を除いて大宰府時代と関係をもつ。つまり旅人は、ほぼ大宰府の関係において万葉集に歌をとどめているといえる。われわれはその大宰府の歌から、彼がどのような心情でその地にあったかを、つぶさに知ることができるが、それらを通してもっとも大きなひびきを伝えて来ることは、彼の心がつねに現実にはない、ということである。亡き妻をしのぶということも、そのひとつである。(巻二、四三八)(歌は省略)・・・妻の『纏きて』という過去の回想の中に旅人はいる、そして現在は、纏く人はいないという否定の中にある。過去を回想するにしろ未来をねがうにしろ、旅人の現実感はとぼしい。」(同著)

 「だから心はつねに望京の念にさいなまれる。(巻六、九六〇)(歌は省略)筑紫の新鮮な風土に感動することは、必ずやあったはずである。しかしその結論とするところは、やはり吉野の方がよい、ということだ。(巻六、九五七)(歌は省略)という一首でさえ香椎の清遊に興ずるだけの旅人を、われわれは考えがたい。『袖さへ』というのは、裾(すそ)に対していうのだから、全身を濡らすことになる。全身濡れそぼちながら朝の菜を拾おうとする旅人は忘我の中に入っていこうとする姿である。現実を離れて。」(同著)

 

 巻六、九六〇ならびに巻六、九五七歌をみてみよう。

■巻六 九五七歌■

 標題は、「冬十一月大宰官人等奉拜香椎廟訖退歸之時馬駐于香椎浦各述作懐歌」<冬の十一月に、大宰(だざい)の官人等(たち)、香椎(かしい)の廟(みや)を拝(をろが)みまつること訖(をは)りて、退(まか)り帰る時に、馬を香椎の浦に駐(とど)めて、おのもおのも懐(おもひ)を述べて作る歌>である。

 

 題詞は、「帥大伴卿歌一首」<帥大伴卿が歌一首>である。

 

◆去来兒等 香椎乃滷尓 白妙之 袖左倍所沾而 朝菜採手六

        (大伴旅人 巻六 九五七) 

 

≪書き下し≫いざ子ども香椎(かしひ)の潟(かた)に白栲(しろたへ)の袖(そで)さへ濡(ぬ)れて朝菜(あさな)摘みてむ

 

(訳)さあ皆の者、この香椎の干潟で、袖の濡れるのも忘れて、朝餉(あさげ)の藻を摘もうではないか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)いざ子ども:宴席等で目下の者を呼ぶ慣用語。(伊藤脚注)

(注)白栲の:「袖」の枕詞。以下、女性の行為のような映像がある。眼前に朝菜を取る海人娘子を見ているからか。(伊藤脚注)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その873)」で紹介している。

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■巻六 九六〇歌■

題詞は、「帥大伴卿遥思芳野離宮作歌一首」<帥大伴卿(そちおほとものまへつきみ)、遥(はる)かに吉野の離宮(とつみや)を思(しの)ひて作る歌一首>である。

 

◆隼人乃 湍門乃磐母 年魚走 芳野之瀧尓 尚不及家里

       (大伴旅人 巻六 九六〇)

 

≪書き下し≫隼人(はやひと)の瀬戸の巌(いはほ)も鮎(あゆ)走る吉野の滝になほ及(し)かずけり

 

(訳)隼人の瀬戸の、白波くだける大岩の光景も、鮎が身を躍らせて走る吉野の激流のさわやかさには、やっぱり及びはしない。(同上)

(注)隼人の瀬戸:北九州市門司区下関市壇之浦との間の早鞆の瀬戸か。(伊藤脚注)

 

 

 

 「こうした感情のあり方こそ、いくつかの旅人の大宰府歌を解く鍵(かぎ)となる。そのひとつが梅花の宴である。(巻五、八一五以下)。旅人が三十一人を集めて梅花の歌宴を催し、蘭亭(らんてい)の序をまねた漢文の序を書き、しかも以後しばらくを興奮さめやらぬかのごとく追和の歌を重ねるというのは、ただごとではないだろう。これも『袖さへ濡れて』という感情である。」(同著)

 

 「梅花の宴」については、

序ならびに822歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(太宰府番外編その1)」で紹介している。

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815~821歌については、同「同(その2)」で紹介している。

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823~829歌については、同「同(その3)」で紹介している。

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830~837歌については、同「同(その4)」で紹介している。

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838~845歌については、同「同(その5)」で紹介している。

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太宰府市坂本 坂本八幡宮「令和の碑」 20201117撮影

 

 「また玉島(たましま)の淵(ふち)に遊んで仙女と逢ったといって遊仙窟(ゆうせんくつ)まがいの空想をする。(巻五、八五三~八六三)。対馬(つしま)産の琴を房前(ふささき)に送るといって、夢の中で琴の娘子とみずからとが贈答した形の歌を送るとしう趣向(巻五、八一〇・八一一)も同じである。」(同著)

 

 巻五、八五三~八六三歌ならびに巻五、八一〇・八一一歌をみてみよう。

 

■■巻五 八五三~八六三歌■■

■巻五 八五三■

序は「遊於松浦河序 余以暫徃松浦之縣逍遥 聊臨玉嶋之潭遊覧 忽値釣魚女子等也 花容無雙 光儀無匹 開柳葉於眉中發桃花於頬上 意氣凌雲 風流絶世 僕問曰 誰郷誰家兒等 若疑神仙者乎 娘等皆咲答曰 兒等者漁夫之舎兒 草菴之微者 無郷無家 何足稱云 唯性便水 復心樂山 或臨洛浦而徒羨玉魚 乍臥巫峡以空望烟霞 今以邂逅相遇貴客 不勝感應輙陳欵曲 而今而後豈可非偕老哉 下官對曰 唯々 敬奉芳命 于時日落山西 驪馬将去 遂申懐抱 因贈詠歌曰」<松浦川(まつらがは)に遊ぶ序 余(われ)、たまさかに松浦(かつら)の県(あがた)に徃(ゆ)きて逍遥(せうえう)し、いささかに玉島(たましま)に潭(ふち)臨みて遊覧するに、たちまちに魚(うを)を釣(つ)る娘子(をとめ)らに値(あ)ひぬ。花容(くわよう)双(なら)びなく、光儀(くわうぎ)匹(たぐ)ひなし。柳葉(りうえふ)を眉(まよ)の中(うち)に開(ひら)き、桃花(たうくわ)を頬(ほほ)に上(うへ)に発(ひら)く。 意気(いき)は雲を凌(しの)ぎ、風流は世に絶(すぐ)れたり。 僕(われ)、問ひて「誰(た)が郷(さと)誰(た)が家(いへ)の子らぞ、けだし神仙(しんせん)にあらむか」といふ。娘子(をとめ)ら、みな咲(ゑ)み答へて「児等(われ)は漁夫の舎(いへ)の児、草菴の微(いや)しき者なり。郷(さと)もなく家(いへ)もなし。何ぞ称(なの)り云ふに足らむ。ただ性(ひととなり)水に便(なら)ひ、また心(こころ)山を楽しぶ。あるいは洛浦(らくほ)に臨みて、いたづらに玉魚(ぎょくぎょ)を羨(とも)しぶ、あるいは巫峡(ぶかふ)に臥(ふ)して、空(むな)しく煙霞(えんか)を望む。今たまさかに以邂逅貴客(うまひと)に相遇(あ)ひ感応に勝(あ)へず、すなはち欵曲(くわんきよく)を陳(の)ぶ。今より後(のち)に、あに偕老(かいろう)にあらざるべけむ」といふ。下官(われ)、対(こた)へて「唯々(をを)、敬(つつし)みて芳命を奉(うけたま)はらむ」といふ。時に、日は西に落ち、驪馬(りば)去(い)なむとす。つひに懐抱(くわいはう)を申(の)べ、よりて詠歌(えいか)を贈りて曰(い)はく、>

 

(序訳)この私、たまたま松浦の県(あがた)をさすらい、ふと玉島の青く澄んだ川べりに遊んだところ、思いもかけず魚を釣る女性たちに出逢った。その花の顔(かんばせ)は並ぶものがなく、光輝く姿は比べるものとてない。しなやかな眉(まゆ)はあたかも柳葉が開いたよう、あでやかな頬(ほほ)はまるで桃の花が咲いたよう。気品は雲を凌ぐばかりで、艶(つや)やかさはこの世随一。私は尋ねた。「どこの里のどなたのお子ですか。もしや仙女ではございませんか」と。女性たちは、皆はにかんでこう答えた。「私どもは漁夫の子で、あばら屋住まいの取るに足りない者です。決まった里もなければ、確かな家もございません。どうしてことさら名告(なの)るに足りましょう。ただ生まれつき水に親しみ、また心底山を楽しんでおります。ある時には洛水(らくすい)の浦に臨んで、いたずらに美しい魚の身の上を羨(うらや)んだり、ある時には巫山(ふざん)の峡(かい)に横たわって、わけもなく雲や霞を眺めたりしております。今はからずも高貴なお方に出逢い、嬉(うれ)しさに堪えきれず心の底をうち明ける次第でございます。心をうち明けたただ今からは、どうして偕老(かいろう)のお約束を結ばないでおられましょうか」と。私めは答えて言った。「はい、謹んで仰せに従いましょう」と。折しも、日は山の西に落ちかかり、黒馬は帰りを急いでいる。私はついにたまらなくなって心の内を開陳し、歌に託して次のように言い贈った。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)松浦川佐賀県東松浦郡玉島川。八五四まで、作者は旅人らしい。前文には、遊仙窟等の辞句を踏まえる表現が目立つ。(伊藤脚注)

(注)魚を釣る:神功皇后が、四月上旬、ここで鮎を釣ったという神功前紀の伝えを踏まえる。(伊藤脚注)

(注)【花容・華容】〘 名詞 〙:① 花のかたち。花様。② 花のように美しい容姿。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)ここでは②の意

(注)いき【意気】名詞:①心ばえ。気性(きしよう)。②いきごみ。気概。(学研)ここでは①の意

(注)神仙:神仙の女性。仙女。(伊藤脚注)

(注)ただ性水に便ひ:ただ生まれつき水に親しみ・・・。論語の「知者ハ水ヲ楽シビ、仁者ハ山ヲ楽シブ」による。(伊藤脚注)

(注)洛浦:文選洛神賦の洛川。ここは玉島川。(伊藤脚注)

(注)玉魚(ぎょくぎょ)を羨(とも)しぶ:美しい魚の身の上を羨んだり。(伊藤脚注)

(注)巫峡:文選高唐賦の巫山。ここは玉島峡を仙境に見立てる。(伊藤脚注)

(注)欵曲:「欵」は誠、「曲」は隅。心の底。(伊藤脚注)

(注)偕老(かいろう)にあらざるべけむ:老いを共にするお約束を結ばないでいられましょうか。(伊藤脚注)

(注の注)べけむ 分類連語:…だろう。…はずであろう。…べきであろう。 ⇒参考:「べけむや」の形で、多く反語になる。漢文訓読の語句。 ⇒なりたち:推量の助動詞「べし」の古い未然形+推量の助動詞「む」(学研)

(注)りば【驪馬】〘 名詞 〙:毛色の黒い馬。くろこま。驪駒。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

 

 

■巻五 八五三歌■

◆阿佐里須流 阿末能古等母等 比得波伊倍騰 美流尓之良延奴 有麻必等能古等

       (大伴旅人 巻五 八五三)

 

≪書き下し≫あさりする海人(あま)の子どもと人は言へど見るに知らえぬ貴人(うまひと)の子と

 

(訳)魚を獲(と)る海人(あま)の子どもとあなたがたはおっしゃるけれど、一目見てわかりました、貴人のお子であるということが。(同上)

(注)あさり【漁り】名詞※「す」が付いて他動詞(サ行変格活用)になる:①えさを探すこと。②魚介や海藻をとること。(学研)ここでは②の意

(注)しらえぬ 【知らえぬ】分類連語:知られた。わかった。 ⇒なりたち:動詞「しる」の未然形+上代の可能・自発の助動詞「ゆ」の連用形+完了の助動詞「ぬ」の終止形(学研)

 

 

 

■巻五 八五四歌■

 題詞は「答詩日」<答ふる詩に日(い)はく>である。

 

◆多麻之末能 許能可波加美尓 伊返波阿礼騰 吉美乎夜佐之美 阿良波佐受阿利吉

       (大伴旅人 巻五 八五四)

 

≪書き下し≫玉島(たましま)のこの川上(かはかみ)に家はあれど君を恥(やさ)しみあらはさずありき

 

(訳)玉島のこの川上に私たちの家はあるのですが、あなたに気圧(けお)されてあかさないでいたのです。

(注)君を恥(やさ)しみあらはさずありき:あなたへの恥ずかしさに、家や身の上を明かさなかった。(伊藤脚注)

 

 

 

■■巻五 八五五~八五七歌■■

題詞は、「蓬客等更贈歌三首」<蓬客(ほうかく)のさらに贈る歌三首>である。

(注)蓬客:さすらいの人。「蓬」は「藜(あかざ)」の類。漢籍で旅人(たびびと)に譬えられる。(伊藤脚注)

(注)三首:実作家は八五四までを旅人から披露された某大宰府官人らしい。(伊藤脚注)

 

■巻五 八五五歌■

◆麻都良河波 可波能世比可利 阿由都流等 多々勢流伊毛何 毛能須蘇奴例奴

       (作者未詳 巻五 八五五)

 

≪書き下し≫松浦川(まつらがは)川の瀬光り鮎(あゆ)釣(つ)ると立たせる妹(いも)が裳(も)の裾(すそ)濡(ぬ)れぬ

 

(訳)松浦川の川の瀬はきらめき、鮎を釣ろうと立っておられるあなたの裳の裾が美しく濡れています。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫

(注)裳の裾濡れぬ:女性の官能的な美を示す。(伊藤脚注)

 

 

 

■巻五 八五六歌■

◆麻都良奈流 多麻之麻河波尓 阿由都流等 多々世流古良何 伊弊遅斯良受毛

       (作者未詳 巻五 八五六)

 

≪書き下し≫松浦なる玉島川(たましまがは)に鮎釣ると立たせる子らが家道(いへぢ)知らずも

 

(訳)ここ松浦の玉島川で鮎を釣ろうと立っておられるあなたがたの家をお尋ねしたいのですが、その道がわかりません。(同上)

 

 

 

■巻五 八五七歌■

◆富都比等 末都良能加波尓 和可由都流 伊毛我多毛等乎 和礼許曽末加米

       (作者未詳 巻五 八五七)

 

≪書き下し≫遠つ人松浦の川に若鮎(わかゆ)釣る妹(いも)が手本(たもと)を我(わ)れこそまかめ

 

(訳)遠くにいる人を待つという名の松浦の川で若鮎を釣るあなたの手、その手を私はぜひ枕にしたいものです。(同上)

(注)とほつひと【遠つ人】分類枕詞:①遠方にいる人を待つ意から、「待つ」と同音の「松」および地名「松浦(まつら)」にかかる。「とほつひと松の」。②遠い北国から飛来する雁(かり)を擬人化して、「雁(かり)」にかかる。(学研)ここでは①の意

 

 

 八五五~八五七歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2444)」で紹介している。

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■■巻五 八五八~八六〇歌■■

題詞は、「娘等更報歌三首」<娘子(をとめ)らがさらに報(こた)ふる歌三首>である。

(注)さらに:「さらに」が用いられると、一連の歌群が終わりになることが多い。(伊藤脚注)

(注)三首:実作歌は別の大宰府某官人か。八五八が八五七に、八五九が八五六に、八六〇が八五五に応じる。(伊藤脚注)

 

■巻五 八五八歌■

◆和可由都流 麻都良能可波能 可波奈美能 奈美邇之母波婆 和礼故飛米夜母

       (作者未詳 巻五 八五八)

 

≪書き下し≫若鮎(わかゆ)釣る松浦の川の川なみの並(なみ)にし思(も)はば我(わ)れ恋ひめやも

 

(訳)若鮎を釣る松浦の川の川なみの、そのなみというように並々の気持で思うのでしたら、私どもはこんなに恋焦がれることがありましょうか。(同上)

(注)上三句は同音の序。「並にし」を起す。「川なみ」は川の流れ。(伊藤脚注)

 

 

 

■巻五 八五九歌■

◆波流佐礼婆 和伎覇能佐刀能 加波度尓波 阿由故佐婆斯留 吉美麻知我弖尓

       (作者未詳 巻五 八五九)

 

≪書き下し≫春されば我家(わぎへ)の里の川門(かはと)には鮎子(あゆこ)さ走(ばし)る君待ちがてに

 

(訳)春になると、わが家(や)の里の渡り瀬では若鮎が跳ね回っています。あなたを待ちあぐねんで。(同上)

(注)かはと【川門】名詞:両岸が迫って川幅が狭くなっている所。川の渡り場。(学研)

(注)君待ちがてに:君を待ちきれなくて。ガテニはカテニに同じ。(伊藤脚注)

(注の注)がてに 分類連語:①…できないで。…られないで。②…しにくく。 ⇒参考:補助動詞「かつ」の未然形「かて」に打消の助動詞「ず」の上代の連用形「に」がついた「かてに」が一語と考えられ、濁音化したもの。濁音化するとともに、「難(がて)に」の意と混同されるようになって、②の意味が生じた。(学研)ここでは①の意

 

 

 

■巻五 八六〇歌■

◆麻都良我波 奈々勢能與騰波 与等武等毛 和礼波与騰麻受 吉美遠志麻多武

       (作者未詳 巻五 八六〇)

 

≪書き下し≫松浦川七瀬(ななせ)の淀(よど)は淀むとも我(わ)れは淀まず君をし待たむ

 

(訳)松浦川のいくつもの瀬のある淀みは、この後もたとえどんなに淀もうとも、私どもは、ためらわずただ一筋のあなたをお待ちしましょう。(同上)

(注)前歌に対し、鮎ならぬ私が待つと展開している。(伊藤脚注)

 

 

 

 

■■巻五 八六一~八六三歌■■

題詞は、「後人追和之詩三首 帥老」<後人の追和(ついわ)する歌三首 帥老(そちろう)>である。

(注)廻り持ちで詠んだ、八五三の前文から八六〇が再び旅人のもとに来、後人追和の形で旅人が歌ったもの。(伊藤脚注)

(注)八五五~八五七に順に応じている。(伊藤脚注)

(注)帥老:旅人を尊んでいう。一連の作が旅人ほか諸人の共作であることを示すために、資料保管の段階で憶良が注したらしい。(伊藤脚注)

 

■巻五 八六一歌■

◆麻都良河波 可波能世波夜美 久礼奈為能 母能須蘇奴例弖 阿由可都流良武

      (大伴旅人 巻五 八六一)

 

≪書き下し≫松浦川(まつらがは)川の瀬早み紅(くれない)の裳(も)の裾(すそ)濡(ぬ)れて鮎か釣るらむ 

 

(訳)松浦川の川の瀬が早いので、娘子たちは紅の裳裾をあでやかに濡らしながら、今頃、鮎を釣っていることであろうか。(同上)

 

 八六一歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1812)」で紹介している。

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■巻五 八六二歌■

◆比等未奈能 美良武麻都良能 多麻志末乎 美受弖夜和礼波 故飛都々遠良武

       (大伴旅人 巻五 八六二)

 

≪書き下し≫人皆(ひとみな)の見らむ松浦の玉島を見ずてや我(わ)れは恋ひつつ居(を)らむ

 

(訳)誰もかれもが見ている松浦の玉島なのに、一人見ることもかなわずに、私どもはこんなにも切なく恋い焦がれていなければならないのか。(同上)

(注)ヤは自己の現状に対する詠嘆的疑問。(伊藤脚注)

 

 

 

 

■巻五 八六三歌■

◆麻都良河波 多麻斯麻能有良尓 和可由都流 伊毛良遠美良牟 比等能等母斯佐

        (大伴旅人 巻五 八六三)

 

≪書き下し≫松浦川玉島の浦に若鮎(わかゆ)釣る妹(いも)らを見らむ人の羨(とも)しさ

 

(訳)松浦川の玉島の浦で若鮎を釣る美しい娘子、その娘子たちを見ている人びとが羨ましくてたまらない。(同上)

 

 

 

■■巻五 巻五、八一〇・八一一歌■■

題詞は、「大伴淡等謹状 梧桐日本琴一面 對馬結石山孫枝」<大伴淡等(おほとものたびと)謹状(きんじょう) 梧桐(ごとう)の日本(やまと)琴(こと)一面 対馬の結石(ゆひし)の山の孫枝(ひこえ)なり>である。

(注)ごとう【梧 桐】: アオギリの異名。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

(注)「淡等」:旅人を漢字音で書いたもの。(伊藤脚注)

(注)結石(ゆひし)の山:対馬北端の山

(注)孫枝(読み)ヒコエ:枝からさらに分かれ出た小枝。(コトバンク デジタル大辞泉

 

 前文は、「此琴夢化娘子曰 余託根遥嶋之崇巒 晞▼九陽之休光 長帶烟霞逍遥山川之阿 遠望風波出入鴈木之間 唯恐 百年之後空朽溝壑 偶遭良匠散為小琴 不顧質麁音少 恒希君子左琴 即歌曰」<この琴、夢(いめ)に娘子(をとめ)に化(な)りて日(い)はく、『余(われ)、根(ね)を遥島(えうたう)の崇巒(すうらん)に託(よ)せ、幹(から)を九陽(きうやう)の休光(きうくわう)に晒(さら)す。長く煙霞(えんか)を帯びて、山川(さんせん)の阿(くま)に逍遥(せうえう)す。遠く風波(ふうは)を望みて、雁木(がんぼく)の間(あひだ)に出入す。ただに恐る、百年の後(のち)に、空(むな)しく溝壑(こうかく)に朽(く)ちなむことのみを。たまさかに良匠に遭(あ)ひ、斮(き)られて小琴(せうきん)と為(な)る。質麁(あら)く音少なきことを顧(かへり)みず、つねに君子の左琴(さきん)を希(ねが)ふ』といっふ。すなはち歌ひて曰はく>である。

 

(訳)この琴が、夢に娘子(おとめ)になって現れて言いました。「私は、遠い対馬(つしま)の高山に根をおろし、果てもない大空の光に幹をさらしていました。長らく雲や霞(かすみ)に包まれ、山や川の蔭(かげ)に遊び暮らし、遥かに風や波を眺めて、物の役に立てるかどうかの状態でいました。たった一つの心配は、寿命を終えて空しく谷底深く朽ち果てることでありました。ところが、偶然にも立派な工匠(たくみ)に出逢い、伐(き)られて小さな琴になりました。音質は荒く音量も乏しいことを顧(かえり)みず、徳の高いお方の膝の上に置かれることをずっと願うております。」と。次のように歌いました。(同上)

(注)遥島:はるか遠い島。ここでは対馬のことをいう。(伊藤脚注)

(注)崇巒:高い嶺。結石山をいう。(伊藤脚注)

(注)九陽(読み)きゅうよう〘名〙:太陽。日。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)(注)休光:うるわしい光。(伊藤脚注)。

(注)逍遥(読み)ショウヨウ [名]:気ままにあちこちを歩き回ること。そぞろ歩き。散歩。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)雁木の間:古代中国の思想家、荘子が旅の途中、木こりが木を切り倒していた。「立派な木だから、いい材料になる」。しばらく行くと、親切な村人がごちそうしてくれた。「この雁はよく鳴かないので殺しました」。役に立つから切られるものと、役に立たないから殺されるもの。荘子いわく、「役に立つとか立たないとか考えず生きるのが一番いい」(佐賀新聞LIVE)

(注)百年:人間の寿命➡百年の後>寿命を終えて(伊藤脚注)。

(注)溝壑(読み)こうがく:みぞ。どぶ。谷間。(コトバンク 大辞林 第三版)

(注)君子の左琴:『白虎通』に「琴、禁也、以禦二止淫邪_、正二人心,.一也。」、つまり琴が君子の身を修め心を正しくする器であるといい、そのゆえに『風俗通義』に「君子の常に御する所のもの、琴、最も親密なり、身より離さず」という、「君子左琴」「右書左琴」などの、“君子の楽器としての琴”という通念が生まれて来た。(明治大学大学院紀要 第28集1991.2)

 

 ■巻五 八一〇歌■

◆伊可尓安良武 日能等伎尓可母 許恵之良武 比等能比射乃倍 和我麻久良可武

        (大伴旅人 巻五 八一〇)

 

≪書き下し≫いかにあらむ日の時にかも声知らむ人の膝(ひざ)の上(へ)我(わ)が枕(まくら)かむ

 

(訳)どういう日のどんな時になったら、この声を聞きわけて下さる立派なお方の膝の上を、私は枕にすることができるのでしょうか。(同上)

(注)声知らむ人:声を聞きわけて下さる人。琴の名手伯牙がよく琴を弾き、鍾子期がよくその音を聴いたという、いわゆる「知音」の故事による。(伊藤脚注)。

 

 

 

 

■巻五 八一一歌■

 題詞は、「僕報詩詠曰」<僕(われ)、詩詠(しえい)に報(こた)へて曰はく>である。

 

◆許等ゝ波奴 樹尓波安里等母 宇流波之吉 伎美我手奈礼能 許等尓之安流倍志 

        (大伴旅人 巻五 八一一)

 

≪書き下し≫言(こと)とはぬ木にはありともうるはしき君が手馴(たな)れの琴にしあるべし

 

(訳)うつつには物を言わぬ木ではあっても、あなたのようなお方なら、立派なお方がいつも膝に置く琴に、きっとなることができましょう。(同上)

 

 そして、後文は、「琴娘子答曰 敬奉徳音 幸甚ゝゝ 片時覺 即感於夢言慨然不得止黙 故附公使聊以進御耳 謹状不具」<琴娘子(ことをとめ)答へて曰はく、『敬(つつし)みて徳音(とくいん)を奉(うけたまは)る。幸甚(かうじん)々々』 片時(しまらく)ありて覚(おどろ)き、すなわち夢(いめ)の言(こと)に感(かま)け、慨然止黙(がいぜんもだ)をること得ず。故(そゑ)に、公使(こうし)に附けて、いささかに進御(たてまつ)らくのみ。

謹状 不具(ふぐ)>である。

 

 

 

(後文訳)琴娘子は答えて、「謹んで結構なお言葉を承りました。幸せの限りです」と言いました。 しばらくして私はふと目が覚めて夢の言葉に心むせび、感無量でとても黙っていることができません。そこで、公の使に託して、いささか進呈申し上げます。 謹んで申し上げます。不具。(同上)

 

左注は、「天平元年十月七日附使進上 謹通 中衛高明閤下 謹空」<天平元年十月七日 使い附けて進上(たてまつ)る 謹通(きんつう) 中衛高明閤下(ちゆうゑいかうめいかふか) 謹空>

(注)謹通:謹んで書状をさしあげる。(伊藤脚注)。

(注)中衛高明:中衛府大将藤原房前。(伊藤脚注)。

(注)謹空(読み)きんくう〘名〙: (つつしんで空白を残す意) 書状の末尾に添えて敬意を表わす語(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

 八一〇・八一一歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その番外              200513-2)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫より)

★「古代史で楽しむ 万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「コトバンク 大辞林 第三版」