■やまぐわ■
●歌は、「たらちねの母がその業る桑すらに願へば衣に着るといふものを」である。
●歌碑(プレート)は、千葉県袖ケ浦市下新田 袖ヶ浦公園万葉植物園にある。
●歌をみていこう。
◆足乳根乃 母之其業 桑尚 願者衣尓 著常云物乎
(作者未詳 巻七 一三五七)
≪書き下し≫たらちねの母がその業(な)る桑(くは)すらに願(ねが)へば衣(きぬ)に着るといふものを。
(訳)母が生業(なりわい)として育てている桑の木でさえ、ひたすらお願いすれば着物として着られるというのに。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)
(注)なる【業る】自動詞:生業とする。生産する。営む。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典
(注)母の反対がゆえにかなえられない恋を嘆く女心を詠っている。(伊藤脚注)
この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その2019)」で「業」を詠んだ歌と共に紹介している。
➡
「植物で見る万葉の世界」(國學院大學「万葉の花の会」発行)に「・・・『願へば衣に』という表現には、高価でなかなか手に入るものではないけれど、というただし書きが隠れているようだ。巻14・3350の東歌では、『新桑繭(にひぐはまよ)の衣(きぬ)』よりも『君が御衣(みけし)しあやに着欲(きほ)しも』といっている。その意は、桑の新芽で育てた蚕から採った、高価な絹の衣服よりも、あなたの衣服を身に着けたい、というのである。・・・絹製品が、高級で高価なもの、手の届かないものとして定着した評価を得ていない限り、このような歌が歌われるはずはないのである。」と書かれている。
絹製品が高級で高価なものであるから、次のような歌も詠まれるのである。
◆西市尓 但獨出而 眼不並 買師絹之 商自許里鴨
(作者未詳 巻七 一二六四)
≪書き下し≫西(にし)の市(いち)にただ一人出(い)でて目並(めなら)べず買ひてし絹(きぬ)の商(あき)じこりかも
(訳)西の市にたったひとりで出かけて、見比べもせずに買ってしまった絹、その絹はたいへんな買い損ないであったよ。(同上)
(注)めならぶ【目並ぶ】他動詞:並べて見比べる。一説に、多くの人の目を経る。(学研)
(注)商(あき)じこり:買い損ない。歌垣で選んだ相手が見掛け倒しであったことをいう。(伊藤脚注)
一二六四歌については、奈良県大和郡山市「平城京西市跡」の歌碑と共に、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その384)」で紹介している。
➡
集中、「桑」が詠まれたのは、三首である。これについては、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その517)」で紹介している。
➡
話が脱線するが、「絹」という名の遊行女婦(?)の歌も収録されている。万葉時代のお絹さんである。みてみよう。
題詞は、「絹歌一首」<絹が歌一首>である。
(注)絹:伝未詳。土地の遊行女婦か。(伊藤脚注)
◆河蝦鳴 六田乃河之 川楊乃 根毛居侶雖見 不飽河鴨
(絹 巻九 一七二三)
≪書き下し≫かはづ鳴く六田(むつた)の川の川楊(かはやなぎ)のねもころ見れど飽(あ)かぬ川かも
(訳)河鹿の鳴く六田の川の川楊の根ではないが、ねんごろにいくら眺めても、見飽きることのない川です。この川は。(同上)
(注)川楊:川辺に自生する。挿し木をしてもすぐに根付くほどの旺盛な生命力を持っている。ネコヤナギとも言われる。(「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会)
(注)上三句は序。「ねもころ」を起こす。
(注)ねもころ【懇】副詞:心をこめて。熱心に。「ねもごろ」とも。(学研)
一七二三歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その767)」で紹介している。
➡
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」(國學院大學「万葉の花の会」発行)
★「万葉植物園 植物ガイド105」(袖ケ浦市郷土博物館発行)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」