●歌は、「大崎の神の小浜は狭けども百舟人も過ぐと言はなくに(作者未詳 6-1023)」である。
【大崎】
「石上乙麻呂か(巻六‐一〇二三)(歌は省略)大崎は下津(しもつ)湾口の港で、港の口もとは湾に向い、北に深く長く入り込んだ天然の良港である。・・・大崎の湾入もたいへん狭いけれども深くしずかにたたえていて、『神の小浜』(神のいます小浜)というのにふさわしい。・・・天平一一年(七三九)三月に、当時きこえた官人の石上乙麻呂(いそのかみのおとまろ)が、藤原宇合(うまかい)の未亡人でそのころ宮中に奉仕していたとみられる久米若売(くめのわかめ)との恋愛事件で土佐に流されるときここから船出した。“たとえ狭い港でも船人たちはここに立ちよらずに過ぎてゆくとはいわないことだ”と、罪を得て思わぬ船出をする憂悶をうたっているが、同情を盛った時人の歌ともいわれる。天平一三年の大赦には許されたらしい・・・」(「万葉の旅 中 近畿・東海・東国」 犬養 孝 著 平凡社ライブラリーより)
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巻六 一〇二三歌をみていこう。
■巻六 一〇二三歌■
この歌は、題詞「石上乙麻呂卿配土左國之時歌三首幷短歌」<石上乙麻呂卿(いそのかみのおとまろのまへつきみ)土佐の国(とさのくに)に配(なが)さゆる時の歌三首 幷せて短歌>の一〇一九から一〇二三歌の歌群のうちの反歌である。
◆大埼乃 神之小濱者 雖小 百船純毛 過迹云莫國
(作者未詳 巻六 一〇二三)
≪書き下し≫大崎(おほさき)の神の小浜(をばま)は狭(せば)けども百舟人(ももふなびと)も過ぐと言はなくに
(訳)ここ大崎の神の小浜は狭い浜ではあるけれど、どんな舟人も楽しんで、この港を素通りするとは言わないのに。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)大崎:和歌山県海南市下津町大崎。近世までここから四国に渡った。(伊藤脚注)
(注)百舟人も:いかなる舟人も。以下、小浜を素通りしていかねばならぬ嘆き。(伊藤脚注)
(注の注)もも【百】接頭語:数の多いことをさす。「もも枝(え)」「もも度(たび)」。 ※多くの場合、「百」は実数ではなく、比喩(ひゆ)的に用いられる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その762)」で、海南市下津町大崎万葉歌碑とともに紹介している。
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一〇一九から一〇二二歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その761)」で、海南市下津町 立神社ならびに仁義児童館前万葉歌碑とともに紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の旅 中 近畿・東海・東国」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」