万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう―万葉歌碑を訪ねて(その2544)―

●歌は、「ほととぎす鳴く声聞くや卯の花の咲き散る岡に葛引く娘子」である。

大阪府柏原市高井田 高井田横穴公園万葉歌碑(プレート)(作者未詳) 20240307撮影

●歌碑(プレート)は、大阪府柏原市高井田 高井田横穴公園にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆霍公鳥 鳴音聞哉 宇能花乃 開落岳尓 田葛引▼嬬

        (作者未詳 巻十 一九四二)

  ▼は、「女偏に感」→「▼嬬」で「をとめ」

 

≪書き下し≫ほととぎす鳴く声聞くや卯(う)の花の咲き散る岡(をか)に葛(くず)引く娘子(をとめ)

 

(訳)もう時鳥の鳴声を聞きましたか。卯の花が咲いては散るこの岡で、葛を引いている娘さんよ。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)葛引く:その繊維から葛布を織る。(伊藤脚注)

 

 集中、「葛」が詠われている歌を大まかに分けると、①枕詞(10首)、②真葛原(3首)、③葛引く(2首)、④葛葉(4首)、⑤秋の七種(1首)となる。

 この「葛」の代表的な歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1138)」で紹介している。

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 「枕詞」として使われている「葛」10首をみてみよう。

 「夏葛の」(六四九歌)、「ま葛延(は)ふ」(九四八、一九八五、二八三五歌)、「延(は)ふ葛の」(四二三、一九〇一、三〇七二、三三六四歌の「或本の歌」、四五〇八、四五〇九歌)、「葛の根の」(四二三歌)である。

 

 

■夏葛の:六四九歌■

題詞は、「大伴坂上郎女歌一首」<大伴坂上郎女が歌一首>である。

 

夏葛之 不絶使乃 不通有者 言下有如 念鶴鴨

       (大伴坂上郎女 巻四 六四九)

 

≪書き下し≫夏葛(なつくず)の絶えぬ使(つかひ)のよどめれば事(こと)しもあるごと思ひつるかも

 

(訳)私の方は私の方で、まるで夏の葛の蔓(つる)のようにひっきりなしに来た使いがしばらくとだえていたので、何かさしさわりでもあったのかと心配していましたよ。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)夏葛の:「絶えぬ」の枕詞。夏の葛のどこまでも延びる意。(伊藤脚注)

(注)事:仲を邪魔する事態。

 

左注は、「右坂上郎女者佐保大納言卿之女也 駿河麻呂此高市大卿之孫也 兩卿兄弟之家 女孫姑姪之族 是以題歌送答相問起居」<右、坂上郎女は佐保大納言卿(さほのだいなごんのまへつきみ)が女(むすめ)なり。駿河麻呂は、この高市大卿(たけちのおほまへつきみ)が孫なり。両卿は兄弟の家、女と孫とは姑姪(をばをひ)の族(うがら)なり。ここをもちて、歌を題(しる)して送り答へ、起居を相問(さうもん)す。

(注)佐保大納言卿:大伴安麻呂(伊藤脚注)

(注)この:同じ大伴一族の。(伊藤脚注)

(注)高市大卿:安麻呂の兄、大伴御行か。御行は壬申の乱の功臣。(伊藤脚注)

(注)姑姪:兄弟の娘と孫の関係も、上代ではおば・おいと呼んだ。(伊藤脚注)

(注)起居を相問す:朝夕の様子を尋ね合う。(伊藤脚注)

 

 

■ま葛延(は)ふ:九四八歌■

題詞は、「四年丁卯春正月勅諸王諸臣子等散禁於授刀寮時作歌一首 幷短歌」<四年丁卯(ひのとう)の春の正月に、諸王(おほきみたち)・諸臣子等(おみのこたち)に勅(みことなおり)して、授刀寮(じゆたうれう)に散禁(さんきん)せしむる時に作る歌一首 幷せて短歌>である。

 

真葛延 春日之山者 打靡 春去徃跡 山上丹 霞田名引 高圓尓・・・

 

≪書き下し≫ま葛延ふ 春日(かすが)の山は うち靡(なび)く 春さりゆくと 山の上(へ)に 霞(かすみ)たなびく 高円(たかまと)に ・・・

 

(訳)葛が這い広がる春日山、この山は、春が到来したとて、山峡には霞がたなびいて、高円では・・・(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)ま葛延ふ:「春日の山」の枕詞的修飾句。(伊藤脚注)

(注)うちなびく【打ち靡く】分類枕詞:なびくようすから、「草」「黒髪」にかかる。また、春になると草木の葉がもえ出て盛んに茂り、なびくことから、「春」にかかる。(学研)

(注)春さりゆくと:春になってくると。(伊藤脚注)

 

 

■ま葛延(は)ふ:一九八五■

真田葛延 夏野之繁 如是戀者 信吾命 常有目八面

       (作者未詳 巻十 一九八五)

 

≪書き下し≫ま葛延ふ夏野の繁くかく恋ひばまこと我(わ)が命(いのち)常(つね)ならめやも

 

(訳)葛が一面に這い広がる夏の野の茂み、その茂みのようにこんなに激しく恋い焦がれていたら、ほんとに私の命はいつまでもつかわかったものではない。(同上)

(注)かく恋ひば:こんなに激しく恋い焦がれたら。(伊藤脚注)

(注)常(つね)ならめやも:永久不変でありえようか。(伊藤脚注)

 

 

 

■ま葛延(は)ふ:二八三五歌■

真葛延 小野之淺茅乎 自心毛 人引目八面 吾莫名國

       (作者未詳 巻十一 三八三五)

 

≪書き下し≫ま葛延ふ小野(をの)の浅茅(あさぢ)を心ゆも人引かめやも我(わ)がなけなくに

 

(訳)葛の延(は)い廻っている小野の浅茅(あさじ)だが、まさかそれを、本気になって人が引き抜いたりすることなんてあるはずがない。この私という者がいないわけではないのに。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)浅茅:女の譬え。(伊藤脚注)

(注)心ゆも人引かめやも:本気で人が引き抜いたりするものか。女を横取りされることへの心配。(伊藤脚注)

 

 

 

■延(は)ふ葛の・葛の根の:四二三歌■

題詞は、「同石田王卒之時山前王哀傷作歌一首」<同じく石田王(いはたのおほきみ)が卒(みまか)りし時に、山前王(やまさきのおほきみ)が哀傷(かな)しびて作る歌一首>である。

 

◆角障経 石村之道乎 朝不離 将歸人乃 念乍 通計萬口波 霍公鳥 鳴五月者 菖蒲花橘乎 玉尓貫<一云貫交> 蘰尓将為登 九月能 四具礼能時者 黄葉乎 析挿頭跡 延葛乃 弥遠永<一云田葛根乃 弥遠長尓> 萬世尓 不絶等念而<一云大舟之念憑而> 将通 君乎婆明日従<一云君乎従明日者> 外尓可聞見牟

        (山前王 巻三 四二三)

 

≪書き下し≫つのさはふ 磐余(いはれ)の道を 朝さらず 行きけむ人の 思ひつつ 通ひけまくは ほととぎす 鳴く五月(さつき)には あやめぐさ 花橘(はなたちばな)を 玉に貫(ぬ)き<一には「貫(ぬ)き交(か)へ」といふ> かづらにせむと 九月(ながつき)の しぐれの時は 黄葉(もみぢは)を 折りかざさむと 延(は)ふ葛(くず)の いや遠長く<一には「葛(くず)の根のいや遠長に」といふ> 万代(よろづよ)に 絶えじと思ひて<一には「大船の思ひたのみて」といふ> 通ひけむ 君をば明日(あす)ゆ<一には「君を明日ゆは」といふ> 外(よそ)にかも見む

 

(訳)あの磐余の道を毎朝帰って行かれたお方が、道すがらさぞや思ったであろうことは、ほととぎすの鳴く五月には、ともにあやめ草や花橘を玉のように糸に通して<貫き交えて>髪飾りにしようと、九月の時雨の頃には、ともに黄葉を手折って髪に挿そうと、そして、這う葛のようにますます末長く<葛の根のようにいよいよ末長く>いついつまでも仲睦(むつ)まじくしようと、こう思って<大船に乗ったように頼みにしきって>通ったことであろう、その君を事もあろうに明日からはこの世ならぬ外の人として見るというのか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

左注は、「右一首或云柿本朝臣人麻呂作」<右の一首は、或いは「柿本朝臣人麻呂が作」といふ>である。

 

 

 

■延(は)ふ葛の:一九〇一■

◆藤浪 咲春野尓 蔓葛 下夜之戀者 久雲在

       (作者未詳 巻十 一九〇一)

 

≪書き下し≫藤波(ふぢなみ)の咲く春の野に延(は)ふ葛(くず)の下よし恋ひば久しくもあらむ

 

(訳)藤の花が咲く春の野にひそかに延びてゆく葛のように、心の奥底でばかり恋い慕っていたなら、この思いはいついつまでも果てしなく続くことであろう。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)藤波:藤の花を波に見立てた語。上三句は序。「下」(心の奥底)を起す。(伊藤脚注)

(注)久しくもあらむ:上に「心の苦しみは」を補う。(伊藤脚注)

 

 

 

■延(は)ふ葛の:三〇七二■

◆大埼之 有礒乃渡 延久受乃 徃方無哉 戀度南

      (作者未詳 巻十二 三〇七二)

 

≪書き下し≫大崎(おほさき)の荒礒(ありそ)の渡り延(は)ふ葛(くず)のゆくへもなくや恋ひわたりなむ

 

(訳)大崎の荒磯の渡し場、その岩にまといつく葛があてどもなく延びるように、これからどうなるのか見通しもないまま恋い焦がれつづけることになるのか。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)大崎:和歌山市加太の岬。(伊藤脚注)

(注)上三句は序。「ゆくへもなく」を起こす。(伊藤脚注)

 

この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その763)」で紹介している。

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■延(は)ふ葛の:三三六四の「或る本の歌」■

三三六四歌の左注は、「或本歌末句曰 波布久受能 比可波与利己祢 思多奈保那保尓」<或本の歌の末句には「延ふ葛の引かば寄り来ね下なほなほに」といふ>である。

 

(訳)足柄の箱根の山に延い廻る葛を引っ張るように、誘ったら寄って来てくれよ。心すなおに(同上)

 

 三三六四歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1138)」で紹介している。

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■延(は)ふ葛の:四五〇八■

◆多可麻刀能 努敝波布久受乃 須恵都比尓 知与尓和須礼牟 和我於保伎美加母

       (中臣清麻呂 巻二十 四五〇八)

 

≪書き下し≫高円(たかまと)の野辺(のへ)延(は)ふ葛(くず)の末(すゑ)つひに千代(ちよ)に忘れむ我が大君(おほきみ)かも

 

(訳)高円の野辺に這い広がる葛、その葛のどこまでも延び続ける蔓(つる)の末ではないが、末ついに、ああ、千代の末には忘れてしまう、そんなわれらの大君であろうか・・・。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句は序。「末」を起しつつ、下二句の永遠の思慕にかかわる。(伊藤脚注)

 

左注は、「右一首主人中臣清麻呂朝臣」<右の一首は主人中臣清麻呂朝臣>である。

 

 

 

■延(は)ふ葛の:四五〇九■

波布久受能 多要受之努波牟 於保吉美乃 賣之思野邊尓波 之米由布倍之母

       (大伴家持 巻二十 四五〇九)

 

≪書き下し≫延ふ葛(くず)の絶えず偲はむ大君の見(め)しし野辺(のへ)には標(しめ)結(ゆ)ふべしも

 

(訳)這い広がる葛のように絶えることなく、お慕いしてゆこう。われらの大君の親しくご覧になったこの野辺には、標縄を張っておくべきだ。(同上)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1086)」で紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」