第八章 怨恨と揶揄
【それは、一つの揶揄なのだが……?】
「本章の『怨恨と揶揄』というテーマで私が選んだのは、次の歌です。・・・巻四に収載されている大伴駿河麻呂(おほとものするがまろ)と大伴坂上郎女(おほとものさかのうへのいらつめ)の間で交わされた歌です。この四首は、書簡によって往復されたものであると考えられています。これがいつのやり取りかについては議論もあるのですが、巻四の配列から考えて、今日では天平五-六(七三三-四)年と推定するのが通説です。
(相聞 巻四の六四六)(同 同六四七)(同 同六四八)(同 同六四九)(いずれも歌は省略)
ここでも、かなり思い切った訳をつけました・・・」
【駿河麻呂という人】
「・・・異説はあるものの駿河麻呂は大伴御行(おほとものみゆき)の孫と考えられている人物です。・・・左注には、坂上郎女と『姑姪(をばをひ)』と書いてありますが、・・・二人の関係を親族内の『おばさま』と『わかいもん』くらいにとらえていれば大きな誤りはない、と思います。その駿河麻呂から、坂上郎女に歌が届きました。使者を立てて、手紙をよこして来たのでしょう。手紙には……
大伴宿祢駿河麻呂歌一首
ますらをの 思ひわびつつ 度(たび)まねく 嘆く嘆きを 負はぬものかも
(相聞 巻四の六四六)
とあります。『ますらを』というのは、成人した立派な男子という言葉ですが、『優れた男』という意味も含みます。・・・すこし難しい用語を使えば、男性的優位性・階層的優位性・倫理的優位性をもった人物ということになります。ところが、その規範のなかには、片思いなどで悩まないということもあったようでなのです。
(正述心緒 巻十二の二九〇七)(歌は省略)
という歌もあり、『ますらを』は恋々とした気持ちももたず、潔(いさぎよ)くあるべし、という規範が求められていたようなのです。その『ますらを』がたびたび嘆くというのですから、尋常ではありませんね。」
【嘆く嘆きを 負はぬものかも】
「『ますらを』の嘆きを、駿河麻呂はこともあろうに『嘆く嘆きを 負はぬものかも』といっています。これは、罰はあたりませぬか、祟(たた)りはありませぬか、というたいへん強い言い回しです。なぜならば、万葉びとは、相手を強く思慕すると、相手の身体ないし身辺に変化が起きるという考えをもっていたからです。巻十二には、
(問答 巻十一の二八〇八)(同 同二八〇九)(歌は省略)
というような例もあって、恋人が相手を思うと、眉毛が痒(かゆ)くなり、くしゃみが出て、紐が解けるという俗信があったようです。したがって、駿河麻呂は、わたしの思いによって、あなたは呪われて、体に変調はないですか、と問いかけているのです。これは、一種の挑発です。・・・歌の内容は、逢瀬(おうせ)に応じてくれない恋人を、男が責める内容になっています。まるで怨恨ある者へ発せられた言葉のようです。しかも、それは相手の女の不誠実をなじる表現なのです。これは、明らかに、悪いのは、おばさんの方ですよ、という挑発になるはずです。」(「万葉集の心を読む」 上野 誠著 角川ソフィア文庫より)
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相聞 巻四の六四六歌・六四七歌・六四八歌・六四九歌をみていこう。
■巻四 六四六歌■
◆大夫之(ますらをの) 思和備乍(おもひわびつつ) 遍多(たびなびく) 嘆久嘆乎(なげくなげきを)不負物可聞(おはぬものかも)
(訳)かのエリートたる私めの 思いきわまって…… たびかさなりまする 嘆き、その嘆きをば…… お感じになりませぬか(お覚悟召され! 呪いまするぞ!)(「万葉集の心を読む」 上野 誠著 角川ソフィア文庫より)
■巻四 六四七歌■
題詞は、「大伴坂上郎女歌一首」である。
◆心者(こころには) 忘日無久(わするるひはなく) 雖念(おもへども) 人之事社(ひとのことこそ) 繁君尓阿礼(しげききみにあれ)
(訳)心じゃ 忘れる日もなく 思ってはいるんだけれど…… 浮名の噂が絶えない お前さんにねぇ(逢うのもちょっと難しいわよね! 逢えない理由はアナタの方にある!)(同上)
■巻四 六四八歌■
◆不相見而(あひみずて) 気長久成奴(きながくなりぬ) 比日者(このころは) 奈何好去哉(いかにさきくや) 言借吾妹(いふかしわぎも)
(訳)お目見えが絶えて 久しくなりました…… 拝啓 このごろ いかがお過ごしですか お変わりございませぬか、いとしいあなた様……(同上)
■巻四 六四九歌■
題詞は、「大伴坂上郎女歌一首」である。
◆夏葛之(なつくずの) 不絶使乃(はえぬつかひの) 不通有者(よどめれば) 言下有如(ことしもあるごと) 念鶴鴨(おもひつるかも)
(訳)夏の葛みたいに…… 絶えることなかったあなた様の使者が 絶えてしまって、お付き合いもなかだるみ もしや事故でもと…… ご心配申し上げておりました(よかった!よかった!ご無事でよかった!)
正述心緒 巻十二の二九〇七歌をみてみよう。
■巻十二 二九〇七歌■
◆大夫之 聡神毛 今者無 戀之奴尓 吾者可死
(作者未詳 巻十二 二九〇七)
≪書き下し≫ますらをの聡(さと)き心も今はなし恋の奴(やっこ)に我(あ)れは死ぬべし
(訳)立派な男子としての分別心も今はもうない。恋の奴(やっこ)の手にかかって、私は死にそうだ。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
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(注)こひのやっこ 【恋の奴】分類連語:恋のとりこ。恋に分別を失った人。また、恋そのものをののしって、恋というやつ。(学研)
続いて、問答 巻十一の二八〇八歌・二八〇九歌をみてみよう。
■巻十一の二八〇八歌■
◆眉根掻 鼻水紐解 待八方 何時毛将見跡 戀来吾乎
(作者未詳 巻十一 二八〇八)
≪書き下し≫眉根(まよね)掻(か)き鼻(はな)ひ紐解(ひもと)け待てりやもいつかも見むと恋ひ来(こ)し我(あ)れを
(訳)眉(まゆ)の根元を掻いたり、くしゃみをしたり、紐が解けたりして、待っていてくれましたか。一刻も早く逢いたいと心引かれてやって来たこの私なのだが。(同上)
(注)やも 分類連語:①…かなあ、いや、…ない。▽詠嘆の意をこめつつ反語の意を表す。②…かなあ。▽詠嘆の意をこめつつ疑問の意を表す。 ※上代語。 ⇒語法:「やも」が文中で用いられる場合は、係り結びの法則で、文末の活用語は連体形となる。 ⇒参考:「やも」で係助詞とする説もある。 ⇒なりたち:係助詞「や」+終助詞「も」。一説に「も」は係助詞。(学研)
■巻十一 二八〇九歌■
◆今日有者 鼻火鼻火之 眉可由見 思之言者 君西在來
(作者未詳 巻十一 二八〇九)
≪書き下し≫今日(けふ)なれば鼻の鼻ひし眉(まよ)かゆみ思ひしことは君にしありけり
(訳)お見えになるのが今日だったからですね 鼻がむずむずしてくしゃみが出、眉もむずかゆくて、もしやおいでかと思っていたのは、あなただったのですね。(同上)
(注)鼻の鼻ひし眉かゆみ思ひしことは:鼻がむずむずし眉がかゆかったのですね、それでもしやと思ったのは。(伊藤脚注)
(注の注)はなひる 【嚔る】自動詞:くしゃみをする。 ⇒参考:平安時代以降、くしゃみは凶事の前兆と信じられ、それを免れるのにまじないを唱える習慣があった。古くは「はなふ」で上二段活用。(学研)
二八〇八・二八〇九歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その7改)」で奈良市法蓮町 佐保川堤万葉歌碑(大伴坂上郎女 6-993)とともに紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」