●歌は、「海神の豊旗雲に入日さし今夜の月夜さやけくありこそ」である。
●歌をみていこう。
十三~十五歌群の題詞は、「中大兄近江宮御宇天皇三山歌」<中大兄(なかのおほえ)近江宮に天の下しらしめす天皇の三山の歌>である。
(注)この歌群は、額田王の巻一 八歌「熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」と同じ旅の歌らしい。(伊藤脚注)
十三歌からみてみよう。
◆高山波 雲根火雄男志等 耳梨與 相諍競伎 神代従 如此尓有良之 古昔母 然尓有許曽 虚蝉毛 嬬乎 相格良思吉
(中大兄皇子 巻一 十三)
≪書き下し≫香具山(かぐやま)は 畝傍(うねび)を惜(を)しと 耳成(みみなし)と 相争(あいあらそ)ひき 神代(かみよ)より かくにあるらし 古(いにしえ)も しかにあれこそ うつせみも 妻を争ふらしき
(訳)香具山は、畝傍をば失うには惜しい山だと、耳成山と争った。神代からこんな風であるらしい。いにしえもそんなふうであったからこそ、今の世の人も妻を取りあって争うのであるらしい。(伊藤 博著「萬葉集 一」角川ソフィア文庫より)
(注)畝傍(うねび)を惜(を)しと:畝傍を失うのは惜しいと。香具・耳成が男山、畝傍が女山。(伊藤脚注)
(注)古:現在にずっと続いてきている過去をいう。(伊藤脚注)
(注)しかにあれこそ うつせみも:そうであればこそ現世の人も・・・。今在る事を神代からの事として説明するのは神話の型。(伊藤脚注)
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上記(注)の額田王の巻一 八歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その1835)」で松山市御幸町護国神社・万葉苑の歌碑とともに紹介している。
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◆高山与 耳梨山与 相之時 立見尓来之 伊奈美國波良
(中大兄皇子 巻一 十四)
≪書き下し≫香具山と耳成山と闘(あ)ひし時立ちて見に来(こ)し印南国原(いなみくにはら)
(訳)香具山と耳成山とが妻争いをした時、阿菩大神(あぼのおおみかみ)がみこしをあげて見にやって来たという地だ、この印南国原は。(同上)
(注)立ちて見に来(こ)し印南国原:御輿をあげて見に来たという印南国原よ。「印南国原」は明石から加古川のあたりにかけての平野。(伊藤脚注)
◆渡津海乃 豊旗雲尓 伊理比紗之 今夜乃月夜 清明己曽
(中大兄皇子 巻一 十五)
≪書き下し≫海神(わたつみ)の豊旗雲(とよはたくも)に入日(いりひ)さし今夜(こよい)の月夜(つくよ)さやけくありこそ
(訳)海神(わたつみ)のたなびかしたまう豊旗雲(とよはたくも)に、今しも入日(いりひ)がさしている。おお、今宵の月世界は、まさしくさわやかであるぞ。
(注)わたつみ【海神】名詞:①海の神。②海。海原。 ⇒参考:「海(わた)つ霊(み)」の意。「つ」は「の」の意の上代の格助詞。後に「わだつみ」とも。(学研)ここでは②の意
(注)とよはたくも【豊旗雲】:旗のようにたなびく美しい雲。(学研)
(注)入日さし:彼方に入り隠れる日が最後の光を強くさし放っている。現在の情景を述べる中止法。(伊藤脚注)
(注の注)【中止法】:日本語の表現法の一。「昼働き、夜学ぶ」の「働き」や、「冬暖かく、夏涼しい」の「暖かく」などのように述語となっている用言を連用形によっていったん切り、あとへ続ける方法。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
(注)こそ 終助詞:《接続》動詞の連用形に付く。〔他に対する願望〕…てほしい。…てくれ。 ※上代語。助動詞「こす」の命令形とする説もある。(学研)
(注の注)ここの「こそ」は断定の終助詞。(伊藤脚注)
左注は、「右一首歌今案不似反歌也 但舊本以此歌載於反歌 故今猶載此次亦紀日 天豊財重日足姫天皇先四年乙巳立天皇為皇太子」<右の一首の歌は、今案(かむが)ふるに反歌に似ず。ただし、旧本、この歌をもちて反歌に載(の)す。この故(ゆゑ)に、今もなほこの次(つぎて)に載す。また、紀には「天豊財重日足姫天皇(あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと)の四年乙巳(きのとみ)に、天皇を立てて皇太子(ひつぎのみこ)となす」といふ>である。
(注)右の一首:通過する地をほめる前二首(十三、十四歌)に対し、航行の安全のために月明を予祝した歌。額田王が斉明天皇に代わって中大兄の前二首に和したものか。(伊藤脚注)
(注)旧本:巻一の原本。(伊藤脚注)
(注)先の四年:皇極天皇の四年(645年)(伊藤脚注)
(注の注)皇極天皇(第35代:在位642~645年)は重祚して斉明天皇(第37代在位655~661年)
十三~十五歌群については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その64改)」で紹介している。
十三歌の「雲根火雄男志等」を「畝傍を愛(を)し」と読むか「畝傍雄々し」と読むかの議論があり、一般には「を愛(を)し」と読まれることが多いが、伊藤博氏のように「畝傍(うねび)を惜(を)し」と読む説もある。また、どの山が男で、どの山が女かについても諸説がある。これに関しても(その64改)でふれている。
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地蔵園地は、展望台の後方にある。小山の中に多数の地蔵と10基の万葉歌碑が立てられている。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」