万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉集の世界に飛び込もう(その2561)―書籍掲載歌を中軸に―

●歌は、「冬こもり春去り来れば鳴かずありし鳥も来鳴きぬ咲かずありし花も咲けれど山を茂み入りても取らず草深み取りても見ず秋山の木の葉を見ては黄葉をば取りて偲ふ青きをば置きてぞ嘆くそこし恨めし秋山我れは」である。

滋賀県東近江市八日市清水町 薬師寺住職邸庭万葉歌碑(額田王) 20200203撮影

●歌碑は、滋賀県東近江市八日市清水町 薬師寺住職邸庭にある。

 

●歌をみていこう。

 

標題は、「近江大津宮御宇天皇代 天命開別天皇謚曰天智天皇」<近江(おふみ)の大津 (おほつ)の宮(みや)に天の下知らしめす天皇(すめらみこと)の代 天命(あめのみこと)開別(ひらかすわけの)天皇(すめらみこと)、謚(おくりな)して天智天皇といふ>

(注)近江大津宮:三八代天智天皇の皇居。大津市の北部。天智六年(六六八)三月十九日に遷都。(伊藤脚注)

(注)謚:生前の徳に因み、死後贈る名。(伊藤脚注)

 

 題詞は、「天皇内大臣藤原朝臣競憐春山萬花之艶秋山千葉之彩時 額田王以歌判之歌」< 天皇内大臣(うちのおほまへつきみ)藤原朝臣(ふぢはらのあそみ)に詔(みことのり)して、春山の万花(ばんくわ)の艶(にほひ)と秋山の千葉の彩(いろ)とを競(きほ)ひ憐(あは)れびしめたまふ時に、額田王が歌をもちて判(ことわ)る歌>である。

(注)内大臣天皇側近の重臣への呼称。(伊藤脚注)

(注)藤原朝臣藤原鎌足大化の改新の功臣。(伊藤脚注)

 

 

◆冬木成 春去来者 不喧有之 鳥毛来鳴奴 不開有之 花毛佐家礼抒 山乎茂 入而毛不取 草深 執手母不見 秋山乃 木葉乎見而者 黄葉乎婆 取而曽思努布 青乎者 置而曽歎久 曽許之恨之 秋山吾者

        (額田王 巻一 十六)

 

≪書き下し≫冬こもり 春さり来(く)れば 鳴かずありし 鳥も来(き)鳴きぬ 咲かざずありし 花も咲けれど 山を茂(し)み 入りにも取らず 草深(くさふか)み 取りても見ず 秋山の 木(こ)の葉を見ては 黄葉(もみち)をば 取りにそ偲(しの)ふ 青きをば 置きてぞ嘆く そこし恨(うら)めし 秋山我(わ)れは

 

(訳)冬木も茂る春がやって来ると、それまでそんなに鳴かなかずにいた鳥も来て鳴く。咲かずにいた花も咲く、だが、山が茂っているのでわけ入ってとることもできない。草が深いので折り取って見ることもできない。秋山の木の葉を見るについては、色づいた葉を手に折り取って賞美することができる。ただし、青い葉、それをそのままに捨て置いて嘆息する。その点が残念です。しかし、何といっても秋山です。私どもは。((伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)ふゆごもり【冬籠り】名詞:寒い冬の間、動植物が活動をひかえること。また、人が家にこもってしまうこと。[季語] 冬。 ※古くは「ふゆこもり」。

ふゆごもり【冬籠り】分類枕詞:「春」「張る」にかかる。かかる理由は未詳。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)花:上の「鳥」の対。花鳥意識を持ち込んだ史上最初の表現。(伊藤脚注)

(注)茂(し)み:「茂む」の連用形「茂み」をミ語法のように用いたものか。(伊藤脚注)

(注)偲ふ:ここは眼前の物を賞美する意。(伊藤脚注)

(注)秋山我(わ)れは:ここで初めて判定を示した。(伊藤脚注)

 

 この歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その418)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 


 この件について、中西 進氏は「万葉の心」(毎日新聞社)の中で、「近江朝のある日、宮廷では春と秋の情趣の優劣が語られ、それにともなって中国の古典なども披露されたと思われる。本来これは中国で好まれた優劣論である。」とし、額田王が和歌で答えたのである。「すべてが黄葉しているからよいというのは平凡にすぎる。黄葉に青をまじえ、喜びと嘆きとの交錯することこそよいのだという(額田)王の非凡さを、この歌に隠すことはできない。」と書いておられる。

 

さらに、「古代史で楽しむ 万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫)では、「この春秋の優劣を競うということは、十分漢風な風雅であった。王が渡来族と関係深いという説もすでに述べたが、そうした大陸的素養と、宮中儀礼に歌を奏する、いわゆる宮廷歌人が密接に結びついているのも、この近江朝以降の傾向である。

 近江朝廷は漢風文化の栄えた時代である。そのような中で、形式的な儀礼か、さもなければきわめて日常的な恋の歌謡にしか用いられなかった和歌は、次第に文芸への道を辿(たど)りはじめたことになる。このいわゆる春秋争いの歌も天智を春にたとえ、天武を秋にたとえて、天武がよいといった歌である。中国的な教養を恋の世界にかえてしまうような額田王を最高の花とした当朝の、多くの女性たちの歌の上に文芸の開花を認めることができる。」

 

 「『王』という呼び名は皇室の一人とも地方豪族の出身とも取れ、また出身地も近江の鏡山(かがみやま)のあたりとも、大和の額田郷ともいわれ明らかでない。鏡山を想定するのは、その父として鏡王(かがみのおおきみ)の名が天武即位紀にみえるからである。ために同じ万葉歌人鏡王女(かがみのおおきみ)の名はいかにも鏡王の娘をしめし、そのために額田王の姉だとする説がある。しかし、鏡王女の墓は舒明陵の域内にあって、その近親者とも考えられ、確定しない。・・・ひとつの想定を下せば、王は近江に生まれ額田部(ぬかたべ)の郷に育てられた娘で、鏡王女とは姉妹であろう。額田部の氏族(額田臣(おみ)・額田首(おびと)・額田村主(すぐり))は神事にも関してきた一族で、額田部連(むらじ)は渡来族にも交渉のある一族である。」(同著)

 

 上記の「鏡王女の墓は舒明陵の域内に」は次の地図で明らかである。

舒明天皇陵・鏡王女万葉歌碑・同墓 グーグルマップより引用させていただきました


 鏡王女の万葉歌碑については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その109改)」で紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

 

 

 

 2019年5月31日に鏡王女の万葉歌碑を訪れている。この時はお墓まで行ってはいなかった。機会があれば訪れてみたい。

 せせらぎの横に佇む万葉歌碑を見ているだけで万葉の時代に吸い込まれていく。またその付近にユキノシタの可憐な花が一層雰囲気を盛り上げていたのが目に焼き付いていたのである。




 昨年、近くの「けいはんな記念公園」の水景園に遊びに行った折、ユキノシタの小さな苗ポットが売られていたので、買い求めミニ盆栽風に育ててみた。

 ちょうど花が咲いたところである。



 

 

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「古代史で楽しむ 万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の心」 中西 進 著 (毎日新聞社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「グーグルマップ」