【芸人の芸をめでる】
「・・・特定の人物の芸を、皆で楽しむ、・・・今日でいえば芸人的地位を有していたと考えられる歌人に長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)という人物がいます。・・・意吉麻呂が巧みに歌を詠むということはおそらく有名で、ために宴席に招かれるということもあったのではないでしょうか。・・・当然、注文も出たはずです。そういった注文に応じて作ったと思われるのが、『長忌寸意吉麻呂が歌八首』(巻十六の三八二四~三八三一)であったと思われます。
(有由縁雑歌 巻十六の三八二七)(歌は省略)
つまり、さいころの数字を並べただけの歌です。おそらくこれを聞いた人は、それくらいなら俺だって歌えるぞ……と野次を飛ばしたことでしょう。しかしわたしは、それでも芸になっていると思います。宴会芸というものは、そういうものなのです。」(「万葉集の心を読む」 上野 誠著 角川ソフィア文庫より)
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有由縁雑歌 巻十六の三八二七歌をみていこう。
■巻十六 三八二七歌■
題詞は、「詠雙六頭歌」<双六(すごろく)の頭(さえ)を詠む歌>である。
◆一二之目 耳不有 五六三 四佐倍有来 雙六乃佐叡
(長忌寸意吉麻呂 巻十六 三八二七)
≪書き下し≫一二(いちに)の目 のみにはあらず 五六三(ごろくさむ) 四(し)さへありけり 双六の頭
(訳)一二の目 ばかりではございませぬ…… 五六三 四さえござりまするぞ さいころというやつには(「万葉集の心を読む」 上野 誠著 角川ソフィア文庫より)
(注)すごろく【双六・雙六】名詞:インドに起こったといわれ、中国からわが国に伝来した室内遊戯の一つ。木製の盤を挟んで二人が相対し、盤上の敵味方それぞれ十二に区切った陣内に、それぞれ十五個の黒白の駒(こま)を約束に従って並べ、二個の賽(さい)を振って出た目によって駒を敵陣に進め、早く敵陣へ駒を進め切った者を勝ちとする。 ※「すぐろく」の変化した語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)双六の頭:人の目に対し、さまざまな目が目まぐるしく出る点に興を示した歌か。(伊藤脚注)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その987)」で羇旅の歌五首・物名歌八首を名古屋市千草区東山本町 東山植物園万葉歌碑(長忌寸意吉麻呂 1-57)とともに紹介している。
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【はずしの芸】
「皆に期待をさせておいて、・・・わざとはずして笑わせる、そういう芸もあるのです。・・・実は山上憶良(やまのうへのおくら)にも次のような歌があります。憶良はまず、秋の野の花は指を折って数えてみると七種類ありまーす!……と歌います。
山上臣憶良の秋野花を詠む歌二首
秋の野に 咲きたる花を 指(および)折り かき数(かぞ)ふれば 七種(ななくさ)の花〔その一〕 (秋の雑歌 巻八の一五三五)
つまり、憶良は聞き手に次の歌を期待させるのです。・・・その場に会していた一同は、注目していたと思います。すると彼はこう歌います。
萩の花 尾花(をばな)葛花(くずはな) なでしこが花 をみなへし また藤袴(ふじばかま) 朝顔(あさがほ)が花〔その二〕
(秋の雑歌 巻八の一五三八)
なんと、ただ花の名前を並べただけです。・・・芸としてみれば、たいそう難しいもので・・・期待をもたせるために充分な間(ま)をためる必要がある・・・この『ため』がないと二首目の肩透かしがうまく活きません。」(同上)
【万葉びとに学ぶ宴会芸の極意】
「わたしは、こういった歌々は宴会芸であると考えています。宴会で大切なのは、観客と、時と場を共有することです。・・・時と場をともにしている喜びを言葉で表現して客を楽しませるためには、・・・即興性と意外性がなくてはダメだ、と考えています。なぜ即興性かというと、その場にいる人たちの関心は、数秒ごとに移ってゆくから・・・それを掬(すく)い取る洞察力がなくては、宴会芸はうまくできません。もう一つは、意外性です。意外性は、心に何かを焼き付ける働きをもちます。・・・歌い手たちが、いかに聞き手に対して意外性ある表現を模索しようとしたか、・・・これが、万葉びとに学ぶ宴会芸の極意です。」(同上)
『長忌寸意吉麻呂が歌八首』(巻十六の三八二四~三八三一)の万葉歌碑は、三八二四歌のが、奈良県天理市櫟本町和爾下神社にある。

同歌の歌碑は、愛媛県西条市下鳥山櫟津岡 飯積神社にもある。これについては、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1928)」で紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」