●歌は、「春日野に煙立つ見ゆ娘子らし春野うはぎ摘みて煮らしも(作者未詳 10-1879)」である。

「奈良の春日野は野遊びの行われた行楽地であり、そこでは春になると、少女たちが篭を手に若菜を摘む風景が見られた。摘み取った若菜を少女たちが煮て、若菜のスープを作っているのだが、その煙が春の霞と交じり、男たちは興奮気味に少女たちを見に、春日野へと出掛けるのである。万葉の巻頭には、雄略天皇が春の丘辺で若菜を摘む少女に求婚する歌が載るように、若菜は春の生命の象徴であり、それを食べて新しい命の復活を祈る行事が若菜摘みである。今も正月7日に『春の七草』を食べるのは、この名残りである。その折に、老若男女は野に出掛け、歌垣(うたがき)も行われた。美しく着飾った少女が赤い裳を曳き、若菜を摘む様子に、男たちは恋歌を歌い掛けたのである。(後略)」(「植物で見る万葉の世界」(國學院大學「万葉の花の会」発行)より)
歌をみていこう。
題詞は「詠煙」である。
◆春日野尓 煙立所見 ▼嬬等四 春野之菟芽子 採而▽良思文
(作者未詳 巻十 一八七九)
※▼は、「女」+「感」、「『女』+『感』+嬬」=「をとめ」
※※▽は、「者」の下に「火」である。「煮る」である。
≪書き下し≫春日野(かすがの)に煙立つ見(み)ゆ娘子(をとめ)らし春野(はるの)うはぎ摘(つ)みて煮(に)らしも
(訳)春日野に今しも煙が立ち上っている、おとめたちが春の野のよめなを摘んで煮ているらしい。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
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(注)うはぎ:よめな。キク科の多年草。その若菜を食用にする。(伊藤脚注)
(注)らし 助動詞特殊型《接続》活用語の終止形に付く。ただし、ラ変型活用の語には連体形に付く。:①〔推定〕…らしい。きっと…しているだろう。…にちがいない。▽現在の事態について、根拠に基づいて推定する。②〔原因・理由の推定〕(…であるのは)…であるかららしい。(…しているのは)きっと…というわけだろう。(…ということで)…らしい。▽明らかな事態を表す語に付いて、その原因・理由となる事柄を推定する。⇒語法:(1)連体形と已然形の「らし」(2)上代の連体形「らしき」 上代の連体形には「らしき」があったが、係助詞「か」「こそ」の結びのみで、しかも用例は少ない。係助詞「こそ」の結びの場合、上代では、形容詞型活用の語の結びはすべて連体形であるので、これも連体形とされる。(3)「らむ」との違い⇒らむ(4)主として上代に用いられ、中古には和歌に見られるだけである。(5)ラ変型活用の語の連体形に付く場合、活用語尾の「る」が省略されて、「あらし」「けらし」「ならし」などの形になる傾向が強い。⇒注意:「らし」が用いられるときには、常に、推定の根拠が示されるので、その根拠を的確にとらえることである。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
雄略天皇の歌をみていこう。
■巻一 一歌■
題詞は、「泊瀬朝倉宮御宇天皇代 大泊瀬稚武天皇 天皇御製歌」<泊瀬(はつせ)の朝倉(あさくら)の宮に天(あめ)の下(した)知(し)らしめす天皇(すめらみこと)の代(みよ) 大泊瀬稚武天皇(おほはつせわかたけのすめらみこと) 天皇御製歌>とある。
(注)大泊瀬稚武天皇:二十一代雄略天皇
◆籠毛與 美籠母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家告閑 名告紗根 虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曽居 師吉名倍手 吾己曽座 我許背齒 告目 家呼毛名雄母
(雄略天皇 巻一 一)
≪書き下し≫籠(こ)もよ み籠(こ)持ち 堀串(ふくし)もよ み堀串(ぶくし)持ちこの岡(をか)に 菜(な)摘(つ)ます子 家告(の)れせ 名告(の)らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我れこそ居(を)れ しきなべて 我れこそ居(を)れ 我れこそば 告(の)らめ 家をも名をも
(訳)おお、籠(かご)よ、立派な籠を持って、おお。堀串(ふくし)よ、立派な堀串を持って、ここわたしの岡で菜を摘んでおいでの娘さん、あなたの家をおっしゃい、名前をおっしゃいな。霊威満ち溢れるこの大和の国は、隅々までこの私が平らげているのだ。果てしもなくこのわたしが治めているのだ。が、わたしの方から先にうち明けようか、家も名も。(「万葉集 一」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
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(注)籠もよ:おお籠。モヨは感動の助詞。(伊藤脚注)
(注の注)もよ 分類連語:ねえ。ああ…よ。▽強い感動・詠嘆を表す。 ※上代語。 ⇒なりたち 係助詞「も」+間投助詞「よ」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)み籠:ミは神的霊威を示す接頭語。持物を通して娘子をほめている。(伊藤脚注)
(注の注)み- 【御】接頭語:名詞に付いて尊敬の意を表す。古くは神・天皇に関するものにいうことが多い。「み明かし」「み軍(いくさ)」「み門(みかど)」「み子」(学研)
(注)ふくし【掘串】名詞:土を掘る道具。竹や木の先端をとがらせて作る。 ※後に「ふぐし」とも。(学研)
(注)菜摘ます:「菜摘む」の尊敬語。(伊藤脚注)
(注)告らす:「告る」の尊敬語。家や名を告げるのは、結婚の承諾を意味する。(伊藤脚注)
(注の注)のらす【告らす・宣らす】分類連語:おっしゃる。▽「告(の)る」の尊敬語。 ⇒なりたち 動詞「の(告)る」の未然形+尊敬の助動詞「す」(学研)
(注)そらみつ 分類枕詞:国名の「大和」にかかる。語義・かかる理由未詳。「そらにみつ」とも。(学研)
(注)おしなべて:私がすっかり平らげているのだが。(伊藤脚注)
(注の注)おしなぶ 他動詞:(一)【押し靡ぶ】押しなびかせる。「おしなむ」とも。(二)【押し並ぶ】①すべて同じように行きわたる。②並である。普通である。 ※(二)の「おし」は接頭語。(学研)
(注)しきなべて:私が隅々まで治めているのだが。(伊藤脚注)
(注の注)しきなぶ【敷き並ぶ】自動詞:すべてにわたって治める。一帯を統治する。(学研)
(注)ます【坐す・座す】[一]自動詞:①いらっしゃる。おいでである。おありである。▽「あり」の尊敬語。②いらっしゃる。おいでになる。▽「行く」「来(く)」の尊敬語。(学研)
(注)我れこそば 告らめ:この私が先に告げようと思うがいかが。(伊藤脚注)
(注の注)こそ 係助詞:《接続》体言、活用語の連用形・連体形、副詞・助詞などに付く。上代では已然形にも付く。①〔上に付く語を強く指示し、文意を強調する〕ほかの事・物・人ではなく、その事・物・人。②〔「こそ…已然形」の句の形で、強調逆接確定条件〕…は…だけれど。…こそ…けれども。 参考⇒ばこそ・もこそ・あらばこそ



●巻十 一八七九歌の歌碑をみていこう。
■奈良市春日野町 春日大社神苑萬葉植物園万葉歌碑<プレート>■

(作者未詳 10-1879) 20210427撮影
■静岡県浜松市浜北区 万葉の森公園万葉歌碑<プレート>■

(柿本人麻呂歌集 10-1879) 20220412撮影
■松山市御幸町 護国神社・万葉苑万葉歌碑<プレート>■

(作者未詳 10-1879) 20220922撮影
■高知県大豊町粟生 土佐豊永万葉植物園万葉歌碑■

20221130撮影
■千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園万葉歌碑(プレート)■

(作者未詳 10-1879) 20230926撮影
■国分寺市西元町 国分寺万葉庭園万葉歌碑(プレート)■

20251122撮影
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)
★「植物で見る万葉の世界」 (國學院大學「万葉の花の会」発行)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」