●歌は、「泊瀬川流るる水脈の瀬を早みゐで越す波の音の清けく(作者未詳 7-1108)」である。
「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー)の「初瀬川」の項である。
【初瀬川】
(作者未詳 巻七-一一〇八)(歌は省略)。
「『隠口(こもりく)の初瀬』といっても、けっして南北の山々のきりせまった陰気な深い谷ではない。・・・谷あいには相当の平地をのこして、日をいっぱいうけた明るい渓谷である。初瀬川は長谷寺の東北奥、小夫(おうぶ)・白木(ともに桜井市)に発して、初瀬から谷あいを西流し、三輪山の南麓をめぐって平野に出ている。むかしは水量も多く下流には水運の便もあったようだ(巻一-七九、遷都の歌)」(同著)
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一一〇八歌と七九歌をみてみよう。
■巻七 一一〇八歌■
◆泊瀬川 流水尾之 湍乎早 井提越浪之 音之清久
(作者未詳 巻七 一一〇八)
≪書き下し>泊瀬川(はつせがは)流るる水脈(みを)の瀬を早みゐで越す波の音(おと)の清(きよ)けく
(訳)泊瀬川の、渦巻き流れる川の瀬が早いので、堰(せき)を越えてほとばしる波、その波の音が清らかに聞こえてくる。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)みを【水脈・澪】名詞:川や海の中の、帯状に深くなっている部分。水が流れ、舟の通る水路となる。 参考⇒みをつくし (weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)ゐで:木や石など、流れを堰く所。(伊藤脚注)
(注の注)ゐで【井手・堰】名詞:「ゐせき」に同じ。>ゐせき 【井堰・堰】名詞:用水をほかへ引くために、木・土・石などで川水をせき止めた所。「井手(ゐで)」とも。(学研)
■■巻一 七九歌・八〇歌■■
■巻一 七九歌■
題詞は、「或本従藤原京遷于寧樂宮時歌」<或本、藤原の京より寧楽の宮に遷る時の歌>である。
(注)皇子などの家を水路奈良に運び、移築した人々の室寿ぎ歌らしい。(伊藤脚注)
◆天皇乃 御命畏美 柔備尓之 家乎擇 隠國乃 泊瀬乃川尓 舼浮而 吾行河乃 川隈之 八十阿不落 万段 顧為乍 玉桙乃 道行晩 青丹吉 楢乃京師乃 佐保川尓 伊去至而 我宿有 衣乃上従 朝月夜 清尓見者 栲乃穂尓 夜之霜落 磐床等 川之水凝 冷夜乎 息言無久 通乍 作家尓 千代二手尓 来座多公与 吾毛通武
(作者未詳 巻一 七九)
≪書き下し≫大君の 命畏み 親びにし 家を置き こもりくの 泊瀬の川に 舟浮けて 我が行く川の 川隈の 八十隈おちず 万たび かへり見しつつ 玉桙の 道行き暮らし あをによし 奈良の都の 佐保川に い行き至りて 我が寝たる 衣の上ゆ 朝月夜 さやかに見れば 栲のほに 夜の霜降り 岩床と 川の氷凝り 寒き夜を 息むことなく 通ひつつ 作れる家に 千代までに 来ませ大君よ 我れも通はむ
(訳)我が大君の仰せを恐れ謹んで、馴(な)れ親しんだ我が家をあとにし、隠(こも)り処(く)の柏瀬の川に、舟を浮かべてわれらが行く川の、曲がり角の、次から次へと続くその曲がり角ごとに、いくたびもいくたびも振り返って我が家の方を見ながら、漕ぎ進んで行くうちに日も暮れてしまい、青土の奈良の都の、佐保川に辿(たど)り着いて、われらが仮寝をしているその衣の上から、明け方の月の光でまじまじ見ると、あたり一面、まっ白に夜の霜が置き、岩床のように川の水が凝り固まっている、そんな寒い夜でもゆっくり休むことなく、通い続けて造り上げたわれらのお屋敷に、いついつまでもお住まい下さいませ、我が大君よ。私どももずっと通ってお仕えしましょう。(伊藤 博 著 「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)
(注)にきぶ【和ぶ】自動詞:安らかにくつろぐ。なれ親しむ。(学研)
(注)かはくま【川隈】名詞:川の流れが折れ曲っている所。「かはぐま」とも。(学研)
(注)佐保川に い行き至りて:初瀬川が佐保川に合流する地点に達したことをいう。(伊藤脚注)
(注の注)いゆく【い行く】自動詞:行く。進む。 ※「い」は接頭語。上代語。(学研)
(注)衣の上ゆ 朝月夜 さやかに見れば:衣を掛けて寝る床に朝月がさやかに照らしている、その朝月のようにまじまじと見ると、の意か。(伊藤脚注)
(注)ほ【秀】名詞:①ぬきんでていること。秀(ひい)でていること。また、そのもの。「国のほ」「波のほ」。②表面に出て目立つもの。▽多く、「ほ」を「穂」にかけていう。(学研)
(注)岩床と:岩盤のように氷が固まっていて。トはとしての意。(伊藤脚注)
■巻一 八〇歌■
◆青丹吉 寧樂乃家尓者 万代尓 吾母将通 忘跡念勿
(作者未詳 巻一 八〇)
≪書き下し≫あをによし奈良の家には万代(よろづよ)に我(わ)れも通はむ忘ると思ふな
(訳)青土匂う奈良のこのわれらのお屋敷には、千代万代(ちよよろずよ)に私どもも通い続けましょう。忘れるものとはけっしてお思い下さいますな。(同上)
(注)家には:このわれらのお屋敷には、の意。(伊藤脚注)
左注は、「右歌作主未詳」<右の歌は、作主未詳>である。
七九・八〇歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2107)」で、奈良市田原本町阪手 村屋坐彌冨都比売神社万葉歌碑とともに紹介している。
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「初瀬川沿いの道が、“豊泊瀬道(とよはつせぢ)”(豊は美称)として、伊勢・東国への要路であってみれば旅の人にもまた親しまれた川筋である。・・・(巻七-一一〇七)(歌は省略)など、『泊瀬川』『泊瀬の川』の歌は計一三首も数えられる。初瀬川が、谷の入口で、三諸(みもろ)の神、三輪山の南麓をめぐるあたりでは、三輪(みわ)川ともいわれていた。(巻十-二二二二)(歌は省略)」(同著)
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一一〇七歌および二二二二歌をみてみよう。
■巻七 一一〇七歌■
◆泊瀬川 白木綿花尓 堕多藝都 瀬清跡 見尓来之吾乎
(作者未詳 巻七 一一〇七)
≪書き下し≫泊瀬川(はつせがわ)に落ちたぎつ瀬をさやけみと見に来(こ)し我(わ)れを
(訳)泊瀬川の、白い木綿の花のように流れ落ちては砕ける川の瀬、その瀬がすがすがしいので見にやって来た、私は。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)しらゆふはな【白木綿花】名詞:白い「木綿(ゆふ)」で作った造花。波頭の白さや流れ落ちる水の飛び散るようすをたとえて言う。(学研)
■巻十 二二二二歌■
◆暮不去 河蝦鳴成 三和河之 清瀬音乎 聞師吉毛
(作者未詳 巻十 二二二二)
≪書き下し≫夕(ゆふ)さらずかはづ鳴くなる三輪川(みわがは)の清き瀬の音(おと)を聞かくしよしも
(訳)夕方にはいつも河鹿の鳴いている三輪川の清らかな瀬の音を聞くのは、ほんとうに気持ちがよい。(同上)
(注)夕さらず:毎夕欠けることなく。(伊藤脚注)
(注)三輪川:三輪山麓あたりでも初瀬川の称。(伊藤脚注)
(注)-く 接尾語:〔四段・ラ変動詞の未然形、形容詞の古い未然形「け」「しけ」、助動詞「けり」「り」「む」「ず」の未然形「けら」「ら」「ま」「な」、「き」の連体形「し」に付いて〕①…こと。…すること。▽上に接する活用語を名詞化する。②…ことに。…ことには。▽「思ふ」「言ふ」「語る」などの語に付いて、その後に引用文があることを示す。③…ことよ。…ことだなあ。▽文末に用い、体言止めと同じように詠嘆の意を表す。 ⇒参考:(1)一説に、接尾語「らく」とともに、「こと」の意の名詞「あく」が活用語の連体形に付いて変化したものの語尾という。(2)多く上代に用いられ、中古では「いはく」「思はく(学研)
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」