●天平八年六月に遣新羅使は出発し九月に帰国予定であったが、難航、九月にはまだ壱岐対馬近辺にあり、帰国したのは翌年の一月。新羅が日本を相手にしなかったこともあり、何の役目も果たさず、帰国。しかも、帰路大使が亡くなり、副使も病に倒れ遅れて帰還す…
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