●歌は、「生き死にの二つの海を厭はしみ潮干の山を偲ひつるかも(作者未詳 16-3849)」ならびに「世間の繁き仮廬に住み住みて至らむ国のたづき知らずも(作者未詳 16-3850)」である。
「(作者未詳 巻十六‐三八四九ならびに三八五〇)(歌は省略) ・・・白壁の美しい川原寺・・・飛鳥の中心にはいった・・・いまは真言宗弘福(ぐふく)寺で、小さな寺にすぎないが、寺内には創建当時の瑪瑙(めのう)の礎石二五箇があり、それに寺の前には先年発掘の際の、廻廊址の一部や、また東塔の土壇にはたくさんの礎石をのこして、むかしの盛大をしのばせている。創建は敏達朝とも斉明朝ともいわれ、また孝徳紀に『川原寺』も見え、諸説があって定まらないが、天武・持統両朝には寺田も多く隆盛をほこっていたようである。その川原寺の仏堂のうちの倭琴の面にしるされてあった二首の仏教歌が万葉集にのこされているのがおもしろい。その頃の僧侶の手ずさみであろうか。」(「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 平凡社ライブラリーより)
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三八四九ならびに三八五〇歌をみていこう。
■■巻十六 三八四九・三八五〇歌■■
題詞は、「猒世間無常歌二首」<世間(せけん)の無常を厭(いと)ふ歌二首>である。
(注)厭離穢土欣求浄土の思想を歌う。(伊藤脚注)
(注の注)えんりえど【厭離穢土】:仏語。煩悩ぼんのうにけがれた現世を嫌い離れること。おんりえど。→欣求浄土(コトバンク デジタル大辞泉)
(注の注)ごんぐじょうど【欣求浄土】:仏語。極楽浄土に往生することを心から願い求めること。「厭離穢土(えんりえど)欣求浄土」の形で用いられることが多い。(コトバンク デジタル大辞泉)
■巻十六 三八四九歌■
◆生死之 二海乎 猒見 潮干乃山乎 之努比鶴鴨
(作者未詳 巻十六 三八四九)
≪書き下し≫生き死にの二つの海を厭(いと)はしみ潮干(しほひ)の山を偲(しの)ひつるかも
(訳)生と死の二つの苦海であるこの世の厭わしさに、苦海の干上がった所にあるという山に到り着きたいと、心から思い続けています。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)二つの海:二つの苦海。(伊藤脚注)
(注の注)くかい【苦海】:《「くがい」とも》仏語。苦しみの絶えないこの世を海にたとえていう語。苦界くがい。(コトバンク デジタル大辞泉)
(注)潮干の山:須弥山。生死を解脱した無為寂静の世界。(伊藤脚注)
(注の注)しゅみせん【須弥山】:《〈梵〉Sumeruの音写。妙高山みょうこうせんと訳す》古代インドの世界観が仏教に取り入れられたもので、世界の中心にそびえるという高山。この山を中心に七重に山が取り巻き、山と山との間に七つの海があり、いちばん外側の海を鉄囲山(てっちせん)が囲む。この外海の四方に四大州が広がり、その南の州に人間が住むとする。頂上は帝釈天(たいしゃくてん)の地で、四天王や諸天が階層を異にして住み、日月が周囲を回転するという。蘇迷盧(そめいろ)。(コトバンク デジタル大辞泉)
■巻十六 三八五〇歌■
◆世間之 繁借廬尓 住ゝ而 将至國之 多附不知聞
(作者未詳 巻十六 三八五〇)
≪書き下し≫世間(よのなか)の繁(しげ)き仮廬(かりほ)に住み住みて至らむ国のたづき知らずも
(訳)この人の世の、煩わしいことばかり多い仮の宿りに住み続ける我が身とて、願い求める国へ至り着く手立ても、今もってわからないままです。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)繁き仮廬:煩わしいことの多い仮の宿り。(伊藤脚注)
(注)至らむ國:至り着きたい国。極楽浄土。(伊藤脚注)
(注)たづき:その国へ行くための手がかり。(伊藤脚注)
(注の注)たづき 【方便】名詞:①手段。手がかり。方法。②ようす。状態。見当。(学研)ここでは①の意
左注は、「右歌二首河原寺之佛堂裏在倭琴面之」<<右の歌二首は、河原寺(かはらでら)の仏堂の裏(うち)に、倭琴(やまとごと)の面(おもて)に在り>とある。
この両歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その142改)」で紹介している。
➡ こちら142改
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「天武一五年(六八六)四月、新羅の客をもてなすため川原寺の伎楽を筑紫におくったという記事が『書紀』にあるから、この寺に伎楽団がおかれていて、楽器なども多かったのであろう。」(同著)
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」