●歌は、「あしひきの山さえ光ろ咲く花の散りぬるごとき我が大君かも(大伴家持 3-477)」、「・・・はしきよし汝弟の命なにしかも時しはあらむをはだすすき穂に出づる秋の萩の花・・・(大伴家持 17-3957)」である。
歌をみていこう。
「古代史で楽しむ 万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫)によると、「内舎人時代の最大の出来事は、やはり安積(あさか)皇子の死であった。反藤原の希望の星だった皇子が仲麻呂によって暗殺されたのである。家持は六首の挽歌によってその若き逝去を悲しみ、(巻三、四七七)(歌は省略)・・・その落花を悲しむ。」と書かれている。
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この四七五~四八〇歌については、直近で、万葉集の世界に飛び込もう(その2592の1)」で紹介している。
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「いま和束(わづか)に残る安積の墳墓は穏やかな茶畑に囲まれて、悲しい静けさにある。」(同著)
「やがて家持は越中の国司として馬を越(こし)に進める。しかしこの多感な青年国守を待ち受けていたものは、晩秋に得た弟の訃報(ふほう)、翌春三月のみずからの重病であった。この病床にあって家持はわが身をことごとく考えつくしたようである。『大君の任(まけ)のまにまに』(巻一七、三九五七以下)やって来たのだという自覚、体力の衰え、世間無常の感、いまだ『山柿の門』(柿本人麻呂などの歌境)に到らざる嘆き、望郷の念、その中心を占める在京の妻への思慕―。家持はこれらの感慨を長歌・短歌・漢文・漢詩によって、四たび大伴池主(いけぬし)におくり、池主もまたそれに答えて書簡を返している。池主は越中の掾(じょう)(三等官)として家持の下に在任していた歌人である。家持の病は晩春のころようやくに癒(い)えたと思われるが、以後彼は異常な熱意をもって作歌をはじめた。・・・二上(ふたがみ)山(巻一七、三九八五~三九八七)、立山(たちやま)(同、四〇〇〇~四〇〇二)、布勢(ふせ)の水海(みずうみ)(同、三九九一・三九九二)越中の風土をつぎつぎと長歌に詠み、それを『賦(ふ)』と称した。中国で漢のころ流行をきわめた壮麗な漢文が賦である。家持は長歌をそれになぞらえようとしたのだった。」(同著)
■■■巻十七 三九六二~三九七七歌■■■
家持は、病床にあり不安と悲しみのなか歌を作り池主に贈っている。その時の家持と池主のやりとりは次のように三月五日まで及んでいる。
◇天平十九年二月二十日、大伴家持→大伴池主、病に臥して悲傷しぶる歌一首(三九六二歌)ならびに短歌(三九六三、三九六四歌)
◇同二月二十九日、家持→池主 書簡ならびに悲歌二首(三九六五.三九六六歌)
◇三月二日、池主→家持 書簡ならびに歌二首(三九六七、三九六八歌)
◇三日、家持→池主 書簡ならびに短歌三首(三九六九~三九七二歌)
◇四日、池主書簡ならびに七言漢詩
◇五日、池主→家持 書簡ならびに歌一首(三九七三歌)幷せて短歌(三九七四・三九七五歌)
◇五日、家持→池主、書簡、七言一首ならびに短歌二首(三九七六、三九七七歌)
ここでは、家持が病に倒れた悲痛な冒頭の歌をみてみよう。
■■巻十七 三九六二~三九六四歌■■
題詞は、「忽沈枉疾殆臨泉路 仍作歌詞以申悲緒一首 幷短歌」<たちまちに枉疾(わうしつ)に沈み、ほとほとに泉路(せんろ)に臨(のぞ)む。よりて、歌詞を作り、もちて悲緒(ひしよ)を申(の)ぶる一首 幷(あは)せて短歌>である。
(注)たちまちに枉疾(わうしつ)に沈み:思いもかけずよこしまな病気にかかり。(伊藤脚注)
(注の注)たちまち(に)【忽ち(に)】副詞:①またたく間(に)。すぐさま。たちどころ(に)。②突然(に)。にわか(に)。③現(に)。実際(に)。 ※古くは「に」を伴って用いることが多い。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
■巻十七 三九六二歌■
◆大王能 麻氣能麻尓ゝゝ 大夫之 情布里於許之 安思比奇能 山坂古延弖 安麻射加流 比奈尓久太理伎 伊伎太尓毛 伊麻太夜須米受 年月毛 伊久良母阿良奴尓 宇都世美能 代人奈礼婆 宇知奈妣吉 等許尓許伊布之 伊多家苦之 日異益 多良知祢乃 波ゝ能美許等乃 大船乃 由久良ゝゝゝ尓 思多呉非尓 伊都可聞許武等 麻多須良牟 情左夫之苦 波之吉与志 都麻能美許登母 安氣久礼婆 門尓餘里多知 己呂母泥乎 遠理加敝之都追 由布佐礼婆 登許宇知波良比 奴婆多麻能 黒髪之吉氐 伊都之加登 奈氣可須良牟曽 伊母毛勢母 和可伎兒等毛波 乎知許知尓 佐和吉奈久良牟 多麻保己能 美知乎多騰保弥 間使毛 夜流余之母奈之 於母保之伎 許登都氐夜良受 孤布流尓思 情波母要奴 多麻伎波流 伊乃知乎之家騰 世牟須辨能 多騰伎乎之良尓 加苦思氐也 安良志乎須良尓 奈氣枳布勢良武
(大伴家持 巻十七 三九六二)
≪書き下し≫大君(おほきみ)の 任(ま)けのまにまに ますらをの 心振り起(おこ)し あしひきの 山坂(やまさか)越えて 天離(あまざか)る 鄙(ひな)に下(くだ)り来(き) 息(いき)だにも いまだ休めず 年月(としつき)も いくらもあらぬに うつせみの 世の人なれば うち靡(なび)き 床(とこ)に臥(こ)い伏(ふ)し 痛けくし 日に異(け)に増(ま)さる たらちねの 母の命(みこと)の 大船の ゆくらゆくらに 下恋(したごひ)に いつかも来(こ)むと 待たすらむ 心寂(あぶ)しく はしきよし 妻の命(みこと)も 明けくれば 門(かど)に寄り立ち 衣手(ころもで)を 折り返しつつ 夕されば 床(とこ)打ち払(はら)ひ ぬばたまの 黒髪敷きて いつしかと 嘆かすらむぞ 妹(いも)も兄(せ)も 若き子どもは をちこちに 騒(さわ)き泣くらむ 玉桙(たまぼこ)の 道をた遠(どほ)み 間使(まつかひ)も 遺(や)るよしもなし 思ほしき 言伝(ことづ)て遣(や)らず 恋ふるにし 心は燃えぬ たまきはる 命(いのち)惜(お)しけど 為(せ)むすべの たどきを知らに かくしてや 荒(あら)し男(を)すらに 嘆(なげ)き伏せらむ
(訳)大君の仰せに従って、ますらおの雄々しい心を奮い起こして、山を越え坂を越え、はるばるこの遠い鄙の地に下って来て、まだ息も休めず年月もどれほども経っていないのに、はかない世に住む人間のこととて、ぐったりと病の床に横たわってしまって、苦しみは日に日につのるばかりだ。懐かしい母君が、大船の揺れるようにゆらゆらと落ち着かず、心待ちにいつ帰ることかと恋い焦がれておられるお気持ちは、思いやるだけでさびしいし、いとしくてならない大事な妻も、夜が明けてくると門に寄り添って立ち、夕ともなると袖を折り返しては床を払い清めて、独りさびしく黒髪を靡かせて伏し、早く帰って来てほしいと嘆いてくれていることであろう。女の子も男の子も幼い子どもたちは、あっちこっちで騒いだり泣いたりしていることであろう。とはいえ、道のりははるかに遠く、ちょいちょい使いをやる手だてもない。言いたいことを言ってやることもできずに恋い慕うにつけても、心は熱く燃え上がるばかりだ。限りある命は惜しく何とかしたいと思うけれど、どうしたらよいのか手がかりもわからず、こうして豪胆であるべき男子たるものが、ただめめしく嘆き臥(ふ)してばかりいなければならぬというのか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)痛けくし:苦しみは。「痛けく」は「痛し」のク語法。シは強意の助詞。(伊藤脚注)
(注)母の命:妻大嬢の母、坂上郎女。「命」は「大君の云々」と歌い起こした荘重な文脈に合わせた尊称。次の「妻の命」も同じ。(伊藤脚注)
(注)おおぶねの【大船の】[枕]:① 船の泊まる所の意から、「津」「渡り」にかかる。② 大船のゆったりとしたさま、または、揺れ動くところから、「ゆた」「ゆくらゆくら」「たゆたふ」にかかる。③ 大船を頼りにするところから、「たのむ」「思ひたのむ」にかかる。④ 船を操る楫取 (かじと) りと音が似ているところから、地名「香取」にかかる。(goo辞書)ここでは②の意
(注)ゆくらゆくらなり 形容動詞:ゆらゆらと揺れ動く。(学研)
(注)したごひ【下恋ひ】名詞:心の中でひそかに恋い慕うこと。(学研)
(注)うちはらふ【打ち払ふ】他動詞:①さっと払いのける。②除き去る。③払い清める。清潔にする。(学研)
(注)黒髪敷きて:女の独り寝の姿。(伊藤脚注)
(注)まづかひ【間使ひ】名詞:消息などを伝えるために、人と人との間を行き来する使者。(学研)
(注)思ほしき:「思う」から派生した形容詞。恋しく思っている。(伊藤脚注)
(注)荒し男:私的な感情にめめしく捉われたりしないはずの、剛の男。荒れすさんだ男をいう「荒男(あらを)」とは別。(伊藤脚注)
■巻十七 四九六三歌■
◆世間波 加受奈枳物能可 春花乃 知里能麻我比尓 思奴倍吉於母倍婆
(大伴家持 巻十七 四九六三)
≪書き下し≫世間(よのなか)は数なきものか春花(はるはな)の散りのまがひに死ぬべき思へば
(訳)生きてこの世に在る人間というものは何とまあ定まりのないものであることか。春の花の散り交うにまぎれて、はかなく死んでしまうものかと思うと。(同上)
(注)仏教語「世間空」を背景に踏まえる。(伊藤脚注)
(注の注)かずなし【数無し】形容詞:①物の数にも入らない。はかない。②数えきれないほど多い。無数である。(学研) ここでは①の意
(注)まがひ【紛ひ】名詞:(いろいろのものが)入りまじること。まじり乱れること。また、入りまじって見分けがつかないこと。(学研)
■巻十七 三九六四歌■
◆山河乃 曽伎敝乎登保美 波之吉余思 伊母乎安比見受 可久夜奈氣加牟
(大伴家持 巻十七 三九六四)
≪書き下し≫ 山川(やまかは)のそきへを遠みはしきよし妹(いも)を相見ずかくや嘆かむ
(訳)山や川を隔ててはるか遠くに離れているので、いとしいあの人に逢(あ)うこともできず、こうして独り嘆いていなければならないのか。(同上)
(注)そきへ【退き方】名詞:遠く離れたほう。遠方。果て。「そくへ」とも。(学研)
(注)はしきよし【愛しきよし】分類連語:「はしきやし」に同じ。「はしけやし」とも。 ※上代語。 ⇒なりたち 形容詞「は(愛)し」の連体形+間投助詞「よし」
(注の注)はしきやし【愛しきやし】分類連語:ああ、いとおしい。ああ、なつかしい。ああ、いたわしい。「はしきよし」「はしけやし」とも。 ※上代語。 ⇒ 参考 愛惜や追慕の気持ちをこめて感動詞的に用い、愛惜や悲哀の情を表す「ああ」「あわれ」の意となる場合もある。「はしきやし」「はしきよし」「はしけやし」のうち、「はしけやし」が最も古くから用いられている。(学研)
左注は、「右天平十九年春二月廿日越中國守之舘臥病悲傷聊作此歌」<右は、天平(てんびやう)十九年の春の二月の二十日に、越中の国の守が館(たち)に病(やまひ)に臥(ふ)して悲傷(かな)しび、いささかにこの歌を作る>である。
(注)天平十九年の春の二月の二十日:十二月・一月の歌がない。前年の暮頃から病気だったらしい。次の歌の前文にも「累旬」とある。
(注の注)るいじゆん【累旬】:数十日。(コトバンク 平凡社「普及版 字通」)
この歌群については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1348表②)」で紹介している。
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■■二上(ふたがみ)山の賦(巻十七 三九八五~三九八七歌)■■
この歌群については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その824)」で高岡市万葉歴史館の万葉歌碑とともに紹介している。
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■■立山(たちやま)の賦(巻十七 四〇〇〇~四〇〇二歌)■■
この歌群については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その826)」で高岡市万葉歴史館屋上庭園の万葉歌碑とともに紹介している。
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■■布勢(ふせ)の水海(みずうみ)の賦(巻十七 三九九一・三九九二歌)■■
この歌群については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その813)」で氷見市十二町 十二町潟水郷公園「萬葉布勢水海之跡」の碑と万葉歌碑(副碑)とともに紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「古代史で楽しむ 万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「goo辞書」