●歌は、「味酒を三輪の祝が斎ふ杉手触れし罪か君に逢ひかたき(丹波大女娘子 4-712)」である。
【三輪の神杉】
「(丹波大女娘子(たにはのおほめおとめ) 巻四-七一二)(歌は省略)・・・こんにち見る、『うまさけを(枕詞)三輪の祝(はふり)(神官)』がいつきまつる老杉は、拝殿の前に、亭々(ていてい)と茂っていて、空洞の中には神蛇(巳(みい)さん)がいますという。・・・信仰はたいへんさかんである。大物主(おほものぬし)神をまつるといえば、ものものしく、山の霊力の象徴のような巳さんをまつるといえば、記紀にみえる有名な三輪山神婚説話も思われて、古来の民間信仰の根深い実態を見るようである。いとしい人に逢えないのは、神木の老杉に手をふれでもした罰かとなげくこの歌を、神へのけいべつ感や諧謔(かいぎゃく)として説く説もあるが、いまの人なら荘厳がそのままこっけいに通じることはあっても、三輪の神の信仰のあり方を思えば、かえって神への畏怖の中に親近感もある古代生活を反映するものではなかろうか。」(同著)
(注)三輪山説話(みわやませつわ):奈良県桜井市の三輪山にまつわる神婚説話で、古く『古事記』にみえる。夜な夜な活玉依毘売(いくたまよりびめ)のもとに男が通い、ついに姫が身ごもる。男の素姓を怪しんだ両親は、麻糸を通した針を着物の裾(すそ)に刺させる。翌朝、糸をたどっていくと、それは三輪の神社まで続いており、男の正体が神であったと知る。『日本書紀』では、毎夜倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)に通ってくる男に姿を見せよと求めると、翌日、櫛笥(くしげ)の中で蛇となっていた。本性を見られた男は三輪山に登るという話が箸墓(はしはか)伝説と結合してみえている。類話は昔話の「蛇聟入(へびむこいり)」苧環(おだまき)型として各地に伝承されていて、書承と口承の影響関係を探る手掛りを与えている。昔話では、糸は淵(ふち)や洞穴に続いている例が多く、蛇の子を宿した娘は、3月3日の桃酒または五月節供の菖蒲(しょうぶ)酒を飲んで難を逃れる。また『肥前国風土記(ふどき)』に、弟日姫子(おとひひめこ)の話として同類の説話がみられ、記紀伝承から昔話への過渡的形態をうかがわせるが、これらを総称して三輪山説話という。(コトバンク 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ))
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七一一から七一三歌をみてみよう。
■■巻四 七一一~七一三歌■■
題詞は、「丹波大女娘子歌三首」<丹波大女娘子(たにはのおほめをとめ)が歌三首>である。
(注)丹波大女娘子:伝未詳。「丹波」は国名あるいは氏名か。(伊藤脚注)
■巻四 七一一歌■
◆鴨鳥之 遊此池尓 木葉落而 浮心 吾不念國
(丹波大女娘子 巻四 七一一)
≪書き下し≫鴨鳥(かもとり)の遊ぶこの池に木(こ)の葉落ちて浮きたる心我(あ)が思(おも)はなくに
(訳)鴨の鳥が浮かんで遊んでいるこの池に木の葉が落ちて浮いている。そんな浮わついた心で私があなたを思っているわけではないのに。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)上三句は序。「浮きたる」を起す。(伊藤脚注)
■巻四 七一二歌■
◆味酒呼 三輪之祝我 忌杉 手觸之罪歟 君二遇難寸
(丹波大女娘子 巻四 七一二)
≪書き下し≫味酒(うまさけ)を三輪の祝(はふり)が斎(いは)ふ杉手(て)触(ふ)れし罪か君に逢ひかたき
(訳)三輪の神主(かんぬし)があがめ祭る杉、その神木の杉に手を触れた祟(たた)りでしょうか。あなたになかなか逢えないのは(同上)
(注)うまさけ【味酒・旨酒】分類枕詞:味のよい上等な酒を「神酒(みわ)(=神にささげる酒)」にすることから、「神酒(みわ)」と同音の地名「三輪(みわ)」に、また、「三輪山」のある地名「三室(みむろ)」「三諸(みもろ)」などにかかる。 ※ 参考枕詞としては「うまさけの」「うまさけを」の形でも用いる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)はふり【祝】名詞:神に奉仕することを職とする者。特に、神主(かんぬし)や禰宜(ねぎ)と区別する場合は、それらの下位にあって神事の実務に当たる職をさすことが多い。祝(はふ)り子。「はうり」「はぶり」とも。(学研)
(注)手触れし罪か:手に触れたはずはないのにの意がこもる。(伊藤脚注)
(注の注)か 係助詞《接続》種々の語に付く。「か」が文末に用いられる場合、活用語には連体形(上代には已然形にも)に付く。(一)文中にある場合。(受ける文末の活用語は連体形で結ぶ。)①〔疑問〕…か。②〔反語〕…か、いや…ではない。(二)文末にある場合。①〔疑問〕…か。②〔反語〕…か、いや…ではない。▽多く「かは」「かも」「ものか」の形で。(学研)
■巻四 七一三歌■
◆垣穂成 人辞聞而 吾背子之 情多由多比 不合頃者
(丹波大女娘子 巻四 七一三)
≪書き下し≫垣(かき) ほなす人言(ひとごと)聞きて我(わ)が背子が心たゆたひ逢はぬこのころ
(訳)垣根のように二人の仲を隔てる世間の中傷を耳にして、あなたの心がぐらついたのか、この頃逢ってくださらない。(同上)
(注)垣ほなす人事:二人を隔てるものの譬え。「垣ほ」は高々と聳え立つ垣根。(伊藤脚注)
(注の注)かきほ【垣穂】なす (「人」「人言」などを修飾する枕詞的な慣用句)① 物をへだてる垣のように、互いの仲をへだてる。また、悪くいう。② まわりをとり囲む垣のように多い。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)
(注の注)ひとごと【人言】名詞:他人の言う言葉。世間のうわさ。(学研)
(注)たゆたふ【揺蕩ふ・猶予ふ】自動詞:①定まる所なく揺れ動く。②ためらう。(学研)
七一一~七一三歌については拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その950)」で紹介している。
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コロナ騒動の前は、毎年正月に大神神社にお詣りをしていた。この「巳の神杉」には、お酒と卵を持参していたのである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「境内マップ」 (大神神社HP)