第十一章 宴席と庭園
【万葉の時代を駆け抜けた男】
「・・・第十一章では、・・・宴席が行われた庭園についてお話します。・・・最近わたしには、気になって気になってしかたがない人物がいます。・・・その男の名は、中臣清麻呂(なかとみのきよまろ)。・・・清麻呂は、長岡遷都後も、旧都となった平城京の右京二坊二条の邸宅に住み続け、彼の地で大往生を遂げています。齢、八十七歳。・・・幼年期は飛鳥・藤原に遊び、平城京遷都以降、その栄枯盛衰をすべて見て、没した人物といえるのです。実に、文武(もんむ)・元明(げんめい)・元正(げんしょう)・聖武(しょうむ)・孝謙(こうけん)・淳仁(じゅんにん)・称徳(しょうとく)・光仁(こうにん)・桓武(かんむ)の各天皇の御代(みよ)を生き抜いた人物、ということになります。・・・」(「万葉集の心を読む」 上野 誠著 角川ソフィア文庫より)
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【清麻呂が歌う故郷・明日香の景】
「・・・その清麻呂が、天平勝宝(てんぴょうしょうほう)三(七五一)年十月二十二日に、紀飯麻呂(きのいひまろ)の家で行われた宴会で朗誦した歌を、『万葉集』巻十九は次のように伝えています。
(巻十九の四二五八)(歌は省略)
これは、清麻呂がその場で作ったのではなく、清麻呂が誰かから習って伝えていた歌、すなわち伝誦歌を披露した歌です。・・・『藤原にミヤコが遠のいても、わたしの思いは明日香に留まる。だから、明日香に留まっていると、さらにミヤコは平城京に遷(うつ)った』という・・・二度の遷都を経験した人間の気持を代弁した伝誦だったのではないでしょうか。・・・彼は八歳までを藤原で過ごしたはずですから、明日香川は幼少期に遊んだ川だったはずです。とすれば、これは清麻呂の愛誦歌(あいしょうか)だったかもしれませんね。・・・
明日香から眼と鼻の先にある藤原に都が遷っても、
(雑歌 巻一の五一)(歌は省略)
と、志貴皇子(しきのみこ)は感傷に浸(ひた)ったのですが、和銅三(七一〇)年、都は藤原からさらに遠のいて奈良の地に遷ります。歴代の天皇に仕え、幾たびの遷都を経験した清麻呂。彼は、明日香川への、明日香への望郷の念をもって、この歌を愛誦していたのではないでしょうか。幼き日の思い出に浸りながら。」(同上)
巻十九の四二五八歌をみていこう。
■巻十九 四二五八歌■
◆明日香河 々戸乎清美 後居而 戀者京 弥遠曽伎奴
(伝誦歌 巻十九 四二五八)
≪書き下し≫明日香川 川門(かはと)を清(きよ)み 後(おく)れ居(ゐ)て 恋(こ)ふれば都 いや遠(とほ)そきぬ
(訳)明日香川 その渡り場の水が清らかなので ついつい明日香古京に居残って 恋い慕っているうちに ミヤコは…… さらに遠くに行ってしまった――(「万葉集の心を読む」 上野 誠著 角川ソフィア文庫より)
左注は、「右一首左中辨中臣朝臣清麻呂傳誦 古京時歌也」<右の一首、左中弁(さちうべん)中臣朝臣(あそみ)清麻呂の伝誦(でんしょう)する古き京(みやこ)の時の歌なり>である。
続いて、雑歌 巻一の五一をみてみよう。
■巻一 五一歌■
題詞は、「従明日香宮遷居藤原宮之後志貴皇子御作歌」<明日香(あすか)の宮(みや)より藤原の宮に遷(うつ)りし後に、志貴皇子(しきのみこ)の作らす歌>である。
◆婇女乃 袖吹反 明日香風 京都乎遠見 無用尓布久
(志貴皇子 巻一 五一)
≪書き下し≫采女(うねめ)の 袖吹き返す 明日香風(かぜ) 京(みやこ)を遠み いたづらに吹く
(訳)昔、采女の 袖を吹き返した 明日香風 ミヤコが遠くなった今は 虚しく吹くだけ(「万葉集の心を読む」 上野 誠著 角川ソフィア文庫より)
(注)うねめ【采女】名詞:古代以来、天皇のそば近く仕えて食事の世話などの雑事に携わった、後宮(こうきゆう)の女官。諸国の郡(こおり)の次官以上の娘のうちから、容姿の美しい者が選ばれた。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)袖ふきかえす:今吹く無聊の風に、采女の袖を翻した過去の風を想い見た表現。(伊藤脚注)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その155)」で、奈良県高市郡明日香村甘樫丘中腹万葉歌碑とともに紹介している。
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(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」