●歌は、「多摩川にさらす手作りさらさらになにぞこの子のここだ愛しき」ならびに「赤駒を山野にはかし捕りかにて多摩の横山徒歩ゆか遣らむ」である。
●歌をみていこう。
■巻十四 三三七三歌■
この歌については、前稿・前々稿で紹介している。
◆多麻河泊尓 左良須弖豆久利 佐良左良尓 奈仁曽許能兒乃 己許太可奈之伎
(作者未詳 巻十四 三三七三)
≪書き下し≫多摩川(たまがは)にさらす手作(てづく)りさらさらになにぞこの子のここだ愛(かな)しき
(訳)多摩川にさらす手織の布ではないが、さらにさらに、何でこの子がこんなにもかわいくってたまらないのか。(「万葉集 三」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)上二句は序。「さらさらに」を起こす。(伊藤脚注)
(注)てづくり【手作り】名詞:①手製。自分の手で作ること。また、その物。②手織りの布。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは②の意
(注)さらさら【更更】副詞:①ますます。改めて。②〔打消や禁止の語を伴って〕決して。(学研)ここではここでは①の意
(注)さらす【晒す・曝す】他動詞:①外気・風雨・日光の当たるにまかせて放置する。②布を白くするために、何度も水で洗ったり日に干したりする。③人目にさらす。( 学研)ここでは②の意
(注)ここだ【幾許】副詞:①こんなにもたくさん。こうも甚だしく。▽数・量の多いようす。②たいへんに。たいそう。▽程度の甚だしいようす。 ※上代語。(学研) ここでは②の意
この歌については、前稿で「玉川碑」とともに紹介している。
➡ こちら2539
この歌に関して、犬養 孝氏はその著「万葉の旅 中 近畿・東海・東国」(平凡社ライブラリー)の中で、次のように書かれている。
「・・・武蔵野の南辺を流れる多摩川畔の古代の農村では調(貢物)として手作(てづく)り(手織)の麻布が多く貢納された。多摩川べりの調布村(青梅市)・調布市・田園調布もこれにちなむ名である。この歌も多摩川のどこかわからないが、もとの国庁のあった府中から調布・狛江(こまえ)あたりにかけての広い河原の景観など歌の趣を彷彿(ほうふつ)とさせる。貢納の布を白くするために、清流に洗い日にさらすのは、農村の女性の共同の仕事だ。その『サラス』の音にかけて、“サラニサラニどうしてこの娘がこんなにもたまらなく可愛いのか”とうたっている。上二句にかれらの生活環境と古代多摩川の郷土色を反映させて序とし、愛しぬいてやまない真情の躍動を見せている。快適な律動の民謡として共同作業の場などでうたわれたものであろうか。・・・」
■巻二十 四四一七歌■
◆阿加胡麻乎 夜麻努尓波賀志 刀里加尓弖 多麻能余許夜麻 加志由加也良牟
(宇遅部黒女 巻二十 四四一七)
≪書き下し≫赤駒(あかごま)を山野(やまの)にはかし捕(と)りかにて多摩(たま)の横山(よこやま)徒歩(かし)ゆか遣(や)らむ
(訳)赤駒、肝心なその赤駒を山野に放し飼いにして捕らえかね、多摩の横山、あの横山を歩いて行かせることになるのか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)山野にはかし捕りかにて:山裾に放し飼いにして捕らえかね。「山野」は共有の野か。(伊藤脚注)
(注)多摩の横山:国府から見て相模の方角に低く連なる山。(伊藤脚注)
左注は、「右一首豊嶋郡上丁椋椅部荒虫之妻宇遅部黒女」<右の一首は豊島(としま)の郡(こほり)の上丁(じやうちやう)椋椅部荒虫(くらはしべのあらむし)が妻(め)の宇遅部黒女(うぢべのくろめ)>である。
(注)こほり【郡】名詞:律令制で、国の下に属する地方行政区画。その下に郷(ごう)・里などがある。今日の郡(ぐん)に当たる。また、「県(あがた)」とも同義に用いた。(学研)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2534)」で紹介している。
➡ こちら2534
この歌に関して、犬養 孝氏はその著「万葉の旅 中 近畿・東海・東国」(平凡社ライブラリー)の中で、次のように書かれている。
「・・・天平勝宝七年(七五五)二月防人交替のときの、武蔵国豊島郡出身の防人の妻の歌である。・・・武蔵の防人歌一二首のなかで六首が妻の歌となっているのは他国のものに見ない例で、召集のときのこの国の防人部領使いのはからいによるものででもあろうか。この歌は東国訛(なまり)りが多い歌で、当時防人は馬で行くことを許されていたから、せめて遠い旅路を馬で行かせたいのが妻の心だが、おりから牧畑などの放牧の時期で、“赤駒を山野にはなして捕るに捕られず(捕りかねて)あの多摩の横山の道を歩いて行かせねばならないのか”というのである。
多摩の横山は多摩川南岸に低く連亙(れんごう)している多摩丘陵のことである。・・・多摩の横山は東京の西郊の小高いところからは一筋につづいて見える。作者の黒女(くろめ)が夫への慕情は、日常の農村生活に即しているだけに、また東国訛りで語られているだけにいっそう切実さを増すのである。見はらす多摩の横山のかなたには雲煙万里がたたまれているのだ。」
(注)うんえんばんり【雲烟万里】:はるかかなたをたなびく雲や霞かすみ。非常に遠く離れていることのたとえ。 ⇒注記:「雲烟」は、雲と霞、または雲と煙。「万里」は、はるかかなた。「烟」を「いん」と読まない。 ⇒表記:「烟」は、「煙」とも書く。(goo辞書)
児童公園には「多摩川の渡しと多摩川の筏流し」の説明案内板も設置されていた。
一泊二日の箱根越えの歌碑巡りであったが、前玉神社の「万葉灯籠」と多摩川沿いの「玉川碑」を巡ることができたなんて夢のようである。
まだまだ見たい万葉歌碑があるが、次の機会を待とう。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の旅 中 近畿・東海・東国」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「goo辞書」