●歌は、「明日香川黄葉流る葛城の山の木の葉は今し散るらし(作者未詳 10-2210)」である。
【河内の飛鳥川】
「作者未詳(巻十‐二二一〇)(歌は省略) 大和の飛鳥(あすか)はあまりにも有名だが、河内にも飛鳥がある。二上(にじょう)山西方一帯の地で、記紀の履中天皇のところにも『近飛鳥(ちかつあすか)』『飛鳥山』と出ていて、・・・羽曳野(はびきの)市飛鳥(あすか)として名をのこしている。この飛鳥をすぎて・・・二上山南側の竹内(たけのうち)峠を越えてゆく道は、古く大和の飛鳥・藤原京方面と難波をつなぐ官道であった。この官道の付近・・・は、古代には、先進帰化人のを中心に高い文化の保たれたところである。飛鳥川は二上山南側から出て、おおむねこの街道に沿って流れ、羽曳野市古市の北方で石川に注ぐ小川である。二上山は『葛城(かづらぎ)の二上山(ふたがみやま)』(巻二‐一六五の題詞)といわれて、もと葛城山の中になるから、飛鳥川に流れるもみじを見て上流の山のもみじに思いを馳せたものであろう。峠道の手前の孝徳陵は大坂磯長(おおさかのしなが)陵といわれる。大坂越の一つもこの峠道であろう。(巻十‐二一八五)(歌は省略)」(「万葉の旅 中 近畿・東海・東国」 犬養 孝 著 平凡社ライブラリーより)
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巻十 二二一〇歌をみていこう。
■巻十 二二一〇歌■
◆明日香河 黄葉流 葛木 山之木葉者 今之落疑
(作者未詳 巻十 二二一〇)
≪書き下し≫明日香川(あすかがわ)黄葉(もみぢば)流る葛城(かづらき)の山の木(こ)の葉は今し散るらし
(訳)明日香川にもみじが流れている。この分では、葛城(かつらぎ)の山の木の葉は、今頃しきりに散っていることであろう。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)葛城の山:金剛山を主峰とする連峰。(伊藤脚注)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その455・456)」で、近鉄南大阪線上ノ太子駅前万葉歌碑、太子町役場横町立図書室の裏側手ミニ広場万葉歌碑とともに紹介している。
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巻二 一六五歌の題詞は、「移葬大津皇子屍於葛城二上山之時大来皇女哀傷御作歌二首」<大津皇子の屍(しかばね)を葛城(かづらぎ)の二上山(ふたかみやま)に移し葬(はぶ)る時に、大伯皇女の哀傷(かな)しびて作らす歌二首>である。
(注)二上山:葛城連峰の山。雌雄二峰に分れ、雄岳の頂上には大津皇子の墓がある。(伊藤脚注)
次に巻十 二一八五歌をみてみよう。
■巻十 二一八五歌■
◆大坂乎 吾越来者 二上尓 黄葉流 志具礼零乍
(作者未詳 巻十 二一八五)
≪書き下し≫大坂(おほさか)を我(わ)が越え来(く)れば二上(ふたかみ)に黄葉(もみじ)流るしぐれ降りつつ
(訳)大坂を私が越えてやって来たところ、二上山にもみじ葉がはらはらと舞っている。時雨が降り続くので。(伊藤 博 著 「萬葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)大坂:二上山の北を越える穴虫越か。南を越える竹内越ともいう。(伊藤脚注)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その174)」で、奈良県香芝市穴虫 穴虫峠万葉歌碑とともに紹介している。
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柿本人麻呂の歌として新古今集巻五 秋歌下に上述の巻十 二二一〇歌を元歌とする歌がある。こちらもみてみよう。
◆あすか川 もみじ葉ながる 葛城の 山の秋風 吹きぞしぬらし
(私訳)飛鳥川にもみじの葉がひっきりなしに流れてくる、きっと葛城の山々に秋風が、しきりに吹いているからこそだろう。
(注)ぞ:上代、活用語の已然形に直接付き、中古以降は、その下に接続助詞「ば」を伴ったものに付いて、理由・原因を強調して示す意を表す。…からこそ。…からか。(goo辞書)
(注)ぬらし 分類連語:(確かに)…てしまったらしい。…しまっているようだ。 ※なりたち:完了の助動詞「ぬ」の終止形+推定の助動詞「らし」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(月読橋番外編)」で、羽曳野市駒ヶ谷 月読橋上流50mにある新古今集歌碑とともに紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の旅 中 近畿・東海・東国」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「goo辞書」