【使いが来なくなるということ】
「『万葉集』の恋歌を読んでいると、当時は恋人の間で使いが煩雑に出されていたことがわかります。・・・つれなくなると、たよりもなくなるのは、今も昔も変わらぬ世の常です。・・・川や池の水が停滞して動かなくんっている場所を『ヨド(淀)』というのですが、使いが停滞して来なくなることを、女たちは『使ひのよどみ』といいました、(巻四の六四九)。 同じ巻四にも、使いの来なくなった恨み節が伝わっています。それは、高田女王(たかたのおほきみ)が、今城王(いまきのおほきみ)・・・に贈った歌です。・・・今城王の熱が急速に冷めていった様子が、この前に置かれている五首からわかります。
(相聞 巻四の五四二)(歌は省略)
『たゆたふ』は、心が揺れることすなわち心変わりを意味します。そして、『たゆたひぬらし』とは、今城王の心を推定して出た言葉です。・・・万葉時代の女たちは、使いの来ぬ苦しみと怨みを以上のように歌い上げているのです。
【どう読むべきか】
「坂上郎女の怨恨歌をどう読むべきか、ということについては、研究者間においても大いに議論があるところです。これを坂上郎女の個人的体験と見る研究者もいれば、『怨恨』という詩のテーマに基づいて制作された虚構という人もいます。・・・わたしは、それは郎女の個人的体験であると同時にどこでもある話として歌われているだろう、と推定しています。歌というものは多かれ少なかれ、個人の体験から言語化されます。では、なぜその個人の体験を聞いて、多くの人は感動するのでしょうか。それは、多くの聞き手や読み手が、自分のこととして理解しようとするからです。・・・作者の郎女自身が、すでにこれをどこにでもあり得る話として、聞き手・読み手の心に届くように表現を工夫しているのだ、というのがわたしの考え方です。ですから、怨恨歌はどう読んでも、わざと時間や場所が特定できないように作られているのです。どこにでもある話として。」(「万葉集の心を読む」 上野 誠著 角川ソフィア文庫より)
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相聞 巻四の五四二歌をみていこう。
■■巻四 五三七歌~五四二歌■■
題詞「高田女王贈今城王歌六首」<高田女王、今城王に贈る歌六首>である。
■巻四 五四二歌■
◆常不止 通之君我 使不来 今者不相跡 絶多比奴良思
(高田女王 巻四 五四二)
≪書き下し≫常(つね)止(や)まず 通(かよ)ひし君が 使(つかひ)来(こ)ず 今は逢はじと たゆたひぬらし
(訳)絶え間なく 通ってきたあなた そのあなたの使いが来なくなった 今は逢うまいと…… 心が揺れているの?(「万葉集の心を読む」 上野 誠著 角川ソフィア文庫より)
(注)たゆたふ 【揺蕩ふ・猶予ふ】自動詞:①定まる所なく揺れ動く。②ためらう。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは②の意
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その90改)」で五三七~五四二歌六首ならびに奈良市登美ヶ丘2丁目 松伯美術館万葉歌碑(高田女王 8-1444)とともに紹介している。
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巻四の六四九歌もみてみよう。おなじく大伴坂上郎女の歌である。
■巻四 六四九歌■
◆夏葛之 不絶使乃 不通有者 言下有如 念鶴鴨
(大伴坂上郎女 巻四 六四九)
≪書き下し≫夏葛(なつくず)の絶えぬ使(つかひ)のよどめれば事(こと)しもあるごと思ひつるかも
(訳)私の方は私の方で、まるで夏の葛の蔓(つる)のようにひっきりなしに来た使いがしばらくとだえていたので、何かさしさわりでもあったのかと心配していましたよ。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
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(注)夏葛の:「絶えぬ」の枕詞。夏の葛のどこまでも延びる意。(伊藤脚注)
(注)事:仲を邪魔する事態。(伊藤脚注)
左注は、「右坂上郎女者佐保大納言卿之女也 駿河麻呂此高市大卿之孫也 兩卿兄弟之家 女孫姑姪之族 是以題歌送答相問起居」<右、坂上郎女は佐保大納言卿(さほのだいなごんのまへつきみ)が女(むすめ)なり。駿河麻呂は、この高市大卿(たけちのおほまへつきみ)が孫なり。両卿は兄弟の家、女と孫とは姑姪(をばをひ)の族(うがら)なり。ここをもちて、歌を題(しる)して送り答へ、起居を相問(さうもん)す。
(注)佐保大納言卿:大伴安麻呂(伊藤脚注)
(注)この:同じ大伴一族の。(伊藤脚注)
(注)高市大卿:安麻呂の兄、大伴御行か。御行は壬申の乱の功臣。(伊藤脚注)
(注)姑姪:兄弟の娘と孫の関係も、上代ではおば・おいと呼んだ。(伊藤脚注)
(注)起居を相問す:朝夕の様子を尋ね合う。(伊藤脚注)
この歌については、拙稿ブログ「万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2544)―」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」