万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう(その2554)―書籍掲載歌を中軸に―

●歌は、「秋の田の穂の上に霧らふ朝霞いつへの方に我が恋やまむ(八八歌)」ならびに「君が行き日長くなりぬ山尋ね迎へか行かむ待ちにか待たむ(八五歌)である。

●歌碑は、いずれも大阪府堺市大仙町 仁徳陵西側遊歩道にある。

 

(注〉下記「同著」は「古代史で楽しむ 万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫)である。

 

 

 八八歌からみていこう。

■八八歌■

大阪府堺市大仙町 仁徳陵西側遊歩道万葉歌碑(磐姫皇后 八八歌) 20210421撮影

●歌をみていこう。

◆秋田之 穂上尓霧相 朝霞 何時邊乃方二 我戀将息

      (磐姫皇后 巻二 八八)

 

≪書き下し≫秋の田の穂の上(うへ)に霧(き)らふ朝霞(あさかすみ)いつへの方(かた)に我(あ)が恋やまむ

 

(訳)秋の田の稲穂の上に立ちこめる朝霞ではないが、いつになったらこの思いは消え去ることか。この霧のように胸のうちはなかなか晴れそうにない。(同上)

(注)上三句は下二句の心情の譬喩。「霧らふ」は「霧る」の継続態。(伊藤脚注)

(注)いつへの方:いつになったらというめどをいう。「方」は時間的な終着点を意識した語。(伊藤脚注)

 

 

 

 

■八五歌■

大阪府堺市大仙町 仁徳陵西側遊歩道万葉歌碑(磐姫皇后 八五歌) 20210421撮影

●歌をみていこう。

 

◆君之行 氣長成奴 山多都祢 迎加将行 待尓可将待

             (磐姫皇后 巻二 八五)

 

≪書き下し≫君が行き日(け)長くなりぬ山(やま)尋(たづ)ね迎へか行かむ待ちにか待たむ

 

(訳)あの方のお出ましは随分日数が経ったのにまだお帰りにならない。山を踏みわけてお迎えに行こうか。それともこのままじっと待ちつづけようか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)君が行き:「が」は連体助詞、「行き」は名詞で、お出ましの意。(伊藤脚注)

(注)「尋ぬ」は原則として男の行為。(伊藤脚注)

(注)「待つ」は普通女の行為。(伊藤脚注)

 

左注は、「右一首歌山上憶良臣類聚歌林載焉」<右の一首の歌は、山上憶良臣が類聚歌林に載(の)す>である。

(注)四首連作として伝えられたもののうち、八五の一首だけが類聚歌林にもそせてある、の意。(伊藤脚注)

                                         

 

 八六歌から八八歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1035)(~1037)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 八九歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1038)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

 同著には、「古事記日本書紀を読むわれわれにとって、興味あることのひとつは、女の嫉妬が多く語られることである。磐姫もその古代的類型の中に語られた・・・もっと正直に、この愛にのみ目をあてて磐姫を見ることは、人間感情が古事記的な原始性から離れ、自立していったときに、とうぜん起こることだろう・・・そうした姿で姫をとらえているのが万葉集である。」と書かれている。

 

 万葉集には、「古事記に日はく」として九〇歌を載せている。

 こちらもみてみよう。

 

■九〇歌■

題詞は、「古事記曰 軽太子奸軽太郎女 故其太子流於伊豫湯也 此時衣通王不堪戀慕而追徃時謌曰」<古事記に曰はく 軽太子(かるのひつぎのみこ)、軽太郎女(かるのおほいらつめ)に奸(たは)く。この故(ゆゑ)にその太子を伊予の湯に流す。この時に、衣通王(そとほりのおほきみ)、恋慕(しの)ひ堪(あ)へずして追ひ徃(ゆ)く時に、歌ひて曰はく>である。

 

◆君之行 氣長久成奴 山多豆乃 迎乎将徃 待尓者不待  此云山多豆者是今造木者也

         (衣通王 巻二 九〇)

 

≪書き下し≫君が行き日(け)長くなりぬ山たづの迎へを行かむ待つにはまたじ ここに山たづといふは、今の造木をいふ

 

(訳)あの方のお出ましは随分日数が経ったのにまだお帰りにならない。にわとこの神迎えではないが、お迎えに行こう。このままお待ちするにはとても堪えられない。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)やまたづの【山たづの】分類枕詞:「やまたづ」は、にわとこの古名。にわとこの枝や葉が向き合っているところから「むかふ」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)みやつこぎ【造木】: ニワトコの古名。(weblio辞書 三省堂大辞林第三版)

(注)軽太子:十九代允恭天皇の子、木梨軽太子。(伊藤脚注)

(注)軽太郎女:軽太子の同母妹。当時、同母兄妹の結婚は固く禁じられていた。(伊藤脚注)

(注)たはく【戯く】自動詞①ふしだらな行いをする。出典古事記 「軽大郎女(かるのおほいらつめ)にたはけて」②ふざける。(学研)

(注)伊予の湯:今の道後温泉

(注)衣通王:軽太郎女の別名。身の光が衣を通して現れたという。(伊藤脚注)                         

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1834)」で、松山市姫原 軽之神社・比翼塚の歌碑とともに紹介している。この歌碑には、軽太子(かるのひつぎのみこ)の歌も刻されている。

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「衣通王」は「玉津島明神」として和歌山市和歌浦中の玉津島神社に和歌三神として祀られている。「玉津島神社は、住吉大社柿本神社と並ぶ『和歌三神(わかさんじん)』の社として、古来より天皇上皇、公家、歌人、藩主など、和歌の上達を願う人々の崇敬を集めてきました。和歌三神とは和歌の守護神で、玉津島明神と住吉明神柿本人麻呂の三柱の神をさします。この玉津島明神が、玉津島神社祭神の一柱『衣通姫尊(そとおりひめのみこと)』です。衣通姫は第19代允恭(いんぎょう)天皇の后で和歌の名手。さらに絶世の美女でした。その麗しさは、その名のとおり『衣を通して光り輝いた』といわれます。(後略)」(玉津島神社・鹽竃神社HP)と、書かれている。

 

 玉津島神社については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その735)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 



 

 

 

 

 

 

 

(参考文献)

萬葉集 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「古代史で楽しむ 万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂大辞林第三版」

★「玉津島神社・鹽竃神社HP」