【宴会の時と場所】
「・・・清麻呂を敬愛する家持をはじめとした文雅(ぶんが)の士が、天平宝字(てんぴょうほうじ)二(七五八)年二月、平城京の清麻呂の邸宅に集まりました。・・・ときに、清麻呂五十七歳。家持は四十一歳・・・『万葉集』の巻二十は、この日の宴で詠まれた歌を現在に伝えてくれています。(巻二十の四四九六~四五一三)。
その日の宴は、この歌からはじまったようです。
(巻二十の四四九六)(歌は省略)
家に招かれていながら、突然あるじに『恨めしい』と大原今城(おおはらいまき)は歌いかけます。あるじをとがめているのです。しかも、集まった人間のなかでいちばん身分が低かったのは、なんと大原今城でした。これに対して、あるじ清麻呂が答えます。
(巻二十の四四九七)(歌は省略)
つまり、あるじ清麻呂は今城の挑戦にのって、反論しているのです。・・・今城は、あるじにチョッカイを出す役回りを演じたのだと思います。・・・挑発的に歌って、あるじが歌わざるを得ないようにしむけたわけです。
と同時に、時効のご挨拶。『本日は、残念なことに梅の花は散ってしまいましたが……』と挨拶をしたのです。そして、実際に清麻呂の屋敷には立派な梅の木があったのです。『あぁー、見たかったー』というところでしょうか。しかし、ここに今城の巧みな作戦があるのです。今城のように、悔しがれば悔しがるほど庭の梅は讃(たた)えられます。梅が讃えられれば、梅の木のあるじの株もあがるというもの。悔しがることが、ほめることに繋がる歌表現の好例です。」(「万葉集の心を読む」 上野 誠著 角川ソフィア文庫より)
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巻二十の四四九六歌つづいて三三九七歌をみてみよう。
■■巻二十の四四九六~四五一三歌■■
題詞は、「二月於式部大輔中臣清麻呂朝臣之宅宴歌十五首」<二月に、式部大輔(しきふのだいふ)中臣清麻呂朝臣の宅(いへ)にして宴する歌十五首>である。
■四四九六歌■
◆宇良賣之久 伎美波母安流加 夜度乃烏梅能 知利須具流麻埿 美之米受安利家流
(大原真人今城 巻二十 四四九六)
≪書き下し≫恨めしく 君はもあるか やどの梅の 散り過ぐるまで 見(み)しめずありける
(訳)なんとまぁ恨めしい お方でいらっしゃる! お庭の梅が 散ってしまうまで お見せてくださらないなんて。(「万葉集の心を読む」 上野 誠著 角川ソフィア文庫より)
(注)散り過ぐるまで見しめずありける:梅は過ぎても親しい者同士が集いえた喜びを逆説的に述べた。(伊藤脚注)
左注は、「右一首治部少輔大原今城真人」<右の一首、治部少輔(ぢぶのせうふ)大原今城真人(おほはらのいまきまひと)>である。
この歌については、拙稿ブログ「万葉集の世界へ飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2521)」で、茨城県土浦市小野 朝日峠展望公園万葉の森万葉歌碑(大原真人今城 20-4476)とともに、今城の歌を追い、家持とほぼ同じような道を歩んでいることを紹介するなかで触れている。
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20230927撮影
■四四九七歌■
美牟等伊波婆 伊奈等伊波米也 宇梅乃波奈 知利須具流麻弖 伎美我伎麻左奴
(中臣清麻呂 巻二十 四四九七)
≪書き下し≫見むと言はば 否(いな)と言はめや 梅の花 散り過ぐるまで 君が来(き)まさぬ
(訳)おまえさんが みたいといえばだなぁ いやとはいえまいな―― 梅の花が 散り過ぎてしまうまで おまえさんの方じゃ 来なかったのは!(同上)
(注)見むと言はば:あなたが見たいと言ってくださったら。(伊藤脚注)
(注)君が来まさぬ:恨みに対し恨む形で返した主人の歌。歓迎の挨拶。(伊藤脚注)
左注は、「右一首主人中臣清麻呂朝臣」<右の一首、主人(あるじ)中臣清麻呂朝臣>である。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」