万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう(その2620)―書籍掲載歌を中軸に(Ⅱ)―

●歌は、「石上布留の神杉神さびて恋をも我れはさらにするかも(柿本人麻呂歌集 11-2417)」である。

 

【石上布留】

 「(柿本人麻呂歌集 巻十一‐二四一七)(歌は省略) 石上(いそのかみ)は、天理市石上神宮付近から西方一帯にかけてひろく称した名で、布留は神宮付近、いまも天理市布留町の名がある。・・・神域は、簡素に、神厳に、神さびた趣である。霊剣布都(ふつ)の御魂(みたま)をまつるのにふさわしい。もともと古代大和朝廷の武器庫にもあたるようなところで、物部氏の奉仕するところ、大和朝廷の故地にも近く、由緒深い信仰の地として老杉はとくにきこえていたものであろう。その老杉のように神さびて年老いての恋をいまさらにする自嘲の見られる歌だ。・・・『万葉集』の中で、『石上』『布留』の名のでてくる歌計一五首、・・・その大半が恋歌であることも神への無視や軽蔑ではなくて、生活の中にしみ込んだしたしみがさせるわざであろう。この歌なども民謡としてうたわれていたであろうことは、次の類歌のあるのを見てもわかる。(巻十‐一九二七)(歌は省略)」(「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 平凡社ライブラリーより)

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 二四一七歌をみてみよう。

■巻十一 二四一七歌■

◆石上 振神杉 神成 戀我 更為鴨 

      (柿本人麻呂歌集 巻十一 二四一七)

 

≪書き下し≫石上 布留の神杉(かむすぎ) 神さびて 恋をも我(あ)れは さらにするかも

 

(訳)石上の布留の年古りた神杉、その神杉のように古めかしいこの年になって、私はあらためて苦しい恋に陥っている。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句は序。「神さびて」を起す。(伊藤脚注)

(注)神さびて:古めかしいこの年になって。(伊藤脚注)

 

 

 

一九二七歌もみてみよう。

■巻十 一九二七歌■

◆石上 振乃神杉 神備西 吾八更ゝ 戀尓相尓家留

       (作者未詳 巻十 一九二七)

 

≪書き下し≫石上(いそのかみ)布留(ふる)の神杉(かむすぎ)神(かむ)びにし我(あ)れやさらさら恋にあひにける

 

(訳)石上の布留の社の年経た神杉ではないが、老いさらばえてしまった私が、今また改めて、恋の奴にとっつかまってしまいました。(伊藤 博著「万葉集 二」角川ソフィア文庫より)

(注)石上布留の神杉:奈良県天理市石上神宮一帯。上二句は序。「神びにし」を起す。(伊藤脚注)

(注)神びにし:下との関係では年老いるの意。(伊藤脚注)

(注)さらさら【更更】副詞:①ますます。改めて。②〔打消や禁止の語を伴って〕決して。(学研)ここでは①の意

 

 左注は、「右一首不有春歌而猶以和故載於茲次」<右の一首は、春の歌にあらねども、なほ和するをもちての故(ゆゑ)に、この次(つぎて)に載(の)す。」である。

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その54改)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

 

奈良県天理市布留町石上神宮外苑万葉歌碑(作者未詳 10-1927) 20190425撮影

 

 

 

同著の解説にあった「霊剣布都の御魂」ならびに「物部氏」の関連等については、石上神宮HP「神話に見る石上神宮の神様」の「布都御魂大神」に次のように記されている。

神武天皇は『東方に国の中心で、すばらしく美しい土地がある』と、九州の高千穂宮を出発し、船で海を渡り、大和に向いました。途中幾多の困難に遭遇しながら進んでいきます。熊野では賊の毒気にあたって全軍が壊滅寸前の状態に陥ります。その時に高天原から降ろされた一ふりの横刀(たち)(またの名を布都御魂・ふつのみたま※日本書紀では韴霊・ふつのみたま)を、高倉下(たかくらじ)が神武天皇に捧げます。するとこの横刀のもつ不思議な力、起死回生の力によって神武天皇の一行は蘇り、賊も退散。神武天皇は、無事に大和を平定することができました。神武天皇は大和平定の後、『民を利することであれば、聖業に違うことはない』『国の中をひとつにし、都を開き、八紘(あめのした)をおおって宇(いえ)とする』等を内容とした『建都の大詔』を発せられて、国の都を橿原の地に定められました。その2年後に即位され、初代の天皇となられます。神武天皇は、国譲りや国土平定に功績のあった韴霊剣を称えられ、物部氏の遠祖・宇摩志麻治命(うましまじのみこと)に命じ、宮中においてお祀りされることとなりました。この後、第10代崇神天皇の7年に物部氏の祖・伊香色雄命(いかがしこおのみこと)が、現在お祀りしている石上布留高庭にお遷(うつ)ししてお祀りされました。『古事記』にも『この刀は石上神宮に坐(ま)す』つまりは、御鎮座になっている、と記されています。」

 

 

 

 

 石上神宮については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その50改)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

参道から楼門をのぞむ 20190414撮影



 

石上神宮拝殿 20190414撮影



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「神話に見る石上神宮の神様」 (石上神宮HP)