●歌は、「み佩かしを 剣の池の 蓮葉に 溜まれる水の ゆくへなみ 我がする時に 逢ふべしと 逢ひたる君を な寐寝そと 母聞こせども 我が心 清隅の池の 池の底 我は忘れじ 直に逢ふまでに」である。
本稿から、「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー)の「飛鳥・藤原京」である。
順に読み進んでいこう。
【剣の池】
「(作者未詳 巻十三‐三二八九)(歌は省略) 橿原神宮駅前東口から東に0.5キロほどゆくと、右手に大きな池がある。池に影をうつしている小山は、孝元天皇剣池島上(しまのうえ)陵で、池は応神朝につくられ、舒明朝七年七月と皇極朝三年六月に一茎二花の瑞蓮を見たという。(『書紀』)池の西南に石川の村落があり、蘇我馬子の石川精舎もあったといわれる・・・(歌は)女心の歌で、民謡風のものである。」(「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 平凡社ライブラリーより)
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下記の石川池(剣池)周辺の地図を参考にしてください。
三二八九歌をみてみよう。
■巻十三 三二八九歌■
◆御佩乎 劔池之 蓮葉尓 渟有水之 徃方無 我為時尓 應相登 相有君乎 莫寐等 母寸巨勢友 吾情 清隅之池之 池底 吾者不忘 正相左右二
(作者未詳 巻十三 三二八九)
≪書き下し≫み佩(は)かしを 剣(つるぎ)の池の 蓮葉(はちすば)に 溜(た)まれる水の ゆくへなみ 我(わ)がする時に 逢(あ)ふべしと 逢ひたる君を な寐寝(いね)そと 母聞(き)こせども 我(あ)が心 清隅(きよすみ)の池の 池の底 我(わ)れは忘れじ 直(ただ)に逢ふまでに
(訳)お佩(は)きになる剣の名の剣の池、その池の蓮葉に溜まっている水玉がどちらへもいけないように、私がどうしてよいのか途方に暮れている時に、逢うべき定めなのだとのお告げによってお逢いしたあなた、そんなあなたなのに一緒に寝てはいけないと母さんはおっしゃるけど、私の心は、清隅の池のように清く澄んでおり、その池の底のように心の底からあなたを思っている私は、忘れるなんてことを致しますまい。もう一度じかにお逢いできるその日まで。(同上)
(注)みはかし【御佩刀】名詞:お刀。▽「佩刀」の尊敬語。 ※「み」は接頭語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)冒頭から四句は序。「ゆくへなみ」を起こす。(伊藤脚注)
(注)みはかしを【御佩刀を】[枕]《「を」は間投助詞》:「剣 (つるぎ) 」と同音を含む地名「剣の池」にかかる。(goo辞書)
(注)剣の池:橿原市石川町の池。(伊藤脚注)
(注)ゆくへなみ:どうしてよいのか、私が途方に暮れている時に。(伊藤脚注)
(注)なみ【無み】 ※派生語。 ⇒なりたち 形容詞「なし」の語幹+接尾語「み」(学研)
(注)我が心:(あがこころ)枕:① ( 真心を赤心というところから ) 「我が心赤(明)し」の「赤(明)し」と同音の地名、明石にかかる。② ( 真心は心を尽くすということから ) 「我が心を尽くし」の「尽くし」と同音の地名、筑紫にかかる。③ ( 汚れのない、よこしまでない心の意で ) 「我が心清澄む」の「清澄」と同音の地名、清隅(きよすみ)にかかる。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)
(注)池の底:その池の底のように心底(しんそこ)。心の底からの意をこめる。(伊藤脚注)
(注)左右(まで):両手のことを「まて」、「まで」といったことからの戯書。
この歌の反歌もあるのでみておこう。
■巻十三 三二九〇歌■
◆古之 神乃時従 會計良思 今心文 常不所忘
(作者未詳 巻十三 三二九〇)
≪書き下し≫いにしへの神の時より逢ひけらし今の心も常(つね)忘らえず
(訳)はるか古(いにしえ)の神の御代から二人は逢っていたのであるらしい。今も今もあなたが心にかかって片時も忘れることができません。(同上)
(注)今の心も常忘らえず:今の心の中でもいつもわすれられない。(伊藤脚注)
三二八九・三二九〇歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その973)」で紹介している。
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石川池(剣池)畔には、紀皇女の歌碑が建てられている。こちらもみてみよう。
■巻三 三九〇歌■
◆軽池之 汭廻往轉留 鴨尚尓 玉藻乃於丹 獨宿名久二
(紀皇女 巻三 三九〇)
≪書き下し≫軽(かる)の池の浦(うら)み行(ゆ)き廻(み)る鴨(かも)すらに玉藻(たまも)の上(うへ)にひとり寝なくに
(訳)軽の池の岸辺に沿うて行きめぐる鴨でさえ、玉藻の上にただ独りで寝はしないのに。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)かるのいけ【軽池】:奈良県橿原市大軽付近にあった池。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)
(注)玉藻の上にひとり寝なくに:独り寝の侘しさを言う。(伊藤脚注)
紀皇女(きのひめみこ)は、「コトバンク(デジタル版日本人名大辞典+Plus)」によると、「?-? 飛鳥(あすか)時代、天武天皇の皇女。母は石川大蕤娘(おおぬのいらつめ)。恋の歌2首が「万葉集」にのる。その1首には、高安(たかやすの)王にひそかに通じて世間から非難されたときにつくったという伝承があるが、年代があわず多紀(たきの)皇女の誤写とする説もある。異母兄弓削(ゆげの)皇子の「紀皇女を思(しの)ぶ」相聞歌などがのこされている。」とある。
三九〇歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その137改)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「コトバンク デジタル版日本人名大辞典+Plus」
★「goo辞書」